2010年02月24日

自律心の一つの強化法





[夕暮れ時の梅 もう見ごろですね。見るだけでなく語りかけてみてください]





我欲を離れ、こころ豊かな人生の姿勢ではあっても、人によりその自然治癒能力は違う。

なぜでしょうか?



感動や充実は、人それぞれによって皆その内容も質も違います。

毎日 80点以上の点数のテスト結果をもってくる子供さんは、お母さんに90点や95点の「プラスの内容物」を見せても、お母さんは「よかったね」レベルの反応が帰るでしょう。

一方、常日頃 20点や30点をもらってくる子供さんが80点の成績表もらって帰りますと、お母さんはビックリ仰天して「まあ、なんてこと!素晴しいじゃないの!!」と大喜び。


日常の心のレベルと、得られた感動や充実のレベルが余りにも飛躍して大きすぎると、肉体内の脳内ホルモンや、免疫細胞は大きく活性化する。



愛や喜びの脳内放出ホルモンはDNAに強い「プラスの環境シグナル」を出すことになります。
つまりDNAはその環境に応じた力強い生体系を創り上げるように作用するのです。



人それぞれの愛・感謝・喜び・充実・感動の中味も、他人が見て劇的な感動的な場面でも、薄く感じる方もいる。

同じ場面を受けても、それぞれの喜びや感動の強弱は様々で違います。
ヒトには個性があり、感謝や喜びの魂の反応は個性、もって生まれた魂の質に応じて違います。


道端に咲く可憐な蓮華草の発見で感動する方もいれば、単に「綺麗ね!」で終わる方もいる。また一瞥して、何も感じない方もいらっしゃる。
仏教では、衆生、声門、縁覚、菩薩、仏陀の五階梯がある。


その魂の質に応じた感動の軽重が、DNAに作用する「環境シグナル」の強度の違いであり、自然治癒力の差となって現われてくる。





[飯倉  熊野神社さん。この裏手がロシア大使館になりますよ]





「プラスの心のあり方」が肉体細胞に大きく働くようにするためには、次のように誘導していくことが経験上 効果的と思われます。



それは
1) 神仏への祈りを習慣化すること
もちろん物質社会とのバランスが、もとより重要ですが、人間はすべからく五感の情報、つまり物質社会に暮らすその眼から、耳からの影響を受けやすく、物質思考となりがちです。
見えない神仏に対する思いを習慣化することで、体主霊従の偏りを「霊主」により戻して、またそれに集中する時間を持もつことで「霊主」が心の奥に浸透するからです。


2) 読経や祝詞を強く発する。
言霊は、「意識の現象化」に非常に大きな作用を持つのです。
遠慮した小さな声では、心に弾みが少なくまた、意識-現象―肉体の一体化が遠慮しがちな、密度の薄いものとなってしまう。
ですから回りに迷惑にならない程度に、大きな声を出すことが大事なのです。
論者も「六根清浄祝詞」ほかを、大声で響かせることで、小声よりもはるかに肉体細胞の力強い反応を認めている。


3)「ありがとうございます」言霊の多発
  存在への感謝、なんといっても最強の言霊がこの「ありがとうございます」。「ありがとう」の五文字よりも、「ありがとうございます」の十文字で完結してください。
そしてこの最強の言霊を、常に日常の会話として身につけること、これが大事なのです。


4) 毎日が「充実」の種拾い、「多様ないのちの発見」につとめる。
「いのち」とは草花や昆虫や、この世にあるものすべてが持ている。
そのいのちの営みを見つけては、生命の素晴しさを発見し、感動を覚えることが大事。
毎日毎日が感動の発見で、自然治癒力への発動信号である「環境シグナル」を常に補充することです。




より強い充実感は、深い洞察力から生まれる。

深い洞察力は、自分の心をゆっくりと静かに見つめることから生まれます。


いやいやな物事にぶつかっても、静かに受け止める「自律心」を養います。  

2010年01月18日

大根役者




[神棚に感謝する習慣を小さい子供のうちからすると、大きくなっても曲がり道には入らないもの]






