2007年04月29日
霊は寂しい?
憑依霊は同じ思念を持つ方の心に同調して、スット入ってイタズラをする。
そもそも自分が死んでいることが分らないから、冥土行きの列車に乗り込むことができない。
自分が死んだところや、強い執着のある場所やモノにとどまる。
親しい先輩である寺山心一翁さんがアメリカのリンカーン記念博物館に行ったその晩のこと。
夜中に相当高熱を出されたそうだ。
寺山さんご自身癒しの先達者のような方だが熱と違和感の原因が不明。
数日間不調を覚えていた後日 東京の靖国神社にもうでたときに、その奇妙な悪寒がサッパリと取れた。
そこで心に腑に落ちたそうだ。
博物館で見つけた旧日本軍の遺品、其処にいた霊気に日本に一緒に帰りたいと縋られたのだろう。

当時の軍人さんは誰しも『靖国で会おう』を合言葉に戦地に散っていった。
それが60年経って、靖国神社に連れて行っていただいたという訳だ。
論者も時々 黒い陰やらを鎌倉辺りでは多く見かける。だが先方はススット逃げてしまう。
こちらも『君子危うきに近寄らず』ということで、それ以上の追いかけはしない。
だが憑依霊は基本的には寂しいのである。人に認められたい気持ちで一杯で取りすがる。
誰しも「認めてくれよお」という潜象の意識を持っている。
ところが死んだことが分らないで土地に執着して、「認めてくれよお」「寂しいよう」だから
縋りつきやすい生身の方に寄ってしまう。
穢れ地ほか直感で妙な波動がきたら避けたほうがいい。
やむない場面になったら、意乗りあげてやるしかない。
言霊で「こんなところにいても何もなりません。その素晴しい魂をもっともっと磨き上げてね。」
「素晴しい光の場所に笑顔の仲間が待っているんですよ!」そ
して天に向かって光のベールを呼び込んで包むようにしてみよう。

だが基本的には、そうした場面は避けるべきである。
また「塩」を常に身につけていると良い。
加えて病院ほかそうした黒い想念うずまく場から自宅に戻ったら一番、手洗いの励行。肘から手先まで時間をかけて意識とともに洗い落とそう。
2007年04月27日
築地 八千代寿司

無目的に歩いて適当なお食事処に飛び込むということはないのですが、
家族連れで夕暮れの築地界隈を歩いてみた。
築地には、大晦日の買出しにお付き合いする程度でめったに参りません。
築地のおすし屋さんにでもと思い立ち、プラッと日曜日に出かけました。
休日営業は少なかろうと、築地交差点界隈をのぞくが、いたるところが「おすし屋」さん。
築地場外市場を歩くと、ひと目、15~16軒はフル回転。
中にはお安めの回転寿司もあってなんと、50人くらいが外で行列待ち。ギョギョ


何軒かをやり過ごして『築地 八千代寿司』へ、ゴールイン。
さほど大きくはない店舗で、カウンターが15人くらいか テーブル席が20脚くらい。
店長お任せコースで3600円。
単品もチェックシートにチェックをつければ何でも もってきてくれた。
オオトロ炙り3巻 900円というのもお手ごろだ。
論者は「すずき(酢好き)」だからお寿司が大好き。
おまけにいつも頭も光っているから「光モノ」が大好き。

光り物刺身で1000円チョイだったか?
お値段的には、大衆回転寿司屋さんの二倍程度かな。
コハダ一貫で120円 程度。だが普通のお店とは圧倒的に鮮度と中身が違う。

つみれ汁は絶品。たしか400円位ですよ。
たまにおすし屋さんに行くなら『築地』はいいですよ。もちろん予約ナシで何処もオッケー。
そうそう5月4日 (金) 午前10時から 築地場外の店舗 276店舗が半値市。

もちろん食べ物、喫茶、魚介類、乾物、食器類まで。
お時間あれば、これはオススメものです。
2007年04月25日
ガン体質?

ガンにかかりやすいヒトといえばヒトコトで言って『いい人』だそうだ。
他人から見て頑張っている自分。めげない自分。へとへとになっても働く自分。
でも細胞さんや内臓さんには申し訳ないわね。
ヒトから見た自分で生きるよりも、自分で自分を楽しく輝いて生きることのほうが
より細胞も生き生きするはずだ。
宗像先生もそのようのお話されていた。
もう少し突っ込んで、宗像先生の話を聞くと『自分に厳しい人、ときには自己嫌悪に陥るかた』がどうもガン体質のようだ。つまり自分の意識で、自分の細胞をいじめているということになる。
心臓疾患の最も少ないエリアの調査したアメリカ厚生省の調査では、菜食主義で禁酒禁煙の高邁な宗教集団のモルモン教徒らの片田舎かと思ったら違う。なんとワインを存分に楽しみ高カロリーでも何でも食べ、そして人生を謳歌する「イタリアーノ部落」が優等生地域だそうだ。
心疾患でもガンでも、とどのつまり「イキイキとしている」ことが「身体の健康」の決め手のようだ。


