2007年11月30日

心のギャップ

香川県 坂出市の祖母とふたりの保育園児の失踪、その犯人が捕まった。
残念なことに、金銭トラブルでの遺恨が動機らしく無残にも二つの穴から三人の遺体が発見された。
ということはあらかじめ穴を掘っていたのではあるまいか。face07

無関係な二人の幼児を道連れにする、鬼畜の仕業にはまるで理解ができない。
借金や、お金に窮しての犯罪や、自殺にいたる所業はさんざん見聞きしているが、本当に死にいたる絶望的状況なのだろうか。icon07

この日本に、おかねがなくて「必然死」する状況は考えられない。
シベリヤと違って冬に外に放り出されても、一気に死ぬことはない。
日本にはそこそこの収容施設はあるし、駆け込み寺もある。
アフリカや中東と違って、飢え死にしたというニュースは聞いたことがない。
だからお金がないことイコール人生に意味がない、モノがないことは死に値するという考え方は全く理解できない。
ましてや金の恨みで殺人にいたっては鬼畜としか言いようもない。icon03icon15icon15

お金がなければこれまでの道のりを反省して一から出直すことだ。
それが人生修行の意味なのだ。icon14

物質経済至上主義、金モノこそ全てというか、そうした西洋的唯物の価値観の時代はもう過ぎた。
政治家も経済界も、医師界も新しい価値観をひろく日本中に啓蒙していくべきではないか。
昨日の新聞には坂出市の事件記事の下に小さく、仙台市での親娘の車内での無理心中の記事があった。




一昨夜には論者の長女の次男が私の家の近くの病院で誕生した。
娘は当家に二歳の長男を連れ戻っていたものだから、家内は娘を病院に連れ添い、残ったジイさんと孫は、その出産の夜は一緒に手をつないで就寝した。icon06icon12icon12

あまりにも悲惨な日本中の世相と、お祝いの一片のこころとのギャップに心が痛んだ。  

Posted by suzuki at 07:01Comments(0)気になる出来事

2007年11月28日

アセンション考



[熱田神宮 神業時の大楠 (白へビさんとご挨拶)]


2012年12月22日 アセンションと言われますが、そのとらえ方を一部述べてみます。
巷には世の終焉とか、霊界と現象界の共存とかのお話があります。
どれが真実なのかと、「他論すがり」で各論の選択だけで、自身の心には尋ねないはどうも違う。
基本は自己の心を見つめる、そして問うてみるということが出発点だと思います。

論者や一部の科学者はパラレルワールドという一人一人の世界、それが共存した並行宇宙ととらえます。
それぞれの内なる質に応じた世界が、世界人口65億ですとその65億の世界が展開されていると説くのです。face02

ですから基本は自分の想いがこの世界を創っているという見方が大切であると思います。
ここで重要なのは大宇宙を創造した「大生命意志」=「根源神」と
自分とがどう共鳴共振できるかという本質自己の認識なのです。


愛・調和・感謝という三大要素が神人のエッセンスなのですが、
そうした神人自己の認識がこの時期に強く求められているのです。


来年は子年でアメリカ大統領選挙、北京オリンピックほか政治的・経済的にも
大きなイベントが多い年です。
日月神事では、子の年、その前後五年が肝心カナメといいます。
「ね」とは言霊でも「音」や「根」、「値」と音を共通にしています。
つまり「正しい言霊」、「精神のルーツ」、「価値感の変化」が沸いて出でる変化のピーク。face08icon12

2008年、子年から五年後は西暦2012年ということになりますが、
なんとしてでも日本人の一人一人の意識が「宇宙的視点に立つ」ことが望まれます。

アセンション、それは神人としての想いが反映される時期。
もっと具体的にいいますと「想い即 現象」の世の中です。

ですから反宇宙的想念であっては地球破壊に作用してしまうのです。face02
これでは宇宙と自己とは全く共鳴できませんし、従って生命エネルギーが供給されません。



アセンションを他人事ととらえずに、自己覚醒のタイムリミットとして、
常日頃から「魂の覚醒と進化」を自らの戒めとしていただきたいと思うのです。
  

2007年11月26日

意識の発進


巨大球体、その一端にブラックホールあり。全ての質量・エネルギーを圧縮し吸収する。
吸い込まれた質量とエネルギーはそのトーラス球体を抜けて、その反対に放出するホワイトホールへと向かう。icon15

