2006年12月31日

もうすぐ除夜の鐘

 2006年のサトルエネルギー学会の大きなイベントといえば秋の大会だったろうか。
『西と東の魂の響き合い~サトルな意識が世界を繋ぐ~』を大会テーマとした。
 テーマが「響き合い」だから和太鼓の響道宴さんと、西の文化と東の文化を繋ぐ舞を、
板倉リサさん、山崎雅子さんにオープニングを飾っていただいた。 


特別ゲストに米国サトルエネルギー医学会(ISSSEEM)のクリスティーン・ペイジ会長、
イギリスから音楽家のティム・スインギュラーさんをお呼びした。
ペイジ会長はご覧のように美人で実に爽やかな方だった。


(お隣はご主人と、帶津良一 サトルエネルギー学会会長)


ペイジ講演の趣旨は、
①病、痛みの細胞は、心の全てを知っている 
②だから細胞に謙虚に耳を傾けよう 
③心の歪を戻そうと細胞さん達は必死になってデトックスしている

この大会の花は東西のサトルな両会長が相まみえたことだ。
アメリカでも見えない意識や、その奥に潜むエネルギーが医療に
深く係わっていることを研究するグループは実に多い。
気功やレイキ、ハンドヒーリングほか目には見えないけれど肉体と深く関係する。

そういった事象を科学的にエネルギー場としてとらえ、
そこに作用する微小なプラスのエネルギーを「サトルエネルギー」という。
物質医学はもう限界を見せている。人間機械論から、
心や霊性をも踏み込んだ人間丸ごと医学がこれからの本物医学ではなかろうか。

サトルエネルギーとは「愛のエネルギー」、「いのちのエネルギー」と同義だと
ペイジ会長に押し付けてみた。
「愛」や「いのち」が見える現象物質科学の根底にあるからだ。


“Oh Wonderful!”とペイジ会長が義理にも言ってくれた。

サトルエネルギー学会は11年前に東京大学名誉教授 大島正光先生によって設立され命名された。
それが今や共通語としてアメリカもヨーロッパも東洋も「サトルエネルギー」、
あるいは「サトルな意識」と言い合えるようになった。
ネット検索で欧州、米国ともにSubtle-Energyと入力すれはそれぞれ数万件は検索される。
この「共通する言霊」が西と東の文明文化、その融合へ向けての切り口になっていくだろう。

もうすぐ除夜の鐘。
誰しもが愛と調和と、いのち溢れる地球を願ってやまない。
「悟る(サトル)な意識」が地球を救う。

2007年 「サトルエネルギーを連呼して、
まずはこの日本から確とした「サトルな意識」を発進していきたい。  続きを読む

2006年12月29日

皇紀2666年の足跡

フォード 米国元大統領が93歳でお亡くなりになった。
ニクソン大統領の後をついで灰色の米国の中から、1974年来日した。
論者の長女が誕生した年なので良く覚えている。


華やかな宮中晩餐会でのフォード大統領。
まるでマッカーサー来日を思い起こすような巨人の感覚すらもあった。
しかし当の本人の後日談では、昭和天皇を前に足がガタガタして震えていたという。
そんな話は、マッカーサー元帥も後日談として同じような話が残っている。
他の敗戦国の元帥に見られるような責任回避は、昭和天皇には毛頭なくその潔さを誰よりも評価されていた。
そのマッカーサー自体、天皇をGHQ、日比谷の第一生命ビルに迎えるに相当びびっていたという。

米国ではロイヤルがない。このためロイヤルに対する文化的憧憬が強い。
欧州でも、商売人の長者番付よりも、はるかに血筋や洗練された精神を尊ぶ。
この辺りは日本人が当たり前のように天皇家や宮様の動向に接するよりも過大だ。
だから外国人にミーハー的な話をするより、文化論で接するほうがはるかに信頼される。

なおさら万世一系という日本天皇に対する欧米の見方は、日本人のそれをはるかに越える。

英国ロイヤルも400年前は海賊である。
そうした戦いの精神文化風土にあって、日本とはまさしく奇跡の国であろう。

今年の初めまで愛子様にからむ、女系天皇問題が取りざたされていた。
諸外国の皇室制度にならえ、ましてや男女同権といえば女系天皇賛成は時間の問題だった。
日本でも過去、女性天皇は数名いたが、いづれもワンポイントリリーフで、全てが男系天皇である。
つまり、今上天皇のお父さんの、そのまたお父さんの、お父さんというように、お父さんをたどれば神武天皇に突き当たる。これが男系天皇である。

