2007年09月30日
ヒーリング

疾患の修繕を治療といい、心の充電や患部への癒しをヒーリングという。
私の場合は目線だけ、または離した手掌で、披験者の身体をゆっくり上下と追う。
すると滞る部位に違和感が感じられる。
目線では上から下へ追いかける途中にウオッチングが止まってしまったり、なにやら色合いが変化する部位がある。
これらが異常個所と概ね一致するのです。

さらにその部分だけが衣服のシワが異常に多かったり、
病患部に位置する衣服部分だけが毎回汚れるようです。
手掌から愛念を送るが指先だけを近づけて先端から送る方法。
息(意氣)を被験者に吹き付ける方法もある。
そして患部には塊が氷解するイメージや、滞りがさらさら流れるイメージやを与えるのです。
患部の細胞君たちに慰めや許しを与えるのがヒーリングの本質。
「自分で勝手に枠を作って、その枠で自分勝手に悩む」と過日ブログに書いた。
人生全て自分で作った独りよがりの枠、その延長で、固定観念をつくって自ら「真実の自分」をダマしつづてきたのが、トラウマという影になっている。
真我はこうした自己ダマシの歴史を知っているから、トラウマが強いと病変の核を作るのだ。
ここのところは大変重要なところで、細胞はそもそも自我を持ちません。
自己ダマシのトラウマが細胞の進化代謝と調和に影を落とすのです。

トラウマの解消は自己反省と明るい生きざまなのだ。
同時にトラウマの影である肉体細胞にも「ごめんね」と素直に謝り、
細胞達の神(自分)から詫びることが大切なのです。

自己の肉体細胞は、自分であって実は自分のものではなありません。
自分のものとは意識だけであって、肉体は親や先祖や遠い元祖神から頂いたもの。
それに、自然界の血肉がそなわったもの。
だから死後の自分は、肉体はお返しして意識しかないのです。
そもそも自分だけの物などこの世にはありません。
自己細胞ですらその痛みを感じる自分であって自分でないのです。
限りなく自己の意識に縁の深い有機集団、それが細胞さん。
身の痛みは両親の痛みであり、元祖神の痛みであります。
だから自己細胞にわびることが元祖神にわびることとなります。
感謝したりまるで他人のように自己肉体に語りかけて、
その健全を祈ること自体が純正自己を回復していくこと、先の「一つの命」にまとまることになるのです。

ヒーリングとは患部細胞に語りかけて、慰めて愛念を送ってやるのです。
「さあ元気になってね、元の本当の貴方になってくださいね」とヒーリングする。

疾患が重いと、こうしたヒーリングにも頑として応じない細胞群もある。この場合は謝ってしまいます。
「ごめんね、ごめんね、辛かったね、でも君達が元気になってくれないと君達の神様(患者のこと)は喜べない姿になってしまう だからもう一度やり直そうよ」と。

2007年09月28日
人生の不要物

100歳を越えるご長寿の方、100人への調査で、人生を振りかえって何が要らないものかをたずねたTV番組があった。
さすがに100歳を越える方々だから、人生の辛酸を嘗め尽くしてきた貴重なご意見だ。
そのご老人方が不要なものと言った順位は。
第一位 外見
第二位 学歴
第三位 お金
なるほど、外見を取り繕い、いわゆる虚飾を張るというか宝飾ギラギラでは相手に感動も与えない。
愛や充実といった見えない本物の波動も与えることは出来ない。
自分の外見を飾って、心のレベルで高揚感があるのは自己満足だけではないか。
たしかに菩薩様も、如来様のようなモノをかなぐり捨てた境地ではなく、衣装などの「美」についての欲求があるようだ。
だから菩薩様はわれわれ人間と同じように、ほどほどの衣装と宝飾を身まとって礼を正される程度にしておられる。

問題は外見、つまりひけらかしで他人の眼を奪う。中身のハートではなくて外見の虚飾である。
自己満足のレベルはいいとしても、それを過度に見せることで却って相手の反感を買うこともある。
もちろん華麗なお召し物はあの世に持っていけないし、ものもちという自己満足は今生だけのポーズだろう。
有名女性占い師や、関西の着物豪商の女社長さんも、どうも超豪華な外見だけが異様に目に付く。相手に愛や感動を与えたり、生き方の指導をするなど、人生のそのものの真っ向勝負だから、外見はいらないと思う。