全てを吸い込み浄化するブラックホール。
その通路を抜けるとブラッシュアップされた純正意識が放出される。icon14
意識はまた進化の旅に出る。
この意識のブラッシュアップ、永遠の進化を目指して繰り返されるメビウスの概念、トーラス球体は素粒子以下の大きさで無数に存在するようにイメージされる。
face02




空間には無数の微小真空が点在するが、その存在理由は微小真空こそ意識エネルギーの浄化と進化のトーラス球体であるからではあるまいか。

メビウスの原点とはブラックホールにしてホワイトホール。
その出入りも阿波踊りの手先八の字のように繰り返し、繰り返し永遠に続く。ひとの呼吸も呼気と吸気のメビウス。
やむことのないアルファとオメガ。われも永遠無窮の進化し続ける生命体。

その自覚(全)から、われ(個)を見つめれば、自分のものなど一切ない。
肉体も、炭素も、水素も、酸素も宇宙のもの。縁あってこの血肉となっている。
生命さえも神の一部を借りて、個の人生という魂の修行をしている。その自分ルーツの大自覚。
借り物の生命にしても、貸主の一部としての大自覚が必要だ。
ここに大生命意思と自己とは一体なのである。
icon01

ひとりの意識が地球に向かう。ひとり一人の個の意識が地球に向かい、共鳴しあい、地球を新たに浄化する。
個と個から全に向かう協働意識の発進、つまり「共鳴進化」それがこの世に生まれたもうひとつの神の使命でもある。 icon01

「私が神だなんて!」と謙遜することなかれ、料理もカラオケも掃除も洗濯も、そこに「無駄がなく純粋に生き生きであれば、まさしく地球浄化の祓いの行」なのである。face02

心に悲しみ苦しみがなく、その生きいき溌剌とした意識がこれからの再生地球を生み出す力となる。

政治や経済活動も、実は心の活動なのである。原理原則の国法を作ったり、投資する・しないの判断はすべて心から発する。
教育は子供の心を育てることが目的であり、警察は心の汚れからでた後始末なのである。

icon10一切は心・意識が基本でその心の浄化、意識のルネッサンスが今、求められ、汚れた地球は再生を要求している
icon01icon12  

Posted by suzuki at 06:09Comments(0)神泉界

2007年11月24日

赤心慶福

「赤心慶福」という四字熟語がある。赤心とは嘘偽りのないまごころのことである。
真心を貫けば福を呼び社会全体が慶賀に包まれるという意味である。
face01

伊勢の「赤福」は創業300年、その伊勢神宮を前にして「赤心慶福」から創業者はその二文字をとり看板を掲げた。
「吉兆」とは仏教では開眼法要などのおめでたい瑞兆を言う。icon05icon12icon12
瑞雲や鳳凰を眼で認めて社会全体がいよいよ明るくなるとの兆しをさす。



     <小田原 大雄山 最乗寺>


故に『吉兆』の名は日本国中の料理店にも広くその看板が用いられている。

論者の長男の結納の祝い膳は有楽町の「東京 吉兆」で行ったが、実に素晴しい日本料理であった。
もちろんラーメン屋にも横浜中華街にも「吉兆」の名はある。

こうした日本の伝統文化はもろくも「卑しい心」によって崩れ落ちた。創業のご先祖様の心に泥を塗った罪は重い。face10icon10
お肉の「ミートホープ」ならまだ少々救われるが、「赤福」や「吉兆」、「比内地鶏」の伝統食材とあっては何のため提供か。伝統文化に身を借りた金銭欲の「さもしさ」に愕然としてしまう。
お客様の楽しい顔や、お客様の和楽を願ってのサービス食品業であったはずだ。


誰が見ていなくとも嘘は、必ず宇宙に刻まれている。  

Posted by suzuki at 06:01Comments(0)気になる出来事

2007年11月22日

存在の感謝



  <イスタンブールにて:全ての神は元一つ>


大宇宙意識は、自己の中の全ての存在に「いのちのエネルギー」を与え続け、
生き生きと活力溢れ躍動してもらいたいのです。
衝突・破壊・否定の負の意識はその存在自体を消去してまうからです。

