2010年02月27日

映画オーシャンズ





[若者に混じってお台場へ  此処からのレインボウブリッジも結構な構図ですよ]






自宅からモノレール線「ゆりかもめ」の「日の出駅」までは歩いて10分弱でしょうか。
「日の出」からモノレールに乗れば、「お台場海浜公園」や「お台場」のモール街へは、お台場にかかる橋、レインボウブリッジを過ぎてものの10分余りですが、これまで食事やショッピングなどには行ったことがありませんでした。





[お台場一丁目商店会だったかな? デックス東京4Fがそのフロアー ]




孫を連れて、映画「オーシャンズ」を見に行くことになり、子供が喜びそうなエリアということで、この際 お台場に向かいました。
「お台場海浜公園駅」から、映画スクリーンが13も集中している映画街メディアージュがあるアクアシティまでは、駅の二階から延々とウッドデッキのつずくショッピング街を通り抜けて行ける。






[昔なつかしの 飴屋さん  量り売りでしたか?]






フジTVがある「お台場駅」まで、海岸に面して長いアクアシティーお台場とデックス東京ビーチ、それとなんでしたかカラフルなモール街が並ぶ。

確かこの辺りは2002年くらいにオープンしたと思うのですが、はじめて入りました。

昭和30年代の下町をイメージしたショッピングモール『台場一丁目商店街』などは結構楽しいですね。







レトロな駄菓子屋や、写真館、照明看板だけですが理髪店、公衆電話ボックスなどなど。



映画「オーシャンズ」は水族館まがいの海底の生物もさることながら、イルカや鯨の壮大なイワシ漁シーン。北極海のアザラシや一角獣そして様々な海洋生物を見せてくれます。

ただ残念なのは、海洋生物を大事にするという趣旨が募りすぎて、「グリンピース」まがいの海洋生物捕獲反対の色が濃い。


サメを捕獲して、「ふかひれ」をそぎ落とす東洋人漁師のシーンや、大亀やその他の定置網魚網で体がからみ、窒息死するシーンなどもある。

尾ビレと腹ビレが切り落とされた姿で、血を吹き、モガキうごめき苦しみながら海底に沈むサメ。こうしたシーンは余計じゃないのかなあ。



最後のシーンは博物館で、絶滅した海洋生物類の剥製を映して、「もう、こうした生物は二度と見られない」とナレーションが入る。


つい先ごろ、調査捕鯨の妨害で、危険な船体の体当たりや、日本船への夜間侵入で問題を起している過激な反捕鯨団体「グリンピース」。
その主張に似た映画との印象が濃かったですね。





[夕暮れのお台場   海から品川、芝浦方向を望む]





母なる海、その海へ人間の使い古した廃棄物の海洋投棄などは情けないことです。


海からの恵みへの感謝と同時に、生命を誕生した海の神秘、まだ解明されていない様々な生命系のしくみに対する畏敬となど、子や孫に伝えていきたいですけれどね。  

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2010年02月17日

大江戸温泉




[大江戸温泉の露天風呂]



今年の3月でお台場の「大江戸温泉物語」も、もう8年目に入るようですね。
オープンのときは館内が、江戸風情の「火のみ櫓」あり、射的屋ありで人気を呼び、大変な賑わいでした。でもたしか入館料が2900円だったかな、少々お高いのが難。
久しぶりに、大江戸温泉に行って見ましたら1900円になってましたよ。

それにJR品川駅から無料のシャトルバスが出ている。



ここでの特徴は選べる浴衣と、浴衣姿で素足で歩く広い館内の売店の多さ。
浴衣は男性モノでも10種はあったかしら。帯もカラフルで5種類くらい。

江戸風情の射的屋、吹き矢さん、ラムネ屋、カキ氷、アイス屋さん、縁日の出店まがいのボール掬い、そしてもちろん土産物屋さんらもギッシリとある。



食べ物店も古風なユニフォームの店員さんを配したカレー屋、ラーメン、すし店、そば屋、うどん屋、天丼、海鮮丼と、高速インターの出店のように各店舗がずらりと素足で動ける広々とした屋内に並ぶ。凡そ40軒もありますでしょうか?

そこを浴衣のお客さんが、好き勝手にお風呂に入ったり、食べたり飲んだりの大江戸温泉。


お風呂は、アルカリ温泉、露天風呂、シルキー風呂(マイクロバブルでお湯が絹のような牛乳色)、もちろんサウナ、それと鉱泉の沸かし湯がありました。

でも沸かし湯は、加水して塩素を加え、循環ろ過ですので余りお勧めできないかな。
とりわけ塩素は、お湯の波動値がすごく下がるのですよ。



大江戸温泉は、子供づれにご家族には一日中楽しめますね。

でも大人だけで、お湯とリラクゼーション、健康志向とすれば個人的には「東京健康ランド」の方がお勧めですね。
こちらは「漢方湯」となんていっても「塩サウナ」がある。
おまけに無料の映画もあれば、もちろんぐっすり寝れるお休みどころもある。


