2007年06月30日
神の戦略

大相撲で力士が土俵で塩を撒く所作は、
多くの外国人にそのパフォーマンスが喜ばれるところですが、ユダヤ人にはごく普通に映るようです。
大地の浄化や身体の浄化に、塩を降り撒くという古来からの風習は、日本もユダヤも同じのようです。またユダヤの祭礼所には、拝殿に向かって左側に手水があって、
禊ぎ所の様な大きな規模のところもあるようです。
階段を上った拝殿や、神殿を朱に染める風習もなにやら日本の神社のようです。

鳥居をくぐった参道は、まさしく産道にして母なる胎内への原点回帰の道。
世俗のチリと埃にまみれた身を清め拝殿へと向かう。
奈良・京都地方では「茅の輪くぐり」の風習もありますが輪をくぐって左脇から戻って、
また入りなおす。
今度は右脇から戻って輪をくぐって拝殿に向かう。
これはメビウスの形取りで、自分が輪を入って通り抜けるルートが ∞ 状で、
その結び(産霊)の中心がゼロ点の自己。
つまり質量がゼロの精神だけの原点に戻る所作であります。

拝殿正面の上からぶら下がった玉鈴は古来「裂口代(サクシロ)」といって、
口が裂けているようなペコちゃん顔の玉鈴は、無言の言霊を意味し、
拝礼者の魂の感応をゆすぶる音霊なのです。
人はいろんなことを神頼みしますが、世俗の願い事でなく、そ
の方の内なる魂の叫びをミルキーのペコちゃんの口のような裂口代が代行しているのです。
もちろん巫女さんが手に持つ玉鈴もこうした意味があるのです。

天川弁才天様の「鈴のお守り」は有名ですが、これも心の音霊、無言の言霊を表現したものであります。
鈴木姓の旧姓は鈴気でもあり、神武天皇東征のさきがけを勤めた三氏族の内の一氏族がそれで、
古来 鈴木姓は神官を勤めたようであります。
鈴にまつわる氏姓のほかに、いくつかの地名もあります。
伊勢神宮の拝殿前を流れる五十鈴川(イスズガワ)は、禊((ハラヒ)の洗心所ですが言霊五十音を意象した命名にほかなりません。
神社でも神棚でも、拝殿の正面にある「鏡」の意味は、自身を神光で照らす解説が一般的ですが、実は自分で自分自身を拝んでいるのです。
自分自身を映す鏡であり、神聖を自己に移す鏡でもあります。
神道には教義はありません。総務や経理や営業をもつ巨大な組織体もありません。
ここが他の宗教と違うところで、血みどろの戦いと、教義解釈の内紛を繰り返すこともありません。
仏教、イスラム、基教にみられる領土と覇権の血の争いは教義と組織をもつがゆえに
内紛の歴史を続けてまいりました。
エルサレムは2000年にもわたって憎しみの坩堝と化し、
その憎しみの波動は、基教・回教の信徒 世界約30億のひとびとに伝わります。
この現実にアラーも釈迦もキリストも、後代を嘆いているに違いありません。
神道は敢えて教義、経典を残さなかったことに大きな神仕組みを感じてなりません。
それでいて他国に領土を侵略、分割されず、宗旨を変えられず、
コトバも数千年間変えられてきません。
万世一系の天皇を戴いている日本。世界の歴史上にこんな奇跡の国はあったでしょうか。
全ての宗教をも飲み込む「神道」。
だからこそ世界中の戦争の原点、【宗教戦争】に割って入ることが出来る。
どんな山にも小さな祠や社をもち、お正月ともなれば参拝する古来の風習は
営々として残されております。
宗旨経典を持たず組織も無い神道、それが世界の戦火の影響を浴びなかった神道の歴史的戦略だったように思うのです。

