2008年01月31日
裁判員制度

[ご存知でしょうか、リンカーンもフリーメーソンなのですよ]
昨年 鳩山法務大臣が死刑執行に大臣裁可を下すことに異論を唱えました。
もっと合理的な方法がないものかと、私見を述べたのです。
要するに死刑執行最終責任に自分の署名をすることをためらったということでしょう。
いわば死刑反対との立場なのです。
それならばそうとはっきり立場を明確にして、犯罪のない社会作りをキチンと指示し、また犯罪者の更生に今までに無い実効力のある方法を検討すべきだと思うのです。
もう近々、国民が裁判に参加する裁判員制度が実行されます。
まるで日本がアメリカに追従して、その陪審員制度にならったようですね。
ですが国民へ強制義務というのでしょうか、よほどの根拠がない限りその参画指令を拒否できないことになっているのです。


こんな強い強制義務を持つ裁判員制度を、国民の総意を反映しないで、いともやすやすと国会を通過したものだとおもうのです。
一般的に、憲法も刑法も民法も余りおなじみが薄いない私たち。
さてどのような判断が出来るのでしょうか。
おまけにこの社会には暴力団関係者も、精神分裂症患者も住んでいる。
一体どういった基準で裁判員を抽出するのだろうか。

少なくともこの制度自体に、当事者たる国民の意見がまったく反映されていないのです。
単に陪審員風な制度にならって「判決の民主的合理性」という明文をおっかぶせた感じすらするのです。
いかがでしょう、アメリカの「自由や平等」という文句の陰に隠された国民の操縦法。
平等という名の下に優秀な創作の突出や競争は押さえられ、「援助交際するのもあたいの勝手」という自由であったら日本の精神文化は崩壊します。



こうしたアメリカの戦略的な陰を、優れた魂の文化を持つ日本が背負い込んではならない思うのです。
「裁く」という見える物質世界にた立った「法の社会」、一方、「あるべき」という見えない心の中の「倫理観」によって生きる日本の精神文化。
隣の塀を蹴っ飛ばして、小さな傷が付けば器物破損罪になる。
そのいっぽう生涯の傷となる罵声、冒涜を相手方に飛ばしても物的証拠がないから傷害罪にはならない。しかし心の観点で見るとどちらが罪が重いのかは歴然としております。
国の指示で無理やり裁判員の参画を余儀なくされるのです。

そして「裁く」という立場に自分が確実に置かれるのです。
2008年01月29日
小さなな変化

[芝の増上寺にて: 猿回しのお姉さんとお猿さん]
1月25日付 読売新聞の記事で、「日本国民であることを誇りに思う」という方が93%に達した。

また「国の役に立ちたい」と考える方も73%にも上る。
これは過去の調査の最高水準になる。
細部調査では歴史、伝統、文化がその評価意識の根底にあるようだ。
現実面といおうか物質社会での調査は、教育科学技術水準は22ポイント減、経済的繁栄が前回調査の17ポイント減と、モノ・金社会での日本の価値水準は下がってきた。
これは日本人の心のあり方が、動物的残虐な昨今の暗い世情から少しづつ変化してきたということ。とりわけ物質経済主義から、心の基調主義へと徐々に変わってきた兆しと見る。

2008年、膿だしと産み出しの同時進行、破壊と建設が起きる節目の大事な歳なる。
既にそのことは年初のブログにも書かせていただいた。
こうした変化は、魂の根底に隠された気付き、愛と調和の意識転換があるのだが、表層的には小さな変化でいい。
家庭の中でのお父さんが、突如お掃除や家庭料理に腕をふるい始めてきた。お母さんがささやかな時間だがその時間をボランタリックなお手伝いにつかい始めた。子供さんに新しいお友達が出来てきた。
そうした小さな変化でいい。

その小さな変化が、1億3000万人に伝わっていくことが「大きな変化」に繋がっていくのだ。やがてその日本の意識が地球を変える。
2008年01月27日
赤いUFO
昨年の末に、町村官房長官がUFOは居るとの談話。

そして石破防衛省長官が、UFOの存在は否定する根拠がないと話す。
まあ要するに、昨年末から国会それも自民党のトップ層辺りからUFOの存在がリリースされている。
私も過去に4回ほど見ています。
アメリカはグレイ(ロボトミー宇宙人)から高度な技術を提供され、見返りとして地球人のDNAや、一極集中の操作しやすい人種化、つまりコントロールしやすい人間労働集団化への情報を与えているという。
この手の話は書店にギッシリ並んでも居るし、ネット情報も多様ですね。
エハンさんはUFO評論家とでもいえるほど手広い情報をお持ちだ。
個人的には地球人も宇宙人の一種だし、公表されていないから宇宙人は居ないというのは余りにも断定論だ。