「全」の責任者として、進化と発展がなければ大宇宙はガンのように停止し秩序は崩壊に向かってしまいます。
ここに全の中の細胞、つまり私たちですが、本来生き生きと嬉々として
その存在を楽しむようにあらしめられているのです。
ですが残念なことに自己主張と物質性に身をおいてしまう場合が多い。

細胞同士は同じ有機体の仲間で、巨大宇宙意識の中では細胞同志の共生愛は存在の大前提。icon01
バラバラであれば細胞は孤立し、有機体としての『一つの命』は成立しません。
だからわたし達の身体の「小宇宙の細胞さん」は決して自己主張はしません。


個と宇宙意識との縦の関係は「存在と感謝の関係」で、細胞同士の横の関係は、「存在と愛の関係」といえるでしょう。

「愛をください」と巷の男女が愛に飢えているのですが、果してそれでいいのでしょうか。
愛とは与えるものであって、生命体の存在自体が愛のかたまりです。
愛には「放出する愛」しかなく「奪う愛」はあり得ません。

だから細胞に「ありがとう」と慈しみ、家族という共生体の原形核に「ありがとう」であるのです。
私たちが細胞に「奪う愛」を果たして送れるでしょうか?
支えてくれる朋友に「ありがとう」であり、深まって地球に「ありがとう」なのです。face02

自己の愛の放出と同様に他人からも愛の放出があり、
好むと好まざるとにかかわらず常にそれを受けているのが自己の存在の実態です。icon06
自分らは『一つの命』という宇宙大生命意志の成員であることに気付いて、
その中に自己が存在していることに純粋に「ありがとう」という「存在の感謝」が全てに優先するのです。




              
      <マグダラのマリア聖地にて>


大人は建前社会、金権社会を容認してきてしまいました。
また地球規模的には戦争、破壊・飢餓貧困・差別・薬害・環境破壊を容認してきてしまいました。

一方で大人達の意識には、それは赤十字の役割とか、国や自治体の仕事とかにすり替えて、自分には責任が無いものとしてきたのです。
ですが誰しも「一つの命」の主要な構成員なのです、「疲れきった地球」に責任が無いはずがないのです。

自分にも宇宙にも良いことを思い切って勇気を出してやる。
それが今一番大事なこと
icon01  

Posted by suzuki at 05:52Comments(0)神泉界

2007年11月20日

卑しさの脱皮

《昨日につづいて教育の背景を述べてみたい》

小さいときに親から「卑しい」といって叱られた。
最近では「卑しい」と子供にイエローカードは突きつける親はまるで見かけない。
「卑しい」というのは、心のさもしさ,・ゆがみをいう。


つまり、かつての親たちは子供の心のあり方、置き所を常に最前線においていた。
三年B組 金八先生も、ガバイ婆ちゃんも子供たちの心を見据えていた。
そして自分の子供も、よその子供もしかりつけた。face09
およそ『卑しい』とは次のようなことである。



①こそこそする    ⇔(逆の態度)堂々と胸をはる、明るく話す icon14

②人のモノをくすねる ⇔(逆の態度)自分のものを与える icon27

③物品を汚す・ケガす ⇔(逆の態度)整理整頓、掃除をする icon22

④物を見てあれも欲しいこれも欲しい ⇔(逆の態度)ものに走らない、我慢する心 face01

⑤独り占めにする   ⇔(逆の態度)分かち合う、ヒトの喜びを見るicon06

⑥人の陰に隠れる   ⇔(逆の態度)正面に出る、腹をすえる face06

⑦弱いものをいじめる ⇔(逆の態度)弱いものだから助ける icon22

⑧降参した相手をやっつける ⇔(逆の態度)泣くか謝ったらそれで終わり icon23

⑨ひとを騙す     ⇔(逆の態度)ウソは絶対につかない  face06

⑩だらしない身なり  ⇔(逆の態度)衣服は礼を正す icon11

⑪見てみぬふり    ⇔(逆の態度)良識ある行為、かわいそうと思う心    face05  

     
   おおよそこれらであろう。


卑しさの逆の態度も記述した。この逆の態度こそ『魂に拠って立つ』ということである。
この知育、徳育が社会も家庭でも欠けていると、『卑しさ』がまかり通ることになる。
この『卑しさ』という眼では見えない意識が、やがて社会悪の諸現象に発展していく。

卑しさからの脱皮が、「ヤマト大和楽」を創っていく
icon01



  [写真はセミの脱皮です(写真提供 塚田夢笙さん)]

