2007年10月30日
ヒーリング

トラウマ(執着:心の傷)が深いと深いヒーリングを施しても細胞さんたちは容易にはうなづいてくれにくい。
深い心の傷こそご本人自身の自己への深い許しと愛が大事。
自己ヒーリングも知らず知らずの内に皆さんおやりになっている。
それは、無意識に胃を擦ったり膝や首をなぜたり、貧乏ゆすりをする光景は何処にでも見かけます。
意識して患部を押さえ込もうとか、敵としてみることは絶対にまちがい。
「すまなかったね」と同胞愛でわびることが最も大切なのです。

さまざまな病変の原因は、自身が勝手にこころに作ったマイナス波動なのだ。

かって親から言われたことに腹を立て、否定や破壊の想念を持ち上げて当り散らす。
そうした観念の枠を勝手に作り出し、時間が過ぎてもなお牢屋の自己枠をぶら下げつづけている。
こうした怒りや悲しみの、パターンの繰り返しで毎日が過ぎていくと、
肉体の細胞さん達は親分の主観意識のマイナす波動でだんだん歪んでいく。

病変の原因は、・不健康な思い ・悪い場 ・悪い水と食べ物 ・歯の詰め物 ・病菌
・遺伝体質 ・外因性の事故などですが、ネガティブな自己枠、悲しみ怒り、不安などの囚われによるものが病の凡そ85%です。
医の本質ターゲットは病変者の意識でありトラウマであり、病変者自身がトラウマを解消させて、
「一つの命」に同化していく自己意識変容が最も大切であることは言うまでもありません。
[ありがとう]の感謝の心、[おはよう]の共生の心、[ごめんね]の素直な心が肉体細胞をゆるやかなものにしていく。

ホメオスタシスという自己治癒力は常にわたし達の生命体には宿っている。
愛が本質のヒーリングそれは自己でも他人でもいのちのホメオスタシスに作用します。
いのちそれ自体は宇宙大調和だから細胞もそれに同調する。
存在物一切は宇宙に同調する。
何故、ヒーリングができるのか?
それはその細胞も主人(患者)も命の仲間であって、患者もヒーラーも巨大な生命体の一部だからであり、ともに共生原理の上に成り立っている「一つの命」だからです。


私にはヒーリングできませんという方へ

貴方が好むと好まざると あなたは他のヒトにかけがえの無い方なのです。
貴方が母の手のぬくもりを感じたときにように 貴方の愛の手は他のヒトの苦しみを癒し
貴方の癒しの言霊は、他のヒトのいのちをも支えることもできるのです。
2007年10月28日
魂の子守唄
[西舘好子さんの講演にて: 子守唄の不思議]
日本子守唄協会を主宰されている西館好子さんに,この秋 サトルの大会講演を御願いした。
もう記憶にかすかにあか、ないかの昔に聞いた子守唄に母のぬくもりを感じているからだ。
誰しも子守唄に愛着を持っている。
人の心が豊かになる原点は、無意識に聞かされた「子守唄」にあるのかもしれない。
そうした想いで、子守唄にまつわる講演を御願いした。
以下はその西館講演の概要です。(国際波動研究所 「波動フォーラム」の掲載記事援用)
子守唄は、赤ちやんのために唄って、あやして、心地よく眠らせてあげるための唄です。
とても大切なもので、これを聞くか聞かないか、それによって人の生涯にも関わるものだと思います。
最近はおぞましい事件が続きますが、その大本を考えると命の問題にいきつきます。
その命を握っているのは母です。