天皇(男)は宇宙シャーマンである。

天地のつなぎと民衆の指導、政事をおこなう。つまり縦の関係を調律する。
皇后(女)は、愛と調和の横広がりの至誠と慈愛のサポート、つまり横の関係を繋ぐ。


こうした日本の大霊体の根幹が揺るぐと、雛形としての日本の姿が歪んで、世界に波及してしまう。仮に愛子さまが青い目の青年外人と結婚されて、その子が後の日本国天皇になっても日本人の心は本当に許容できるだろうか。


日本神界は、皇紀2666年、6の三重ね、ミロク(369)の年にやはり男子をご用意されてくださった。  

2006年12月27日

天災則人事

その昔、阿部清明や和気清麿らといった陰陽師がいた。政策や自然現象の吉凶判断や農事の種苗時期、取入れなど星辰・気象学からも皇室や高級官僚にアドバイズしていたようだ。中でも重要なのが天皇ら国家中枢人物の病平癒や、寺院建設など一大事業の無事加持祈祷などである。かれら陰陽師は、森羅万象の大自然と人間界との密接な関係を陰陽の法則として大成していたと思える。とりわけ大地震や落雷、嵐、これらの重大災害は時の施政の欠陥がもたらす現象との認識であった。ゆえに中国大陸でも、わが国でも、天変地異は天子皇帝や百官の悪政による結果であって、このために政権が崩壊していくことすらあった。大自然災害と人心の荒廃は直接的なエネルギー等価の関係であって、陰陽師ならずとも当時の人々には天災則人事、つまり自然災害は悪政の結果や、人心の卑しさから来ることを根強く信じていたのである。
今の時代もかわりなく、大地震や大きな災害は人間が放つ悪想念エネルギーが基本原因である。科学万能の時代には見えない心や霊的現象は科学の対象外とし、見えるものだけを取り扱ってきた。ゆえに災害と人意識とは無縁のものとされてきた。人間が撒き散らす負のエネルギーを、地球ガイア生命体は自己治癒のための悪寒、発熱現象で振るい落とす。今日の科学信奉の時代よりも大昔の人々のほうが、自然にやさしく、自然に感謝し、かつい敬い、恐れもし、大自然と人心の切り離せない一対同軸の関係を築いていた。今の人間は見えるものしか相手にしていない。だから、お年玉をもらった子供達の「ありがとう」はそのお金に話しかけている。お年玉を差し上げた、見えない人の心に「ありがとう」とささやいてもらいたいものだ。  

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2006年12月26日

ヒトDNAは神様の下されものという村上和雄先生

写真の女性はあまり人前に出られない村上先生の奥様です。

サトルエネルギー学会では過去3回、村上和雄先生を特別講師にお招きしている。それは科学者の立場を踏まえながら、見えない意識論をユーモアたっぷりに、かつ分かり易く、見えない命を大事にするヒトとしてのあるべき姿を毎度提案されるからである。
村上先生のお話には毎回感心させられるが、先生いわく『下世話に言う「子供を作った」なんていうのは人間の傲慢ですよ』という下りがある。せいぜい受精卵までは夫婦の協力でいいとしても、それが母体の中で38億年の進化の歴史を、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と進化させる仕組みを作ったのはとても人間業ではない。それを我が物顔で「子供を作った」とは気安く言えないはずである。
人間の34億のヒトゲノムは2000億分の1グラムで60兆個全ての細胞の中にそれが全て刻み付けられている。34億の遺伝情報は1000ページの百科事典にすると1000冊あまりになるという。それがぎっしり、ひとつひとつの細胞に入り込んでいる。またヒトゲノムの構造はノーベル賞級の学者も、原宿でたむろすミーハー族も99.9%変わらず、天才かボンクラかの違いは、わずか0.01%のDNAがスイッチオンしているか、オフのままかの違いだそうである。
巨大コンピューターを駆使し数10兆円投入しようが人の手では髪の毛一本、大腸菌一匹作れない。それを母体の中では38億年の歴史をおよそ38週間という超猛スピードで胎内にて人類進化の歴史を展開し、『おぎゃあ』と新しい生命が生まれてくる。
母親の胎盤を通じて胎児に養分補給されるのだが、お酒が好きだからといって1時間の飲酒は、体内の進化の歴史に換算すると600万年に相当する。つまり胎児は600万年アルコールにつかることと同じになる。タバコの1分間の喫煙は胎児にとっては10万年ニコチンに晒される期間に相当する。
 こんな高度な素晴らしいヒトDNAは一体誰が作ったのかということだ。もちろん創造主しかありええない。村上先生は「こころとDNAの関係」というところまで追及されている。  