宗像先生は阪神大震災、ペルー人質対策などの被害者のメンタルケアを行ったことで著名。
著書に『行動科学からみた健康と病気』『自己カウンセリングで成長する本』『ストレス解消学』
『燃えつき症候群』『自ら愉しむ人間のすすめ』など多数ある。
なかでもSAT療法という非常にユニークな療法がある。
簡単にいえば人に進化する前の例えば「両生類の自分のとき」の「いやなイメージ」を思い出す。
それも簡単な色と形に置き換える。例えば「灰色のカラカラに乾いたレンガ」等々。
こんどはそれを好転させるカラーと形をイメージ。
論者で言えば「オレンジ色のやわらかいクッション」。
その好転イメージをこんどは一世代前の両親のイメージに重ねる。
例えば「お父さんに甘えて、おんぶされている自分」。
このように心因的な、しかも人間進化前の恐怖や抑制のブロックを見つめて、
そのブロック外しを現代にまで下すのだそうだ。
強いか弱いか?敵か見方か?という原生意識を、共生する愛の助け合いの生活次元にまで誘引する。
それがSAT療法だが、行動変容が良性DNAをスイッチオンさせるという。
宗像先生は「うつ病」ほか様々なジャンルでカウンセリング医療の実績を上げられている。
2007年04月24日
水の健康学

藤田紘一郎先生の連続講座「水の健康学」第2回が4月25日に開催。
副題は、「水で病気を治すウオーターレシピー」です。
藤田先生は回虫博士として著名なかたですが、病、水、心など多方面に渉ってお話をされます。
アトピー、ダイエット、脳梗塞などだいぶ水と関係しますね。
25日は 講演終了後に先生を囲んで懇親会を予定しているそうです。
懇親会ご希望の方は、当日でいいそうです受付時に申し出てください。
講演のご参加は下記にご連絡下さい。
TEL044-434-8877 FAX044-434-5327 水活性化分科会 主査 村田幸彦さんまで
1.日時 4月25日(水) 18時30分から20時30分まで
2.場所 三田福祉会館
地下鉄三田線・浅草線の三田駅
A9番出口から左方に徒歩1分
JR田町駅西口から 徒歩5分
3.講師 藤田紘一郎先生(東京医科歯科大学名誉教授)
4.今回のテーマ 水で病気を治す「ウオーターレシピー」
5.詳細案内 http://www.subtle-eng.com/bunkakai/mizukasseika/2007_02-08fujita.pdf
2007年04月23日
全ては繋がっている
居眠りしている一人の男性を、神の眼でそっと覗いてみましょう。
そしてレンズのようにグングン拡大してみましょう。
鼻の頭に小さな汗をかいているのが見つかりましたね。

良く見れば毛根が大木のように生えていて、さらに顕微鏡で大木の根っ子を覗いて見ます。
すると毛細管が大河のように流れ、その中に赤血球や白血球が泳いでいるのが見えます。
血管を通す河の土手の細胞は一つ一つが薄い膜に囲まれて、
其処にも羊水のような透明な細胞内水が満たされているのが見えますか?

この東京ドームのように巨大に見える細胞さんは人体に60兆個もあるんですって!
そう、でも細胞同士はどんなことがあっても喧嘩しなくて見事な調和が取れていますね。
細胞の中に染色体が見えました。もっと拡大してみましょう。
DNAというんですか、なんだか捩れた螺旋階段のようです。
もっとじっくり観察すると、一つ一つの階段がグアニン(G)、シトシン(S)、チミン(T)、アミン(A)という分子から出来ているようです。
これも全部、居眠りしている男性の体の一部なんですね。