大切なものは意識していないのに心に入ってきたもので、それは生涯消えることはありません。
「絆」(きづな)とは、母と子が無意識に送る時間の濃さで深まると思います。
大きくなってからコトバで絆づくりを語ってもそれほど深くは刻まれない。
10 年ほど前、ある凄惨な事件の話を聞いた後、私は子守唄が気になって調べだしました。
各地を回り、いろいろの人に聞き、学者や医者には子守唄の大切さについて尋ねたりもしました。
無意識に入ってくる子守唄のリズム、それが生きるリズムになると知りました。
ゆっくり眠ると、感覚にも情緒にも落ち着きがでます。叱れらた子どもには落ち着きがありません。
また、「どうせ聞いてないわよ」と無音だと、感情の豊かな子どもは育ちません。
美しい国だった日本。
その日本の美しさを見て来た年寄りには、そのエキスを伝えていく役割があるはずです。

いま全国に残っている子守唄の原型になるものがあります。
江戸時代の中期に唄われたもので、「江戸の子守唄」といいます。
背中に子どもを背負い、『ねんねんころりよ おころりよ』と唄った子守唄です。
その子守唄が参勤交代や薬売りによって全国に広がります。
同時に方言も加わってその類歌が出来ます。その子守唄を作ったのはお母さんたちです。

[歌手の稲村なおこさんの素晴しい歌声にも魅了]
そのちよっと悲しい子守唄の旋律が人の心を豊かにしていくのです。
また、子守をする娘たちが歌った子守唄は残酷な歌詞が多いのですが、それを唄うことで気持ちの解消ができたのでしよう。ですが、実際には子どもに害を加えることはありませんでした。

子守唄は祈りなのです。
子守唄は無意識に伝える親から子への命の絆です。
子守唄は命への祈り唄なのです。


時代は「子守唄」を放棄してしまった。
無意識に入るその歌声、そしておんぶされた母のぬくもりを知らない子供たちは、今、ゲームセンターにたむろす。
魂の唄、子守唄をいま全国に復興し、広げたいものだ。
2007年10月26日
意識の眼を開く

[米国サトルエネルギー・エネルギー医学会クリスチーン・ペイジ会長と土井さん]
京都で眼科の専門医をされている医師 土井麻里さんのお話を伺う機会を得た。 土井さんはは眼科医ですから、もちろん目の問題で来る患者さんを診ています。
でも、その背景には見えない何かがあると感じていると話される。
眼には生命エネルギーの輝きが放射されている、魂が体の中の何かを語っていると。
生命の循環を考えると、死や病気は確かに存在しますが、それを恐れることはないとおっしゃる。

『ローソクは燃えたくて燃えているわけではありません。生命も同じです。
とにかく生きたいだけ。それで良いと思います。人は人との関係の中で生きています。』
『生んでくれた両親があり人とのつながりがあります。だから一人ひとりが輝くことは、周囲の人
を応援することになります。みんなが同じ光である必要はありません。それぞれの光で良いのです。』
土井さんは正直に、今を大事に、精一杯生きろと、それが全てに響き渡るのだと主張する。
『いま人類は難間を抱えていますが、それを乗り越えていくことで次のステージが開けるはずです。
その時に必要なものがサトルエネルギーなんだろうと考えています。』

医療の原点は体・心・魂の気付きと魂の喜びにあると断言する。
21 世紀の医療にはサトルエネルギーにより魂が覚醒し、
意識の拡大をおこす深い癒しが求められているとも話された。
つまり「意識」⇒「心のあり方」⇒(心がひずめば)⇒「病変」(心への危険信号)
「意識」⇒(愛・感謝・調和・いきいき)⇒「魂の浄化」⇒「集合意識への光」⇒「宇宙の心」
こんな道筋だ。「からだ」と「こころ」と「いのち」はいつも繋がりあっている。
2007年10月24日
スピリチュアルダンス
米田晃さんが主催する人間科学研究所 設立二十周年記念に出かけました。
20年も前に物質至上主義の限界を知り、このままでは地球が危ないとの想いで設立されたそうだ。
今ではいくつかの精神復古を主張する団体もあるが、個人で研究所を設立され、同じ状況でも個人独自で「ネットワークづくり」・「ヤマト雛型」・「文明の限界」こうしたことを営々とやり遂げてこられたことに敬意を表する。