2006年12月25日

ほんものセラピスト

神道気功舞の朝日舞さんのお噂はかねがね聞いていた。その気功舞を目の前にするだけでも腰痛や、背中の痛みが消えるという。

写真は伊豆多賀での勉強会での2ショットシーンであるが、神道気功舞の細部をお尋ねした。朝日さんは出産により体調を壊し瀕死に至る中で「気功法」と出会い一命を得たという。さらに伊勢神宮とのご縁をいただき「本来の日本人の霊性とは何か」を問われ、背骨や骨盤の歪みを瞬時に調整する能力を体得したのだそうだ。霊性を高める為に必要な基本が「真直ぐであること」であり、それが人体の健康と直結している。天啓から得た健身術が、新しい祈りの舞い「らい楽以ぶ舞せらぴー療法」だという。それは脳を活性化する働きがあり、直観力やひらめき力が高める。かたち、呼吸、イメージの三位一体となっており、わずか5分間の中で「人間の一生」を体験していく。
その細部は朝日気功会事務所に問い合わせいただきたいが、サトルエネルギー学会でも、年明け3月25日の「春の大会」(イイノホール)での出演をしていただくことに早々とご了解いただいた。会場にて数名のお弟子さんを交えた気功舞で700名の会場全体にヒーリングをしていただく。
地球の環境保全と未来を託する子供達の為の活動の一部としてカンボジアに小学校と中学校を建設している。船井幸雄先生も絶賛の「ほんものセラピスト」。  

2006年12月24日

感謝と感動の号泣こそ「病からの解放」

石原克己 サトル講演からのポイント
プロフィール: 
(有)東明堂 石原鍼灸院・漢方薬局代表取締役、日本伝統鍼灸学会理事、日本刺絡学会副会長、東京九鍼研究会代表、東洋鍼灸専門学校・東京衛生学園講師
漢方・鍼灸・ハンドヒーリング等を使った臨床、心の解放の為のアプローチ、健康講座…等を通じて自己の本質への気づきを促している。

<要旨>
 細胞一つ一つの中に一千億以上の生命のプログラムが入っている。細胞たちは細胞群として一定の働きをしている。その細胞群の動きは、中枢である私たちの意識で決まる。私たちが非常に楽しく明るい気持ちで居ると、細胞たちにもそのエネルギーが流れるから、免疫力が上がり、快活となる。ところが人生はつまらない、何で私はこんなに悲しいのかといった負の気持ちになってきたとき、細胞たちもその負のエネルギーに染まる。
基本は心のあり方である。心のあり方をどうするかによって自分たちの生活が変わって、生き方が変わってくる。風邪をひいてもお腹を壊しても、腰が痛くても、癌を含めて、「病」は自己治癒の発動現象であり、バランスを元に戻してくれている。それを心の深いところと結びついて細胞たちがやってくれている。
自己治癒力が過剰過敏値になる場合がある。心の深いところに何かに対して凄い恐れを持っていると、これがすごい反応をしてしまう場合がある。本来だったら10の反応を示せばよいのに20、30という過剰反応を出す。その過敏な反応、「恐れ」を抑えることも大事だがむしろ「恐れ」の元に向かい合って、それを解いていく。それを掘り下げ恐れの真の原因を明らかにすることで病因は消えていく。これは癌もそうだし、アトピー性疾患はほとんどこれが絡んでいる。
末期癌の人のように大病に出会った人は、おおむね霊的真理に目覚め、「生かされている」ことに気づかされる。「本当に生かされている」ということがハートで判った時、皆の前でも号泣する。病が劇的に好転するのはこの感情開放だけである。ところが女性よりも男性は人前で泣くことに抵抗がある。しかし感情の解放、感謝と感動の号泣こそ霊的なアセンションでもあり、そして病因の根本的な解消なのである。  