さて神道とは、まさしく神への道。その道は一人一人が探しなさいという。
私はどこから来て、どこへ行く、何のために生きる?
簡単に言えば、私は? この答え探しが神道、ある意味では自分教の確立を目指すミチナキ道なのです。だから神道は宗教でもなく、強いて言えば「哲学」にちかい。
神棚と一対一で対峙するのはワレ。
そしてその鏡に映る自分と対話して、一点の曇りも無い対話をして、私は?と繰り返す。
時には、世の中の大調和の下絵を描き、鏡に照らす。
時には魂の中心に、病にあえぐ方のはつらつとした健康の実像を描く。
やがて、自らが無くてはならない大宇宙の貴重な存在であって、大生命意志から
偉大な創造能力を戴き、愛と、進化と調和ある世界を、責任をもって創る亜神と気が付くでしょう。
何のために生きているのか? それは自己の本分を発見し、その神我を発揮するため。

偽我虚飾をはずして鏡の中、純正魂、神我に神拝すべしであります。
神棚という御霊屋(ミタマヤ)は自分の魂であります。

その魂はむろん祖霊につながり、果ては宇宙大生命意志につながっているのであります。
2007年06月28日
一緒になろうね

受け入れて「場と一つになる」と、その場の全てを味わうことが出来る。
寿司を否定すればどんなに美味しい寿司でも味わえない。
受け入れなければ素材は全く味わうことが出来ない。

受け入れれば多様な味わいを、人生の全てのチャンスを楽しむことが出来る。
心の中に小さな「分離」のシミがあると何時までたっても本物の味わいもなく新鮮な感動は訪れて来ない。
些細なことでむっと口をつぐんでしまうこともあるだろう。
(かみさんがもうチョット、気配ってくれてもいいのに・・・)この得手勝手な甘えが、時として出没もする。
自分勝手ということは、これは「受け入れない、一つになれない、なっていない」ことだから、
宇宙調和の法則にそぐわないのである。
家族そろって食事に行っても何かの拍子で分離の心が芽生えれば、おいしい料理も味わえない。
その場の新しい出会いも受け入れられない。
調和に引き戻す心がないと、ネガティブな破壊の心がさらに持ち上がってくる。
心の第一の法則、マイナスの心はマイナスの現象を誘うのである。
「一つになる」こと、「個にして全」が大宇宙原理だから、病も敵にしては絶対に直りようがない。
知人の寺山心一翁氏にしてもガンで余命三ヶ月と宣告され、その苦悶の中でいつしか、毎朝顔を出し、光を与えるばっかりの太陽に涙し感動した。

そして己の欲を放棄し、さらには「ガンを愛する」までの心境になって彼はガンから見事に生還した。
一つになることが病をも越える。
自己細胞に感謝し、「ありがとう、ありがとう」、「一つになろうね」の意識作用をもってセルフヒーリングするのが「癒しの極意」である。
「ありがとう、ありがとう」と、「霊の元ひとつ」の感謝の心で生きるということは、これはもう「分離」のしようがない。
常日頃、感謝とありがとうの心でいると、少々のことがあろうと心根が「ありがとう」だから怒れないし、奪う心境にはなれない。
「ありがとう」の心でいると、仮にアタマをはたかれても何故か怒れない。
だから毎日「ありがとう」を反復連呼すべしである。

「ありがとうございます」の十音の言霊が最も強力な神呪だとも過日お話した。
問題はその実践と持続性なのである。
「一つになる」「一緒になる」ということが放棄されると、
分離→疑惑→反発→闘争→破壊 の「悪魔のサイクル」の反宇宙原理となる。
それが企業規模だと、会社の誹謗中傷や潰し合になったりもする。
国家の規模ともなると大統領一人の分離感がやがては戦争と破壊という深刻な事態を創ってしまう。戦争すらもその小さな小さな発端はヒト一人の「一つになる」その心根が外れて「分離」に犯されることに他ならない。
「幸せになれない症候群」それは「一つになれないこと」に根ざす。
今を受け入れ味わって「一緒になる、一つになる」ということが宇宙の基本生命原理である。
「一緒になろうね」・「一つになろうね」、その自分の心の置きかた一つで物質世界は様変わりする。
2007年06月26日
ツキのテンポは116