この会合には古式宮舞九十八代家元の藤原和晃さんらお弟子さんによる巫女舞も、
また板倉リサさんの幽玄な浄化の舞も見せていただいた。
ご両所ともサトルの大会ではともに舞台を飾っていただいたこともある。


板倉リサさんからは12月20日(木) 18時から 青山での『不思議なコンサート』お誘いを頂いた。
(細部: http://members2.jcom.home.ne.jp/lisaitakura/)
47弦のハープと7つのクリスタルボール。そしてリサさんのスピリチャルダンス。
二胡、ギター、ボーカルも絡んでの天女の舞がみられる。

クリスタルボールのはら・まゆ魅さんともお会いしたことがあるがチャクラの活性にはかなり効いた。

冒頭の米田晃さんが、タマ出版から『高次元ミロクノメタ文明』という本を出版された。
中身は相当、充実した内容です。

脳の研究、意識科学、闇の存在、アセンションとじつに多様な内容ですが、全て一本に繋がっている。
2007年10月22日
ねがお
本来の自己とは「わくわく・ウキウキ」である。魂の輝きである。
仕事をしても「わくわく・ウキウキ」の輝く意識がいのちの本分である。
そんな毎日で居ると、素敵なものに出会える。


それは可憐な花でもあったり、素敵な光景であったりもする。
素敵な光景とは「自我」のない「一緒になろうね」という小さな子供のしぐさ。
道端の草を束ねて、母親に差し出す小さな子。
また何気ない寝顔も心和む風景だ。
悪戦苦闘する世のお父さん方も、寝るとそこには心の充電が待っている。
だから大人も子供も、寝ている顔は幸せそうに見える。

我が家を訪れる多くの若者も、中には眠りこける方も居る。
「しあわせ」な寝顔を見るとこちらにも、幸せがよってくる。
「自己保存」という分離の心があると、無理をする。
睡眠というあの世へいって、そんな無理をほぐしてくる。
そして、毎朝、生まれ変わるのだ。
仕事をしても「わくわく・ウキウキ」の輝く意識がいのちの本分である。
そんな毎日で居ると、素敵なものに出会える。



それは可憐な花でもあったり、素敵な光景であったりもする。
素敵な光景とは「自我」のない「一緒になろうね」という小さな子供のしぐさ。
道端の草を束ねて、母親に差し出す小さな子。

また何気ない寝顔も心和む風景だ。
悪戦苦闘する世のお父さん方も、寝るとそこには心の充電が待っている。
だから大人も子供も、寝ている顔は幸せそうに見える。

我が家を訪れる多くの若者も、中には眠りこける方も居る。
「しあわせ」な寝顔を見るとこちらにも、幸せがよってくる。

「自己保存」という分離の心があると、無理をする。
睡眠というあの世へいって、そんな無理をほぐしてくる。
そして、毎朝、生まれ変わるのだ。
2007年10月20日
区民祭り
地元港区の選挙管理委員会の推進活動などのお手伝いをしている。
その関係で、投票立会人などのもしますが、朝7時から夜8時までのツメはかなりしんどい。
投票に柔軟性を持たせるコトで数年前から投票時間が大幅に伸びた。
また投票日に行かれない方のために、「期日前投票」という選挙公示日の翌日から投票前日に票を投ずる制度も出来た。

それは投票率を上げる施策でいいのですが、投票立会人にとっては結構厳しい。
つまり拘束時間が増えてお尻が痛くなるまで座るのと、そうした期間が何日も続くということです。

さてボヤキはいいとして、投票日のトップバッターの最初の投票者には、
投票箱をオープンにして中に何も入っていないことを確かめていただきます。
これは全国同じで、余りこうした風景はお眼にかかれないので、こうしたブログで紹介しました。