大学も技術系で、すぐさま入社した企業の配属も研究部署。
一部の移動もありましたが、20数年間の企業生活では研究開発に携わってまいりました。


したがって、芸能人とのお付き合いなどは50歳を過ぎるまで、まるでといっていほど無く、わずかに週刊誌やTV情報で知る程度でした。


ところが16年ほど前に「サトルエネルギー学会」が創立されて、「科学」と「精神」を繋ぐ学会の趣旨に、これまでにない魅力を感じ発足時から入会しました。


その私が、サトルエネルギー学会の事務局長や運営委員長を預かることになったのが2001年からです。

今では自分の小さな会社に、学会の事務局を置いてボランティアの方々もよくお見えになります。



この辺りからは様々なジャンルの方とお話をしたり、講演依頼をしたり、あるいはそれ以来の交誼をつづけていたりもしております。


したがって舞台装飾のプロのかた、歌手の方、ダンサー、写真家、音楽家、画家、TVタレント、気功士、茶道の先生、大学の先生、医師など実に様々な方々とかかわりを持ってまいりました。


今までの自分が機械相手の科学技術バカですから、上記の方々は人間相手の方ばかりです。

ですから、こうした方々とお付き合いをすると、その様々な体験や見識に心を新たにされたわけです。


科学者は往々にして、芸能人を世渡り上手の口当たりのいい世界の住人との一種のさげすんだ見方をします。

しかし、芸能界に身を置く方と実際にお付き合いをしますと、人間相手の世界でもまれているだけに、実に深みのある感性の鋭い方ばかり。


逆に相手からは、科学畑の論者が精神界にも詳しいことに驚きの眼差しで見られることも少なくありません。

ましてや啓示やご神示などを平気で言うものですから、奇異な感覚で見られたりもします。





[自宅から近くの三田 龍源寺裏 路傍のお地蔵さん 今年もよろしくお願いします]







時として、芸能畑の方と飲み屋で飲んでこんな話もしました。



『鈴木さん、大根役者って何でそういわれるのか知ってる?』

『そりゃ、生っちょろくて、飾り気が無いので、花も無い。だからあんまり目立たないし、そう芸も旨くない』


『残念でした! スグに切られる、干される、おまけにオロされたりもする!』





なるほどね、シャレなんですね。こんなことも、教わりました。


でも、彼が自分の立場も重ねたのかな? なんて想ったものですから、次のように添えました。


『でもこのブリ大根 旨いよねえ。大根があって始めてブリが活きる。大根自体も煮込めば甘辛に染みて、実にいい味出しているよね』



色々な世界の方々と、混ざっていくと世界が広がって本当にいい勉強になりますね。

夫婦も若いうちは、白と黒のぶつかり合いですが、老夫婦になってくると男は女性性を学び、女は男性性を学ぶもの。


様々な経験を積むことで、何か一段と大きな調和の世界が、広がっていくのですね。  

2009年11月23日

神聖DNAの覚醒 その2 





[心の中の平和と、世界の実相は異なる。社会政治経済はその目的とするところが、ワレヨシが基本である。経済も政治も本来は、愛一元が基本である]




私たちの意識は、幸せを望み、家族の健康を願い、世界の平和を祈っている。


ですが企業にあっては、まるでダーウインの進化論、強いものの勝ち残りが、企業の基本として根付いています。


そこには愛や優しさや思いやりとは異次元の競争社会が当たり前です。


永田町の理論も、家庭生活のささやかな楽しさや、スポーツの話題や、心の触れ合いなどとは無縁な権力構造。




社会はまるで、すべてがバラバラでいつの間にか奪い合いや一人勝ちが当たり前のようになって行きました。


人はバラバラで、どれだけの取り分を我が物にするか、少ない投資で短期に金をもうけるかといったことがずっと続いてきたのです。



ですが本質は、家庭の中での夫婦の会話や日常感覚と同じで、美しさや感動を味わい、またどれ程のことを回りにして差し上げられたかなどの当たり前の人間性が社会の基礎であったはずです。



大昔の集合村落での生活や、一回り大きな村と村との付き合いも、相互の幸せの与え合いが付き合いの基本で、感謝やお礼や返礼で、場合によってはこうした心を伴った「対価返礼」であったのです。


私たちが旅に出かけて、かなりなお金を出したりもします。

それは快適な交通手段と地元の心あるサービスを受け取り、楽しい食事であったり、お宿の雰囲気もよく、何よりも地元なりご馳走もいただけた。

その総合的な「幸せの対価」として旅行代金をお支払いするのです。


ソコソコに高くても、旅行者にとっては心から満足したその「幸せの対価」をお支払いしているのです。

企業も、売る商品の対価がお金ではなくて、いまいちど「企業が与える総合的な幸せの提供」、商品の利便性、商品の総合価値、商品の使用説明の応対はじめ、陳列室や棚の雰囲気、そしてアフターフォローにいたるまの全体に流れる一切の企業からの提供の結果が「対価」ことであることを考えなくてはなりません。
ですからクレーム保障など、幸せの欠損ですから無償交換は当たり前のことです。



全ての企業内活動も、社内の労働とその対価つまりお給料もおなじことで、上司を通じてお願いされたことにどう気持ちよく集中して、人のためになるという視点で役務を差し上げたか?