【舞・ストレッチを指導する小林ひろみさん】
ビュージック研究所 片岡真介さんのエクササイズを紹介します。
『音楽の歴史は、西洋では9 世紀中頃のグレゴリオ聖歌、日本では8 世紀半ばの東大寺の大仏の開眼供養法要に始まるといわれています。
ちなみに、この開眼供養法要の時に唱えられた称名も「月のテンボ」である116 のテンボで調和しています。
音を楽しむと書いて音楽ですが、また楽になる音も音楽で、ここでは神との交信が行われます。
太陽のテンポは120 ですが、月のテンポは116 です。116 のテンポで歩くとアルフア波が良く出るのでひらめきも多く出ます。
人と話すときも、少し口調を緩くして116 のテンポで話すと、人間関係が良くなっていきます。
月のテンボを体感するだけで宇宙と調和しサトルエネルギーの吸収を可能にします。
つまり正しい音楽の活用法で短期間に見違えるほどの効果が現われるのです。
私は難しいことはできませんので、サトリの前にコトリ(コはサの前です)あたりから実践してみようと月のテンポを広めています。』

こうおっしゃる片岡慎介さんが、こんどはテンポ116と舞いを融合させた『舞・ストレッチ』を発表。
お月様のイメージを表現してお年寄りでも、入院患者でもイスに座った状態でも可能なストレッチ。
舞ストレッチ=(舞+ストレッチ+メンタルトレーニング+図形)×テンポ116
この方程式により先ず月のエネルギーの道を作り、身体で図形を描きながらエネルギーを体内に吸収します。
病院・老人ホーム・介護施設・職場・家庭どこででも活用できます。

今回は著書「舞ストレッチ」DVD付(ビジネス社刊)の発売を記念して、
「舞ストレッチ」の魅力をお伝え致しますので、どうぞ体感してみて下さい。
「舞・ストレッチ」エクササイズが片岡慎介さんご本人の指導で受けることが出来ます。
◆ 日 時 2007年 7月10日(火) 18:30~20:30
◆ 場 所 港区立三田福祉会館 集会室C 港区芝4-1-17
TEL:03-3452-9421
◆申 込 サトルエネルギー学会事務局
FAX(03-5730-6451)受付
(氏名、勤務先、住所、電話番号をお送り下さい、様式自由)
◆ 会 費 3000円 当日現金にて申し受け
2007年06月24日
心の法則
プラスの心はプラスの現象を誘い、マイナスの心はマイナスの現象を必ずいざなう。
この当たり前の事実が、実は極めて大事な第一の心の法則であり
かつ宇宙の法則なのである。
こころの分離意識、奪う意識は、宇宙とは全く同調しない。
心のひずみを修復させようと芽生えた「負の萌芽」を摘み取る作用が、
実は悩み・苦しみ・悲しみ・不安であり本来の純正心と同調しない一種の悪寒なのである。
この悪寒は神の子、自らが作り出したものなのでその原因を自らが取り外し、
逆に「受け入れ一つに向かう心魂」という良薬が投与されるまで悪寒はつづく。
自分でまいた種は自分で刈り取る。これが宇宙の法則、心の第二の法則なのである。

心の中の分離意識、マイナス意識はその心のひずみを修正するよう、自動的に悩み・悲しみ・苦しみ・不安の悪寒発熱現象を起こす。
また心のひずみを放置しておくとやがて肉体の病気になる。
意識は力でありエネルギーを持つ。
だから正負いづれのエネルギーも形を変えて見える現象となる。
また負の意識エネルギーを、反省にもとずいて心の底から改めると
負の意識波動が除かれると負の現象が消失する。
自己意識と自己肉体は同調し、喜び、笑顔、充実にはハツラツな肉体を、
苦悩、不安、悲しみには細胞の歪をもたらす。
霊肉同調の関係。これが心の第三の法則である。

自己の意識と肉体を越えて、他人に「与える」。
それはモノでなく心の喜び、逆に負の「恐怖」でも、こうした第三者に向けられた波動も、
その等価の波動が常に己に帰ってくる。
出したものは必ず帰ってくる「こだまの理論」。それが心の第四の法則である。

