2010年03月13日
サトル 春の大会
片岡慎介さんのネーミング「人生をオールインワンに生きる」の統一テーマで4月17日(土) 津田ホールでサトルの「春の大会」 を実施します。
この大宇宙の成員として、この世に生を受けた私達。
父と母の愛を受け、幼き体験から知恵を知り
そして青年期を迎え、愛に仕事にと人生の荒波を受ける。
生老病死、苦渋に満ちたこの世の中も、ひとたび括目すれば、実は素晴しき世とやがて知る。
汚泥と苦悩の世の中は、己の心の曇り、偽我が真因であったと知る。
人生60年を過ぎ天命を知ると、経験とは「己の進化のための素材」であった。
このかけがえのない地球も己の中、巨大な宇宙も己の中、生まれてきたことの意味は「進化と自律」、そして家族も全ての出会いも、みんな自分の中にあった「オールインワン」の人生であったと気付く。
この大会では「胎内記憶の子供たち」の話をされる産婦人科医の池川明先生が登壇。
子供たちの凡そ70%が胎内記憶を持つという。
[池川先生を取材したTV局の放映、一部抜粋です]
池川先生の誕生の話から、次に小児科医の向後利昭先生が、「生きる」、「生かす」はヒトと動物の共通原則ですが、ヒトには加えて「生かされている」という概念があると、小児科医の立場から説く。
また子供たちの速読研究や脳活性に知見をもつ飛谷ユミ子先生が「潜在能力を生かし脳力を高める」 という講演をされる。
サトルの学術副委員長の小川修さんは、10年以上も前から、国際的エネルギー需給のアンバランスを指摘し、これまでの生活と違った「本物のサトルな生き方」を提唱されてきた。
現在の成人層に、これまでの企業経営の姿勢とは違った日本の未来を創る「社会人とは?」のメッセージを送ります。
続いて登壇される宮西ナオ子先生は 唾液学、お能文化の権威者でなおかつ環境、美容と健康関連、生き方についての講演に全国を廻っている講師。
「更年期障害は最高のプレゼント」と題した講演を行う。
久々に帯津良一先生も登壇されます。
著書 「達者でポックリ」はかなりの評判を呼びましたが、講演の最後のとりを行ってもらいます。
誕生から、少年期、青年期、そして成人から壮年に向かい、やがて「達者でポックリ」。
ですから「人生をオールインワンに生きる」としたのです。
どんな年代層の切り口からでも提言されて、ご家庭で活用できる内容にしたいと思っております。
この大宇宙の成員として、この世に生を受けた私達。
父と母の愛を受け、幼き体験から知恵を知り
そして青年期を迎え、愛に仕事にと人生の荒波を受ける。
生老病死、苦渋に満ちたこの世の中も、ひとたび括目すれば、実は素晴しき世とやがて知る。
汚泥と苦悩の世の中は、己の心の曇り、偽我が真因であったと知る。
人生60年を過ぎ天命を知ると、経験とは「己の進化のための素材」であった。
このかけがえのない地球も己の中、巨大な宇宙も己の中、生まれてきたことの意味は「進化と自律」、そして家族も全ての出会いも、みんな自分の中にあった「オールインワン」の人生であったと気付く。
この大会では「胎内記憶の子供たち」の話をされる産婦人科医の池川明先生が登壇。
子供たちの凡そ70%が胎内記憶を持つという。
[池川先生を取材したTV局の放映、一部抜粋です]
池川先生の誕生の話から、次に小児科医の向後利昭先生が、「生きる」、「生かす」はヒトと動物の共通原則ですが、ヒトには加えて「生かされている」という概念があると、小児科医の立場から説く。
また子供たちの速読研究や脳活性に知見をもつ飛谷ユミ子先生が「潜在能力を生かし脳力を高める」 という講演をされる。
サトルの学術副委員長の小川修さんは、10年以上も前から、国際的エネルギー需給のアンバランスを指摘し、これまでの生活と違った「本物のサトルな生き方」を提唱されてきた。
現在の成人層に、これまでの企業経営の姿勢とは違った日本の未来を創る「社会人とは?」のメッセージを送ります。
続いて登壇される宮西ナオ子先生は 唾液学、お能文化の権威者でなおかつ環境、美容と健康関連、生き方についての講演に全国を廻っている講師。
「更年期障害は最高のプレゼント」と題した講演を行う。
久々に帯津良一先生も登壇されます。
著書 「達者でポックリ」はかなりの評判を呼びましたが、講演の最後のとりを行ってもらいます。
誕生から、少年期、青年期、そして成人から壮年に向かい、やがて「達者でポックリ」。
ですから「人生をオールインワンに生きる」としたのです。
どんな年代層の切り口からでも提言されて、ご家庭で活用できる内容にしたいと思っております。
2010年03月10日
ありがとう (在り難し)

[昨年 公園に愛と感謝のセレモニーを実施しました。この写真は芝公園から芝東照宮、児童公園の散策のときのもの。神社拝礼の現場ミニ講演もさせていただきました。今年も暖かくなってから行ないますよ]
最強の祝詞(ノリト)といおうか、ありがたいマントラといおうか、古来よりもっとも優れた神呪は一体何だろうか?