[心の中の実相 真我は他人の喜びこそ本質的なわが喜びであることを知っている。それを具体化した時に、神聖DNAは突如として開く]




大釈迦の八正道の一つに「正業」があります。

「正業」の本質がここ「他人への総合的幸せの提供による報酬」にあるように思います。



人を幸せにすること、人を喜ばせ、人を感動させ、人の心を充実させ、人様に純粋な感謝の念を抱かせられたとき。 

それは全て自分にかえる。

他人のハッピーが、自分のハッピーになることはDNAが変わるということです。



人に差し上げた想いや行為、それも因果応報の法則による。


大きな喜びを差し上げれば大きな喜びが自分にかえり、小さな充実を差し上げれば、同じ大きさのちいさな充実が己に還る。

人生「幸せの提供」がその長い道のりであって、その中での想念行為が一切合切 己に還る。



それは、ブルース・リプトン博士や村上和雄博士の指摘する「DNAの覚醒」であるのです。


論者 鈴木は「他人への幸せの提供」こそ、神聖DNAの覚醒のキーであると明言する。


自分の喜びを人は追及するのですが、より本質的な喜びは、他人が喜ぶことが真我の喜びなのです。

他人さまに差し上げる喜び、味わってもらう感動、その方の心の隙間を埋める充実、そして人に感謝の心に浸っていただくこと、他人に与えるが「幸せの提供」、その喜びが神聖DNAを覚醒します。


神人の基本は、他人に幸せを与えることによって、それが自分の真我を呼び覚ます。


自分のなかにある、惨めな自分や汚い自分という負の感情は、虚妄なのです。


世界には貴方という存在しかいないのです。

それは貴方がこの世に必要だから、神様が貴方がこの世に送り出し存在しているのです。


そしてまた、出来事には一切無駄など無く、全てに意味があるのです。
試練もまた、進化の素材。
それなくば、「進化」はありません。  

2009年09月30日

気合神輿




[芝神明前でかつぎ手に頭上に差し上げられた町内神輿。此処からはターンして各町内を再び巡幸します。]





東京港区の三田、芝、新橋、浜松町界隈は9月がお祭りシーズン。
今年9月のシルバーウイークでは芝神明大祭で、今年は連合大祭。
つまり芝大神宮に関与する地元の氏子町会のお神輿が15基 連合となって、浜松町の交差点周辺を練り歩きました。


正式には「氏子各町神輿連合渡御」と言いますが、地の町会の方々が神輿を担いで、威勢よく練り歩き、芝大神宮を参拝します。
魁は宮元大門神輿会 これは宮神輿で、神社前にでんと居座っているのですが、町内連合とは次の1番から15番。

一番 芝大門一丁目北親会
二番 新橋五・六丁目町会
三番 浜松町一丁目町会
五番 芝浜町会
六番 浜三町会
七番 芝浜四町会
八番 中門前二丁目町会
九番 中三三治会 十番 片門前町会
拾一番 芝公園二丁目町会
拾二番 芝三丁目松本町会
拾三番 芝西應寺町会
拾四番 芝新堀町会  
拾五番 芝金杉町会



論者も毎年 神様を担ぎ上げており、倅の友人知人も混ざって一町内の神輿のかつぎ手も結構な人数になります。
最低50名は居ないとかつぎきれません。そして交代用員もいれ随行総勢100名といったところでしょうか。


今年は浜松町の貿易センタービル裏手の細道に、各町内神輿が集結し、此処から15基 一気に芝神明宮へ向かいます。






[浜松町交差点の折り返し地点、此処から神明宮まで一気に入ります。この地点が続々と渡御する連合神輿が見られる絶好のポイントですね]





もちろん、最初から神輿を担ぎっぱなしですと、翌朝には足腰が立たなくなりますから、タイミングを見てススット先棒を担いだりするのですね。

でも圧倒的に神輿背後に廻って、『ワッショイ!』と掛け声を掛けたり、拍手ではやしたり、また随行員同士のダベリングが多いですね。

道々 他の町会神輿を担ぐ知り合いの方々、それも一年ぶりに顔合わせの方との挨拶も十数人はいらっしゃたでしょうか。
お互い、握手をしたり「お元気ですねえ!」とか挨拶を交わします。