夫婦間のつまらない争いごとでも、仕事場の争いごとでも、
争いがあるということ自体、相手を受け入れないという分離感が既にあるのである。
心の中に小さな小さな分離意識があって、更にその分離が募れば、
状況は疑惑と孤立に発展し、また邪推の虚像が恨みとして残る。
「受け入れる、一つになる」という心の原点にシフトしないと、
自分に迎合しない相手、いやな相手とは距離を置いてしまう。

比較・分離意識がつのると、自己保存欲が自分を支配してくる。
自分を苦しめている嫌な相手ばかりでなく、自分においしいことを言わない、
迎合しないヒト全てが敵となってくる。
この場合、自分への厳しさというハードルを越えて自己を育て展開する人生計画のはずが、
修行の人生を避けて通ることになるから、いつまでたっても魅力ある豊かな人物になりきれない。
他に求める心が強いと不平不満が絶えない。
避けて通る・逃げる・自分さえ、こうした性癖は我欲と自己保存といわれるが、
その大元は心に潜む「比較と分離」である。

「心の法則」を日常噛み締めて、
『ありがたや、ありがたや、ありがたや』 の真言を常に内側にささやく。

「比較と分離」が苦悩の原点。その陰すらとどめず、「受け入れ、認める」神我の心、本分を発揮しよう。
2007年06月22日
天地人の繋氣

心臓は寝ても醒めてもいつも動いてますが、意識的に自由にコントロールすることは出来ません。
呼吸は無意識下の睡眠時も、たゆまずとどまることがありません。
しかし意識して止めたり吸ったりすることもできます。
つまり呼吸が、随意神経と不随意神経が共存する肉体唯一の作用器官です。
生命とは何かについて、ヨーギーは「それは呼吸である」と答えたそうですが、呼吸の中のプラーナを指していったのでしょう。
私の呼吸法は毎朝ですが脊柱を上下する氣の流れを致します。
もうこの時節 時間が無いからどなたにも天地と自己を繋いでもらいたいのです。
少々の欝は、簡単に解消されます。問題は意識の集中度です。
① まず吐氣からはいって吐き切ります。天空から静かにゆっくりプラーナを取り込む。
舌は上あごに軽くつけ鼻呼吸が基本です。
アジーナ(視床下部)のレンズを通して、密度の濃いプラーナが天空から光とともに頭頂に流入するのを観想する。
② 頭頂から霊光とともにプラーナ充分取り込んだら、プラーナの光を脊柱を降りて、マニプーラチャクラにとどめる。そして肛門をしっかりと締めます。
③ 7秒程度、息は止めたままでマニプーラ内の霊光が60兆個の全細胞に浸透していくと観想する。
④ ついで、肛門を緩めながら、全細胞の悪血、全身の邪気が両足から下降し、体内から抜けていくと観想する。足裏の中心,足芯から大地に向かって息をゆっくりと吐く。 吐き切ることが重要です。
吐気は足下から地球の中心までマグマまで通し邪気を焼ききると観想する。
⑤ 吐ききって7秒後に、こんどは地球マグマの中心から地のエネルギーを足芯から取り込む。むろん吸気ですが両足を伝わって、マニプーラに充実させる。吸いきったら肛門を締め、7秒間呼吸は止めたまま、その地の生命エネルギーが全細胞に吸収し充実したと観想する。
⑥ 体内の余分なエネルギー、並びに体内の邪気を今度は体の脊柱を上昇し、頭頂方向に移動させ、肛門を緩めながら天空の銀河の遥か遠くに邪氣を放出する。
以上のワンサイクルは閉眼でおこない、吐気に7秒.停止に7秒。吸気に7秒、停止充足に7秒、従って個人差もありましょうが概ねワンサイクル30秒前後と非常にゆっくりした呼吸法です。
天から霊光を取り込み、地に流す。

地球中心から地のエネルギーを取り込み天に流す。
そしてまたそれぞれに体内の細胞活性と浄化を観想します。
充足時は肛門を締めることがポイントといえましょう。
さて「天地人」とは一体何をさすのか。
観念的には天なる父と、母なる大地そして、私たち人類の三者の関係を言います。
しかし、真の天-地-人の関係とは、天と地とをワレが繋ぐのです。