[パレード直前にした待合にも,余念がない ]
港区区民祭りというのがありまして、行政関連の各種団体パレード、スポーツ大会、各種のバザーやら、商店街による売店、いろいろなイベントが区役所、増上寺周辺やその近く大きな公園で開かれます。
私もパレードに参加したり、買い物をしたり、ひょいとイベントを覗いたり。

[増上寺前会場 氷のアートとジャズサウンド]
子供お祭り広場などもあって、親子連れで大賑わい。消防車や自衛隊の緊急食糧車、そして地震体験の起震車ほかさまざまな特殊車両も出て体験が出来る。

物産展、名産店では皆さん抱えきれないほどのかいものもしている。
また鮎の焼き物、サザエのつぼ焼き、ラーメンなどの数え切れない味わい店舗に多くの方が行列をつくる。

[増上寺前 バザー会場]
一方では民謡やら剣舞、そして和踊りのステージに喝采が飛ぶ。

のどかで、賑やかな住民一体のお祭りに、親子殺しなどの暗いニュースを忘れさせてくれた。

子供たちの絵描いた「選挙ポスター」に応えられる、明るい世の中、やすらぎのある心を満たしてくれる時代は何かそう遠くないような気持ちに浸った。
2007年10月18日
神様である私達

私たちヒトが、神さまであるという論証は大きく分けて三つある。
その内の一つは「自分の心には嘘が付けない」ということである。
外に向ってどんなに汚い言葉を吐こうが内なる心には神聖であるが故に
汚い言葉を投げつけることが出来ないようにできている。

もう一つの論証は自分を作った両親の、そのまた両親というように自分の大本のルーツを遡れば、
とどのつまり生命の本源である神さまにつながるということだ。
従って、生命の本源の神さまからズッと時代が下ったこの世代に、私たちが生かされているということになる。

最後の論証は、私たちの体、60兆個の全細胞に生命の暗号、高度なDNAがぎっしりと詰まっているということである。
このDNA一つで精妙な生命体を造り上げることができる。
生体細胞はおよそ一秒間に数万の生化学反応を行っているという。
つまり一秒間に数万×60兆というすさまじい化学反応が体内で精妙に行われている。
細胞の新陳代謝は常に変わることなく心臓ならその同じ場所に生まれ変わり、
こうした想像を絶する生体システムが、わが内にあるのである。
それは神様のなせる業でしかありえない。
どんなに科学が発達しても、スーパーコンピュータを数台つなげ、数兆円の開発費につぎ込んでも
人間は、髪の毛一本、人工的に作ることは出来ない。
この38億年の生命の営みが刻まれた神の設計図DNAを、ぎっしりと体内に60兆も持つ私たちは、固有名詞の鈴木さんや佐々木さんでは無い。

あなたは誰かと訊かれれば、正しく「神さまです」と答えるしか無い筈である。
2007年10月16日
資源環境を内側に考える

行政に街路のゴミ箱の種類を増やせと吠えても仕方がない。
そもそも家庭内で狭い台所のゴミ分別をまめにしなければ話にならない。
生ゴミリサイクルの自然農園に子供と一緒に行って「トマトがおいしいわね」と子供と一緒に味う。
そのお母さんも、ひとたび我家に戻ると、お父さんのタバコの吸殻やビールの王冠を生ゴミと一緒に捨る。
資源環境問題を外に求めても決して解決にはならない。
環境問題は常に内側にある。
ゴミ回収日の増加を行政に求めても、排出しているヒトの心の中が「環境」の文字に染まらなければ、本質には入り込めない。

水、光、空気、そして大地からの恵みで今、生かされている。
この大自然に感謝する心が根底になければ、大自然に帰すべき道筋の環境問題は解決されない。

家屋敷・マンションを所有しているとは言うものの、その建築資材も、
土地も、箪笥も畳も元々、地球のものである。
自己所有物は本来ない。

いまの持ち家は神様からの一種の賃貸物件のようなものである。
食べるものもエネルギーも、天から等しく与えられたものである。
生活のための消費(IN)とは、常に与えられたものへの感謝、
天そのものへの感謝という愛念(OUT)と一対の関係をなす。