お年寄りが振り返って、人生でいらないと思う二番目は学歴。
学歴があるから最高の人生を送れるわけでは決して無い。
学歴があったほうが何かの保険という程度だろう。
一方でその学歴を得るに必ずしも受験が絶対基準とも思えない。
試験に運不運もあるし大学が望んでいるのは前向きに取り組む姿勢なのである。
もちろん勉学が好きでなく、動物の世話をしたり、料理をしたり、モノを作ったりすることのほうが好きでその道に早くから入る人もいる。
野村監督は高校を卒業して直ぐに野球界に入ってよかった、
大学にいかなくてよかったと人生を振り返っている。

人生では、愛、一所懸命、笑顔、素直、精進努力、勇気、信頼、包容力こうした心が大事だ。
こうした心の器のほうが学歴よりも遥かに豊な人生を耕す道具となる。

田中元総理にみるまでも無く、孔子も、モーゼもイザナキキの大神も学歴があったとは訊いたことがない。
論者のサラリーマン時代に直接の部下に東大の博士が二名、早大と東北大の博士が各一名ずついた。
後者の私大出の部下は心も広く、包容力もあったが、前者はまるで使い物にならなかった。
頭に入れた経験知識だけから、物事を進めようとするから経験知に無いものはお手上げである。
知(学)ではなく心(神)が人間の要である。
100歳のご長寿に聞く不要物 三番目は「お金」との指摘。

さすがに長老の高見である。金があっても衣食住に事足りれば、さして過度に持っても意味は無い。使い用が無ければ、学校を建てたり、橋を架けたり、貧者に還元すればよい。お金を持ちすぎて、それで幸せという人はみたことがない。
だから食べていく以上のお金は意味が無い。

美食・快楽・遊芸に使うこともひと時の満足もあろうが、羨望、誘拐、そしてユスリのターゲットともなろうし、飽食や遊蕩の結果の「病」も待っている。
だからお金は、ほどほどにしたほうがいい。
何と言っても人生の最長老100人に聞いた結果である。
2007年09月26日
脅威の七田教育

<七田 真 先生>
左脳の意識が働かない状態をゼロ意識状態という。
あまり考えたりしないゼロ意識の時、実は自由に宇宙とアクセスことができる。
人間が最もゼロ意識の状態にあるときといえば、実は胎児の時だそうだ。

右脳教育の先駆者、七田真先生によれば
胎児の時こそ、人間は心的パワーを一番大きく、効果的に活用できるという。
妊婦が医師に胎児が障害を持っていると告げられたとき、胎児にこのように告げるとよい。
「あなたには宇宙エネルギーを自由に使いこなす力があって、その力を使えば病気を治すことができるのですよ」
お医者さんの言っている病気を治して、健康な赤ちやんで生まれてきてね」と語りかける。
すると、胎児は実際に障害を消して生まれてくる。

七田先生の教室に通う妊婦たちの間では、胎教講座でそのことを学ぶ。
そして事前に、胎児の障害を消してしまったという実例がたくさんあるようだ。
ある母親に「お腹の赤ちやんに卵巣脳腫がある」と医師に告げられた
どうしたらよいでしようと相談され、
「お腹の赤ちやんに語りかけて、自分で治させるとよいですよ」と指導する。
その翌月、この赤ちやんは無事安産で生まれた。
2 週間後の検査で脳腫が見当たらなくなっており、念のために行った 1 カ月後の再検査でも、医師が不思議がるほど、 2 、 3 センチメートルもあった脳腫がすっかりなくなったという。

胎児にはどうやら細胞の DNA を正常に正すカもあるようだ。
ダウン症と妊娠中にわかった場合でも、胎児に「あなたには DNA を正すカがある。
だから障害を消して、正常な赤ちやんで生まれてね」と語りかけ、正常に生まれたというケースが今までに 2 例報告されている。
五分間暗示怯の活用を学ぶことで赤ん坊といわず、どんな子どもでも、また子どもといわず
、大人でも生まれて間もない赤ん坊でも、この精妙なパワーをごく当たり前に使うことができる。
つまりゼロ意識の時には使いこなすことができるようだ。
5 歳になったある女の子が、医師に白血病であると告げられた。
母親は、しちだ教室に通っており、五分間暗示法による病気の治療法を習っていた。
そこで、我が子にこの方法を試してみた。そうしてすっかり白血病を治してまった。