ちぢこまった螺旋階段を直線に引き伸ばして60兆個の全てのDNAを繋げてしまうと、
地球から月にまで行ける距離となるんですよ。
DNAの一つの分子をもっと拡大してみましょう。見えてきましたか?
炭素、窒素、酸素、水素の原子君たちが。これも全部 あの居眠りしている男性の仲間なんです。
この原子君たちの仲間は計算によると人の体の中には1兆×1兆×2000個 位にもいるんですって。
一つの炭素君をもっと拡大してみましょう、国立競技場の中央にパチンコ球を置いて
トラックをケシの実の粒くらいの電子が、かけっこしているのが見えますか?
結構 原子ってスカスカなんですね。
パチンコ球を陽子というのですが、よく見れば中性子やら中間子やらなにか似たような姿形をしている方が陽子のそばで群れているようです。
おやおやその彼らも超素粒子というメビウスの形みたいですが、
超高振動で弦のように震えています。
その弦振動がつらなった巨大な振動のカタマリが原子なんですねえ。
振動のカタマリですからエネルギーとでもいえますね。
大きな意識波、そうその居眠りしている方の心の想いによってそナント
超素粒子の振動が影響を受けているようです。
もちろん素粒子もあの眠りこけている男性の一部ですが、
おとなりで本を読んでいるお嬢さんの体もおんなじ構造なんですね。
昨日、あの居眠りの男性が、「胃が痛い」というんです。
本人の感覚で痛いというんですが、胃が捻じ曲がっていたんですかねえ。
それとも細胞のどこかがおかしくなっちゃたんですか?
いやいや細胞を構成する原子が歪んだんですかねえ?
どうもその原子振動が、その方の不安とイライラの意識波動で歪んだようです。
原子振動がおかしくなれば分子もおかしくなる。分子がおかしくなれば細胞は歪む。
細胞が歪めば臓器器官は痛みを感ずる。どれがおかしくなっても、みんな痛さは共通に感じるんですね。
もちろん食べ過ぎや飲みすぎなどの詰め込みすぎで、ご本人の意識とは別に胃さん自身が降参することもあります。
人の大きさからミクロの原子、ナノの超素粒子振動まで秩序だった一本に繋がっているんですね。
マクロからミクロの秩序のうち、意識を含めて健全でない異常があると、
全てが繋がっているからその関係者がみんな苦しむんです。
居眠り男性を今度は空から見つめてまいります。うとうとしていたのは日比谷公園だったのです。木々や池や花や虫やそしてビル群があることから分かります。
もっと上空に飛んでみましょう。東京タワーも見えてきました。遠くに富士山も見えます。
人はケシ粒のように見えます。一気に3000m上空に行きますと澱んだ東京湾が見えます。
血管のような利根川や江戸川やハゲ山のように虫食いになった造成地も見えてきました。
もっとグングンと高度を上げると今度はお隣、韓国や中国大陸も見えはじめました。
揚子江は赤茶く、森の緑はまばらで気流のせいかスモッグのせいか下界はチョットかすんで見えます。

月近くまで高度を上げますと「青い一つの地球」が見えます。
この一つの地球の中で略奪やら差別やら、飢餓、貧困、レイプが起こっているとは信じられません。だってこの青く綺麗な一つの地球は、人体の細胞と同じようにケシ粒の人間以外は見事な調和が保たれているんですから。
もっと地球を離れてみると、太陽系惑星群と銀河の仲間達が見え始めてきました。
そう!人体から浮遊して宇宙に飛んでみると、
自分も日本も地球も太陽も一本に繋がっていたのが見えるのです。
私は宇宙の仲間。地球は私の家。そしてケシ粒のみんなは私の仲間です。

ミクロの素粒子からマクロの宇宙までみんな一本に繋がって、たった一人だけ居るんじゃなくて、みんな一本に繋がって生かされていたのです。
自分の中の肉体小宇宙も喧嘩も奪い合いも無い、自己主張の無い細胞さんたちに支えられて調和を保っていた。

大宇宙も、私という一人の存在を宇宙の一員として受け入れてくれていた。
だれも彼も万物が一緒で、みーんな大宇宙・大調和の絆の中に組み込んでくれていた。
2007年04月21日
心の自在性
実利の親の背中を見て育ってきた子供達。
しかも両親の自尊心で無理やり塾に行かされ、競争に打ち勝てといわれつづけてきた子供達。
やがて思春期の彼らにとって大人世界からの忠告には「関係ね-や!」。
抑圧された意識が道を変え、分離意識の道筋を辿ろうとする。
礼を失い、言霊の乱れた子供達には、礼の本質である見えない心や、
言霊の本質である見えない魂のバイブレーションなど非現実にしか映らない。
やがて「同情するなら金をくれ」、「援交やってなにがわるい。自分の体は自分の勝手」、
「アンタ勝手にやれば! 私は私だよ」、・・・・・・・。

戦後、日本から魂が抜け落ちた。
それは、合理性と自由が輸入されたからだ。
合理性とは物質経済競争を「一人勝ち」するための標語。
自由とは「拘束のない個人行動の自由」が進んで「野放図な自由」ともなった。
目で見て、手で触れられる現実一切が真実で、モノと金と肉体が全てだから、
「私のもの・俺の金・あたいの体」に絶対的価値がある。
そして金権の偶像 ホリエモンがヒーローとなった。