絶望の淵に及んで初めてこころの底から「神様、仏様!」と叫んで、確かに救われたという話を聞きます。
恐らくそのギリギリの心が、天がキャッチしたからに相違ないのでしょう。
「南無妙法蓮華経」がいいのか「南無観世音菩薩」の言霊でフェニックスを呼び込むのか。
いや「般若心経」か「天照大神」か「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネ」か。
論者鈴木には『ありがとうございます』が最高にして最大の神呪言霊であると考えているのです。
世界救済の祝詞は大祓祝詞です。その中の一説、「太祝詞事(フトノリトゴト)を宣れ」とありますが、宣るべきその太祝詞事(フトノリトゴト)の本文は空白になってます。
神社庁に聞いても誰も知らないのです。
その空白の太祝詞事(フトノリトゴト)を奏上して、「・・・・・かく宣らば、天津神は天の岩戸を押し開きて・・・・」と天界と人界のパイプがつながる。
従って、心の天の岩戸を押し開くのだから、その空白なる祝詞は、各々の心の感性に応じた「独自の暗号」のような言霊に違いなく、個々人で奏上せよということと思っているのです。
大宇宙大生命意志に対する全託の信頼と、この世に無くてもよい自己が今ここにある。
つまり自己存在という超奇跡に対する感動感謝が、皆さんに共通する至高の想いに違いないのではないでしょうか。
神と自己との信頼と絆は、「われ在り難し」から発した、単純素朴な言霊『ありがとうございます』の十音にほかならないのです。
たしかに、太祝詞には「ヒフミヨイムナヤコトモチロナネ・・・・」や「あおうえい カコクケキ・・・」などもありますが、『ありがとうございます』以上に今を感謝し、存在を感謝し、共生(トモ)に在るこのとの感謝言霊が見当たらないのです。
[論者の神社神業の基本は 感謝業 、そして己の神人に至らぬ侘びから入ります]
愛も調和も進化も勇気も、人神への修行に無くてはならない魂の凝縮されたエッセンス。
純正も希望も創造も信念も人から神への飛躍のための霊可理(光)です。
「感謝」は、それらの天が使わす八光に対するこちら側からの返礼です。
感謝に天に返す愛あり、感謝に天の期待である己の進化があり、感謝に神人に向かう勇気あり、感謝に共生の調和の義務ありである。
日本人が21世紀に世界を先導し物質至上主義から、共生主義とでも言う心と、特に魂を原点に据えた真の生き方、「霊主心従体属」を先導していきます。
原宿にたむろする若者も、電車ではた目も気にせず大声で笑いまくる女学生も、ゲーセンに入り浸る少年たちも『ありがとう』の言霊くらい知っている。
日本人なら誰しもが知っている「ありがとうございます」。
全ての日本人に新世界創造の大きな使命があるから「ありがとうございます」の十音(統一音)の単純素朴な言霊が授けられている。
世界を先導して行く天津霊継民族には、自らの心の行き詰まりを打開するためにもこの最強の祝詞「ありがとうございます」を駆使する必要があるのです。

[花を見て美しいと感じるのは、花の精霊が魂に語りかけているからです。だから精霊さんに返事を返すと反応しますよ]
何かにすがって、助かりたい、なにかに頼ってやり直したい、何かを念じて発奮する。
しかし他力の想いのその前に、本物の内なる自己の輝きを表現する言霊『ありがとうございます』があって初めて、人と神がつながる。
『ありがとうございます』で魂の発動がある。
そして自分の内部から愛が、調和への道が、進化の躍動が、勇気の充実が湧き出てくる。
想いが体質を変える。その想いが新たな遺伝子情報を創る。
その想いと言葉の至高の一致、肉体と心の躍動する究極の祝詞言霊、それが「ありがとうございます」なのです。
2010年03月08日
岩長比売さま
[大室山 山頂からわずかに下ったところに岩長比売さまを祀る祠があります]
以前にも触れました岩長比売さま。
お父様の大山津見さまは、天孫降臨のニニギの尊のお嫁さんにと、岩長比売さまを差し出された。
ところがニニギの尊は、面食いで「スミマセン!」とお断りをしてしまった。
このために、お父様は岩長比売さまの妹さまの此花開耶をかわって差し出された。
ニニギの尊は、この美女にいやも応もなく、やがて結婚されることになったのです。
ですが大山津見さまの心底は、皇孫のこれからの御世を、盤石なる末代までの繁栄を祈る意味で岩長比売さまを出されたのです。
岩長比売さまは、盤石や永代の意味にたとえられ、また大山津見さまの娘ですので、山々のイワクラにその陰を認めることが出来ます。
伊豆伊東の大室山という、すり鉢型の山には下からリフトも出てますので、容易に山頂に上ることができます。
昨年でしたか? 大室山の山頂に行きましたら、頂上が火口にの凹みになっていて、そこはアーチェリーの練習場になっていました。