大江戸温泉にも「お休みどころ」はあるのですが、TVツキの長椅子は土日の混雑日にはすぐ満席になってします。

私が行った大江戸温泉では、浴場内に白色系のガイジンさんが8人くらいは入っていましたでしょうか。
中には小さなお子さんと一緒でした。
もちろん中国、韓国系のかたも相当いらっしゃっているようでした。


中にはアタマに手ぬぐいを載せている肌の白い外人さんも仲間連れでトークしていましたが、多分常連さんですね。


大江戸温泉のスグそばにモノレール「ゆりかもめ」のテレコムセンター駅がありますから、多分ハイテク産業にお勤めの方のマンションが近いのでしょう。
お台場にはずいぶん一般向けのマンションが建ちましたからねえ。








お風呂を出ると背中に歌舞伎役者の絵柄の付いたカラフルな浴衣で、各店舗を覗き見みに。
江戸町人姿のお嬢さんの呼び込みや、江戸若旦那風情のトロンボーン他、管楽器のショーもあったりでお客様を飽きさせません。


でもすれ違う18~19歳の若者の浴衣姿がだらしない。

なんと若い男の子が三人そろって、へそ上で帯の固結び。
それも両端が、だらりと膝下まで帯すそが垂れ下がっている。

若い男の子は、余り帯の結び方を知らないのですねえ。

この男の子ばかりでなく、大人でもすれ違う男性方は、どうも着こなしが、すそ前はだけてだらしがない。

でも女の子は、全般的にキチンと浴衣を後帯びに結んでいる。
たぶん女の子はお祭りや縁日で浴衣を着慣れているからなのでしょうね。



大勢の外人さんもご一緒の、江戸気分の温泉でお風呂三昧でしたが、日本人らしく各ご家庭でも、小さい頃から子供たちに男女を問わず浴衣を着る機会をもたせたいものですね。  

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2010年01月23日

淺草 お湯ものがたり



[淺草 仲見世どおりはまだまだお正月元旦の名残りで一杯でした]





『淺草に新しいスパが出来たので行ってみたら・・・』との情報で、1月の17日の日曜日にぶらぶらとお出かけしました。

浅草寺も久々なので、雷門から仲見世を通ってお参りに行くと、道々異国の会話が路上に飛び交う。結構な人気スポットなので外人さんは多いのですが、特に東南アジア系でもマレーシア人、中国、台湾、韓国の方は会話がないと日本人かガイジンさんかよく分らない。

「浅草せんべい」の香り立つなか、派手な蛇の目傘やTシャッツの土産物屋さんで賑わう仲見世どおりでは、その会話といでたちから、まあざっと6割位が外人さんじゃなかったかかしら。


浅草寺の正面に立つと、改装中なのですね。
でも写真のように正面に巨大な龍の絵がかけられていて、「なるほどね! 丑寅の年だね」と思いました。


何度か本ブログで書いておりますが「ウシトラノ金神様」は國常立大神、そのお姿の別体は龍神ですから、平成二十二年のフトマニの年は「龍神様」がいたるところにお出ましになる。






[浅草寺 正殿の龍の垂れ幕、改装中の目隠しですが、かえっていいかも]





今年一杯はかかるでしょうか?まもなく浅草寺の正殿も綺麗になることでしょう。


浅草寺裏の「花やしき」から二筋はなれた小径を南にはいると、「木馬座」の正面に出る。
この日、朝の10時半でしたが、その横道にもう60人前後のお歳の方が入館待ちで並んでいらっ
しゃる。

口々に、いい席が取れたわねとか話している。
市川千太郎さんの出し物で、¥1500の木戸銭で三時間以上もお芝居が楽しめるのです。





[木馬座の正面にはもう行列が・・・・]







木馬座の横道をロック座方向にぬけると、そこが淺草演芸場。
ここには昔、一度入りましたが、一日中楽しめますよ。

今では料金もお高くなって、大人¥3000でしたか。
それでもなんと5時間くらい『笑いのお風呂』を浴びつづけることが出来ます。
昼の部と夜の部の入れ替え二交代ですね。


人生、顔の笑筋をずっと動かしていれば、健康になるのですから落語家や漫才の方には、文化勲章を大いに与えるべきですね。

文化勲章は、国民の健康と幸せを与える方に、真っ先に与えられるたらいいものと思います。






[淺草演芸場 この日は桂歌丸さんとか昼の部で20演目くらいありましたよ]





上記の写真の左となりの白いたてものが、目的の「まつり湯」。


なぜ「まつり」かというと、この界隈は三社祭の地元ですもの。

浅草寺のそばには祭り用品専門店もありますし、その時期になりますとアーケードの商店街にはハッピ、はんだこ(男性用の白い半パンツ)、草履などのお祭りグッズが並びます。