やはりどの町内の皆様も、自分の町会神輿を担いで、町の繁栄を願い、人と人との連帯を深め合うのは習わし。


代々、子供たちは大人から神輿のかつぎ方を教わり、神を祭り、穢れを払うという風習が受け継がれてきました。
そうした日本的な風習が、実は米国流ディベート(口撃)や合理主義という枠を超えた、「信頼」・「和」・「感謝」という、遥かに次元の深い心のつながりを育ててきたのです。






[威勢がいいですねえ!かつぎ手の3割から4割くらいが女性というお神輿もありましたよ]





神輿を担ぐ風習は、世界中でも日本とユダヤだけ。
スティーヴン・スピルバーグ監督の「失われたアーク」という映画がありましたね。
アークとは「聖櫃」のことで、モーセの十戒の書かれた石板、アロンの杖、そしてマナの壷を納めた、ユダヤの三種の神器を納めたもの。

その聖櫃に古代ユダヤ人は二本の棒を通して白衣束帯の司祭が、担ぎ上げたのです。



ですから、浜松町交差点の沿道にいらっしゃる外国人で、特にユダヤ系の方は喝采をしている。
当方町会のかつぎ手の方も今年は二名のガイジンさんがご一緒でした。





[やるもんでしょ、ヒゲオヤジも明日のわが身を知りながら気合を入れております]



神輿というと、ケンカ神輿や淺草の三社祭りでの褌にサオ乗りといった、品の無い話もありますが、神輿の本意は神様をお祭りし、町内巡幸で神息吹を廻しめぐらし無病息災を願うもの。

「和背負い」であり「輪背負い」であり、力を合わせて神様を担ぐもの。



そうした日本文化が心の健全な若者を、行動に芯の通った若者を育てる。


神輿の和繋ぎから、日本の和の精神が受け継がれていくのです。  

2009年09月02日

数霊と八九十(ハクト)





[三峰神社境内  國常立神社まえにて]




今年はかえり梅雨の記録破りの集中豪雨やら、台風9号の被害で大変でした。
とりわけ兵庫の佐用町では町全体が水の中。多数の死者を出しましたね。
これが8月9日ころの天災。
復旧を支援したボランティアの延べ人数が8月21日で1万人を超えた。それ以降は毎日1000人ほどが現地入りし、住宅からの泥の除去などに汗を流したそうです。


阪神淡路大震災のときも、世界中が眼を見張ったそうですが、それは災害の規模、それもそうですが、一切略奪のない日本中からのボランティア活動なのです。

海外では略奪は当たり前のようですが、当時全世界に流された阪神淡路大震災ニュースで、日本人の相互扶助の精神に世界中が感動されたようです。
犠牲者にはいたわしいことですが、神の戸が開いた震災でした。



数霊で「八九十(ハクト)の難」というのを覚えておいたほうがいいかもしれません。
八九の重なりや、九一の重なりやもちろん、八九十の三重ねも難事が多いいようです。
つまり、大きなところでは911事件、関東大震災の大正12年9月1日。
これらは九と一がらみの八九十(ハクト)です。
阪神淡路大震災の1月17日は全部足すと九、日にちの17日は八、月は一とみると八九十(ハクト)が絡む。

数霊では一、二、三、四、五、六、七、八、九の順で、九の次は一に戻るのです。
十はこの世の次元ではなく統一界です。
また九は上り詰めた限界の次元で、急転直下してはじまりの一に激変する。八九の重ねも上り詰めたエネルギーの臨界状態を示します。

現在では当然、新暦(太陽暦)を使いますから、今の感覚では例えば2009年などの西暦数と、月日でおおよその見当をつけます。


ですが過去の予言や、啓示に盛られる日時はその頃の感覚は旧暦で生活をしておりましたから、預言書などをひも解くときは旧暦に直す必要があります。

例えば旧暦の2009年の8月9日ですと新暦では9月27日(仏滅)に当ります。
この9/27日は旧暦も新暦もハクトに当りますので、なんとなく不気味になりますね。

旧暦の9/8日は新暦の10月25日、この日は七八がらみだからソコソコかなあ?なんて予想屋みたいなことを夢想もしてます。


旧暦の8月9日ベースでは先に述べた2009年では9/27日、2010年は9/16日、2011年は9/6日、2012年は9/24日、2013年は9/13日で全て仏滅になります。