火口といっても、もちろん死火山のようで、単なる200~300mの直径を持つ凹みです。
ですから誤って的からはずれた矢が飛んできても、周りに迷惑にはなりませんね。
[大室山頂にある5人仏は、富士山の方向を向かれております]
この練習場に降りる中途に、岩長比売さまの小さな祠があります。
周りが岩盤で、そのくぼみにある祠は富士山方向を向いている。
日本の山々は、どんなに小さな山でも神社や祠はある。
これが日本の原風景なのですね。
こうした風景は海外、特に欧米では見られません。
此花開耶さまの本拠地 富士山を眺めるポイントは関東近県いたるところにあります。
小高い場所には浅間神社さんがしばしば建立されております。
論者の住居の近場で言うと、品川神社さん、白山神社さんなどがそうですね。
浅間神社さんは、もちろん此花開耶さまがご祭神ですが、お姉さまの岩長比売さまと合祀されているところもあります。
ですが、めったになく岩長比売さま単独の祭祀神社は全国でもごくごくわずかなもの。
そうしたところは月読み神社さんとおなじですね。
[石割山の 巨大なイワクラ、この写真はもう5年くらい前でしたか、知人の榊間さんらとご一緒でした]
山中湖湖畔にある石割山は、文字通り岩が裂けているイワクラをお祀りした神社さんがあります。
ご祭神は岩長比売さまです。
岩長比売さまは、こうした直接祭神となられている神社さんは非常に少ないものの、木造の神社ではなく、全国の山々のイワクラ自体が、どうも岩長比売さまを内在しているように思えてなりません。
日本人の調和の意思(石)、生命をいつくしむ盤石な意志(石)に、岩長比売さまがいつも支えの波動を送っているような気がしてなりません。
2010年03月06日
勅語について
【魂磨きの】
[まきの古木 たしか千葉 中山の蓮華寺の辺りでしょうか?人間のようにこざかしくもなく、純粋です。だから長命なのですね。]
『学を修め 業を習い もって智能を啓発し 徳器を成就すべし』
昔からの勅語ですが、人生の真髄を突いているとおもいませんか?
昔の勅語など、アナクロだとお思いの方もいるかもしれませんが、深いですね。
基礎力を修めるとは、小学校から既に英語を学んだり、株取引のためのパソコンの練習をすることでは決してありません。
自国語 この日本語をしっかり身につけて、日本の伝統と文化を腹に落とさなねば、信頼すべき国際人にはなれなません。
文化の心無く、口先だけの英語力の方は、ニューヨークのハーレム街にゴロゴロ居る。
自国の文化を語れる品格こそ大事で、小学校ではその基礎を育むべきですね。
「業」とは、作業であり仕事のこと。手足を動かして実践が無ければ決して本物にはなれません。
東大卒の方程式型 左脳人間の限界を、論者は部下としても大勢見てきました。
合理主義と記憶力の奥底に、「仁」、「愛」、「徳」が無ければ世間にはまったく通用しません。
ひとはその方の学歴や、会社の肩書きを見ているのではなく、その方の心を皆さんみていらっしゃる。
「智能」とは、本来その人が持つ魂の光のことです。
教育とは魂が本来もっている「智能」の光を呼び出すきっかけづくりなのです。
「智能」の光は魂の中にぎっしり詰まっている。
だから魂を見つめなければ「智能」は啓発されないのです。
そして心の器とでもいえる、「徳の器」を大きくして、少々の困難にも動転もせず、常に前を向いて、路傍に困る人あれば手を差し伸べることが肝要ですね。
ヒトは常に神様に、その魂の修行を試されている。
心の器を広げて、神様と同じくらいの「徳の器」を大きくしたいものです。
こうした教育の基本姿勢が過去の日本にはあったのですね。

[駒込の六義園の赤松 いい波動を出してますよ。手の平を向けて「ありがとうございます」といってみてください。きっといい反応がありますよ]
論者 鈴木は戦争否定者である。だが山本五十六海軍提督の教育論にうなずいてしまいます。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、あとを褒めねば、ヒトは育たず」・・・・と。
まず親がそのお手本を、体で子供に示しているかどうか。
口先だけではあるまいか。
手本を見せて、解説してやる。
そしてご本人に具体的にやってもらわねば体で覚えません。
先生が講座で料理の話をしても、実際に生徒が造ってみなければ自分のものにはなりません。
そして最後に先生が褒めてやると、生徒のヤル気に火がつく。
このヤル氣を出させるまでが、親や先輩の務めなのです。
こうしたことが、塾や学校まかせで、今の家庭に欠けているところです。
[まきの古木 たしか千葉 中山の蓮華寺の辺りでしょうか?人間のようにこざかしくもなく、純粋です。だから長命なのですね。]
『学を修め 業を習い もって智能を啓発し 徳器を成就すべし』
昔からの勅語ですが、人生の真髄を突いているとおもいませんか?