「まつり湯」はビルの6階と7階になりますが、他階はデパート風。
一階は、こども用品やら何やらで、開店時の朝10時半にはもうかなりの人ごみでしたよ。

まつり湯の浴槽の数は、おおよそ10種くらいでした。


普段行きつけの江戸川区船堀の東京健康ランドよりも設備はいいかな?
広いお食事どころと、小型TVを供えた大きな個人ソファーがずらりと並ぶ休息場などもある。

もちろんアカスリエステや、全身マッサージ、足ツボなどのコーナーも十分そろってますよ。


東京では、お台場の大江戸温泉、二子玉川のスパランド、後楽園遊園地、それから平和島にもスパがありますよねえ。

もちろんそれといきつけの船堀の東京健康ランドも。

どちらがいいのかというと、子供を連れてショップとイベントを楽しむならお台場の大江戸温泉。
ゆっくりと1人で映画を見たり寝転んだり、薬湯に入るのなら船堀の東京健康ランドかな。


でもはじめてのここ淺草の「まつり湯」も、まあまあのスパランド。料金は¥2500でしたか。


入浴設備も新しいのですが、気に入ったのは、蒸気とハーブの混ざった「蒸気泉」、そして塩水浴もよかったですね。


そうそう、それと露天風呂からは地上七階ですから下界が見渡せるのですよ。

浅草寺と仲見世を手前に見て、かの「スカイツリー」が真正面に見えるのですよ。
その右に「うんちビル」も見える。


吾妻橋のスーパードライホールが正式名称ですが、屋上の雲形のモニュメントが「うんち」風で、誰彼言うことも無く「うんちビル」といってしまう。


スカイツリーは完成体634mのまだ半分の高さですが、このまつり湯の露天風呂、お食事どころから真正面に見えるのはいいですね。






[お食事場から見たスカイツリー  今の高さは250mくらい。来年H23年に完成ですね]





スカイツリーは墨田区、浅草寺もここロック付近も台東区なのですが、浅草寺から隅田川まではほんの200mくらいでしょうか? 

川向こうが墨田区なのです。
ですから「まつり湯」の7階の露天風呂から「浅草寺」も、「東京スカイツリー」もう「うんちビル」も横一線のパノラマで眺めることができるのです。



この日は終日ゆっくり浴びて、おとなしく帰りましたが吾妻橋の交差点に「神谷バー」があります。

バーとはいってもレンストランといおうか、居酒屋といおうか、昼からビールにおつまみの人種が多いところ。


ここの「電気ブラン」は昔から有名で、奥様方にチョット説明しますと、一種のリキュール風のお味で、小さな三角のグラスに入って出されてくる。
それを2―3杯も飲むと電気のように、しびれるとかの50年以上昔の風評で、そんな名前がつけられたようです。



神谷バーで、黒生ビールに電気ブラン、そして「ネギぬた」の浅草帰りの私でしたね。
もちろん昔の私ですよ。  

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2010年01月14日

代々木の神社さん




[明治神宮は相変わらずの人ごみですね]





平成二十二年の数霊 フトマニに想いをもって年が明けました。
そのせいでしょうか、正月二日の夢見では「世善きはちまん」とのメッセージ。

政治経済の社会世相は急速に建て直しに入りましょうが、大いによろしき世直しの一年という意味に受け取れました。



常に大事なのは不動の心、そして律心です。自分の心を信じて、さまざまな現象に揺れないということです。


とくに「やりたくないことは、やらない」ということも大事で、本心とは違うこれまでの言いつくろいの行動は避けたいものです。
真我から離れた蒙昧な思いを、断ち切ることが今年は必要ですね。







[神宮参道の氷の彫刻  そうですねえ50~60体もあったでしょうか。]





10日の日曜日に代々木八幡様に詣でました。
すぐそばに明治神宮がありますので、何年ぶりでしょうか、若者でごった返すJR原宿駅に降りて、先に明治神宮におまいりに行きました。


10日とはいえ、道々も未だに人ごみで、表参道から神宮正殿までは砂ほこりに舞う沿道
をぞろぞろと人また人。
ですが、境内の参道ぞいには、氷の彫刻なんぞも数10体もあって、しばし見物。

「明治神宮90年祭」という立て札もあってか、後方から若者の声で「ありゃ、ここまだ90年しか経ってないの?!」という。神社というと1000年くらいの歴史はザラですからねえ。






[明治神宮では結婚式に鉢合わせ、参列者も大勢の初詣客にジロジロ見られて恥ずかしそうでしたよ]





ここ明治神宮の大鳥居は、台湾の新高山からの伐採木ですが、そもそも明治天皇のご崩御に際して、その威徳を偲んで国営で造営されたところ。

今の若者は、東京では初詣というと「明治神宮」か「川崎大師」かというほどにメッカになってますが、そのいわれは余り知らないのですね。
そんな若者にもまれて神宮正殿のお賽銭前は、マア混雑しきりでした。




[代々木八幡さんです]




ここから小田急線の「参宮橋」方向に抜けて、井の頭通りを国立オリンピック記念青少年センター前を通り、神園町へとぶらぶら凡そ30分も歩きました。
神園町の高台にある「世善きはちまん」さんにお参りに行ったのです。
代々木八幡神社さんでは、「世のため人のためにご協力を・・・・」との拝殿でのお願いに、例によって、急に風が吹きつけるご神示もいただいてまいりました。