5 分間暗示法は、人が夜眠っていて左脳の働きを休めており、
従って左脳の抑制力がゼロになっている時に語りかけて、
全知全能と言われる潜在意識にヒーリングカを発揮してもらう方法。
この時には、無意識の脳である右脳が、言語によらず波動言語(テレパシー)で、
下位層間脳に直接働きかけることができる。

五分間暗示法は 4 つのキーセンテンスによって行う。

① ***ちやん、あなたは病気治しの天才よ。
② ○ ○ なんか治してしまう。
③ 熱なんか下げてしまう。(医師が言った症状を消す暗示を入れる)
④ ほーらもう治っちやった。
以上の 4 つのセンテンスを、寝ている子どもの体をなでながら、 4 ~ 5 分くり返し言って きかせる。
大阪のあるお母さんは、高機能性自閉症と告げられたわが子に、
一晩に数回この暗示法をくり返して、
1 か月で自閉症をすっかり消してしまい、子どもが賢い健常児に変わったことを報告している。

2007年09月24日
集合意識の発動

私たちは大宇宙の中から身をまとったたった65億の人類の一人として選ばれてまいりました。
私たちの肉体は2×10の27乗もの元素から構成されていますが、
その由来は宇宙の創生期ビッグバンからの物質です。
この元素を一つづつ有機的に統合させて、今此処に肉体を持ち意識を持つ生命体として存在している。まさに超奇跡の存在であります。

一方、超先祖から代々DNAが受け継がれてきましたが、
この間に幾多の受精卵が誕生し先祖の肉体がこの世に出現してまいりました。
一回の射精による精子数は約1億とすると、
私たちの先祖は一億分の一の競争に勝ち抜いてきたエリートであります。


またその子孫である私たちは
一億× 先祖世代数(ホモサピエンス250万年前÷平均50才寿命=50.000世代) ×一世代の射精量(約10.000CC)倍の確率で誕生した超超エリートなのであります。
数学的には5×10の14乗分の1。凡そ500兆分の一の確立です。


自由な創造能力を持ち、意識は一瞬にして冥王星にまで飛翔し、そこで戯れ楽しむ姿すら想像することが可能です。
脳内の想像は創造の下絵でありかつ未来の設計図なのです。
超超エリートは自分が作った意識の枠、「かくあるべし」の中で「その現実とのギャップ」に勝手に苦しんだりもします。
もう一人の自分(神性自己=真我)は自我が作った「かくあるべし」の枠を冷ややかに見つめておりました。
神性自己から自我意識にはなかなか指摘・干渉は出来ないのです。
それは同一時空間に二人の次元の違う自己、真我と偽我を同時存在することは出来ないからです。
肉体自己が神性自己(真我)へ歩みよって、融合一体化して統一自己を図らねばならないのです。
この歩みを古来我国では神道(神への道)と言います。
本物の自分への原点回帰ですから己神道(コシントウ)ともいえますね。

本物の自分(統一自己)は宇宙自体が大きな一つの生命体であって、自分はその細胞の一部であることを知っています。
自分の親も子供も周囲の人も、鳥も樹も虫も大宇宙の生命細胞の一部であることを知っています。
だから「全意識という集合意識」は万物一体のエネルギー混成状態で、
その巨大な一つの命をそっくり進化させ調和させる役目を持って働くのであります。

電車の中で靴を踏まれても、「ワッ、こんなところまで現象の自在性が認められているんだ」と、
思わぬそのビックリ事態に「現象の裏」を見抜いている冷静さが肝要です。

踏まれて、「こんちくしょう」と自分が作りあげたその現象に肉体意識が振り回されないことが肝要なのです。
あらゆる現象を作り出しているのは自己意識の反映と見て、「ヒエーッ、こんなところまで演出してれた」と涼やかにその現象をみればいい。
集合意識への参画とは、良質の意念をその現象に送り込むことで、
これがカタチとして表現したものが「祈り」なのです。
が、実は如何なる生活の態度、場所、場合でも「意識している内容自体が祈り」なのです。
ですからイヤな場面でも「こんちくしょう」ではなくて「ヒョーッ!どういう意味なのかなあ?」と現象のサインを推し量ってみる。