昔の勅語など、アナクロだとお思いの方もいるかもしれませんが、深いですね。
基礎力を修めるとは、小学校から既に英語を学んだり、株取引のためのパソコンの練習をすることでは決してありません。
自国語 この日本語をしっかり身につけて、日本の伝統と文化を腹に落とさなねば、信頼すべき国際人にはなれなません。
文化の心無く、口先だけの英語力の方は、ニューヨークのハーレム街にゴロゴロ居る。
自国の文化を語れる品格こそ大事で、小学校ではその基礎を育むべきですね。
「業」とは、作業であり仕事のこと。手足を動かして実践が無ければ決して本物にはなれません。
東大卒の方程式型 左脳人間の限界を、論者は部下としても大勢見てきました。
合理主義と記憶力の奥底に、「仁」、「愛」、「徳」が無ければ世間にはまったく通用しません。
ひとはその方の学歴や、会社の肩書きを見ているのではなく、その方の心を皆さんみていらっしゃる。
「智能」とは、本来その人が持つ魂の光のことです。
教育とは魂が本来もっている「智能」の光を呼び出すきっかけづくりなのです。
「智能」の光は魂の中にぎっしり詰まっている。
だから魂を見つめなければ「智能」は啓発されないのです。
そして心の器とでもいえる、「徳の器」を大きくして、少々の困難にも動転もせず、常に前を向いて、路傍に困る人あれば手を差し伸べることが肝要ですね。
ヒトは常に神様に、その魂の修行を試されている。
心の器を広げて、神様と同じくらいの「徳の器」を大きくしたいものです。
こうした教育の基本姿勢が過去の日本にはあったのですね。
[駒込の六義園の赤松 いい波動を出してますよ。手の平を向けて「ありがとうございます」といってみてください。きっといい反応がありますよ]
論者 鈴木は戦争否定者である。だが山本五十六海軍提督の教育論にうなずいてしまいます。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、あとを褒めねば、ヒトは育たず」・・・・と。
まず親がそのお手本を、体で子供に示しているかどうか。
口先だけではあるまいか。
手本を見せて、解説してやる。
そしてご本人に具体的にやってもらわねば体で覚えません。
先生が講座で料理の話をしても、実際に生徒が造ってみなければ自分のものにはなりません。
そして最後に先生が褒めてやると、生徒のヤル気に火がつく。
このヤル氣を出させるまでが、親や先輩の務めなのです。
こうしたことが、塾や学校まかせで、今の家庭に欠けているところです。
2010年03月04日
三本立ての一日

[岩盤浴は熱が体の芯に浸透して、血液が42℃位になりますと免疫性が上がるようですね]
2月28日の日曜日、都心付近では最大の岩盤浴スパといわれる多摩の「竹取の湯」に行ってまいりました。
岩塩、トルマリンほか様々な天然石を敷き詰め、床下から熱して、遠赤外線を身体に通す。
ですから皮膚の奥まで熱浸透して発汗作用が多い。
つまり石焼イモ状態になるわけですね。「竹取の湯」では種類効能の違った岩盤が6室もあって、それぞれに10床くらいのベッドがある。

[龍玉石というのでしょうか、玉石の上に軽い敷物を敷いて寝ますのでツボも押されて心地いいですよ。]
宇宙飛行士が宇宙から帰還すると、皆さん健康になって、生命力も強く家庭もハッピーになることがいわれています。
これは大気圏外で宇宙線を強く浴びた結果で、宇宙からの微量放射線は身体にいいと最近の学説で言われております。これをホルミシス効果といいます。
秋田県の玉川温泉では、がん治療で有名ですが、温浴のミネラル成分に特効があるのではなく、どうも岩盤から放出される微量放射線のホルミシス効果といわれております。
私も岩盤浴では、身体の奥底から毒素が抜ける気配で大変心地好かったです。
日本では岩盤浴というよりも、「釜風呂温泉」は古くから知られていますね。
炭焼き土釜の炉床に荒塩を30cmくらい固く敷き詰め、その上にむしろを敷いてその上に横になる。土釜の床下から熱しての釜の中で蒸し焼きになる。
これが元祖の岩盤浴だと思いますが、その発祥は古く1300年以上も前の、確か天武天皇の開発とか聞きます。
わたしも栃木と長岡で体験してますが、恐らく邪気おとしと、免疫の回復が「かまぶろ」の狙いじゃないかしら。たしかに邪気は抜けますよ。
この多摩の「竹取の湯」で岩盤浴を楽しんだ館内で、昼食時にTVを見ていたのですが、小雨降るなかの東京マラソンの実況中継。
私の知人も数人参加しているとききましたが、都庁スタートの3万人の参加は壮観ですね。

[いつもは自宅から100m先の日比谷通りにマラソン応援に行くのですが、この日は岩盤浴に]
そのマラソン中継のTVテロップに、チリ大地震の影響での大津波が押し寄せるという。
しかも太平洋沿岸で高さ2mとかの情報もありギョギョ、ギョエッ!