この代々木八幡様も、普段は閑静なところですが、この日は30人あまりも境内にお参り客がこられてましたでしょうか。結構 外人さんも多いですね。





[福泉寺 境内のお地蔵さん  かわいらしいお顔でしたよ]



この八幡様のとなりにある「福泉寺」さんも気配のいいところですよ。

高台にありますので、神園町一帯が見渡せますし、古びた庚申塚が入り口でお出迎えをしてくれます。


三賀日を過ぎた翌週でしたが、穏やかな、「世善き」一日でした。  

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2009年11月30日

奥多摩の紅葉










[御岳神社 山門からの眺めは 青空に赤あり黄あり、眼下遠目に埼玉地方も見渡せましたよ]




11月の15日の日曜日は本当によい秋晴れでしたね。サトルの大会も終えて、久々に外の空気を吸いに奥多摩に出かけてみました。


東京駅から新宿経由そして青梅を抜けて御嶽駅まで凡そ1時間40分余り。
JR御嶽駅に着きますと、折からの紅葉情報になだれ込んで来た老若男女で駅前はごった返し。
駅前のバス停からケーブルカーのある滝本駅までのバス停には長蛇の行列で、およそ400人もおりましたでしょうか。
それでも休日で、おりからの紅葉シーズンですので、バスもピストン輸送。ようやくケーブルカーの麓まで詰め込みバスたどり着いたのですが、此処もまたケーブルに乗るまで長蛇の行列。
ケーブルカーも最大効率で折返し運転をしますが、それでも30~40分も待ちましたでしょうか。



この地方は梅もさることながら、柚子、こんにゃく、自然薯などもよく取れるところです。
標高差 440m?でしたか、長いケーブルを乗って御岳山中腹駅につきます。ここから御岳神社まで徒歩で25分とありますが、なんと急坂な道。


道々の神社さんへの昔からの信者さんの宿場でなのしょう、旅館兼料理屋さんがところどころにあって山菜会席なども出されている様子。
その路地もまた真っ赤な紅葉なのです。







[境内の奥宮にご挨拶に行ってまいりましたが、実はまだ息がゼーゼーしてます]






全山紅葉ですが、比較的早足の私も、この登坂路ばかりはゼーゼーと息を切って、途中二回ほど小休止。
昔の方はよくも此処まで、神社建造に命を削ったものだと、もの思いにふけりました。
御岳神社は犬神信仰の地、もちろんイザナキ・イザナミ二神の二柱神社や国津神系の摂社も多い。


ヤマトタケルの東征の折、行く手を阻む魑魅魍魎に、白大神(狼)と黒大神(狼)が追い散らし、ミコトに手助けをしてくれたとかでの犬神信仰。

三峰神社さんも犬神信仰の地ですね。


私の場合 毎回といって言いのですが、神業祝詞の際には「風」がおしるしになっている。


秩父神社では脇社での神行中には、天空からバサバサと何やらが落ちてくる気配。
身の回りの5m周囲くらいの落下音ですから、多分シイのみでも落ちたのかなと思い、あとで目を開け周囲を見まわしても何にも無い。


千葉神社では祝詞の最中に突風を頂いた。


なぜるように軽い風、凄まじい突風・・・・どうも風がお印ですが、今になって気付きますと「國常立大神さま」のサインですね。







[ケーブルカーからさらにリフトを乗りついで山頂近くまで行きますと、三本の荘厳なご神木がありました]





ここ御岳神社でも二柱神社の地抑えの祈祷中、首筋から頬に掛けてやさしい手触りを感じました。


御幣の紙が顔にかかったのかなどとも低頭中に思いましたが、目を開いて顔をあげると幣の紙は、より前方にありその高さも直立した頭上よりは高い。


当日は風も強く、さらに頂上方面では紅葉も黄色い右派も天空に舞っておりましたので、紅葉かも知れませんね。
でも柔らかい手でそっと首から頭上にさすり上げられた感じなのでした。




まあ、この日も日本の四季を存分に楽しまさせていただきました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後日談になります。

翌日からいよいよ咳がひどく、喉もやられて一週間ほど喉の治療にあたりました。
そのご、知人からカリンの酵素ジュースを頂いたりもして、喉はよくなってきたたのですけれど、咳はますますひどくなる。

そしてさらに鈴木の講演が1週間の内に、大小3講演ほどあり、まるで『咳談』になってしいました。
ご来場者またご関係者には深くお詫び申し上げます。


夜中も咳が出ますのでとうとう内科医に見せたところ、気管支炎とのこと。
そのはずだったのですね、急坂路をゆっくり歩いたとはいえ心臓バクバクで、息はゼイゼイでした。


それがまた地下鉄の階段でも、坂道でも、息切れと咳き込みで、二週間もつずいてしまいました。

 少しお休みをということですね。 ハイ「気・閑・止」にします。  

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2009年11月12日

群馬の神社さん

前橋インターから 西方向に10分も走るでしょうか。小烏町という町名の起源に想いを馳せながら、しばらく行くと、赤い大きな鳥居が目の前にあった。
そこが烏子稲荷神社すないごいなりじんじゃ)でした。