だが本来の自由とは『他人に指示されないで、自分自身の進路を拓いて行く自在性』である。
もとより「心の自在性」を指す。
何で楽しい?という質問に、その答えの奥の奥、自分の心の内側に意識を殆ど向けていない。
何故だろう、どうしてだろうと心の深みの中から、慈しむ心の存在、それを糧とする克己心の存在。
さらに愛や調和や進化の心の本質を存在させているもっと大きな存在がみえない。
自分の心の内奥に意識を向けず、その受けた・張ったの表層的な現象現実世界。
その表層のモノとヒトの寂しさ憎さが、突発的衝動事件を引き起こす。
ゴマンと膿み出された家庭内殺人を含む社会事件。新聞紙上は犯罪に埋め尽くされた。
人生の目的を忘れて、物質世界のみにうごめく亜人。
そして心の内奥を見つめて神化へと進む神人。
この2007年 二極分化は 急速に進む。
新聞紙上には出ていないが、愛と調和の場面も打って変わって前に出てきた。
良心とは心の奥からのメッセージ。
その奥からのメッセージが集合意識に共時的に伝わり始めてきた。
いま、素晴しく楽しいことを想うべし。
毎日毎日、うきうき、ワクワクすることを考えてみよう。
JRの明言 『そうだ!京都に行こう!!』。
こういう想いを実行してみよう。
その想念意識が、多くの日本人意識になだれ込んで来る。
しかも両親の自尊心で無理やり塾に行かされ、競争に打ち勝てといわれつづけてきた子供達。
やがて思春期の彼らにとって大人世界からの忠告には「関係ね-や!」。
抑圧された意識が道を変え、分離意識の道筋を辿ろうとする。
礼を失い、言霊の乱れた子供達には、礼の本質である見えない心や、
言霊の本質である見えない魂のバイブレーションなど非現実にしか映らない。
やがて「同情するなら金をくれ」、「援交やってなにがわるい。自分の体は自分の勝手」、
「アンタ勝手にやれば! 私は私だよ」、・・・・・・・。


戦後、日本から魂が抜け落ちた。
それは、合理性と自由が輸入されたからだ。
合理性とは物質経済競争を「一人勝ち」するための標語。
自由とは「拘束のない個人行動の自由」が進んで「野放図な自由」ともなった。
目で見て、手で触れられる現実一切が真実で、モノと金と肉体が全てだから、
「私のもの・俺の金・あたいの体」に絶対的価値がある。
そして金権の偶像 ホリエモンがヒーローとなった。

だが本来の自由とは『他人に指示されないで、自分自身の進路を拓いて行く自在性』である。
もとより「心の自在性」を指す。
何で楽しい?という質問に、その答えの奥の奥、自分の心の内側に意識を殆ど向けていない。
何故だろう、どうしてだろうと心の深みの中から、慈しむ心の存在、それを糧とする克己心の存在。
さらに愛や調和や進化の心の本質を存在させているもっと大きな存在がみえない。
自分の心の内奥に意識を向けず、その受けた・張ったの表層的な現象現実世界。
その表層のモノとヒトの寂しさ憎さが、突発的衝動事件を引き起こす。
ゴマンと膿み出された家庭内殺人を含む社会事件。新聞紙上は犯罪に埋め尽くされた。
人生の目的を忘れて、物質世界のみにうごめく亜人。
そして心の内奥を見つめて神化へと進む神人。
この2007年 二極分化は 急速に進む。
新聞紙上には出ていないが、愛と調和の場面も打って変わって前に出てきた。
良心とは心の奥からのメッセージ。
その奥からのメッセージが集合意識に共時的に伝わり始めてきた。
いま、素晴しく楽しいことを想うべし。
毎日毎日、うきうき、ワクワクすることを考えてみよう。

JRの明言 『そうだ!京都に行こう!!』。
こういう想いを実行してみよう。
その想念意識が、多くの日本人意識になだれ込んで来る。
2007年04月20日
凛として
拉致被害者 横田滋・早紀江ご夫妻の講演会に以前お招きを頂いた。
めぐみさん誘拐当日から今日に至るご夫妻の長く辛い経緯をお聞きした。
北朝鮮公文書と事実が違う中、悲痛な思いでわが子の遺骨を胸にした。
その遺骨すらもニセ物であった。親子の情愛はいかなる法律も越えた天理である。
すべてが嘘で塗り固められた北朝鮮になぜ日本は堂々と正論を言えなかったのか?
優柔不断な日本政府に被害者の立場で心から憂慮されていた。