この日は、ほぼ満月に近く、月の引力での満潮時の大津波は本当に心配されました。
岩盤浴のはずがTVニュースに釘ずけになってしまいました。
ところがチャンネルを廻すと今度はバンクーバ冬季五輪の閉会式で沸いているニュースが流れる。
東京マラソン、大津波、バンクーバ五輪閉会式と、この日は三本立てでした。
昨年の丑年からことしの寅年にかけて、日本ではうしとらの金神様(龍体であり國常立大神)がミソギハライの大きな立替の御用をされる。
艮(うしとら)の金神様の御用ですから、日本のオリンピック選手には金よりも「銀」が多かったのもそのせいですね。
なぜって、金に艮(うしとら)が付いてますでしょ。
2010年03月01日
言霊ア-ワの繋ぎ()

[言霊セミナー中の論者 鈴木 年に数回 こうしたセミナーを実施しております]
ア・オ・ウ・エ・イの「ア行五大」は主観自己の根幹をなす精神内容である。
「ア」は純正自己そのもの、「オ」は経験知性、「ウ」は勇気判断、「エ」は菩薩の智恵、「イ」は物心一切を存在なさしめている「大生命意志」であり「魂の本源」である。
この「ア行」は「誘な氣」のエネルギーの素性であって、ア・オ・ウ・エ・イはいづれも、手ではつかめない非物質、高次元の精神内容である。
ヒトガタ寝姿の五大、手足に五指をもつ「見える肉体」は、アオウエイ五行五大の相似象。
ゆえに「ア」の純正自己は数霊の「五」に、言霊の「口」とかいて、「吾(ワレ)」と詠ませる。
ワ・ヲ・ウ・ヱ・ヰの「ワ行五大」は「誘な氣」のエネルギー精神に相対する「誘な身」の「物質界」を意味する。
「ワ」は肉体自己、「ヲ」は命の水、「ウ」は塩・ミネラル群である。そして「ヱ」は火・渦であり、「ヰ」はこの生宮、地球そのものである。
また「ヰ」の地球とは「誘な氣エネルギー」の凝縮物質体でもある。
見えない精神の「ア:吾」に対して、見える肉体の「ワ」は「我」と書く。
すなわち「我」とは「肉体ワレ」である。
「ア」-「ワ」の繋ぎとは「精神の自己(吾)」と「肉体自己(我)」の統一である。
[御田八幡神社 都会の中にあっても 落ち着く神社さんです ]
精神系(ア行)と物質系(ワ行)は、「(イザナ)氣」と「(イザナ)身」の氣身二神に比喩せられ、また「右の手」と「左の手」、陽と陰にも比喩される。
よって神道では中道中和、精神界と物質界の統一自己を目して、左右の両手でカシワデを打つ。
右手だけでは「音霊」は鳴らず、左手だけでも「音魂」は成らない。
ちなみに神前で発止と打つ拍手(かしわで)は、知らずのうちに純正であったはずの自己精神の内部に巣食う「魔」の払え行である。
イザナ氣とイザナ身の「氣・身」二神の合体調和から発するの魔払いのための神音(カネ)がそれである。
「ア」 は吾、にして宇宙を思惟する霊的な主体自己。
「ワ」は我、霊的主体自己(ア)によって 認識される客体自己であり、ワ行の全景は「肉体自己」を含め、「ア」から認識される対象客体全体である。
「ア行」は精神宇宙のカオス一切を分別判断できる大生命意志(イ)の形質を持った分け御霊としての霊的創造主体である。
大宇宙初発の神エネルギー「高次元イ」そしてその物質形成体「ヰ」(地球)からやがて、「ア」と「ワ」が誕生する。
即ち「魂」と「三次元物質肉体」である。
ここにおいて宇宙御子 霊止(ひと)の誕生である。
霊止(ひと)とは神の賜りモノである。
ゆえに「魂」とは「賜いし霊(ヒ)」である。
また外に神は無く、神とは常に自己の内奥に住まう。
この命体(霊体)と生体(肉体)の不離一体の状態を「生命体」、「ア」-「ワ」の繋ぎという。
やがて「ア」から「オ」・「ウ」・「エ」が育成され、「ワ」から「ヲ」・「ウ」・「ヱ」が萌芽分岐される。
主観自己「ア」から全体を眺めれば、「実在系ア行」と「現象系ワ行」と認識することができる。
言霊ア・オ・ウ・エ・イは、ヒト精神の五大要素であり、それが宇宙の母なる基本波動である。
ア行は母音と教えられるが正しく「母因」である。
「ア」は「亜」であり「阿」であり「天」であり「吾」である。
「亜」は、ほのかな、未完の、なりきらぬという意味であるが、大神の亜神(幼神)とみれば「吾」と覚れる。
「阿」はコザト偏の「カタチあるもの」への変化の可能性、阿字相観の阿である。
すなわち形あるものと、カタチなきものとの境界と知れれば、エネルギーと物質の相変化の起点と読める。
「天」とはいわずと知れて神であり、「吾」のルーツである。
[千住神社さん その昔はかの地は森だったようです。]
即ち「ア」とは主観自己に他ならないが、それを「無限神聖」とみるのが覚者の悟りである。
また「悟り」とは「吾」の「心」と書く。
その「ア」の精神母体は國常立大神。
「オ」を(緒)と看ればその実体が時間・空間の変化、心の変化、転じて先祖霊との繋氣と知れる。
「ウ」は(穿)・(宇)と看ると、発見であり変化初動の驚きであり、転じて勇気・判断となる。「
エ」を漢字にパラフレーズすれば「慧」であり内なる閃きであり、光であり、智慧である。
言霊になる以前の覚者の閃きである。