小さいときから、親は子供の心を見据えてほしい。
大人なっても常にそうだが、人生とは常に純正魂に照らしてその現象を判じ、
自らの行動を点検し腹をくくる修養の場である
icon01  

Posted by suzuki at 05:58Comments(0)神泉界

2007年11月19日

卑しさのない世界へ



虐待や陰湿な自殺にまで追い込む「いじめ」。
死に至らしめるホームレス狩り。
昨今の親子、兄弟、夫婦尊属殺人。
いとも簡単にその命をたってしまう。


ヒトを死に追い込むことは、己を死に追い込むことと同じことなのだ。
宇宙構成する細胞同士が、殺しあっては宇宙そのものの否定である。
icon07

個人という立場にあっても、あの世でのその酬いは今生の刑法よりも重い。
死してなお償いが、己の良心から完全に払拭されるまで無限に要求されるのである。


いじめは、遊びから端を発し、ふざけあい、それが講じて一方的な親分・子分の支配関係になる。
そして支配が高じ、からかいと優越の虜となると「いじめ」へと子供の世界では発展する。


大人の世界でも刑務所や体育会系の団体、そしてかつての軍隊でも「いじめ」はあった。
だから階級というヒエラルキーがある限り「いじめ」は根絶できるとは思いにくい。
face04

問題はその集団のいじめの陰湿化と、外との交流を阻んだ閉鎖的な環境なのである。
また何よりも死に至らしめるような「生命を軽んずる意識」が子供も大人も感じていることなのである。


校内暴力という閉ざされた校門を開いて、一般人を呼び込みスポーツや文化活動に協力してもらうと、教育基本法や日教組から問題視されるのであろうか。
昨日も書いたが、「学校をジャングル」にしたらどうか。
老人たちと子供たちを共通の場にして遊んだりすることはどうか。


お父さんたちの社会の場、老人ホームや駅前清掃に連れ出すことは教育の放棄であろうか。
少なくともそうした閉鎖環境から開放環境へと政治が率先して誘導すべきではないか。
icon14

「良い・悪い」を閉鎖自宅や陰湿集団のその理論でなく、開放された社会での「良い・悪い」を広く子供達に見せたらどうか。

いまのおとなには集団と集団の喧嘩や、一対一の喧嘩など時として修羅場をくぐった体験があるかもしれない。
しかし絶対に許してはいけないのは集団で1人をやっつけることである。
集団で1人を陰でいじめることは「卑しい」ということである。


いじめた者が大きくなった時に、その卑しさを引きずったままの心根では決して大成はできない。
卑しさ、やましさのないことが人生の荒波を超える「本物の勇気」に繋がるのである。
それは天に恥じないからである。
icon01

とりわけ公人にあっては決して卑しさがあってはならない。
権力の拡大やましてや陰謀で他国の領分を侵してはならない。
一国の首長のみならず、すべての公人は心の曇りがあってはならない。




[あらら ご本がさかさよ]


「卑しい思い」と、「卑しい行為」を今の子供たちの想念から完全に絶たねばなら無い。
そこが学校のみならず家庭の教育の原点である。大元である。


ここを外したら「教育知識」もまるで意味を成さない。
だから「徳育」こそ最優先の課題で、親も教師も国の公人もその鏡となる「卑しい思い」と、「卑しい行為」があってはならない。
face02  

Posted by suzuki at 06:02Comments(0)神泉界

2007年11月18日

学校をジャングルに



昨年度の2006年、小学・中学・高校の学校が把握している「いじめ」の件数は12万5千件、一気に届出は6倍に増えた。だが実際にはどうだろう?? 学校の把握のないほうが圧倒的で、おそらくその10倍か?
「いじめ」という話題で、日本ホリスティック教育協会 吉田敦彦さん(大阪府立大准教授)とお話しする機会を得ました。

ホリスティック教育というのは知育だけでなく、徳育や環境すべてを飲み込んだ教育の概念。
温厚なお人柄の吉田さんは教育の現場で、様々な体験もされ親御さんたちともお付き合いをされている。

彼の一つの提案として、「学校にジャングルを作ろう」という話があった。
『いじめより、もっと楽しいことがあるよ。そう!みんなでジャングルを造って楽しもうよ』と問いかける。icon06

