2010年02月12日

慎ちゃん、ありがとうございます




[寺山さんのチェロの献奏でもおくられた慎ちゃんの追悼式]




想えば本当に気配り、心配りの片岡慎介さんでしたね。
セミナーの会場では、カーテンの開け閉め、音楽もボリューム、照明などお客様の視点で常にチェックされてました。

また満月の日には、用事もないのに何人もご挨拶の電話をされてました。


本名は片岡眞太郎 これからのペンネームは「輝光院眞楽浄月居士」。

ご家族やご親戚も「眞ちゃん」で通され、私たちの呼び方も「慎ちゃん」ですから、本名も芸名も愛称は同じ発音でした。


輝き光る 音楽家の眞ちゃん  清らかな月に戻って、これからは自由自ままに作曲三昧です。



2月6日が慎ちゃんのお誕生日。その数霊をひっくり返すと 62歳のお歳に。月の如しとかいて、この二月の 「如月(きさらぎ)」 にお月様の世界に・・・。




[ご弔問にこられた方々ですが、本当に顔が広い慎ちゃんですね]




慎ちゃんの奥様はじめ、ご家族のご意志で論者 鈴木が、葬儀委員長をさせていただきました。

顔の広い彼ですから、お通夜や告別式の当日は、帯津良一先生はじめサトルの理事や公益団体の面々、「水からの伝言」の江本勝さん、舞踊家関係では浅野みずほさんや小林ひろみさん、そして板倉リサさん、ヨーガの西川真知子さん、和太鼓の響道宴さんらも駆けつけてくれました。

写真家のロッキー田中さん、「天上シンフォニー」の著者 伯宮幸明さん、教育界では飛谷ユミ子さんや宮西ナオこさん、実に多方面からのかたがたの参列でしたよ。

また寺山心一翁さんのチェロで、厳かな献奏もありました。

浄土宗のお坊さんの読経の直前には、奥様、お嬢様とのふれあいや、お孫さんらとの日常のご家庭でのVTRが放映されて、むしろその「素」の慎ちゃんの仕草に、思わず私の眼が霞んでしまいました。





[サトルの理事会では、チベットベルの音の合図で、片岡慎介さんの黙祷から始まりました]




人生、長い命を生きながらえてきたから、決して幸せでもなし。
また短命であってもその生きてきた過程にずっしりと重みがあれば幸せでしょう。
この三次元世界で他人の眼でみた、ある方の人生や寿命の長短悲哀を論ずるわけにも行きません。

魂の清らかさは神と本人しか知りえない。光の第二の世界は神様の判断でご用意されること。



サトルの春の大会http://www.subtle-eng.com/2010spring.htmlは4月17日に津田ホールで計画されています。


誕生から少年期をこえ、社会人から壮年期へ、そして光輝高齢者となって天界へ。

その光の世界でもなお「人生をオールインワンに生きる」。


この生き通しの人生で、輝いて生きるということを「春の大会」の統一テーマにしたのですが、それは片岡慎介さんの提案なのです。



「赤ちゃんの胎内記憶」の話をされる産婦人科医の池川明先生、親子のスピリチャルなあり方のお話をされる小児科医の向後利昭先生、子供や少年期の脳力開発のポイントを指導されている飛谷ユミ子先生が登壇される。

また、世界経済、地球資源を分析し、これからの本物のサトルな生き方を論ずる小川 修先生、女性生き方評論家の宮西ナオ子先生、そして著書にもある「達者でポックリ」の外科医の帯津良一先生らで「サトル春の大会」を実施する。


こうした講師陣も論者鈴木とと、片岡慎介さん、そして運営委員の皆さんで企画させていただいた。




[2009年 春の大会では 大会委員長の片岡さんも歌をご披露。帯津会長も矢島実さんも私、鈴木も壇上で歌ってしまいました。またこの二月の理事会を終えた懇親の席で、慎ちゃんが歌った[ふるさと]を理事さんが全員手を繋いで、もう一度 彼を偲んで歌ってみました]



サトルの大会では、片岡さんは毎回 舞台裏で音響と照明を担当、またお客様を迎える実に細かい配慮をかかさず、お手伝いの大会ボランティアにも常に優しい声をかける人物でした。

ですからどなたにも愛された片岡慎介さんでしたね。

事務局で私と談笑するときでも、いつも私の体を気遣っていただきました。


テンポ116で音楽界に名を馳せた片岡慎介さんですが、子供たちの将来を憂い、日本人の魂の貧しさを憂いていた慎ちゃんは、むしろ素晴しい意識啓蒙家であり心貴高い本物のスピリチャリストでありました。