つまり繋ぐ役割使命が人なのです。

ワレとは天なる見えない広大な生命意識と、地なる物質現象界を一本に繋ぐ人神であって、
両者の繋ぎを自己の腹中に収める行司役でもあります。

ゆえに天地人は自己の中にあって、その繋ぎの焦点はマニプーラチャクラ。
そしてサブ的に活動させるのがアジーナと仙骨のムラダーラなのです。
天からの光明を追い求めるばかりでは、頭でっかちの人格となり、精神主義しか眼中に入りません。むろん地の氣、すなわち物質現象界とそのエネルギーにのみその価値を追い求めるのなら、
それもまた生活力旺盛なる野人として成立します。
が、そこに宇宙大の多様な進化や大調和をイメージする能力にかけてしまいます。
「天・地・人」とは自己がその内に繋いで初めて成立するのです。
2007年06月20日
癒しの道

寺山心一翁さんとルパード・シェドレイク夫妻
もちろんサトルエネルギー学会の理事でもあり、
ホリスティック医学協会でも常任理事をされている寺山 心一翁さん。
敬愛する寺山さんに「サトルなエネルギーを感じるコツ」のお話を伺ってみた。
一昨年の末、寺山さんの旧友が亡くなった。
とてもIQ の高い男性でしたが、「感じるカ」が弱く、ガンを」宣告された後、
家族に「誰にも言うな」と言って外と閉じた生活の結果、宣告日よりも早く亡くなってしまったそうだ。
近い友人だっただけに非常に残念だったそうだ。
頭で感じようとする人は、体で感じられない。
感じられなければ、体を張った全身で癒しの道に入りにくいという。
寺山さんは「ガンを愛す」など病と心の関係をつねづね言っておられるが、
サトルなエネルギーを感じることができる人は、癒しの道を自力で辿れるという。
いまは、感じられない人間がとても多くなっているのではないでしようかとも。

『ガンになっても治らない人は、癒しを感じることができにくい人です。
私はガンからの治癒の過程で、だんだんと自分の感じる力が高まりました。
感じる力が高まると、気づくカが高まる。サトルエネルギーを感じるようになっていくと、
さらに高い意識に超越し、楽しくてたまらないのです。』

『悟りの人生を過ごすことができます。ガンが治っていく人は、みんな感じる力が強い。日本に古来より伝わる修法は、頭だけでは決して会得できません。真髄は感じることです。頭で考える、感じることばかりせず、体で感じられる人間になってください。』
そのコツを尋ねてみると、
1) 人体に憑依した霊をとる
2) 宿便の除去
3) 腸内環境を整える(玄米食ほか)
4) 地に脚をつける(裸足)
5) チャクラを開く
6) 自分のマントラを探す
7) 良い音楽を聴く
8) 記憶する知識人から感じる智慧人へ
「サトルエネルギーを感じるコツ」どれ一つとっても相当な解説が必要だ。

だがどれしも大切なことだと納得した。皆さんも最低3点は常時日常の中に組み入れてほしい。
寺山さんは 6月の20日にアメリカのサトルエネルギー学会に出かける。
また素晴しいお話をお土産にしてくれるだろう。
■”心さんの愛と癒しのワークショップ”報告特集号
http://www.shin-terayama.jp/words/new-workshop.html
2007年06月18日
ひとつになる

一つの宇宙、このなかに60兆ケのヒト細胞の数ほど、惑星がギッシリと詰まっている。
そして更に大宇宙は進化している。
その一つ、水の惑星 地球にはおよそ20億年前と変わらぬ酸素がある。
ヒトが息をし、ガソリンを燃やし、戦車を走らせても大気中の酸素は20億年前と何一つ変わっていない。
それは樹木や海藻が息をして酸素を吐き出しているからで、
太古の昔と同じ21%の変わらぬ濃度を保っている。地球は息をしているのである。
「一つのいのち地球」はその細胞といえるヒト、動植物、バクテリア、個性ある鉱物類から成る。
このかけがえのない「一つのいのち地球」のなかで、超エリート細胞の人間だけが節度がなく
無益な覇権の争いがたえない。