「閃き」は言霊の芥子であり「言霊鳴る」寸前の脳内映像であり、菩薩界からの吾精神界への入力信号であり、これを「未鳴」(マナ)とも称する。
自己「吾」を成立させ、また他者を、万物をも成立させている生命エネルギー、大いなる生命意志が全ての生命体の背後に在ることに気づく。
つまり「花にも仏性あり」、「厠にも仏あり」、この万物を生かしめている本源が全ての生命体に存在する。
そのあらゆる命の本源、宇宙大生命意志を「イ」と表現する。
霊止(ヒト)の魂の中心核、直霊の行く末が「イ」であり生命の本源である。
「イ」とは天御中主大神をさす。
この「イ」を、低精神の開発過程でいえば衆生(ウ)、声門(オ)、縁覚(ア)、菩薩(エ)を越えた五階梯最上階の仏陀(イ)の境地がそれである。

[河津では、河津桜が満開だそうです。 写真提供:冨岡幸一さん ]
純正自己「ア」の依り代は國常立神、「オ」は月読み/息吹戸主、「ウ」は須佐鳴、「エ」は天照/速開津媛の依り代である。
また「イ」は先に述べた宇宙創造神 天御中主大神である。
オ・ウ・エは仏法の三智三命、神道の三貴神とも啓示される。
その三智を「ア(吾)」が心魂に受け、もとより「イ(大生命意志)」の意志を受け継いだ「亜神」が、オ・ウ・エを総動員して自己生命活動を輝かすのが、その存在使命である。
ワ行の肉体「ワ」は、イザナミ神の母体から頂いた。
「ヲ」すなわち一切の「水」を司さどるのは大綿津見神(オオワダツミ)並びに、水波能売命(ミツハノメ)神、淤加美神(オカミノカミ)の連合作用。
ワ行の「ウ」は大山津見神ならびに金山彦神、丹生都媛神の結晶体。
「ヱ」は火具土神である、「ヰ」は生宮地球である。
また「ヰ」は、ア行の全系に関わる「イザナ氣エネルギー」の凝縮体と覚える。
アーワの繋ぎとは「生命体(生体+命体)」そのものである。
またそれは精神原理の継承であるヤマト霊継ぐ民族と、物質原理を宝戴するユダ民族との融合に他ならない。
一方で、精神と物質の大調和に他ならない。
2010年02月27日
映画オーシャンズ
[若者に混じってお台場へ 此処からのレインボウブリッジも結構な構図ですよ]
自宅からモノレール線「ゆりかもめ」の「日の出駅」までは歩いて10分弱でしょうか。
「日の出」からモノレールに乗れば、「お台場海浜公園」や「お台場」のモール街へは、お台場にかかる橋、レインボウブリッジを過ぎてものの10分余りですが、これまで食事やショッピングなどには行ったことがありませんでした。
[お台場一丁目商店会だったかな? デックス東京4Fがそのフロアー ]
孫を連れて、映画「オーシャンズ」を見に行くことになり、子供が喜びそうなエリアということで、この際 お台場に向かいました。
「お台場海浜公園駅」から、映画スクリーンが13も集中している映画街メディアージュがあるアクアシティまでは、駅の二階から延々とウッドデッキのつずくショッピング街を通り抜けて行ける。
[昔なつかしの 飴屋さん 量り売りでしたか?]
フジTVがある「お台場駅」まで、海岸に面して長いアクアシティーお台場とデックス東京ビーチ、それとなんでしたかカラフルなモール街が並ぶ。
確かこの辺りは2002年くらいにオープンしたと思うのですが、はじめて入りました。
昭和30年代の下町をイメージしたショッピングモール『台場一丁目商店街』などは結構楽しいですね。
レトロな駄菓子屋や、写真館、照明看板だけですが理髪店、公衆電話ボックスなどなど。
映画「オーシャンズ」は水族館まがいの海底の生物もさることながら、イルカや鯨の壮大なイワシ漁シーン。北極海のアザラシや一角獣そして様々な海洋生物を見せてくれます。
ただ残念なのは、海洋生物を大事にするという趣旨が募りすぎて、「グリンピース」まがいの海洋生物捕獲反対の色が濃い。
サメを捕獲して、「ふかひれ」をそぎ落とす東洋人漁師のシーンや、大亀やその他の定置網魚網で体がからみ、窒息死するシーンなどもある。
尾ビレと腹ビレが切り落とされた姿で、血を吹き、モガキうごめき苦しみながら海底に沈むサメ。こうしたシーンは余計じゃないのかなあ。
最後のシーンは博物館で、絶滅した海洋生物類の剥製を映して、「もう、こうした生物は二度と見られない」とナレーションが入る。
つい先ごろ、調査捕鯨の妨害で、危険な船体の体当たりや、日本船への夜間侵入で問題を起している過激な反捕鯨団体「グリンピース」。
その主張に似た映画との印象が濃かったですね。
[夕暮れのお台場 海から品川、芝浦方向を望む]
母なる海、その海へ人間の使い古した廃棄物の海洋投棄などは情けないことです。
海からの恵みへの感謝と同時に、生命を誕生した海の神秘、まだ解明されていない様々な生命系のしくみに対する畏敬となど、子や孫に伝えていきたいですけれどね。
2010年02月24日
自律心の一つの強化法

[夕暮れ時の梅 もう見ごろですね。見るだけでなく語りかけてみてください]
我欲を離れ、こころ豊かな人生の姿勢ではあっても、人によりその自然治癒能力は違う。
なぜでしょうか?