以前に「病は気付きへの信号」「苦しみもまた信号」と論じましたが、
上記はそれと同様で一切の現象は進化への気付きと動因であります。

良質な意念は、台風や新潟中越地震の罹災者に対する
「同情心」⇒「生活の再生の姿」⇒「元気よく溌剌としている姿」へと意念が転生します。

世界柔道でヤマト撫子が金メダルを獲得する願いであったり、世界各地の飢餓・戦争が静まり、
飢餓の子供達の笑顔をイメージすることでもあったり、また具体的奉仕活動でもそうですが、
そのプラスのイメージが全て、宇宙の本質意志に共鳴し結びついて現象化するのです。

電車の中で前に座った方や、通り過ぎるヒトの波に向かって「こんにちは」「おはようございます」と無言で意念挨拶を送ることで、集合意識にどんどん参画していけます。

このとき無言のほうが無難なのは、警察や病院関係者に通報されてしまう可能性があるからです。(笑)
この「挨拶行」はかなりストレートに集合意識に働きかけます。
数週間たったら自分の胸の中心部辺りに意識を当てて、
囁くようなマスターからのメッセージを聞いてみてください。
2007年09月22日
祭りは「真釣り」

<日田祇園 まつり>
宇宙の真理を「真釣り」あげる。それが言霊からした「まつり」の本意のようにこころに響く。
「政」とかいて往時は「まつり」あるいはマツリゴトといっていたから、
政治というのは宇宙真理に相応した真実の営みを実行することが、時の王や祭主の使命であったに違いない。

もちろん天皇家は宇宙シャーマンだから、世界人類の全ての正業と平和を常に祈るという義務もある。
時は秋祭りの真っ最中。各町内でもお神輿は一基づつある。
小さな町内の単位で、寄進を募っては代々から神輿をしつらえた。所によっては子供神輿や山車もある町会もある。現代価格にして一台、数百万から数千万円もする高額なお神輿。それは戸時代そして、明治、大正、昭和と祖父や曽祖父その前に時代の方々が本当に祭りを大事にしていたからだ。

今ではいかがだろう、町内単位で新規にお神輿を積極的に求めようとする性根はあるだろうか。
わたし達の父、祖父、曽祖父の時代は崇高なものへの感謝という一念が常にあった。
だから貧乏所帯でも神社仏閣に寄進を欠かさなかったし、お祭りともなると多大な寄付をした。
そして神輿は一年に一度、神様をお載せして町内を巡り、無病息災、豊穣を住民に振りまいていたのである。


<わたしも参加してますぞ>
貧乏なこどもは普段食べたことのない大ご馳走をこうした町中の寄付の中から頂いていたのである。だから寄進の心は昔の方が今の時代よりはるかに旺盛で、「奉仕」「献身」が小さな町村に生きていた。
町の安全は警察のパトロールではなくて、住人の挨拶と連帯と係わり合いが基本なのである。税金でおまわりさんを雇って安全保障をうるのは物質拝金主義の反映で、こうした町の心と心の連帯からくるかばいあいや、危険予知、その場のオジサンやおばさん対応からくるのが基本なのだ。
<芝神明前 ことしは17基でしたか>
お祭りで気勢を上げるのが今の若者にもうけていて、ソコソコに人も集まるが、
このお祭りの空気に流れる「和」や「崇敬」や「助け合い」を今の若者にも気付いてほしい。

もちろん論者も神輿を担ぐ。
お神さんも息子夫婦もかついでは夏から秋に向かっての空気を呼び込む。
日本の祭りにも最近では外人さんも参加。ユダヤ系の方には何の抵抗もないだろう。
かの地でも神輿を担ぐのはモーゼからの慣わしだ。
日本の神様もユダヤの神様もその昔は大元一本。
日本の祭りやお神輿を未来永劫つずけてもらいたい。

2007年09月20日
北桜 ガンバレ!