これからは、お月様の世界で素晴しい音楽を作って、月光と共に私たちに届けてくれるのでしょう。


片岡慎介は、お月様と一緒にいつも、そこに輝いて居ます。




[今年1月30日 1月では二回目の満月でしたね。 写真提供:村岡 文昌さん]  

Posted by suzuki at 06:03Comments(1)日本人の魂を求めて

2010年02月09日

私心なき日本人へ





[明治の志士たち: 日本のために私心なく死ねる気概は何処から来るのだろう]




幕末から明治にかけての志士たち、その「日本のため私心なく死ねる」という強烈な意識は、一体どこから来たのだろうか。

特に重要なのは「私心なく」というところです。

さきに坂本龍馬について、このブログで多少触れてみました。



小沢 民主党幹事長の土地物件など、相変わらず物金に踊らされる現代社会にあって、ひるがえって幕末・明治の「死ねるこころ」とは何処に拠点があるのかという想いに馳せてしまう。



幕末の偉人というと西郷隆盛を想い出します。
坂本龍馬が初めて西郷と出会った時の感想を、師の勝海舟に次のように語ったようです。


西郷という人は、わからぬひとでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした。」


西郷を「釣り鐘に」、龍馬自身を「撞木」に例えているのでしょう。



明治の偉勲でも西郷を評して

「世に最も始末におえぬやつがおる。それは金も欲しくなければ、地位や名誉もいらぬという骨柄だ」
と。



西郷さんの骨柄には暗い陰がない。

それは彼の座右が「敬天愛人」、宇宙大自然、天の理を謹んで敬うと同時に、なんびとも愛する「至誠」からであり、暗くなりようがない。


そして彼の心がいつも落ち着いた「律心平安」にして「私心」がないから生死を度外視していた点が多いに西郷評にあずかっていたと思う。


こうした大西郷のような偉人は桁外れだろうが、江戸末期においては、それに準じた「赤心の志士」がごろごろいた。



吉田松陰は下級武家の杉家から吉田家に養子に出された。
彼の叔父に玉木文之進が居る。
玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた人物で、世に松陰が松下村塾の開講者と誤解されているが、叔父の文之進がその人である。

松陰は3歳位から文之進の薫陶を得て育った。
クワを持つ百姓仕事の文之進、その田んぼのあぜ道で、論語を素読する松陰。
松陰が藪蚊に顔をさされて、ほっぺを叩く。
すると文之進が、クワを放って松陰に近づくなり、横っ面をなぐりつけた。

「素読を止めて、私心に浸るとはなにごことか!」

蚊にさされて顔を掻く、三歳男児のそれだけでも、私心とどなられて松陰は育った。



幕末・明治の「私心なき心」その底流は、父や母の家庭の徳育や、教学の師からの腹に響く薫陶ではないだろうか。


隆盛ら「敬天愛人」をより拠として活きてきた古き日本人が、そのまま現代にまかり越したとしたら、世界は相当変わっていたでしょうね。

日本発の、世のため人のためと母国を愛する心が、総じて地球を愛する心に発展して、今日のような、地球環境汚染や資源の取りつくしのような問題も深刻にはならなかったのではないだろうか。





[品川阿那稲荷神社 天から頂いた命、それを感謝していただくことそれがまず第一です]




日本という「日出づる国」に住む気高い精神性の民族が、金も命も要らないとなると、
とりわけ当時1800年代から1900年初頭にかけての英仏露米のもくろむアジア全地域の植民地支配のしようも無い。


そうなると困るから、「民主主義」・「自由と平等」・「合理的精神」を明治の後半から大正、昭和にかけて日本に押し付けた。
「赤心や天命というヤマト精神」を希釈させ、支配しやすい口当たりのいい合理主義に導く。


長崎の武器商人グラバーは紛れも無いフリーメーソンで、グラバー邸は日本初の初代ロッジなのである。


彼らが押し付ける「民主主義」と日本の「神主主義」とは次元が違う。

言葉尻のいい「民主」にしても、腹の据わらない薄ペラな全体合意と過半数主義は、現実開拓に相応しない。


一人であっても素晴らしい正論、長老に従う日本的な叡智がこれまでの大和を支えてきた。


愚民は「民主」という歯切れによさに酔うだけだ。

人と人の個性差、得手不得手、記憶力の差、行動力の差が有る以上、平等はありえない。

ヤマトびとはその個人差、能力差をそれぞれに生かした村落社会構成をつくり、慈愛と互恵を一大前提として生きて来た。


自由と平等を唱えたジェファーソン第3代アメリカ大統領のご自宅には、黒人奴隷が300人もいたことはあまり知られていない。

それが「平等」の実体である。





[もう房総では、菜の花が咲き始めていますね]