人こそ自己を認識することが出来て、世の中を興し建設する高度な能力を持つ。
くわえて無限の感謝という自意識が与えられた神の子。なのに、比較・分離・独占・地位欲という
蒙昧な無間地獄を自ら呼び込んでいる亜人もいる。
人間は、心の世界を忘れた肉身だけの物質世界の住人となると、奪う、一人勝ちになろうとする。
これが欲しい…、お前はダメといった、地球共生意識から退いた「分離」の亡者になってしまう。
比較と分離感、ここがそもそもの苦悩の発端で、神はその比較と分離感に誘発しやすい物質三次元世界を、あえてクリヤーすべきハードルとして私たちの前に設定した。

比較と分離の物質世界の中で、もがき・苦しみ・不安・悲しみ・怒りがあってもその原因を探らず、
心の原図を忘れた肉体戦士は堂々巡りのように飽きもせず毎日戦っている。

こうした悲しみ・苦しみ・不安・グチ・怒りは己の心の内容だから、振り返って内面を見つめ、
何がそうさせているのか本来の自分の心の世界に立ち帰ってみるのが智者である。
奥方が「手伝ってよ!」と言ったのを「ふざけるな!」と怒るのも、
「よし来た!」と積極に意気投合するのも心の所作だからご本人の自由。
自分で選択をすればいい。
だが、心の選択によって今まで苦しんでいたことが180度転変する。
心が「受け入れる・一つになる」というプラスの意識であれば、三次元世界の場は明るくなる。
「比較・分離」のマイナス意識であれば場は暗くなるのは必然。
2007年06月16日
宇宙人がやってくる?

サトルでは毎年 年初のセミナーに易学の田村珠芳先生をお呼びしている。
田村先生は神奈川県平塚生まれ。三人目の子供を生んだ後、大病を患い数年間闘病生活を送り、
その間に様々な神秘体験をする。
その後、夢と現実に驚き心理学を学び、易占いの世界へ入る。
健康になりたい一心で食療法、正食医学、陰陽学を学び潜在意識の勉強をされた。
自分の運命を知りたいと様々な占いを学んだ末、幻の運命学といわれていた
『淵海子平:えんかいしへい』をマスター。現在その道の第一人者。
2007年(丁亥:ひのとい)、亥はイノシシですが、固い殻を破って出てくる意味のようです。
世界中に閉塞感が漂っているなかで、イランにしても北朝鮮にしても、
いつ何が起こってもおかしくない状態になっている。
日本人は平和が当たり前だと思っていますが、安倍総理が予定より
二年早く首相になったということは、大いなる時代の流れが早まったという。

英国のブレアーさんも今年には引退。そして世界中の大物が大きくいれ変わる。

日本は明治維新という激動を迎えたように、更に大変な新しい時代を迎えねばなりません。
安倍首相が着実に、日本を独立した一つの美しい国として教育改革、国としての権威を取り戻すこと、憲法改正により防衛庁を防衛省に昇格させることなど明治維新と同じように準備していくことでしょう。
時代が変わるときはいつでも天変地異、大きなテロ、経済の変動を伴います。
平和ボケしている人も、しっかり目を見開いて世の移り変わりを見ていかないと浦島太郎になってしまいます。
そればかりか生き残れないかもしれません。

そう説く田村先生が「まもなく宇宙人が到着します」(ジュンク堂出版)という著書をこの5月に出版、
はや6月には第三版に突入の超人気。
時代の変化はどなたも肌で感じておられる。
ぶっ飛びの中身ですが、覗いてみてはいかが?さあ空中軽挙はことしか来年か??
2007年06月14日
神我へ