横綱 朝青龍の謹慎でも息を吐いているのが幕内力士 北桜関。
相撲での息と言うより、地方巡業でのそのサービス精神。
朝青龍のモンゴル逃避でも、地方巡業は北桜人気が急浮上。

北桜とお客様との記念写真、サイン会などの様子が連日テレ ビで放送されるなど盛り上がった。
低落が予想された秋場所も、夏巡業の成功に大きく寄与したようだ。
北桜 英敏(きたざくら ひでとし):1971年12月15日生まれ。広島市出身。北の湖部屋所属。
身長190cm、体重170kg。得意技は右四つ、寄り。
愛称は「熱い男北桜」。

夏には専門学校での講演等にも出かけている。
スポーツにおける礼儀や協調性そして相撲における怪我や怪我の予防法だったそうである。
北桜は制限時間一杯のとき大量の塩を撒くパフォーマンスでも有名。
また対高見盛戦では、勝ち名乗りの後、支度部屋に戻るまでに観客とハイタッチを交わしたり、
子供との写真撮影に応じるなどなどで大ベテランながら人気急上昇中。

特に子供のファンには、「子供の良心を信じて」自らの携帯電話の番号を教え、
友達になって相撲をより知ってもらおうと、相撲普及にも腐心している様子。

そんな自身を例えて、「ディズニーのミッキー」「相撲伝道師」との言葉も。
今や角界で1、2を争う笑いが取れる力士であり、とりわけ高見盛や片山との対戦は盛り上がる。
趣味のビーズ編みは有名で、夢はビーズ編みの化粧回しを作ることだそうだ。


朝青龍と相撲協会の低落に、逆に気を吐く男。北桜の好きな言葉。
「梅には梅の、桜には桜の良さがある。
自分には自分らしい良さがある。決して背伸びすることはない」ですと。
2007年09月18日
笑顔は最大の武器

<笑うゴリラ>
たまに庭の手入れをするから家庭人といって、手入れをしなければ家庭人とは言いがたい。
野放図にすれば庭には雑草が生えてまいります。
家族のそれぞれが自由主義といって、実体は無責任無干渉では家庭内は草ぼうぼうとなる。
それが医師や教育者の家庭に多い。

またこうした環境で心が通わず草ぼうぼうのまま家庭内暴力や極端には殺人の現場となっていることもある。
60歳になっても親が生きていればコマゴマと怒られたりします。
だがこれ家庭人であるからには当然であります。50歳でも60歳でも親から見れば娘は娘。
いつまでもおこられることは大変ありがたいことで、素直に怒られて「元気よねエ」と
内心想っていると、親も益々、我が子のことを内心「立派な人物になったねエ」と想うもの。

人は「自分で勝手に枠を作って、その枠にとらわれて自分で勝手に悩む」奇妙な固定観念を作ってしまう。
新人は黙ってお茶をいれるものと勝手に枠を作る。ところが枠にはまらない新人が来ると大いに悩む。

環境を変えたければ自分が作った枠を取り外せばいいのですが、案外この事実を知らない。
そこで相手を変えてしまおうと躍起になって苦しみます。
そんなこと出来ないはずで、環境を作ったのは自分なのですから、悩ませるその相手も自分が作ったのです。
自分で作った現象を自分で否定するのは、これ全く自己矛盾。
こうした「うその自分」に気付かねばなりません。
神性自己はこうした自己ダマシの歴史を知っているのです。
枠に縛られた自己、偽我だけであって、神性自己(真我)の能力が発揮されていない。
自分で作った固定観念で、その観念に縛られて悶々とする奇妙なトラウマ。
その積み重ねが90%以上もの能力を潜在させてしまうのです。

ここでいう能力の発揮とは経験知とか学問知識という後天的な能力ではありません。
その人本来に備わっている先天の叡智、ヒラメキの類。
神性自己は枠の無い広大無辺の創造能力が与えられている。
だから「自分で勝手に枠を作る」ことはその能力の幅を大きく限定してしまうことになる。
さすれば自分の心の支えを自己否定するものですから心が快活になりようがない。
自分で作った負の氣が病変を誘う結果となります。

つまり自分で勝手に枠を作って勝手に悩むのですが、
そのトラウマ、悩みや悲しみが更に自己細胞にまで影を落しているのです。
ましてやそれがモノ、金、地位に囚われると我欲の方向に走り始めると破壊に向かう。

仕事上の目標設定とその行為がややもすると「純正な心」を踏みにじり、我欲に走ったら、
これ正しく神性自己「真我」をないがしろにすることになる。
「自分らしさを見失うな」とよう言われますが、むしろ『人から見たかっこいい自分を造ろうとしないほうがいい』のです。
個の固定化と個の自己主張は自己枠に他なりません。