旧暦の9月8日は新暦の10/25日、2010年は10/15日、2011年は10/4日、2012年は10/22日、2013年は10/12日これらも全て仏滅になりますね。

ちなみに新暦の9/8日は旧暦10/25日、さほどの難の気配はありません。以降はみなさんで調査下さい。





[暑い夏もいよいよ、秋の気配にかわってまいります]




ですが、天変地異も人間の念とLINKする。
心のストレスという「負の自己意識エネルギー」が物質の肉体細胞を歪ませる。
つまり心が病の大元ということになります。


このことは人間社会の悪想念エネルギーが地球を覆えば、生宮地球という巨大なの肉体が病むことになるのです。

その病変は、地球自らの自己治癒という発熱(噴火)、解毒代謝(地震)、水分補給(雨)で回復しようとするのです。


八九十(ハクト)の難時は、古代日本神道からの易学、暦学からきているのですが、私たちの良性な意識で地球という巨大な星に、愛念を送り続けていれば地球を覆う「悪想念の場」は、同時に人類の手で解消できるというもの。

『どうやってあんなに大きな地球をいだけるの?』というと、そう難しくはなく、ただ「念」じればいいのです。


そして一人一人が輝いて生きる、毎日毎日を「愛」と「感謝」で生きれば、『全ては繋がっている』のですから、その輝きが玉突き現象のように広がっていくのです。

生宮地球の細胞が私たちなのですから、細胞が連動活性して地球自体が健康になるのです。  

2009年08月29日

怪僧歩く




[ムムム・・・・ 怪僧が行く]




衆院選の選挙カーが巷を走るさなか、それに並行して怪僧を発見。

選挙カーの快走もやがて永田町に怪僧を産み出すのでしょうが、ふと歴史上の人物を思い出してしまいました。


日本の明治維新の頃にロシアではラスプーチンが生まれるのですが彼は12歳の頃に母親がなくなります。
そして彼は聖母マリア像が空中に浮かんでいる姿を目撃するのです。

これをきっかけにラスプーチンは2年間かけて聖地エルサレムまで徒歩で尋ねるといった行脚をする。
その巡礼から戻ったラスプーチンは、容貌が変わっただけではなく、ヒーリング、予知能力、透視といった特殊能力を身に着けていたのです。


1904年、サンクトペテルブルク(旧首都)に出たラスプーチンは、人々に病気治療を施して信者を増やし『神の人』と称されるようになり、皇族のニコライ大公夫人に取り入る。
さらにアレクサンドラ皇后に紹介され、血友病患者であったアレクセイ皇太子を治療して皇后の大きな信頼を得るようになります。


皇太子の病状が悪化する度に宮廷に呼び出されたラスプーチンが、そこで祈祷を捧げると、不思議にも皇太子の発作が治まって症状が改善するのです。

こうして皇帝夫妻から絶大な信頼を勝ち取り、『我らの友』と呼ばれるようになったラスプーチンは、徐々に政治に口を挟むようになった。

そのころロシア社会は、日露戦争の敗北のあとです。また国内には、革命運動も激化しはじめます。
 帝政への不満は表立ったところで出されず、多くの場合、失政の責任は側近に向けられることが多。もちろん標的はラスプーチンにも向けられたも。

夫の死後、女帝となったアレクサンドラはラスプーチンを立てることも多く、逆にラスプーチンは多くの貴族から狙われます。






[ロシアの怪僧 ラスプーチン ]




1916年に青酸カリの毒薬の入ったケーキを食べた後、銃で撃たれ、それでも死なずにカーペットで巻かれ凍ったネヴァ川に投げ込まれる。
死因は肺にたまった水から溺死と断定されますが、毒薬と銃と寒気では死ななかったのですね。溺死でようやく死んだという伝説の持ち主です。

また彼は巨根の持ち主とも知られて、彼のペニスはあるヨーロッパのある博物館に保管されていると聞きます。



日本では弓削の道鏡が怪僧として知られますね。
弓削道鏡は法相宗の僧で、孝謙上皇の病を治したことからその信頼を得て徐々に政治に顔を出す。孝謙上皇は聖武天皇の娘さん、安倍内親王です。