「ア」とは吾にして霊魂、「ワ」とは我にして肉体のわが身。
両手の右と左に「ア」のイザナキの神、「ワ」のイザナミの神、その二神を頂いている。
アーワ、この二神をつなぐは胸部のチャクラ。
このアーワ、二神のご存在にて、神社拝礼の二礼ニ拍の意味が看て取れよう。
イザナキ(氣)神の精神原理とイザナミ(身)神の物質原理の相和す調和の上に霊止(ヒト)がある。
肉体自己にはすべて神の形質が宿る。
「神我の姿」を見てみよう。
脊柱は天御中主大神のご座所。これによって人間は直立歩行し、天玉(アタマ)を支え天地をタテに繋ぐ。
右の高御産霊神(タカミムスヒノカミ)の指導原理、左の神産霊神(カムムスヒノカミ)の安定原理。
この二神によって天を支える「天支」(アシ)となる。
そして両の手にはイザナキ神、イザナミ神の霊光が注入された。
いわんや物質と精神の調和の姿である。
つなぎの胸腺は「愛」のチャクラ。


ヒトにはいつでも、五神が宿る。
寝姿五大の大の字には五神がいつ何時荷も常に同居されている。
『われ神なり』を実感すべし。
「吾」(ワレ)すなわち見えない精神界は、
「我」(ワレ)すなわち見える肉体系、物質現象界と共存する。

意識次元だけの精神原理だけでは物質のない過去の自己世界と、同じく物質のない未来の自己世界に浮遊するのみ。
その未来世界も過去世界にも物質は存在しない。
物質の存在はこの「今」のみにしか確認されない。
物質と精神の両次元が同時に存在する時空は「今」のみ。

その今というゼロ点こそ真実で、大宇宙とワレとの遭遇。それを「中今」(ナカイマ)という。
この中今に自己が五神とともに存在していることを確認したとき「神我」をみる。
中今を見切って、「ア」の精神主体の働きかけによって「ワ」の客体、現象界を創る。

主体と客体は、主体の働きかけによってお互いに交流して神聖現象を産んで行く。
それを産霊(ムスビ)という。
神我の使命は良質な世界を産霊ゆくこと。
2007年06月12日
感謝の心

欧米人には、大相撲でも少年野球でも、負けた方の側が、土俵やグラウンドに向かって、
一礼して退場する日本人の仕草は奇異に映る。
負けて礼をして何の意味があるのか?完全服従の仕草なのかと、その合理的精神で疑う。
しかし日本人には大地に感謝するという姿勢が常にDNAに刻まれているから、
剣道・柔道・茶道・香道・あらゆる「道」にはそれが自然である。

勝つもまた負けるも「場」に礼をして、大いなる自然や大地に自分が謙虚になるという。
日本人には勝ち負け以前の「場」、そこは「大きな生命場」であって、
その場に自分が参加したことに、ごく素直に感謝する。
かつての日本の源風景には、万事が心象の価値判断で生活をしていた。
農耕に大いなる実りをいただければ、里の神、山の神に収穫を捧げ感謝した。
大海の豊漁を得れば海の神に獲物を捧げて感謝した。
その感謝が無ければ、海の神は大漁を約束させないと信じた。
数千年に渡って神と一体となった大自然に畏敬と感謝を届けた心が日本文化を築いてきた。
実に非科学的である。

が、その非科学性こそ日本人の魂であり、万物に向かって、その魂にむかって
「ありがとうごさいます」と言い続けて来たのが日本人の精神の原点である。
「いただきます」といって日本人は食卓に付く。
世界中に「いただきます」と食卓に向かっていう風習は日本以外、ユダヤ人の一部を除き例は見ない。
その「いただきます」の対象は、農耕者への感謝の意味もあるが、実は野菜それに魚介類など「食べ物の魂」に向かっての言霊なのである。

私たちは食物という数多の生命を頂いて、「いただきます」と言って、この命を維持している。
祖先の形質も、食した数千万の魂もこの身と一つになって全細胞に蓄えられている。
これらの魂を「八千萬魂(ヤチヨロズタマシヒ)」という。

まさしく「職歴」よりも「食歴」であって、
いただく旬の自然物とそこに宿っている魂によって、いまのワレがある。