[烏子稲荷神社の拝殿です ]








[烏子稲荷神社の拝殿裏 何かエネルギーを感じたのです]




烏子で「すないご」と読ませるのも面白いですね。さて、なぜかしら??
木製の鳥居を抜けて石段を登り、石造の鳥居を抜けて、さらに登りつめると社殿に至ります。
拝殿ではそう感じないかったのですが、拝殿裏手の地面に強い地場波動を感じます。
そこで裏道を下るように、ぐるっと拝殿の裏手を廻ると石室がありました。

そこにあった掲示標識を見ると、平成7年 市重要文化財に指定されたようで、上小塙稲荷山古墳の石室と記載されてます。
ですが、単に墳墓ではないですね。祈祷の行場と思われます。





[稲荷神社裏手の 石室です。ですから大元は巨大なイワクラの上に烏子稲荷神社が建っている構造ですね]



社殿の左手奥に小さな産泰大明神の社があるのですが、前橋市下大屋の産泰神社の分祠でしょう。




今度はその小さな産泰大明神様の「元社」である前橋市下大屋の産泰神社(さんたいじんじゃ)をおとづれてみました。
お産が安泰にいくようにとの安産の神社さんで知られております。
ご祭神は木花咲耶比売さま。





[産泰神社 山門 ]




前橋藩主の酒井雅楽頭は、ここの社殿の造営をするなど、その信仰著しいものがあったようですね。

イワクラ探査で此処に着てみたのですが、社殿背後に壘々と巨石群がある。
その昔には巨石崇拝、イワクラ信奉ありました。
つまり華麗な神社造営の時代以前に、裸のまんまのイワクラ、そこに神降ろしの起源があります。
イワクラを伴う神社さんからは歴史の古さがしのばれますね。
群馬もそうですが、山梨県もイワクラの多いところです。
山梨岡神社さんなどは巨大な岩山が信仰の対象だったのでしょう。
こうしたイワクラは、強い波動を持っていますが、おそらくUFOでしょうか?
イワクラ自体が、磁気的な交信アンテナ機能か、着陸目標ではなかったのではないかしら。






[産泰神社の巨大巨石群]



 
産泰神社拝殿の裏側には巨石群がある。まえは胎内潜りの穴があったそうですが、今は崩れかかっていて危険なため入れないそうです。

恐らくこの巨石群が、元は一つの巨大な岩座ではなかったかしら。


瞑想して感じたのは、巨石の安産信仰が累代の神社のスローガンになっているようですが、そうではなくて、「ゼロリセット」とでも言うんでしょうか? 
これまでの次元の一切を祓い清めて、再スタートという心象を受けました。

ちょうどこの2009年にヤマトの発進を感じていましたので、その導きで産泰神社を訪れたことになったのでしょう。








[三夜沢の赤城神社山門 非常にいい気配ですよ]





さてもう一社、群馬の赤城神社を紹介しますね。
赤城神社を信仰される方も多く、都内にもお見かけします。新宿の神楽坂にもありますね。


赤城神社は赤城山の南麓の三夜沢に鎮座。
御祭神は大己貴命と豐城入彦命、つまり大黒様系統ですね。
赤城山山頂の赤城神社が奥宮になるのでしょう。


ここ三夜沢の赤城神社さんはうっそうと杉の大木の中にあって、実に凛としている。
境内に入って右手に神池。その側に、神代文字の碑がある。


今からおよそ一千百年前の記録に社名があることから、それ以前に既に朝廷から祭祀を受けられ、官社となっていたようです。

古代の上毛野国(群馬県全体)を支配していたのが上毛野君という一族。
後代には武家である彼らが祭り守護されていた神社のようですね。

上毛野君は、豊城入彦命の子孫と伝えられていて、では豊城入彦命とは?調べますと、崇神天皇お子さん。
崇神天皇には豊城、活目の二皇子があって、兄は東国を治め、弟は天皇の位を継ぐことを決められたのです。
豊城命は東国を治めることになり、上毛野君、下毛野国の始祖であるとされてます。


この神社の裏手にもイワクラの跡が見られるようですが、残念なことに立ち入りが出来ず、遠目に気配だけを感じたのですが、祭祀場の波動が強く感じられました。


此処 三夜沢の赤城神社にいかれたら、拝殿の左手に湧水がありますので、お飲みになることをお勧めします。
私らも飲みましたが、ほのかに甘く、皆さんペットボトルに詰めてお持ち帰りのようでした。  

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2009年10月28日

北品川界隈 かしげ傘




[品川神社/荏原神社  天王祭  この辺りは新馬場商店街です。 写真は6月だったと思います。]