2006年12月23日

【自由と平等の詭弁】


人はその意識によって、鬼畜にもなり、気高い愛の存在ともなりうる。侵略・破壊という結果の、その発端は、「他よりもワレが!」である。奪い合えば不足するけど、分かち合えば足りるということを遠く国家レベルで無く、原点の自分レベルで実行することが本当だろう。些細な欲と執着、その見過ごしが建前と詭弁で補強されて、いつしか正論ともなってしまう。それが戦争という同じ過ちを繰り返してきた大元だろう。ここに『われ神なり』という確とした宣言・翻然たる決意を持たないと人類の未来は無い様に思える。
アメリカは自由と平等の国といわれ、それはトーマス・ジェファーソンによって宣言された。「自由の女神」は、まさしくアメリカを象徴し、その響きは一見かっこいい。だが自由とは強いられた隷属からの解放・Freedumをさす。アメリカのような物質合理主義社会では、GDP増大の活動が正義であり、消費社会は善である。だから卑怯なまねをしない限り消費の拡大は自由でかつ活力ある社会的行為とみなされる。
1783年 米大陸権益を英国から勝ち取ったアメリカは、それをFreedumと叫んだ。福沢諭吉はそのFreedum を「自由」と訳したが、日本人の自由とは、いつしか「心の自由」まで拡大解釈されていってしまった。登校拒否をするのも個人の自由、渋谷で援交するのも女子高生の自由、「いじめ」も見て見ぬふりするのも自由というように勝手放題をさすようだ。ちなみに自由と平等の国を宣言したのちの米国第三代大統領ジェファーソン家には黒人奴隷が100人も居たという。
平等もまた、物質合理主義の中の「比較」に由来する。比較してモノが多い少ないという羨望や期待感が心の裏側にある。だが本来、心の中心、魂の原点には「比較」は無く一切が感謝なのである。万物一切が「融合融和」であり、「己であり彼」なのである。
都合のいいモノを視点にした自由や平等こそ物質合理主義の詭弁である。物質経済の渦中にあって、見えるものだけを生きる価値にして、人生の本位が見えないから、声高に自由と平等を振りかざす。 構えず自らを律し、神我を信じ感謝して生きることが肝要である。小さな欲だから、世間様にはさほど大きな影響はないと思いがちである。だが物質合理主義という社会の波に揉まれていると、いつしか小欲が侵略まで肥大する鬼畜化には気付きにくくなる。欲の未達が怒りに転ずる。「怒り」は心の奴隷と書く。
大西郷遺訓に曰く『人を相手にせず、天を相手にすべし。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざる所を尋ぬるべし』と。欲も希望も意識の中味であるが、その欲が純正魂(神我)に照らして是か非かで判じるべきではないか。この魂レベルでの物事の是非や、行動の指針を判じる修養こそが「ヒトが生まれいでてきたその人生の意義」なのである。
アメリカの自由とは物質欲の拡大の自由と聞こえてくる。だが本来自由と義務とはセットなのである。地球上の義務なしに経済繁栄したそのアメリカの精神に、日本人が見倣うことが先進的で、あたかも自由=正義とも聞こえなくも無い。だが本当に大事なのは見えない神我の発露である善意識なのである。
霊(ヒ)の民族、日本人は「自由の女神」に騙されてはいけない。物質競争の自由を助長することが本位であってはならない。いたわりと慈しみが人間の本位である。本当の自由とは神なる魂、愛や調和や祈りという万民善のための選択肢と行使の自在性なのである。そうでなければ自由の名の元に世界は資源の収奪競争に傾いていく。
「我欲と執着」を隠して方便を駆使すると、人類は地球上の野獣以下の鬼畜になる。見えない意識の中身にこそ、「神」と「鬼畜」の混在があり、魂がその区分をしかと線引きする。これまでの戦争の歴史は、動物ではもちろんなしえず、「ヒトの鬼畜意識を伴った物質合理主義」がその入り口で、結果が侵略、収奪、破壊なのである。   