<良寛さんの木像>
良寛さんのようにもっと大らかに、もっと素直に、もっとハッピーになって仕事上の目標が「人生の快」と融通して人生を快活に積極的に生きるべきであります。
「自分を騙しちゃいけないよ」と、どこぞの演歌にありましたが、
純正自己「真我」を放棄して目に見える物質世界のみに、その偽我に走る。
なにゆえにかくある不幸を選択する必要がありましょうか。

神性自己の属性はすべてが見えないところにある。
「生き生き」・「ありがとう」・「素直」・「大らか」であって、
その方向は「建設」「肯定」・「積極」の大方針を持ち、意識の基調は「愛」・「調和」・「進化」。
これらは全て物質ではないので見えません
世界人類共生に根ざす積極的生き方には波動共鳴といって、
類は友を呼び支援者が突如として現れてくるのです。
大宇宙自体巨大な共生体、一つの命であってその大愛の律動は、
その意識波動に応じた「必然」という現象の道を開いてくる。
一切に偶然はありません。

『ヒトは神であるから何でも出来ます。不幸にすることも生き生きとすることも。
ヒトはその神としての自由性を認められている存在で 何をすることも許容されます。
そして自ら作った結果に神としての万全の責任を負います』

観念で解かっても、実態として神意識と神行為にたたらを踏まれる方々へ。
『相手の心の神性や守護霊さんと対話』をしなさい。そして『貴方の笑顔が最大の武器』なのです。
2007年09月16日
阪神魂
5年ぶりに東京ドームに『巨人・阪神 戦』を観戦に行った。
セリーグの首位攻防、天王山の大激突。
しかも9月中旬だから残り試合いも少なくなって、この勝負でセリーグの覇者の道が見えてくる。
そんなわけで、東京ドームは4万6千人の超満員。ギッシリの超満員いやいや超超満員。
スタンド通路脇にもギッシリですから、消防庁届けの公称4万6千は超えて、5万人はいたのではないでしょうか?
コンサートなどでは7万人くらい入るそうですね。
スタンドは試合開始の午後6時前から異常な熱気。
一塁側は緋色のタオルを首に巻いたGファンのスタンドで埋め尽くされている。三塁側は阪神の黄色の鳴子バット一色。
5万人がおよそ左右に分かれて、大声援が、なんと試合が終わるまでつずく。

総力戦の様相で、ピッチャーも中継ぎ陣も、ピンチヒッターも明日以降の試合を考えずに惜しげもなく主力を続々投入。
それも逆転、逆転でまた逆転で、9回裏には7対7に巨人が持ち込んで延長戦。



10回に阪神が2点リード、その裏 巨人が盛り返し異常な熱気となったが9対8で阪神の勝利。
ネット裏で観戦したが右となりのわたしのお神さんも、前のお嬢さんも、左のG-ユニフォムをまとったおばさんも喉がかれるまで絶叫!絶叫!絶叫!
異常に興奮しきった両軍ファンに、私メ自身が圧倒されっぱなし。


<三階席まで阪神ファンに埋め尽くされる>
とりわけ阪神は三階席スタンドの半分以上でうめつくされ、ヒットを打つたんびになんと全員が総立ち。一部でなくて全員ですよ。


全体が緋色のタオルを振り回すか、黄色のバットを叩くかのどちらかなのです。
それが5万人が全てがやっているのです。
もちろん当方も、お神さんと一緒ですから、どちらか言うとGを応戦せざるをえない。
そのほうが身の安全のためですから・・・・・・・。
とうとう、延長戦はピッチャー上原と藤川の両エース。10回延長のその最後の打者が三振に倒れたのが夜の11時05分。それにしても タイガースの一糸乱れぬ応援は敵地ドームをも凌駕した。
かつては苦節 ン10年のビリ軍団。それを陰で表で支えてきた阪神魂、はいやはや素晴しい!!