秋の小雨のそぼ降る中、旧東海道の品川宿にプラっと出かけてみました。
京浜急行線で品川駅から各駅停車で二つ目。新馬場駅で降ります。
此処から南の方向に向かうと、国道一号線とほぼ平行に走る旧東海道にぶつかります。
旧東海道は、幕末時代はもうそこが海岸線なのですね。


国道沿いにある品川神社さんのお祭りには、この新馬場の駅前から旧東海道への道、新馬場商店街と旧東海道の北品川商店街が大変賑わうのです。
もちろんお神輿も此処を練り歩きます。


シーズンを過ぎ、小雨ふる中には商店街といえども、人はまばら。
北品川商店街を右に折れると、目黒川沿いに荏原神社さんがある。荏原神社さんのご祭神は七福神の「恵比寿さま」、江戸七福神名所になってます。
品川神社さんを北天王、荏原さんを南天王と称して、両神社の北と南の天王祭と併せて「品川天王祭」と称される。


昔は荏原さんのお神輿もそこから直接海に入ったようですが今もやっているようですよ。
その先の天王洲の方で神面をつけた神輿が海に入る「御神面海中渡御」が行われるのです。
宝暦元年6月、品川沖の海面から牛頭天王の面が発見されたことに因むもので、「天王洲」の地名はこのことによるものですね。もちろん天王洲はこの商店街辺りからだいぶ南方向の東京湾沿いですが現在は埋め立てにより陸地になっております。


牛頭天王(須佐男之尊)が水神であることから、参加者をかっぱになぞらえ、「かっぱ祭」とも俗称されてますよ。
また荏原神社の旧名は貴布彌神社(きふねじんじゃ)と称したようです。
清め、禊の拠点だったのでしょう。いまでも大国魂神社のくらやみ祭りの前には、ご神職はこちらで身を清めるようです。


新番場商店街を左の横道に入ると、その狭い路地の先に「お春稲荷明神」がります。
此処のお堂も大変古めかしく江戸時代の空気を感じさせますね。

小雨降る旧東海道 北品川商店街の路地裏を歩くと、たまにすれ違う方との「かしげ傘」。

さあどうぞと、通りすがりに傘をかしげないとすれ違えません。


路地裏には発泡スチロールに土を盛って、多くの植栽が木造の軒下におかれている。そこにはご近所同士の生活感が漂ってますね。




[ 一心寺 さんも古い、たしか江戸の33箇所札場だったと記憶します]



北品川商店街に面して、 延命院「一心寺」さんがあり、その山門の「一心寺」と書かれた扁額を写真にとって、サトルの理事、寺山心一翁さんにお送りしたらたいそう喜んでおられました。


みこしで賑わう旧東海道もいいのですが、幕末の昔をしのぶにはシーズンオフがいいかもしれません。  

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2009年09月28日

三田界隈




[三田春日神社は桜田通り沿い、慶応大学東門のお隣です]



三田というと、福沢諭吉創設の慶応大学が知られてますね。
私の住居から歩いてほぼ7~8分のところですので、慶応大学周辺には散歩にも買い物にも、いやいや夜を徘徊することもあります。
徘徊と言っても、サトルの夕方からのセミナー講演などで、参加された方と懇親会と称して、ご一緒に三田の飲み屋さんに立ち寄るのです。

田町駅前の国道一号線の三田側から慶応大学方面に抜ける細い道、通称「慶応仲通り」は車は抜けられませんが、そこにはぎっしりと飲食店が詰まってます。


昼日中では、慶応三田校舎の東門のそばにあるスーパーマーケットに出かけたり、東門の隣にある、三田春日神社に出かけたりします。
春日神社さんですから、奈良春日大社第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を勧請鎮座されたのですね。
三田春日社歴によると、天徳2年(981)鎮座とあるからかなり古いです。ここの神社の石段の両脇を飾る桜は、毎年 春のシーズンには見事な風情ですよ。
また9月には三田春日神社も大きなお祭りがあって、町内の神輿連が相当な数、集まりますし、町内のそこかしこは夜も夜店でにぎわいます。





[オーストラリア大使館から神明坂を下ると元神明さんがある]




慶応大学の北はずれに三田綱町という地区があって、そこに綱町三井倶楽部があります。
大正2年、三井家の迎賓館として鹿鳴館の設計者として知られるジョサイア・コンドル博士の設計によって建てられ、西洋建築の傑作といわれています。
そのさらに北側、徒歩で2~3分のところに、芝元神明さんがあります。


浜松町の近くに「め組みの喧嘩」で有名な「芝神明神社」(祭神は天照皇大神)がありますが、その大元の神明社という意味で「元神明」なのですね。
宮司の青木さんとはなじみで時々私のところにもこられて、いろいろとお話を伺います。
元神明神社のそばをとおる道が神明坂で、土地の起伏の多い構造上、元神明さんは近代ビルの中に住まうような構造の神社さんになったそうです。
神社境内の樹齢800年という大ケヤキが以前に倒れて、宮司さんらがも記念にとそのケヤキを大太鼓の胴体に利用され、いまも愛着されております。