764年、孝謙上皇と対立した、彼女のいとこに当たる最高実力者・藤原仲麻呂が反乱を起こす。上皇は仲麻呂の専制に不満を持つ貴族たちを結集して仲麻呂を滅ぼす。

余勢を勝って、さらに上皇は仲麻呂の推挙で天皇に立てられた淳仁天皇を武力をもって廃位し、淡路国に流刑にする。そして自らが再度天皇に復位するのです。ここに女帝が誕生。


道鏡は復位した女帝 称徳天皇のもとでその片腕となり765年には僧籍のまま太政大臣となり、翌2年(766年)には法王となります。

この女帝 称徳天皇もわずか5年にして病没するのです。以来 江戸時代まで女帝は出現しません。

道鏡が女帝に使えてのち権勢を振るうのですが宇佐八幡宮で「道鏡をして帝位を下す」というようなご宣託を受けるのですね。
彼もまた下世話に言うところの巨根の持ち主とも知られる。
やがて、彼自身が帝位の野望を持つところはラスプーチンと質の違いはありましょうが、やや似てますね。

道鏡もラスプーチン同様、女帝 称徳天皇の没後、新天皇の威光をもつ藤原氏によって下野薬師寺に幽玄されます。そしてのち1~2年で亡くなってしまいます。



現代日本のラスプーチンとは、元外務省職員の佐藤優さんが「外務省のラスプーチン」と呼ばてましたね。確か今もそんな題名の本がありますね。


しかし、能力を見出されて国家の最高位責任者に認められると、やがて周りからの「やっかみ」というさもしい心情が、権力争いの根底にあるのが歴史上の実際ではないかしら。


そして自らも少しでも「ゴウマンさ」があると、どんな世界でも長続きはしない。だから政治の要諦には「やっかみ」と「ごうまんさ」を無くすことですね。


民主党も永いこと国会で第一党であった自民党に取って代わって、政権のトップの座に着くことになりましょう。

自民党の「ゴウマンさ」と、野党の「やっかみ」のけっかでしょうか。

民主党も子育て資金やら、単にお金のばらまきの、口当たりの良いマニフェストよりも、日本の基本設計図をキチンと示すことが自民党に取って代わる最大の眼目です。


これからどういう政治の舵取りが民主党でなされるのか楽しみですが、「見える物質」、「見える経済」「見える科学」すべて「見える社会構造」ですが、「見えない心や意識」をどう世相に反映させていくのか。


そこがこれから様変わりする新生日本の本質的なポイント。



まだ残暑もあって、たまには浴衣で街中を往来する私ですが、ここで一句。


「ものいれぬ ふところ凉し 盆踊り」  

2009年05月07日

介護ノート





[神代植物公園 牡丹が見ごろでしたよ。 バラは5月の後半位からのようです。]



昔の友人が地方に散らばってはおりますが、不思議なことに今では女性介護士さんがおおいのです。
ボランタリックな集いから育んだ友人たちだからですね。
お付き合いした女性の大半がなにかしらの介護に携わっておられる。


サトルの関係者にも老人介護ホーム関係者や、それ専門の設計士さんらもおられます。


私の家内も積極的な老人介護をしているのではないのですが、彼女も無報酬で独り暮らしの方の御世話をしております。


先般、長門裕之さんの奥さん、南田洋子さんが痴呆症で入院。
そうしたニュースばかりでなく社会環境がなにかと介護の話題が多いですね。







[調布の国領神社さんの藤  写真は5月2日ですがもう散り気味でしたね]



単に見聞きするだけでなく、介護するかたの実際のお話を聴きますと、その環境と本人の心労も大変。

良かれと思うことが、相手には強制に映って、相手から怒鳴られたりもする。
逆に強いコトバで、こちら側が応えると相手は泣き出す。


私自身、そうした生の現場では体験しておりませんですが、こんないい話をきました。

介護疲れで、精神的に参っていると、介護している方の作ってくれた折り紙を大事そうに抱えてさすっていたりする。

時には、「いつもありがとうね、**さん」と小さな声をつぶやいたりもする。
そうしたプラスのシーンを「介護ノート」に書きとめるのだそうです。





[ベゴニアは多年草ですね。写真は5月の神代植物園ですが、9月の富士花鳥園もいいですよ]




介護ノートのプラスの文言が、くじけそうになった時に救いの光になるのだそうです。

介護ノートには、嬉しかったこと、相手が喜んでくれたこと、一緒に楽しんだこと、笑ったことなどプラスの情景やそのときの気持ちを書き留めます。


人間には、もともと明るい心で気が弾み、ヤル気の原動力になるのですから、くじけそうになったらプラスの日記がサポートしてくれます。


介護でなくとも保育日記でも、サークル日記でも、プラスのシーンやプラスの言霊を書き留めておくと、それが自分自身の回復に大変お役に立つようですよ。  

2009年03月16日

花のメッセージ




[津田ホールでの鈴木  講師演台周りは小手鞠と桜が活け込まれました:装飾 塚田夢笙]