ご両親はアメリカならびに国連の人権擁護機関に相談もされたが、
先方は眼を潤ませ支援すると確約してくれたそうだ。
そしてアメリカは拉致すなわちテロ行為と認定してくれた。
だが日本に帰ると当時の川口外務大臣は「テロとは言えない」との認識。
毅然と交渉できない日本という国、蹂躙されても独自の経済制裁の決断が出来ない日本政府。
6カ国協議と原子力問題最優先の米国も、ここのところ何故か手ぬるくなってきた。
「凛として」は早紀江さんの講演テーマであるが、日本政府と日本国民の心を糺す大きなテーマであった。
一昔前、某政治家は「拉致問題は票にならない」とも言ったそうである。
2667年前 橿原神宮で神武天皇の即位宣言式が行われた。その中で「八光一宇」の責務を宣言した。
八光本当の意味は戦乱で地域化分断されていた古代地域豪族に向け
「日本八州の民は一つ屋根に仲良く暮らす」と言う意味である。
そして神武天皇はなんと国民のことを「大宝(おおみたから)」と語られているのである。
国とは「領土」と「主権」と「国民」で成り立つ。
領土がなければ国とはいえず、主権がなければ同様で、ましてや国民がいなければ話にならない。
神武天皇をして「国民第一」とした理念が2600年も過ぎると崩れさる。
『拉致』は領土を不法に侵入し、主権を踏みにじって「おおみたから」をさらったのである。

(北朝鮮工作船から発見された銃器類)
豪州の警備船に拿捕された北朝鮮密輸船には大量の麻薬も数度もみつかっている。
完全国家統制下である北朝鮮であるからして、脱北に銃殺をもってする厳しい越境対策。
それを尻目に世界中にばら撒く麻薬密売と偽ドルは国家ぐるみと看られても仕方がない。
誘拐が国家ぐるみで行われた国に、日本はその魂が萎えたかのように映る。
このままでは日本が危ない。日本人の心が危ない。

正しい主張を堂々と述べ「凛として」臨まなければ、世界に責任ある態度と行為には映らない。
いま日本国全体の魂が問われている。
おそらく早紀江さんは今生にそうした使命を持って降りられた菩薩様のお一人だろう。
めぐみさん誘拐当日から今日に至るご夫妻の長く辛い経緯をお聞きした。
北朝鮮公文書と事実が違う中、悲痛な思いでわが子の遺骨を胸にした。
その遺骨すらもニセ物であった。親子の情愛はいかなる法律も越えた天理である。
すべてが嘘で塗り固められた北朝鮮になぜ日本は堂々と正論を言えなかったのか?
優柔不断な日本政府に被害者の立場で心から憂慮されていた。

ご両親はアメリカならびに国連の人権擁護機関に相談もされたが、
先方は眼を潤ませ支援すると確約してくれたそうだ。
そしてアメリカは拉致すなわちテロ行為と認定してくれた。
だが日本に帰ると当時の川口外務大臣は「テロとは言えない」との認識。
毅然と交渉できない日本という国、蹂躙されても独自の経済制裁の決断が出来ない日本政府。
6カ国協議と原子力問題最優先の米国も、ここのところ何故か手ぬるくなってきた。
「凛として」は早紀江さんの講演テーマであるが、日本政府と日本国民の心を糺す大きなテーマであった。
一昔前、某政治家は「拉致問題は票にならない」とも言ったそうである。

2667年前 橿原神宮で神武天皇の即位宣言式が行われた。その中で「八光一宇」の責務を宣言した。
八光本当の意味は戦乱で地域化分断されていた古代地域豪族に向け
「日本八州の民は一つ屋根に仲良く暮らす」と言う意味である。

そして神武天皇はなんと国民のことを「大宝(おおみたから)」と語られているのである。
国とは「領土」と「主権」と「国民」で成り立つ。
領土がなければ国とはいえず、主権がなければ同様で、ましてや国民がいなければ話にならない。
神武天皇をして「国民第一」とした理念が2600年も過ぎると崩れさる。
『拉致』は領土を不法に侵入し、主権を踏みにじって「おおみたから」をさらったのである。

(北朝鮮工作船から発見された銃器類)
豪州の警備船に拿捕された北朝鮮密輸船には大量の麻薬も数度もみつかっている。
完全国家統制下である北朝鮮であるからして、脱北に銃殺をもってする厳しい越境対策。
それを尻目に世界中にばら撒く麻薬密売と偽ドルは国家ぐるみと看られても仕方がない。
誘拐が国家ぐるみで行われた国に、日本はその魂が萎えたかのように映る。
このままでは日本が危ない。日本人の心が危ない。