Posted by suzuki at 00:05Comments(0)TrackBack(4)神泉界

2006年12月22日

いのちを考える講座

大学院の教授でしかも、実は気功の達人でもある東京工業大学 樋口雄三先生とお話をする機会を得た。教授室にお伺いするとギッシリと医学系の書物がならべられていた。そう、工業大学なのだが先生の講座は、医、細胞、いのち、そして生命科学といった講座だ。かつて学長から人間の本質論について、好きなように講座を開いてほしいとのことで神経内分泌免疫学が専門の医学博士が東京工業大学にやってきた。今では学生さんが、100人以上も講座には集まるらしい。樋口先生と私との会話には魂、霊性、死後、憑依、ヤマトという言葉が飛び交う。病の半分は霊障であって、高次元医療を真剣に考えないと医学は行きづまる断言する。院生はじめ、多くの学生が、「いのちの本質」をまじめに考え、自分だけと思っていたいのちが、神様からの預かりモノだということに頷き始めている。知識の詰め込みだけの大学教育と思っていたが、こうした素晴らしい大学もあることに心が躍った。おまけにナント教授室で鍋を囲んでビールで乾杯までしてしまった。

写真の白服の紳士が樋口先生。左となりのひげ親父が論者。(サトルエネルギー学会 秋の大会懇親会にて)  

2006年12月22日

【人類だけが地球を破滅にも楽土にも導ける】


人間という「神さま」の子孫が64億も住んでいる地球上にはおよそ3000万種の生命種が居るといわれる。土壌菌は1グラム当たり10億もいるし、人の口の中の口内菌は1000億も棲んでいるそうだ。草花は、その菌群の棲家である土壌から変成した養分で育ち、動物はその草花を食べて生命種を維持・存続させている。さらにその動物群の上位に約64億の僅かな人類が君臨している。
ピラミッド構造の底辺に膨大な土壌菌類が、その三角形の最底辺のすぐ上の階層にこれまた繁殖力の強い草花が分布し、さらにその上の階層に動物群が生息し、ピラミッドの頂点にごくわずかな人類種が、たった64億人が住んでいる。
地球上には、もちろん動物同士の食い合いもある。しかし肉食動物のそれは空腹を満たすだけの食い合いで、片方の生命種をいたずらに絶滅することは決してなく、穏やかな種の保存と生態系の一定のバランスを維持している。
この水の惑星、地球は生命に満ち溢れ、食い合いはあるものの穏やかな生命環境を作り上げている。意識して他方を絶滅に追い込むことは、人間以外には一切無い。意識して他を誹謗し、意識して他を騙し、意識して他を徹底して破壊することは人間種しかやらない。
地球上のガンとは従って、人間種だけと断じることが出来るのである。
振り返って、前号申し上げたようにヒトは一切を救う愛の存在、「神さま」なのであるが、その意識の向けよう一つによって野獣以下の存在と成り下がる。  

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2006年12月21日

神様である私たち

【神さまである私たち】
私たちヒトが、神さまであるという論証は大きく分けて三つある。その内の一つは「自分の心には嘘が付けない」ということである。外に向ってどんなに汚い言葉を吐こうが内なる心には神聖であるが故に汚い言葉を投げつけることが出来ないようにできている。もう一つの論証は自分を作った両親の、そのまた両親というように自分の大本のルーツを遡れば、とどのつまり生命の本源である神さまにつながるということだ。従って、生命の本源の神さまからズッと時代が下ったこの世代に、私たちが生かされているということになる。最後の論証は、私たちの体、60兆個の全細胞に生命の暗号、高度なDNAがぎっしりと詰まっているということである。このDNA一つで精妙な生命体を造り上げることができる。生体細胞はおよそ一秒間に数万の生化学反応を行っているという。つまり一秒間に数万×60兆というすさまじい化学反応が体内で精妙に行われている。細胞の新陳代謝は常に変わることなく心臓ならその同じ場所に生まれ変わり、他の60兆個の全細胞と連動し情報を交換しあっているという想像を絶する生体システムが、わが内にあるのである。  
どんなに科学が発達しても、スーパーコンピュータを数台つなげ、数兆円の開発費につぎ込んでも人間は、髪の毛一本、人工的に作ることは出来ない。この38億年の生命の営みが刻まれた神の設計図DNAを、ぎっしりと体内に60兆も持つ私たちは、固有名詞の鈴木さんや佐々木さんでは無く、あなたは誰かと訊かれれば、正しく「神さまです」と答えるしか無い筈である。  

Posted by suzuki at 15:00Comments(0)TrackBack(0)神泉界