<秩父神社 子育ての虎>
大事なお金を虎の子とか言いますが、関西人の気性に、その団結力にいやはやおそれいりました。
ちなみに論者は東京生まれの東京育ち。
観戦で、周りに圧倒され、少々気恥ずかしさの入った鈴木でした。
でも楽しかったですよ。
たまにいくなら「東京ドーム」。
世界ラン展もいいのですが、ビール片手の観戦もたまにはいいですよ。
サトルE学会 貧乏性事務局長でもありますので、野球場の使用料が気になるところ。
しらべますと1試合の野球場使用料 4000万円ですって!!
セリーグの首位攻防、天王山の大激突。
しかも9月中旬だから残り試合いも少なくなって、この勝負でセリーグの覇者の道が見えてくる。
そんなわけで、東京ドームは4万6千人の超満員。ギッシリの超満員いやいや超超満員。
スタンド通路脇にもギッシリですから、消防庁届けの公称4万6千は超えて、5万人はいたのではないでしょうか?
コンサートなどでは7万人くらい入るそうですね。

スタンドは試合開始の午後6時前から異常な熱気。
一塁側は緋色のタオルを首に巻いたGファンのスタンドで埋め尽くされている。三塁側は阪神の黄色の鳴子バット一色。
5万人がおよそ左右に分かれて、大声援が、なんと試合が終わるまでつずく。


総力戦の様相で、ピッチャーも中継ぎ陣も、ピンチヒッターも明日以降の試合を考えずに惜しげもなく主力を続々投入。
それも逆転、逆転でまた逆転で、9回裏には7対7に巨人が持ち込んで延長戦。




10回に阪神が2点リード、その裏 巨人が盛り返し異常な熱気となったが9対8で阪神の勝利。
ネット裏で観戦したが右となりのわたしのお神さんも、前のお嬢さんも、左のG-ユニフォムをまとったおばさんも喉がかれるまで絶叫!絶叫!絶叫!
異常に興奮しきった両軍ファンに、私メ自身が圧倒されっぱなし。



<三階席まで阪神ファンに埋め尽くされる>
とりわけ阪神は三階席スタンドの半分以上でうめつくされ、ヒットを打つたんびになんと全員が総立ち。一部でなくて全員ですよ。



全体が緋色のタオルを振り回すか、黄色のバットを叩くかのどちらかなのです。
それが5万人が全てがやっているのです。
もちろん当方も、お神さんと一緒ですから、どちらか言うとGを応戦せざるをえない。
そのほうが身の安全のためですから・・・・・・・。

とうとう、延長戦はピッチャー上原と藤川の両エース。10回延長のその最後の打者が三振に倒れたのが夜の11時05分。それにしても タイガースの一糸乱れぬ応援は敵地ドームをも凌駕した。
かつては苦節 ン10年のビリ軍団。それを陰で表で支えてきた阪神魂、はいやはや素晴しい!!

<秩父神社 子育ての虎>
大事なお金を虎の子とか言いますが、関西人の気性に、その団結力にいやはやおそれいりました。
ちなみに論者は東京生まれの東京育ち。
観戦で、周りに圧倒され、少々気恥ずかしさの入った鈴木でした。

でも楽しかったですよ。
たまにいくなら「東京ドーム」。
世界ラン展もいいのですが、ビール片手の観戦もたまにはいいですよ。
サトルE学会 貧乏性事務局長でもありますので、野球場の使用料が気になるところ。
しらべますと1試合の野球場使用料 4000万円ですって!!
2007年09月14日
天命即人事

<朝昇龍は日本の魂が分るのだろうか?>
横綱「朝昇龍」が今場所は蟄居の身で、いままでにない大相撲秋場所を見せている。
横綱とは心・技・体、この三位がいづれも卓越した栄誉ある力士で、
「千代の富士」以来、本物の横綱はいなかったような気がする。
仮病の横綱はかつていなかった。地方巡業を放棄して遊ぶ横綱もかつてはいなかった。
時津風部屋での出げいこで新小結豊ノ島(23=時津風)にプロレスまがいの技を仕掛けた。
相手が自分に背を向けて右足から崩れ落ちるところを、さらに上からプッシュ。
その瞬間「グキッ」という鈍い音が響いた。

全治2週間の負傷を負わせ夏場所を休場に。



また時天空をぶつかりげいこで痛めつけ、豊真将にも張り手とかち上げを連発と、
東西の前頭筆頭をもけ散らした。
角界のだれしも横綱のハメを外した暴れっぷりは気がついていた。
夜遅くまでの飲酒と乱行。
一番大事な「こころ」が抜けている。
頼りない親方は無論だが、相撲協会自体が「横綱としての品位」を指導しなかったのも
魂の抜けた日本の象徴のように映る。
日本には、心魂が抜けて、親が子を殺し、子が親を殺し、夫婦間で殺し合い、兄弟で殺しあう。
そんな「心の不在」の諸現象をイヤというほど見ている。
それは物質経済優先主義と、一人勝ち、出世欲、ばら撒き政治。
こうした「こころの不在」が分離と闘争と、詭弁と快楽の道に亜人を走らせる。