サトル春の大会の舞台は毎回 草月流の塚田夢笙さんに協力をお願いしております。
室礼(しつらい)といって、奈良時代からの作法で、お客様をもてなす室内装飾のことですが、夢笙さんはその室礼の指導をされている。


花を外に見ると、単に美しい、可憐という視線なのですが、花を内側に看ると、
それは人のためにあることが分る。


人の背丈よりも高いところに咲く、桜のようは花は『心大きく 見上げてご覧』と語りかける。
人の背丈よりもはるかに低いところに咲く草花は、『元気を出してね』とささやく。
人の背丈と同じくらいの高さで、顔を見せる紫陽花のような花は、『こんにちは、いつも応援しているからね』とエールを送ってくれる。


不思議なことは、人の背丈よりも高いところの花も、人の背丈よりも低い所で咲く草花も、また人の背丈と同じ高さの草花も、全て人にも向かって咲いていることに気付きます。

花は人のために咲いてくれているのです。
その美しさを人に与えて、美しく生きなさいと元気づけたり、慰めてくれたり、自然体であることの美しさを教えてくれている。






[富士宮市の富士花鳥園 写真は昨年の9月初旬でしたが綺麗なところですよ]



夢笙さんの室礼もそんなお花さんたちからのメッセージが伝わってくる。

彼女が大会前にその装飾準備で摘まれる草花も、『私たちを会場に連れてって』とせがんでくるのだそうです。
そして室礼の会場ホールでは、多くの方々に花の精霊さんが、無言で「元気」を客席に放出する。

ですから、私 鈴木も舞台装飾の最中にお花さんたちにご挨拶回りをしております。






[咲きっぱなしのベゴニア  ありがとうね]



4年前の5月でしたか、米田晃さんが主催する「覚醒ネットワークの集い」というシンポジウムが毎年恒例でひらかれ、その時にベゴニアの1鉢を帰りがけに頂きました。

それを自宅のベランダに置いて、他の植栽と一緒に毎朝水遣りをするのですが、これがもう3年と8ヶ月咲きっぱなしです。

東京では、今年は雪がなかったのですが、昨年はかなり積もるほど降りました。
それがなんと、白い雪にかぶった中でもベゴニアの赤い花が顔を出しているのです。

ベゴニアは多年草と聞いたことがありますが、もう3年以上も途切れることなく語りかけてくれております。


ありがたいことです。  

2009年03月10日

サトル 2009年 春の大会




[村上和雄先生と 舞台スタッフ]




一昨日の3月8日 東京千駄ヶ谷の津田ホールで「サトル春の大会」を開催。
全国からおあつまりのお客様や招待者、そして主催者側総勢で500名が津田ホールをうめた。

物質科学、物質医学、物質経済、物質教育、心不在の政治や現代社会に、サトルエネルギーという見えないものこそ、そこに本質があるということを問いかけました。


誰でもが持っている愛や、信頼の心や、調和の心こそ全てを創る原点。
それらが大自然のもつ純正さに触れた時に「聖なる力」になる。
それを人に向ければ、癒しになり、感謝の心に生命力が湧く。
こうした太古からある人間の持つ本性を再確認した大会でした。

ビッグゲストに筑波大学名誉教授の村上和雄先生をお迎えしました。
先生のテーマは『サムシンググレートの世界』。
私たちのからだの全細胞に、38億年の「人間生命進化」のプログラムが刻まれている。
ヒト60兆個の細胞にギッシリと、神さまからのDNAプログラムが゚詰め込まれている以上、その神の化身といえる人間は、独占と破壊と嘘偽りの愚かな修羅社会から脱皮しなければなりません。

村上先生は素晴しい日本の文化を再認識し、誇りを持って新文明を開こうとお話された。





[津田ホールの後方から舞台を望む]




サトルの会場は毎度、舞台装飾に凝ってます。
今回も塚田夢笙さん協力で、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、そして中央 鳳蓮台(黄)の五色の吹流し。それに月読み神社様と白山神社様からのお榊に、木花様の桜も参加。