正しい主張を堂々と述べ「凛として」臨まなければ、世界に責任ある態度と行為には映らない。
いま日本国全体の魂が問われている。
おそらく早紀江さんは今生にそうした使命を持って降りられた菩薩様のお一人だろう。
2007年04月18日
礼の本質
「お陰さまで」というのは相手の心によって生かされましたという挨拶語。
『礼』とは相手の心に向けた謝意であって物をもらってもモノを与えようとする気遣いに対する謝意。
それがカタチ(型血)となって呼気を伴って頭を下げる仕草となったのです。
だから挨拶をはじめ『礼』の一切の内容はその対象がモノではなく「心」であって、
人の気遣いや神の御心に対する感謝が根底にあった。
近年、子供達には『礼』の習慣がなくなってきたといわれる。
お正月のお年玉やお誕生日のプレゼントというモノを貰った時だけに
「ありがとう」とは言うが普段の両親や友人の心遣いにはあまり『礼』の風情を見せない。
モノ中心で生かされてきた子供達にはモノが貰えて初めて『礼』の格好を見せるだけになってしまった。
更に青少年層はハッキリして『なんでセンコーに頭下げなくちゃなんねんだよ! 銭もらったわけでもねえーし、あいつら給料もらってんだゼ』と。
自分を取巻く全ての環境がモノ・金中心で動いてしまっているから
物に対する返礼だけはソコソコ理解できても「見えない心」が実は『礼』の対象であるなんてサラサラ考えてもいないようだ。

『礼』の対象は『気遣いや心配りや生かしているという大きな心』であって
物自体ではないということを子供ばかりか大人たちも忘れてしまったようです。
『礼』はモノが対象でなく、心が対象なのです。
日本人は人に対し、自然に対し、そして神に対しそのお陰の心への感謝の気持ちを
「頭をさげるという」カタチで表すことが戦前までは広く一般的でありました。
それが戦後の復興と経済繁栄の結果、モノの価値第一主義とうって変わり
モノへの「虚礼」と変貌して虚礼廃止がいつのまにか「礼」廃止にまで転化してしまった。

政治家は選挙の時だけ頭を下げるが、果して平生の生活で頭を下げて生きているだろうか。
頭を下げていると『霊光』が入る。
だから平生の生活から頭を下げている人ほど次元レベルが高い方だといえる。
日常から穏やかで人の話をよく聴き頭を下げている人にはどんな高邁な議論を吹っかけても勝てない。
『礼』は忘れてはならない心の所作だったのです。子供たちも心を育てるための最も重要なカタチが礼。だから挨拶とお辞儀のないところには子供の人格は育たない。
英会話を小学校でやっても、もっとも大事な心の文化は育たない。
日本には華道・茶道・書道・柔道・剣道・弓道と、やたらと『道』がついてその道の深さを感じさせる。そのプロセスの中のうるさいほどの『礼法』があり、それは師や先輩の心に対するだけでなく
自然美に対する心、敬神の心が隠されているからだ。
日本人はもう一度「礼」という心の耳目を行動の基調に戻さねばならない。
時々、お母さん方から『子供にどんな教育をさせれば、どんなところに通わせたらいいのでしょうか』と問われることがある。
論者はすかさず「優れた師範のいる剣道場や武道場に行かせなさい」と答えることにしている。
小さい時に備わった礼法と苦痛の体験が大人になっても絶対に弱いものイジメや心の対話を失った悪者にさせないのだ。
『礼』とは相手の心に向けた謝意であって物をもらってもモノを与えようとする気遣いに対する謝意。
それがカタチ(型血)となって呼気を伴って頭を下げる仕草となったのです。
だから挨拶をはじめ『礼』の一切の内容はその対象がモノではなく「心」であって、
人の気遣いや神の御心に対する感謝が根底にあった。
近年、子供達には『礼』の習慣がなくなってきたといわれる。
お正月のお年玉やお誕生日のプレゼントというモノを貰った時だけに
「ありがとう」とは言うが普段の両親や友人の心遣いにはあまり『礼』の風情を見せない。
モノ中心で生かされてきた子供達にはモノが貰えて初めて『礼』の格好を見せるだけになってしまった。
更に青少年層はハッキリして『なんでセンコーに頭下げなくちゃなんねんだよ! 銭もらったわけでもねえーし、あいつら給料もらってんだゼ』と。
自分を取巻く全ての環境がモノ・金中心で動いてしまっているから
物に対する返礼だけはソコソコ理解できても「見えない心」が実は『礼』の対象であるなんてサラサラ考えてもいないようだ。
『礼』の対象は『気遣いや心配りや生かしているという大きな心』であって
物自体ではないということを子供ばかりか大人たちも忘れてしまったようです。
『礼』はモノが対象でなく、心が対象なのです。

日本人は人に対し、自然に対し、そして神に対しそのお陰の心への感謝の気持ちを
「頭をさげるという」カタチで表すことが戦前までは広く一般的でありました。
それが戦後の復興と経済繁栄の結果、モノの価値第一主義とうって変わり
モノへの「虚礼」と変貌して虚礼廃止がいつのまにか「礼」廃止にまで転化してしまった。