だから心ある日本人には朝昇龍のその所業に、日本の伝統文化への穢しを感じさせ、
同時に伝統文化の心を守るべき協会筋の黙認に皆さんの反発が潜在する。

<國常立とは「國と子たち」ともよませる>
かつては「人事を尽くして、天命を待つ」といった。
精一杯やって、後は天にお任せするという。どちらか言うと勤勉実直の美徳のようなスタイルだ。
だがそれでもなお、神人への道は浅すぎる。
「人事即天命」なのである。

「吾が為すること、それ天意なり」の心境で臨むべきではないか。
政治家も、医師も、学校の先生も、警察官も、もちろんわれわれ一般市民も、
天の心を己が道とする「天命即人事」と判じ切って神我を発揮しなければ、日本はよくならない。

大相撲の身勝手さのみならず、領収証を二度、いや五度使いする政治家、
詭弁を弄する公僕はもう日本にはいらない。耳障りの悪い環境にはいたたまれないリーダーもいかがなものか。ツイていない宰相には違いないが「天命即人事」の腹の据わった心魂ならば心によどみはないはずだ。
相撲の原型は『三種の神器』の神事である。
横綱土俵入りの土俵は「鏡」、太刀持ちは「素佐之男」、露払いは露、即ち水の意象の「月読み」の三神を意味する。

今の日本に必要なのは「天のこころ」なのだ!
2007年09月12日
古神道は己神道

幸せとは、感動・感謝・喜び・充実の四つが合わさることで、四合わせといつしか述べた。
その四大要素を呼びこむには「今」をプラス意識で肯定し、
その場面を存分に楽しみ味わうことから始まる。
全てを認め・受け入れることが原点である。

けれど日常、その一切を笑顔で「ハオハオ(好々)」と泰然としていられることは中々むづかしい。
心に見栄や建前がチョットでもあると、そういつも笑顔でもいられない。
誰しも心の玉にいくつかの瑕を前世から持ち歩いているからだ。
心に瑕を持つ庶民だからこそ今こうして瑕消し魂磨きという神の道を歩いている。
玉に瑕がなくなった光輝のゴールとは、全てのものに「与えるだけ存在」に成り切ったときなのだろう。
古神道には教義・経典はない。また大きな組織もない。
あるのは自己の心の光明を頼りに真実を固めていくしかない。
古神道をアミニズムといった人がいた。
木にも石にも、海にも川にも神がいるとするアミニズム。
間違いでは無いが、論者にはそれがやや表層な見方と映る。
大宇宙の創生から関与して、霊と体をつくり、人に言霊と数霊という
一切種智(人という他の生物を超えた存在、その種を維持している大元の智)を与えた大生命意思。
あらゆる存在は人智を越えた神から作られた。
神はその姿が見えたときには限定と比較の対象だから、決して見えることは無い。
見えたら神ではない。神の住む特定の神殿もないが、全ての人の「心の神殿」に棲む。
この故に一切の自然物はその背後に神が存在している。
自然の一存在のワレもまた神、正確には修行を続けている神の分身なのである。
心のあり方を教えるはずの宗教が、組織を持つと、唯心(唯神)がいつしか物質主義に変ってしまう。自ら垣根をつくって、あちら側の住人と敵対してしまう。
こちら側の住人は味方組織の教義・経典にすがり、組織の頭目は、その住人に金品をたかる。

ゆえに組織宗教と「しらずしらずの唯物の祈り」の歴史が世界をダメにしていったと思っている。
物言わず縋らず、たからず、
全ての存在と現象に神の計らいを看破し、自ら悟れよという古神道はいう。

古神道とは一見宗教のようで、宗教にあらず。
人に頼らず自らが神への道を切り開く「己神道」がその実体なのである。
ゆえに哲学であり倫理であり実践生活道、宇宙道なのである。

古神道には言霊にキーがある。
言霊を、まず意識の原図と見抜くことからはじまる。
そして言葉を律することによって心を支配し、その心を律することによって運命を支配するのである。
「美しい日本」政治のスローガンのそれもいいが、
それは「心の美しさ」であり、同時に「言霊の美しさ」である。