「民主主義」「自由と平等」「合理的精神」の欧米化教育、そして戦後の道徳を離れた知識教育偏重が「私心なき心」を徹底的に捨てさせたと思うのです。


アメリカでも教育の場で見られるディベート(自己主張、自弁)は、あたりまえで、今の日本でも「キチンと自分の意見を言いましょうね」と父母や教育界も自己主張をもてはやす。



徳育とは逆に、周囲をよく見つめ、よく聴き、その真理を己の腹に納め、不動の自己を図ること。
そうした心の素養の育みである。


ヤマトのそれは、主張の前にまづ生死観から入る。

そのためには診る、聴く、考える、そしてそれに基づいて行動するを養う。
そして生き様をつねに鍛えてきた。


むしろ多弁は軽薄とすら覚えていた。



「恥を知る」それは個人が個人のこころの奥深く叱咤する「律心」である。


「私心なく」はは透徹して「天に生かされている」ことの自覚でなかろうか。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)日本人の魂を求めて

2010年01月31日

江戸期の金銭感覚




[大川橋蔵演ずる銭形平次はたしかTVのシリーズモノでしたね]




昭和30年代の初頭、「夕陽丘三丁目の時代」は、論者が小学校から中学校にかけての頃で、勉強そっちのけで、お小遣いのお金さえあれば映画に明け暮れておりました。


ちゃんばら好きな少年は、お小遣いを溜めては東映の時代劇モノをよく見に行きました。

ちゃんばらの東映モノがやっている映画館までは大分遠くて、小さい子供の足で30~40分くらいあったかしら。
それでも平気で歩いていきましたね。


大川橋蔵の「新吾十番勝負」や長谷川一夫の「銭形平次」などなどシリーズモノもよく見に行きました。

銭形平次の見せ場の投げ銭、これがかっこよかったですね。寛永通宝というやつですが、大人になって考えてみると、どうも一文銭ではないようですね。




[寛永通宝 一文銭]






[寛永通宝 四文銭]





丸い中に四角の穴があいて、裏に波形の模様がある。
それで波銭とかも言ってましたが、当時一般に通用した四文銭(おおむね寛永通宝)が平次の投げ銭のようです。


寛永通宝の一文銭ですと軽すぎて、遠くまで飛ばない。
ですから平次の使った投げ銭は、小説家 野村胡堂によるイメージは4文銭だと思います。



平次が住んでいたのは神田明神下、その神田明神に行かれますと、境内みぎ手に平次の墓といいましょうか、碑がございますよ。





[神田明神の平次の墓   JR御茶ノ水から北へわずか数分のところが神田明神。この明神様入り口の甘酒やさんはおススメですよ。なんといっても蔵出し甘酒なのです]



先般、「武士の家計簿」という書を出された、磯田道史さんのお話では、当時の一文は平成二十二年 今の価値では50円くらいだそうですね。


一文は、約50円、銀一匁(もんめ)はおおよそ3300円。1000文が15匁(銀)になります。

当時の江戸界隈では、「そば」のお値段が16文平均ですから、だいたい800円。
いまでいう立ち食いですね、路地裏のおやすい「素うどん」が4文から6文くらい。
ですから200円から300円くらいですかねえ。


江戸人は平均して一日に酒を10文つまり500円くらいアルコール代に使ったそうです。
タバコ代に3文(150円)をつかい、そして髪結さん(美容院)には結構足繁く通ったようです。


髪結いに2~3週間には一回行った結構オシャレな人種ですね。
それで一回が銀一匁つまり3300円。
まあ今の感覚と同じくらいかしら?


でも回数が多いような気がしますよね。

男性は月代(さかやき)を剃るので、自宅で奥さんにかみそりを当ててもらっていたようで、髪結さんには主として女性が行っていたようです。


農家、町家、商家、武家様々でしょうが、平均して子供1人の年間教育費は50万円(銀150匁)から、ハイクラスでは200万円(600匁)くらいだったそうです。


結構教育費が、かかっているのですねえ。
つまり日本人は、昔から子供の教育意識が非常に高かったといえるのですね。


ですから300年前は、日本が世界で最も教育レベルが高かったのではないでしょうか。

江戸時代の文盲率が50%で、世界の文明大国といわれるイギリスの文盲率が90%ですから圧倒的に教育水準が高い。

日本の植民地化の下心で江戸期に来た諸外国人は、一般庶民が高札を読む姿を見てビックリしたそうですし、武家の小さい子供が道々、論語をそらんずる風景を見て、これは侮れないと意を新たにしたようです。