[札の辻交差点から品川方向にしばらく歩くと御田八幡様がお祭りされている]



慶応大学の南、国道一号線の「札の辻」のすぐそばに御田八幡神社さんがあります。
ここも由緒があって、かれこれ1300年の歴史を持つ。
ご祭神は誉田別尊、天児屋根命、武内宿禰命で709年 牟佐志国牧岡に東国鎮護の神として鎮祀されました。現在地 三田への遷宮は、寛弘8年(1011年)です。



その裏手に亀塚公園の高台を背負って、緑の色濃い、いい気配の神社さんです。
一度は行かれたほうがいいですよ。
この御田八幡神社さんの東となりに、三田ツインビルが先年建ちました。
ツインビルといっても隣りあわせでは無くて、第一国道とJR線をはさんだ芝浦側に東館、そして三田側に、この西館があります。
西館のだけの敷地も4500坪もありますが、建築基準法の関係で、三田側の西館は43階建てでしょうか、大変なのっぽビルですので、その建屋周囲の緑化敷地が大きく広く、一般の方が出入りももちろん自由なのです。




[三田ツインビル 西館   高さ43階ですって!]

三田ツインビル西館の裏手に「キリシタンの碑」とある大石が座っております。幅3m、高さは大人の胸くらいくらいもあるでしょうか。





[三田ツインビルの裏手に大石がでんと座ってます。大石といえば泉岳寺を思い出しますが、そうですね、ここから徒歩で品川方向に8分くらいでしょうか?]



徳川家光時代にキリシタン弾圧で当時のバテレンらが相当数 惨殺されたのですね。まあその鎮魂碑ということでしょう。
たしかこの三田ツインビル西館の敷地は、都ホテルと日産プリンスが10年前にはあったところでした。

田町駅から浜松町方向に1~2分徒歩で寄った三菱ケミカル社前には西郷南州と勝海舟の会見の碑があります。このあたり、つまり現在の第一国道沿いは、当時は海岸ラインで、薩摩邸の海辺の離れがあったところ。
会見の碑、そこを南に曲がると美穂鹿島神社さんがあります。宮司さんは前出の春日神社さんの息子さん。
鹿島の前宮司がお亡くなりになりその宮司さんに跡継ぎが無いために、春日さんが肩代わりされました。




[近年立て替えられた美穂鹿島神社さん。この辺り一帯は落語 『芝濱』の舞台。境内前にほその芝囃子の記念碑がありますよ]



この神社さんも二年前でしたか、立て替えられたばかりで立派になり、美穂鹿島神社を拠点に本芝町会が神輿を新調し、お祭りの差配をするようになったのです。

つまり論者の私どもが住まう町会です。



たまに秋深まって、以上ご案内した三田界隈をウォーキングされてはいかがですか。  

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2009年07月27日

勝浦から館山へ 




[勝浦遠見神社の長い階段、そこにお雛様が飾られる]




勝浦港の直ぐ近くにある勝浦遠見神社では全国から廃棄されるお雛さまを、その長い急傾斜の階段に飾るお祭りがあります。
この勝浦遠見神社さん、長い階段を登りきると、さらに急坂な細道がつづく。
やがて息をついて歩いてゆくと、見晴らしの良い境内に行き当たる。
ですからズット手前の階段の前にお賽銭箱があったのですね。

遠見神社ですから、勝浦を遠くに見渡せ、太平洋に思いを馳せるのかなと思ってもいましたが、「遠見」ですからふと「冨」かなとも想いが掠めました。
天富命(あめのとみのみこと)を祭神としてますので、おそらく遠見(とみ)に変化したのではないかしら。





[見事なタモの木ですね]




調べますと、江戸時代までは富大明神と称し、はじめは今で言う八幡岬公園の突端 富貴島にお社があったといわれています。 
つまり前にほど紹介した「八幡岬公園」の素晴しい地場波動をこの勝浦遠見神社さんが受け継いでいるのですね。

慶長6年(1601年)の津波で、岬の富貴島のお社が流され、万治2年(1659年)に現在の場所に建立されたようです。

遠見神社さんでは「天地融合万物融和」の祝詞を上げさせていただきました。
かなり良い波動のせいでしょうか、その境内には巨大なタモの木が生育している。
神社さんでは、必ずといってよいほど巨大なご神木がありますね。




[四條流 包丁式]



勝浦から車でおよそ30分程度走って南房総市の千倉に入りますが、そこに高家神社(たかべじんじゃ)さんがあります。
日本で唯一料理の神を祭る神社さんで、ご祭神は磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)。
通称は高倍神(たかべのかみ)、この境内では京都の四條流の包丁式が例年行なわれるところです。




[高家神社 宮司さんらと]




箸と包丁だけで鯛を裁くことで有名ですね。
烏帽子、直垂をまとい、一切手を触れることなくキチンと頭、骨、尾とさばきます。
高倍神様は景行天皇の安房の浮島行幸のおりに、ハマグリと鰹を調理されおおいにその技を評価され、いらい膳大伴部(かしわでのおおとのべ)を賜った方。
日本料理の基礎を築いた神さまということですね。