感動や充実は、人それぞれによって皆その内容も質も違います。
毎日 80点以上の点数のテスト結果をもってくる子供さんは、お母さんに90点や95点の「プラスの内容物」を見せても、お母さんは「よかったね」レベルの反応が帰るでしょう。
一方、常日頃 20点や30点をもらってくる子供さんが80点の成績表もらって帰りますと、お母さんはビックリ仰天して「まあ、なんてこと!素晴しいじゃないの!!」と大喜び。
日常の心のレベルと、得られた感動や充実のレベルが余りにも飛躍して大きすぎると、肉体内の脳内ホルモンや、免疫細胞は大きく活性化する。
愛や喜びの脳内放出ホルモンはDNAに強い「プラスの環境シグナル」を出すことになります。
つまりDNAはその環境に応じた力強い生体系を創り上げるように作用するのです。
人それぞれの愛・感謝・喜び・充実・感動の中味も、他人が見て劇的な感動的な場面でも、薄く感じる方もいる。
同じ場面を受けても、それぞれの喜びや感動の強弱は様々で違います。
ヒトには個性があり、感謝や喜びの魂の反応は個性、もって生まれた魂の質に応じて違います。
道端に咲く可憐な蓮華草の発見で感動する方もいれば、単に「綺麗ね!」で終わる方もいる。また一瞥して、何も感じない方もいらっしゃる。
仏教では、衆生、声門、縁覚、菩薩、仏陀の五階梯がある。
その魂の質に応じた感動の軽重が、DNAに作用する「環境シグナル」の強度の違いであり、自然治癒力の差となって現われてくる。

[飯倉 熊野神社さん。この裏手がロシア大使館になりますよ]
「プラスの心のあり方」が肉体細胞に大きく働くようにするためには、次のように誘導していくことが経験上 効果的と思われます。
それは
1) 神仏への祈りを習慣化すること
もちろん物質社会とのバランスが、もとより重要ですが、人間はすべからく五感の情報、つまり物質社会に暮らすその眼から、耳からの影響を受けやすく、物質思考となりがちです。
見えない神仏に対する思いを習慣化することで、体主霊従の偏りを「霊主」により戻して、またそれに集中する時間を持もつことで「霊主」が心の奥に浸透するからです。
2) 読経や祝詞を強く発する。
言霊は、「意識の現象化」に非常に大きな作用を持つのです。
遠慮した小さな声では、心に弾みが少なくまた、意識-現象―肉体の一体化が遠慮しがちな、密度の薄いものとなってしまう。
ですから回りに迷惑にならない程度に、大きな声を出すことが大事なのです。
論者も「六根清浄祝詞」ほかを、大声で響かせることで、小声よりもはるかに肉体細胞の力強い反応を認めている。
3)「ありがとうございます」言霊の多発
存在への感謝、なんといっても最強の言霊がこの「ありがとうございます」。「ありがとう」の五文字よりも、「ありがとうございます」の十文字で完結してください。
そしてこの最強の言霊を、常に日常の会話として身につけること、これが大事なのです。
4) 毎日が「充実」の種拾い、「多様ないのちの発見」につとめる。
「いのち」とは草花や昆虫や、この世にあるものすべてが持ている。
そのいのちの営みを見つけては、生命の素晴しさを発見し、感動を覚えることが大事。
毎日毎日が感動の発見で、自然治癒力への発動信号である「環境シグナル」を常に補充することです。
より強い充実感は、深い洞察力から生まれる。
深い洞察力は、自分の心をゆっくりと静かに見つめることから生まれます。
いやいやな物事にぶつかっても、静かに受け止める「自律心」を養います。
2010年02月21日
いやなことに感謝

[こどもたちは、みな無邪気。邪気が無いから元気なのです]
毎日毎日が大自然に育まれ、生かされ、常に学びの中にあると感すると、大きな安堵感に包まれます。
「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。
それは大宇宙に包まれた自分、その自分が必要だから宇宙は私たちを存在させてくれている。
日々の喜・怒・哀・楽は、人生向上の学びの場。
その文字に見られるように、プライス思考の「喜」と「楽」の文字は縦半分にすると、左右対称の、調和なのです。
マイナス思考の「怒」と「哀」は真っ二つに割ると、文字は左右対称形にはなりません。
宇宙全体が、「進化と調和の法則」にあるから、人もまた日々が進化と調和のためのための場。
こうした自然観で物事を追っていくと、物・金・地位という物質欲とその執着がいかに、自分の心を小さくし、そして得られず満たされない自我の欲求に苦しむことになります。
人生を振りかえってみますと、最大の克服点が『執着』だったように思います。

[赤心をもって、すべてを受け入れる。それが堂々たる人生を作ります]
目線の現象に振り回されて、良しにつけ悪しにつけ「感ずる心」そのものが「己」であり「真実」であるというところに気付かなかった。
そのみえない心の中に、執着があることに気付かない。
それが、盲目の人生だったといえるようです。
仕事も政治も経済活動その一切が、物・金・地位の追求で動いていますから、自ずとその目線の悪風に巻き込まれ、心が飲み込まれて、ストレスがたまってしまいます。