講演は村上先生のほかに、プラスイメージ研究所の小林充さん、波動の会の会長 大木佐々子さん、ソマチット研究の福村一郎さん、テンポ116の音楽家 片岡慎介さん、「ありがとうが幸せを呼ぶ」の著者 矢島実さん、そして私の6名でした。






懇親会では120名もの方が集まり、熱気と笑顔とビンゴゲームで大変盛り上がりました。icon26


その晩の夢見が、なんと二つの太陽から「たまゆら」のような光の環粒がゴマンと流れ、川のように押し寄せて、私に体に入っていくのを感じました。

二つの太陽とは物質太陽と霊太陽ととっさに理解しました。icon01

ほんとうに神聖な光をわが身に頂いたような感覚でした。  

2009年03月08日

サトルエネルギーのお話




[あいかわらず 何処にでも出かけては 講演をする鈴木です]



このブログサイト「サトルの泉」に書き込みをするようになって、かれこれ二年とちょっとが経ちました。
講演会などでお会いする多くのかたからも、時々このブログの内容についてのお話を問いかけられるようにもなりました。

そのたびに「、サトルエネルギーって、なあに?」 こんなご質問もあります。


いまでは和製英語といいましょうか、「サトル(悟る)な人」とか「サトルな一日だねえ」とか、「サトル」があちら、こちらからも囁かれ、聞かれるようにもなりました。

サトルエネルギーとはSubtle Energy つまり 見えない、ほのかな、かすかなエネルギーのことで、海外ではアロマや、ハンドヒーリング、愛のハグ、さまざまな癒しの効能をエネルギーとして扱って、
それらの全てを Subtle Energy と称しております。


もちろんアメリカには正式には、ISSSEEMという、米国サトルエネルギー学会があります。
エネルギー医学を中心とした学会で、世界中から「見えないエネルギー医学」に関する研究者が毎年6月にはボルダーに集まっております。


このアメリカのサトルエネルギー学会の理念や研究の下地を同じくしようと、1995年に日本で設立されたのがサトルエネルギー学会(The Subtle Energy Associetion of Japan).

科学と霊性、スピリチャリズムを一緒にした研究学会の名前を「サトルエネルギー学会」として設立したのですが、その学会の命名は東京大学名誉教授 日本の労働安全医学の大家 大島正光博士でした。

現在では大島会長の後をついで、帯津良一医学博士が会長をされております。


こう書いてしまうと、なにやら学者の集まりで、相当難かしそうに聞こえますが、
サトルエネルギーとは、愛の心、感謝と調和の心がベースで、人の心が真我に目覚め、大自然の純正さに触れると、その聖なる力、サトルエネルギーが湧いてくるのです。


だれでもが内在する聖なる力で、それが人に向けられたときに癒しのエネルギーにもなるのです。
新しい科学で発見されたものでもなく、太古のずっと昔から伝わる愛の力なのです。

つまり物的な力でなく、ひとの心の奥底から湧き出る愛の力、信頼の力、和の力です。
ですから日本人がもつ、極めて日本的な感性の奥底にあるものといえます。


ただそこに私心のない純正さと宇宙と同調する心があれば、どなたにでも発揮できるエネルギー。
今それを、この大地にも、この大空にも、もちろん多くの方に向かってどしどし発揮すべきだと思うのです。





新版 『サトルエネルギーのお話』 帯書きは帯津先生に書いていただきました]


そんな2009年という大事な時期に 『サトルエネルギーのお話』 という本をしたためてみました。

むづかしい表現は使わずに、母親にいって聞かせるような、優しい言葉で書かせていただきました。

◆ 第一章  サトルエネルギーってなあに?
◆ 第二章  癒しの力は愛の力
◆ 第三章  意識は力なり
◆ 第四章  あの世が分ると落ち込まない
◆ 第五章  言霊が人生を変える
◆第六章  せっかく日本に生まれたのだから


こうした章立てです。
定価はお手ごろな1000円で、電車の中でもぱらっとめくれる雰囲気です。
静岡出版さんのお世話になりましたゆえ、静岡県内の書店では扱ってますが、他の地方ではアマゾンでお取り寄せたほうが早いです。


サトルエネルギーという目には見えない「純正な心」・「愛の心」・「調和の心」が、これからのすべてのエッセンスでなくてはなりません。

その宇宙調和の真我のエネルギーが様々な現象を、本物の美しい姿に塗り替えていくのです。
その大きな意識転換が、この時代なのです。

『サトルエネルギーのお話』を是非、手に取っていただきたく思います。