宮司様は代々高木姓で、たまたま居られた宮司様にもご挨拶をさせていただきました。





[平成12年に竣工した、素敵な茅葺の拝殿ですよ]



この千倉の高家神社さんから、白浜海岸をとおると忌部氏の上陸した布良を経て館山の下立松原神社へ参りました。
下立松原神社のご祭神は天日鷲命・天太玉命・天富命・伊弉諾命・伊弉册命を主祭神とし、阿八別彦命・須佐之男命を配祀。

天日鷲命は天太玉命に従う四柱の神のうちの1柱。
天太玉命さまは、天岩戸隠れにも出てくる占いの神様で知られますが、忌部氏の遠祖です。
天太玉命の孫天富命が、天日鷲の孫(阿波忌部氏系図では由布津主命)を率いて、阿波の国(徳島県)、更に四国から流れて、総の国(ふさのくに:千葉県)を開拓したとある。
ですからこの当り一帯は阿波の国の忌部氏なのですね。
本籍地が阿波(あわ)の地でしたから、たぶん房総も安房(あわ)になったのではないかしら。

下立松原神社の境内も素晴しい地場波動で、ひふみ祝詞を奏上。
日本人のアセンション、その軟着陸を祈願してまいりました。
この拝殿には巨大なご神鏡がありますよ。ひとめ80センチ余りあったかなあ?





[下立松原神社の拝殿、右奥に外の景色を反射している大鏡があるでしょ。左の丸いものは太鼓ですよ]




この辺りは神がかった町名も多く、「神余」というところではなかなか見れない渦龍雲を大空に発見。

千葉県は日蓮様ゆかりの地でその関連仏閣が多いのですが、神社さんも気配の良いところが多いですよ。  

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2009年07月25日

天御中主大神




[房総の清澄寺は日蓮さんが修行されたところですが、ここにも妙見様が祭られている]




天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)さまとはこの宇宙の創造神とされる方で、後にお出ましになる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)さまと神皇産霊神(かんむすびのかみ)さま、この三柱をして造化三神といわれております。

私たちが住むこの地球が誕生する以前の、大宇宙を創られたのが造化三神で、地球の創り固めは国常立大神さまの御用と言われております。


後に移入されてきたの仏教の影響で、妙見様つまり北斗七星信仰が芽生えますが、とどのつまり神道の天御中主大神様がその妙見様に当り、多様なお姿をとることから十一面観音とも別称されてしまうようになる。
ですから、妙見菩薩や十一面観音をお祭りする仏閣には必ずといっていいほど、神道固有の「神鏡」が正面に安置されている。




数年前に秩父神社におまいりしましたが、ここも妙見信仰のつながりで天御中主神を祭る妙見社です。
神社の北面にはふくろうの絵があり、「ふくろう」それは天御中主神様の表現体であるということが分ります。

7月の中旬に、千葉県内の神社神業に入りましたが、千葉県には天御中主神様をお祭りしている神社さんが数多くある。
調べますと神社宗教法人登録をしているものだけでもなんと50社以上もあるようです。

千葉県庁の直ぐそばの「千葉神社」も主宰神は天御中主神様です。





[北斗七星は妙見様でもあり、その信仰は様々な形で残されてます:撮影 村岡文晶氏]




たまたま千葉神業に行った日は、数日続いた厚い曇天で星一つ見えない日が続きましたが、その夜は綺麗な北斗七星、妙見様を見せてくれました。

また泊まったところから数分のところに天御中主神社さんがありました。





[新田野の天御中主神社境内 早朝の太陽木漏れ日ですね:撮影 村岡文晶さん]




なぜ、千葉県に天御中主神様系が多く祭られているのか詳しいことは不明なのですが、ヤマト王朝以前に総の国に上陸した大国主、猿田彦、武甕槌神(たけみかずちのかみ)らがさらにいにしえのの足跡を残したのではないでしょうか。

のちの日本武尊が東征の折に、あらぶる東海の海を鎮めようと、その海に身を投げた弟橘姫。その姫をヤマトタケルが偲び、立ち去り兼ねた地、「き(君)さらず」の名の由来 現在「木更津」方面にも天御中主神、妙見信仰の寺社も多く、忌部氏が上陸したという館山 布良(めら)近辺にも妙見信仰の寺社もある。

四国の阿波(徳島県)の忌部(いんべ)一族が、海路を黒潮に乗って房総半島南端の布良に着き、総(ふさ)の国(後に上総・下総に分かれる)の開拓を進めたのですね。






[勝浦 八幡岬にある小さな祠から勝浦港を臨む]




勝浦では、八幡岬公園という非常に波動の高いエリアがありました。
岬自体が堆積層の地質で、その層状の地層を露出させ、太平洋の波浪を受ける奇岩絶壁など、見事な景観を見せております。

とりわけ岬突端にある八幡社という小さな祠付近は、非常に精妙な波動を出しておりました。  

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