政治家は選挙の時だけ頭を下げるが、果して平生の生活で頭を下げて生きているだろうか。
頭を下げていると『霊光』が入る。
だから平生の生活から頭を下げている人ほど次元レベルが高い方だといえる。
日常から穏やかで人の話をよく聴き頭を下げている人にはどんな高邁な議論を吹っかけても勝てない。
『礼』は忘れてはならない心の所作だったのです。子供たちも心を育てるための最も重要なカタチが礼。だから挨拶とお辞儀のないところには子供の人格は育たない。
英会話を小学校でやっても、もっとも大事な心の文化は育たない。
日本には華道・茶道・書道・柔道・剣道・弓道と、やたらと『道』がついてその道の深さを感じさせる。そのプロセスの中のうるさいほどの『礼法』があり、それは師や先輩の心に対するだけでなく
自然美に対する心、敬神の心が隠されているからだ。
日本人はもう一度「礼」という心の耳目を行動の基調に戻さねばならない。
時々、お母さん方から『子供にどんな教育をさせれば、どんなところに通わせたらいいのでしょうか』と問われることがある。
論者はすかさず「優れた師範のいる剣道場や武道場に行かせなさい」と答えることにしている。
小さい時に備わった礼法と苦痛の体験が大人になっても絶対に弱いものイジメや心の対話を失った悪者にさせないのだ。
2007年04月17日
国際気功連合

見えないエネルギーの代表格に「気功」が知られている。
呼吸法とともに身体の伸張、ひねり、圧縮を加え体内を周回する気のイメージ。
特に重要なのが気の集中イメージと経絡への周回である。
訓練すると外気も発することが出来る。
中国にはいろいろな宗派もあるし、また日本にも中国気功にならった日本流もある。
大霊道というわが国発祥のものは江戸期に中国に渡り、気功と結合したことは余り知られていない。
人の健康そして何よりも幸せを主眼に置いた霊氣法が大事。つまり宇宙と自己との調和を目的とする気功が分派化するあらゆる気功の根底になくてはならない。宗派を越えた気功関係団体の大同団結が必要と感じていた。
帶津良一先生も若い頃から空手道をおこなっていた関係から「気功」にも大変お詳しい。
事実 帯津三敬病院内では患者さんに「気功」の日課もあると聞く。
その気功団体が4月8日 大岡山の東京工業大学に集結し「国際気功連合」を立ち上げた。

(張 永祥老師 と論者)
帶津先生が会長で、副会長に気功界の大御所 張永祥老師、東工大教授 樋口雄三先生、東京電機大学教授の町好雄先生のお三方。
やはり「見えない意識エネルギー」と「見える物質」との橋渡しがその連合の根底にある。
年々 見えない気や癒しの科学が少しづつ解明されてくるようだ。

帶津先生も、張先生もまた町先生も樋口先生も、尊敬する人格者である。

(ユウエンさん)
何よりも医のレベルよりさらに高い見地の「宇宙との調和」、「敬天の心」を座右とされている。
国内外からの気功の実演が紹介され会場は高いエネルギーに満ちていた。
張永祥先生は田中角栄氏の治療に呼ばれた有名な気功師。
老師はまた日本を中心に世界中に難病施術と後進の指導にあたられている。
発会式には歌手ユウエンさんの素晴しい歌声も聞かせていただいた。

素晴しいソプラノを堪能した。
国際気功連合は現在 会員募集中。興味のある方は事務局へ申し込まれることをオススメする。
入会金1万円、年会費は1万2千円。
国際気功連合 事務局 北区赤羽2-4―14―蛇の目ビル4f
tel03-3903-6686 fax03-3903-6682 事務局長 青山国照さん
2007年04月15日
桜の舞
人が神へと至る道を「神道」といいますが、
人身から人神への自覚とその宣言がなによりも重要と思います。
そのセンゲンが富士浅間神社の木花開耶媛の意象。木の花だから「さくら」が表現体となります。
ゆえに日本人なら老若男女問わず、誰しもが「さくら」に酔い知れるのでしょう。