心の執着によって生まれたストレスが、細胞を傷つけやがて本来 調和系であるはずの肉体細胞が変調し「病」へと誘導してまいります。
自己治癒のメカニズムであるところの、小宇宙を維持する免疫力はストレスとともに低下していく。
宇宙とは本来 大調和であり「真、善、美」そして「快」なる世界。
この真善美、その字も各々 縦真っ二つにすると左右対称系の調和ですね。
ですから自然治癒力とは宇宙に愛される生き方で発動するもの。
その宇宙に感謝し、「与えたられたすべてのものを受けとって」、たとえそれが自分にとっていやなものでも受け取ってみる。
この現象界は陰陽、男女、損得、愛憎、プラスマイナスがあり、「試練」と同時に「解決」も常にこの世に同時に同居している。
ですからマイナス現象の「いやだいやだ」と、これまで逃げていたものを、受け取ってしまうと、その「試練」は変化して「解決」に氷解する。
現象世界にネガティブと映るもの、それを心という真実体の中で受け止めると、ポジティブ、一切が回答に変わる。

[いまはボタンが見ごろのようですよ]
いやな人、いやなこと、いやな悩み、いやな病気、それらを素直に受け止めて、逆に感謝してしまう。
「天は自分を学ばせてくれている」と、いやなことにむかって、教えてくださってありがとうございますと感謝すると、それらは消えてしまう。
全てを肯定する。
それが大宇宙、小宇宙の公理である。
霊肉という小宇宙の世界だから、一切を肯定すると、現象三次元界よりもはるかに高次界である心が、宇宙調和の原理の波に乗る。
そこに心の発揚、快なる喜びが、そして身は細胞が活性される。
自然治癒力の差異は、そのマイナスに向かって「教えてくれてありがとう」という感謝で向かうことの違い。
いやな人に、いやなことに、いやな病気に、いやな悩みに向かって「気付かせてくれて、ありがとうございます」と感謝してみよう。
2010年02月19日
CO2地球温暖化は本当か?

[環境破壊は全て人間のなせること。人間以外の全ての生物は循環と再生に働いています]
紫綬褒章をとられた東京工業大学大学院教授で地球物理学がご専門の丸山茂徳教授は、炭酸ガスによる急激な地球温暖化説に否定的な見解。
データーが取られ始めた150年前に比較して、現在では全世界平均0.7℃の温度上昇という。
それもビル都会などのように排出熱気によるヒートアイランド現象を生じやすいエリアでのことという。
というのは温度計測がされているのは、陸上だけで、地球の三分の二の広さを占める海洋のデーターはほとんど無い。
また陸上でも極地や山岳地の気象データーも無く、近年のそれら地域の温度計測ではむしろ平均気温は下がっているという。
確かに産業革命以来の大都会での炭酸ガスの放出は、地球温暖化に影響していると考えられます。
ですが、CO2が国家間の「炭酸ガス排出権権」の取り引きにまでその説が波及しているのは、どう考えても政治的なプロパガンダに匂いがする。
IPCCは世界的なCO2地球温暖化対策の協議会ですが、ここの肝いりもあってアル・ゴア元アメリカ副大統領も映画「不都合な真実」や講演が評価され、2007年 IPCCと共にでノーベル平和賞を受賞された。
鳩山さんが昨年25%の炭酸ガス排出削減を国際的に表明されましたが、これは大変なことです。
単純に考えると、今までのエネルギーを使用した生産活動を四分の一 停止するということなのです。
炭酸ガス以外に、太陽の黒点活動や、太陽系外の宇宙線の地球への影響もあり、これらも温暖化に寄与もしています。
こうした太陽フレアー熱線や、磁力線もエネルギーであり、地球上に降り注いでは当然、地球温暖化に寄与することになります。
一方で火山活動が活発になるとそれは、陸上よりも面積の広い海底が最も頻度が大きい。
海底火山は海水の温度を上げ、それが温暖化に寄与するという説もある。
日本は島国でその周囲を海に囲まれています。
波うち際のあの波の作用でも樹木の炭酸同化作用と同じく、炭酸ガスを海中に固定化してくれるのです。
つまりCO2の炭素(C)と酸素(O)への還元です。
もう一つにはケルブランの原子転換も考えられます。
それはCO2の分解から波の作用で次の反応のように、Mg(マグネシウム)とCa(カルシウム)がつくられるからです。
二つの炭素原子から、C(原子番号6)+C(6)= Mg(マグネシウム 原子番号12)
そして得られた Mg原子と O(酸素)原子がくっついて、
Mg(12)+ O(原子番号8)= Ca(カルシウム 原子番号20)
つまり海洋中にはニガリの成分であるMgと、貝殻の主成分であるCaが豊富なことがうなずけると思います。
熱帯雨林の樹木一本あたり年間で2Kgの炭素を固定してくれるのです。
しかし十勝昆布のような養殖昆布では、なんと一本で4.8Kgの炭素を固定してくれるのです。
日本という海洋国家は、漁業水産業だけでなく、沿岸部での昆布の養殖も含めて炭素を固定する波間の研究、その大自然の不思議な仕組みの解明で、地球環境改善に大きな新技術を与えてくれると思います。
北海道の広さのおよそ30%の面積を昆布牧場とすれば、わが国のCO2排出量の半分は解消されます。