殺伐とした学校で、何もすることがなくて、『いじめ』がゲームのようにもなっている。
それよりももっと不思議なことや冒険が一杯詰まっていることに自ずと子供たちの心は向くはずだ。

論者は「教育大国 にっぽん」を標榜したことがある。icon22icon14

バブル経済での金と物の軽さを味わい、ヤマトの伝統文化と技術開発の両輪にはさまれた
「団塊の世代」退職者層がこれからの本物の教育を推進すべきだ。

物質合理の酸いも甘いも分った「じいちゃん・ばあちゃん先生」はお安いお給料で
本物の人間育成に第二のお勤めを果たす。
icon01



それも日本だけでなくて世界に広めていこうということだ。
それにしても小学校はじめ人工的なアンツーカーのグランドが、
緑一杯の木々生茂るジャングルになったら、子供たちは本物の心になってくれるに違いない。
face05

  

2007年11月16日

火事だあああ!



外がバタバタ、バタバタとヘリコプターだろうか余りにもやましい。
それもいつまでも続くのでドアを開けて表通りに出ると、なんとヘリコプターが8機から10機、私の事務所、芝の上空を旋回している。face03

道行く皆さんもいぶかしげに空を見つめている。
すると旋回の中心地点がおよそ数100mくらいの国道の上空辺りなので、事務作業の気晴らしがてらに金杉橋方向に歩いて行った。

すると、まさしく金杉橋の袂に消防車が数台、特殊救助部隊だろうか緑色の特殊車両や、
公安関係だろうか灰色のバスが二台。そして国道15号線(第一京浜)の下り車線は完全にストップ。上が首都高速になっている古川沿いのマンションからもうもうとする黒煙と赤い火が窓から噴き出ている。face08icon10icon10

やがて上空の消防庁の赤いヘリから、救助隊員が降下。
マンションの屋上に居る逃げ遅れの方を救出している。
後で聞いたら東京消防庁のヘリ降下による人命救出は初めてのことだったとか。




金杉橋の川沿いはつり船やら、カラオケ船も出ているところで、
数件のつり船屋さんには私の知人も多い。
釣り船屋さんではないのですが、救出された方は面識ある方だった。
地元ではかなり世話人の、町内神輿など差配をされている。

昼 3時過ぎ頃の出火で何が原因なのか分りませんが、災難はいつなんどき、すぐお隣にも迫ってくるものですね。icon16

あとで思うのですが、マンション最上階 7階でしたか?の出火ですから、一階まではびしょ濡れ。
もちろん出火した7階の室内は全滅ですがで、おそらく1階まで相当な建て直しが必要なんでしょうねエ。
でもたしかあの方、工務店の社長さんでしたわね。face06  

Posted by suzuki at 06:26Comments(0)気になる出来事

2007年11月15日

山寺のペトログラフ



[全山紅葉の山寺]

『しずけさや 岩に染入る セミの声』と芭蕉がうたった山形県の山寺。face06
全山紅葉の風情。道々 日本語ばかりでなく、中国語やら韓国語が飛び交って石段を山頂まであるく人と人。



[いたるところに仏教の菩薩様のお名前が刻まれている岩山]

だがよくよく見ると、一度書かれた線刻文字をそぎ落として、仏界の世界に修正されているようだ。
岩の裏側に行くと、古代文字、ペトログラフのかすかな形跡がある。face08




[紅葉がオーラのような仏様たち]


奥の院まで凡そ1000段くらい登ったろうか、突如、紫曇の気配を感じた。
つまり日本の古来の神々が住まわれていたと直感。icon01
案の定、山寺の奥の院には、鏡が祭られていた。




      [奥の院の内部:あれお寺に鏡が・・・・・]

鏡は自らの心を映せという神道の所作、曇りのない純正心を自ら確認せよという形象なのだ。
やはり山寺は、往古、古代文字と山全体が祓い所であったときづく。 

おそらく仏教伝来以降、国津神々の世界は仏教徒によってかき消されていったのだろう。
してみれば「古事記」も大陸人による日本源史の塗り替えであったろう。face08
日本の心であれば古事記に、たおやかな「フジ」の内容が記載されているはずだ。


たまにいくなら『山寺』、皆さんも想像をめぐらせてみてください。face02  

Posted by suzuki at 05:28Comments(0)たまに行くなら