富士吉田 浅間神社の拝殿正面に鶴と松の絵が掲げられています。
鶴つまり飛翔の舞いを見せる鳳凰でもあり、それは天地人の縦の繋ぎの関係を意味します。
松は「真釣る」つまり真実を釣り上げるが語彙ですが、
人身から人神のへ進化を「待つ」という掛け言葉でもありましょう。
桜は五弁の花、ために五芒星の「渦の原理」を潜象し、進化してやまない魂の原型なのです。
桜はツタを持ちませんが、特にツタを持つ楓や朝顔のような五弁の花や、
五葉のはっぱの類は上から見て左回転でツタが上昇し生育します。
根の伸長方向は逆回転なのです。
ヒトの受精卵も回転し、まづ脊柱が伸び、その天御中主の御柱のうえに右脳と左脳の双葉が咲くのです。
五芒星は天地人の「縦のつなぎの原理」を持ち、性質は「火」にして霊性を磨く大要(オオカナメ)。
花では桜がその代表です。
霊(ヒ)の国、日本の国花はもちろん五弁の桜、川沿いの桜は必ずといってよいほど水辺になびく。
それは五芒星の火性は、六芒星の「ダビデの水性」になびいて陰陽相調和するからなのです。
1991年春、富士吉田 浅間神社におまいりしましたが、
その拝殿の鶴と松の姿は事前
に夢の中で克明に拝見させて頂いていた。
おまけに神社裏手に恵比寿・大黒の小さな祠があることも知れていて、
迷わずお参りすることも出来ました。
そのときの夢見では木花様から琥珀の鶏卵状の玉をいただいたのですが、
胸のなかにその黄玉がスッとすべり込んでしまった。
このことが、のちに魂の二次覚醒と知れたのでした。
987398様 ゆえに‘98年7月3日午前9時頃 須走りの浅間神社様にもおまいりしました。
そのときは山中湖を見下ろせる石割山の石割り神社にも同時にお参りさせていただきました。
木花様のお姉さま石長媛様がご祭神である石割神社は知人からも磐座と聞く。
石長(イワナガ)媛さまは鳴門の神様、つまり鳴る戸ゆえ言霊の関連とあい知れます。
論者は石長神社のその裂けた磐座で、言霊五十音を奏上したことは言うまでもありません。

さて、桜舞う小学校の校門には、真新しいランドセルを背負った新入生が似合う風景です。
新入社員の花見の席取り、緋毛氈の桜の茶会、日本人には桜の精とは切っても切れません。
「氣の花」にして「氣の波成る」その桜はヤマト天津霊継ぐ神心を花開かせよという。
「氣の花」は毎年、欠かさず高いところから私たちを見守ってくれているのです。
心がブレそうになったら、どうぞ桜を見てください。写真でもいいんですよ。
人身から人神への自覚とその宣言がなによりも重要と思います。
そのセンゲンが富士浅間神社の木花開耶媛の意象。木の花だから「さくら」が表現体となります。
ゆえに日本人なら老若男女問わず、誰しもが「さくら」に酔い知れるのでしょう。
富士吉田 浅間神社の拝殿正面に鶴と松の絵が掲げられています。
鶴つまり飛翔の舞いを見せる鳳凰でもあり、それは天地人の縦の繋ぎの関係を意味します。
松は「真釣る」つまり真実を釣り上げるが語彙ですが、
人身から人神のへ進化を「待つ」という掛け言葉でもありましょう。
桜は五弁の花、ために五芒星の「渦の原理」を潜象し、進化してやまない魂の原型なのです。
桜はツタを持ちませんが、特にツタを持つ楓や朝顔のような五弁の花や、
五葉のはっぱの類は上から見て左回転でツタが上昇し生育します。
根の伸長方向は逆回転なのです。
ヒトの受精卵も回転し、まづ脊柱が伸び、その天御中主の御柱のうえに右脳と左脳の双葉が咲くのです。
五芒星は天地人の「縦のつなぎの原理」を持ち、性質は「火」にして霊性を磨く大要(オオカナメ)。
花では桜がその代表です。
霊(ヒ)の国、日本の国花はもちろん五弁の桜、川沿いの桜は必ずといってよいほど水辺になびく。
それは五芒星の火性は、六芒星の「ダビデの水性」になびいて陰陽相調和するからなのです。
1991年春、富士吉田 浅間神社におまいりしましたが、
その拝殿の鶴と松の姿は事前
に夢の中で克明に拝見させて頂いていた。
おまけに神社裏手に恵比寿・大黒の小さな祠があることも知れていて、
迷わずお参りすることも出来ました。
そのときの夢見では木花様から琥珀の鶏卵状の玉をいただいたのですが、
胸のなかにその黄玉がスッとすべり込んでしまった。
このことが、のちに魂の二次覚醒と知れたのでした。

987398様 ゆえに‘98年7月3日午前9時頃 須走りの浅間神社様にもおまいりしました。
そのときは山中湖を見下ろせる石割山の石割り神社にも同時にお参りさせていただきました。
木花様のお姉さま石長媛様がご祭神である石割神社は知人からも磐座と聞く。
石長(イワナガ)媛さまは鳴門の神様、つまり鳴る戸ゆえ言霊の関連とあい知れます。
論者は石長神社のその裂けた磐座で、言霊五十音を奏上したことは言うまでもありません。
さて、桜舞う小学校の校門には、真新しいランドセルを背負った新入生が似合う風景です。
新入社員の花見の席取り、緋毛氈の桜の茶会、日本人には桜の精とは切っても切れません。
「氣の花」にして「氣の波成る」その桜はヤマト天津霊継ぐ神心を花開かせよという。
「氣の花」は毎年、欠かさず高いところから私たちを見守ってくれているのです。
心がブレそうになったら、どうぞ桜を見てください。写真でもいいんですよ。