ゴミ処理や温暖化環境対策とはOUTの出来事であるから、
その前提に感謝が潜んでなければならない。
Sustainability(維持)という思考概念は、拡大、消費というINの概念と
地球還元というOUTの概念の中庸の生活思考といえようか。
いずれにしても、環境問題は行政の課題ではなく、自らの内なる課題でることを刻んでほしい。
2007年10月14日
気になる存在

「いのち」と「からだ」は別物である。
いのちを「霊性(Spirit)」と言ってもいいし、眼に見えない霊的エネルルギーと言ってもいい。
臓器と臓器との空間に「いのち」があるし、皮膚の外側にも「いのち」は繋がっている。
グループという人と人の場にも「いのち」はあって、そのエネルギーを交換し合っている。
また「いのち」はグループよりも大きな社会という場や、より大きな日本という場や、さらには地球という巨大な生命体とも繋がっている。

一人の「いのち」と思うかもしれないが、私達は地球や宇宙と同じ息をしている。
それは周りの喜びが自分の喜びであって、自分の喜びが周りにもいい影響を与えて、
全体で一つの「いのちのエネルギー場」を作っている。

だから隣に座った「気になる存在」も実は自分と繋がっているいのち。
自分も彼も、そして彼女も、誰も彼も「大きないのち」の中に共存している。
だから「わがいのち」とは「大きないのち」の一部であって、「彼のいのち」もまた同じということだ。
親子や兄弟や夫婦は「いのちの同胞」であって、前世からの縁深く、
互いに魂の磨きあいができるように約束して今生に生まれてきた縁。

神道では「いのち」は「意の血」あるいは「意の道」ともいい、「意」とは大生命意志つまり創造神をさす。従って「いのち」とは自分のもので無くて本来は、預かり賜ったものである。
ゆえに「賜いし霊(タマシヒ)」という。
この物質合理社会の中にあっては「いのち」とは自分のものという誤った認識がある。
自分の命だから他人の命とは無関係だとか、自分の命だから自分の勝手という思想である。
平成19年 親子の殺し合い、夫婦の殺し合い、兄弟の殺し合い尊属殺人が毎月繰り返される。
前世の修正縁もあろうが、自我我欲ここに至れりである。



「命はじぶんのもの」という、ここが重大な過ちで、くどいようだが「いのち」は神様からの預かりもの。
自他が分けられない「大きないのち」がいのちの本質である。

親の子への虐待、逆に子の家庭内暴力も「自分の想い通りにならない」「相手は動くモノ」「いのちって、なんなのそれ!」おおよそこの三つが虐待やいじめの心の背景である。
2007年10月12日
花舞台
{舞台上の 室礼 :塚田夢笙さん作}
サトルエネルギー学会のシンポジウムの特徴は心や魂、
そして、教育論など「見えない意識の大切さ」を訴える眼からウロコの講演が主軸だ。

それに加えて、季節の盛り花や、絹布を多用したすばらしい舞台上装飾がみられる。
また左脳ではなく、右脳に直接訴える舞踊や音曲の感じる世界を展開する。

{古代の大賀ハスも登場}
この9月の大会では、舞台装飾は塚田夢笙さんに御願いし、
講演には歌手 稲村なおこさん、ピアノ、ギターを混ぜた唱歌も登場。

{講演は 西館好子先生}
また二回の休息時間(各30分)の各後半15分にエクササイズ(体操;府川和楠さん)、
そして二回目の休息にはシンギングリン(和真音さん)があった。

中山康直さんの「日本人の魂」、そしてフンドシのお話も笑いの中に真実がうかがえた。

{壇上の 中山康直さん}
来年春 3月9日(日)には津田ホールで春の大会を計画している。
そしてまた大自然からの純粋で素直な花たちの笑顔をお見せしたい。