日本は昔から教育費には大分お金をかけていた、そうした人を育てる歴史文化だったのですね。   

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)日本人の魂を求めて

2010年01月28日

 龍馬よ蘇れ

   



[坂本龍馬 :なぜこの写真に大きな机があるのかというと、当時の写真は露光に長時間がかかりますので、静止のためのもたれかかりのためだったそうですね]  



    

今年からNHKの大河ドラマで福山雅治主演の「龍馬伝」がスタート。
余りにもかっこよすぎる顔立ちのいい坂本龍馬に、いささかの違和感を感じないでもありませんが、評判ですね。

若い女の子も、もちろん高知も長崎も龍馬ブームに沸いている。



龍馬の魅力は、図抜けた行動力と発想力。

会社という概念が無い幕末j時代に、他人の資金で会社の原型(亀山社中)までつくってしまう。


でもそうした行動能力は、現代人が必ずしも劣るとは思いにくい。



問題は、いつでも死ねる。明日にも死ねる覚悟があるかどうか。
そこがまるで龍馬と現代人は違う。




最近では、封建主義の代表とされてきた「武士」が見直されてきました。

山本周五郎や藤沢修平といった時代物作家の、「雨上がる」という寺尾聡主演の映画や「武士の一分」という木村拓也主演の映画が以前ヒットしましたね。

これも鑑賞しましたがハリウッドからトム・クルーズと渡辺謙 主演の「ラストさむらい」が来ました。

これらのモチーフはいづれも「侍の魂」です。
サムライ映画のヒットは、魂の抜けた日本人には、死を覚悟した中に武士の一分、仁と義をを通す波動が、現代人に残されている血脈に、少なからず浸透したからでしょう。


「武士」、その生き様の根底は、金でなく道義、道徳、心の気高さがが何よりの価値基準でした。


現代はホリエモンに代表されるように「金さえあれば人の心も買える」風潮ですから、心よりもモノと金、体主心従の価値観。


往時、士農工商という身分制度はあったものの、士は総じて商より貧しく、困窮暮らしの上に、志が高い。
年収が三両一人ぶちの侍のことを俗に「三一(さんぴん)」といいますが、今の年収にして凡そ100万円を下回るのです。

しかし志の卑しさを嫌うから、農民や商家からも寺子屋の先生や書画の教師としてまねかれました。


比較的 高給取りの旗本でも冬場でも暖をとることはなかったのですよ。
つまり火鉢やコタツなど無いのです。もちろん床暖房もファンヒーターもありません。
大名の世継ぎですら幼児期からそうした教育生活であったそうです。




 幕末に来日していた英国人が江戸市井を見て仰天したそうです。
彼らは植民地政策が来日の狙いであって、無能な土着民を教化するという大義名分で日本という野蛮国に乗り込む。
ところが乗り込んできた当の英国人の日本人観は次の二点であった。

① 武士のカネで生きない潔さ 
② 一般民衆が立て札を読む教育の高さ(英国の文盲率は90% 日本のそれは50%)







[およそ国民の半分が、このような高札をよんでいたのです]





時代は150年ほど経って、カネが全ての行動基準、汗水たらさずマネーゲームで一攫千金に血眼という日本の気風と相成る始末。


小学生がトレーダーの訓練をするという。

もしそれが義務教育とでもなろうものならとんでもないことだ。
そんな年で子供からの国際人化でも、経済の勉強でもなく、金儲けの亡者を育てることしかならない。


自国の文化を読み、書き、愛せる基礎がまづ必要でしょう。
自国の歴史を外国人に話して、はじめて外国人から尊敬の対象となるのです。


日本人の心から、150年かけて徐々に徐々に、「民主主義」、「自由と平等」そして「合理的精神」をあたかも正義のように注入して、神意識を無意味なものと洗脳していった。


その犯人は欧米の物質合理主義と、それに迎合した日本の一部の政治家たち。
挙句が、リーマンショックでただ慌てふためく、腹の据わらない人種を育てていった。

「世のため、人のため」という私心を捨てた、私たちが本来もっている天津霊継ぐ「霊主心従体属」に平成二十二年は、一気に突入するでしょう。


「魂の本質」に否が応でも気付かされる、「神仕組み」が次々と現われるでしょう。

坂本龍馬という、その天翔ける武士をとおして、TVの茶の間からも魂の本質を磨かせてくれるでしょう。

日本龍馬よ蘇れ! 今年はいたるところに飛龍が翔ぶでしょう。  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)日本人の魂を求めて