さて昨年から今年にかけて、世界中からUFO情報が飛び交っている。
メキシコやロシアの報道、火星でしたか人間風の姿も発見されて、海外ではTV番組で正規のニュースとして取り上げられている。
BBCなどは心霊現象すらまじめに取り上げられているのです。
しかし日本ではVTR画像や証拠庫写真を持つ確証の高い発見者も居るし、私の信頼する何人もの友人も見てはいるのだが公表されません。
TV特番以外のまじめなニュース番組では全く取り上げられてはいないのです。
ところで昨年秋、月の探査衛星「かぐや」からの鮮明画像を見た方も多いと思う。
NHKからリリースされましたが、衛星の要元であるNHKはなぜ第二、第三と月面情報を流さないのか不思議だ? NHKもいわば税金で食べているのだから、国民に情報は十分バックすべきでしょう。
おそらく、月面にはかなりな人口構造物(かつてロシアが発表)が発見されているのだろう。
つまり「かぐや」からの画像情報はNHKやNASDA(宇宙開発事業団)辺りから当然 日本の内閣にはリリースされていなければならないおですn。
さすれば「かぐや」の発信した画像のすぐあとで、内閣でのUFO論議というくだりとなる。
NHKの橋本会長が、職員のインサイダー取引の責をとって辞任。これも承認されましたね。
確かに利益額は数10万円と小額だが、不正は不正。しかしそれでNHK会長が引責辞任は不自然。
NHKの「かぐや」からの情報義務を怠ったとか、あとあと問題をうやむやに??????

小泉内閣の「郵政解体」が、世界有数といわれる郵便貯金660兆円の一般市場リリースへとアメリカが誘導したことは明白だ。現にアメリカの年次教書にその当時、日本への圧力がはっきりと詠われている。日本のお金がフリーメーソン系の金融市場に流れていくことは必然。
つまり日本は、相変わらず米国の誘導下にあるのが実態だ。

内閣に入った月面情報は、親方アメリカの手で待ったがかけられているのだろう。
冒頭の写真は 「まもなく宇宙人が到着します」の著書 田村珠芳さんから頂いた。
大変綺麗な写真で、手かざししてみると強いエネルギーを感じる。
田村珠芳さんには、2008年の日本そして世界を預断して頂いた。
一口にまとめると「まもなく宇宙人が助けに来ます」でした。
著書のタイトル「まもなく宇宙人が到着します」から、セミナーの主題では「まもなく宇宙人が助けに来ます」になってる。
これがミソですよ。
彼らは味方だから・・・・・・・・。
2008年01月25日
魂の教育 七田真

[サトルの大会にて: 七田真先生と伯宮幸明さん]
日本全国で450ケ所も七田式幼児教育教室が開かれています。
海外でもアメリカ、シンガポ-ル、台湾、マレーシアに七田式教育論が広まっているそうです。
早いときから、右脳の感性に働きかけ、成功のイメージ、それも強く描いたり、文字にすることで自分の潜在脳に情報が焼き付けられる。

潜在脳は自動的にとでもいっていいほど、その目標に向かって行動を仕向けていくようです。
この開発者 七田真先生、御年70台も後半ですが、いたって健康そのもの。昔は肺病で死に掛けたそうですよ。
ですが未だに第一線での教室活動や講演活動を続けている。
小さな子供たちは、速読法といって本をぱらぱらとものすごい勢いでめくる練習をする。
すると映像のイメージや、文字のイメージが前頭葉もしくは目の前に湧いてきてその内容を読み取ってしまいます。
これは人間なら誰しも同じのようで、子供も大人も同じとか。
また、いわゆるエスパー脳力はどなたも持っているようです。

現に幼児教室の父母を集めて訓練すると、凡そ三割くらいの方がスプーン曲げが可能。
社会の片隅で繰り広げられる「ひきこもり」の青年達の不思議な交流を描いた作品で、
「ストーン・エイジ」という映画があります。
一昨年でしたか白鳥哲監督による作品ですが、その彼が『魂の教育』というドキュメンタリー映画を作った。
主役はなんと七田真先生。

その生い立ちから教育思想、教室現場の実態撮影などから構成され、約半年のロケであったそうだ。
先週末のその試写会に招かれ、約100分の劇場用映画を拝見した。
七田真先生ご自身とはサトルの大会を通じて5-6回ほどお会いしお話をもするのですが、大変に腰の低い方。お話も分りやすく、どこかのそっくり返っている大学教授のように難解な表現でヒトを煙に巻くなどさらさらない。
それでいて宇宙の中の人のあり方をやさしくとく。
「ヒトを認め、ほめ、愛し、育てる」それを家庭も含めた教育の本質にとらえている。
白鳥監督の舞台挨拶も当日あったが、彼自身「魂の教育」それ自身に触れ、感極まって涙していた。自分もこの魂の教育で、やり直せるなら、やり直したいと。
七田先生がユネスコ平和大賞を受賞されたのは凡そ10年前。
宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルはアポロ飛行船で、地球とのテレパシー実験をやったと述懐している。かれは現在、能力開発の研究所を持っているが、彼をしてこれからの人類に必要な教育として七田教育論を指摘している。
七田教室では、瞑想を奨めています。
やはり瞑想することによって散漫する心を落ち着かせ集中できると同時に、それが潜在脳にアクセスしやすうからでしょう。

[七田先生と瞑想法指導の原久子先生:サトルの大会にて]
以前教えていただいたことは、子供さんに小人のイメージをしてもらい、その小人さんに体内に入ってもらう治療法でした。つまり小人さんが体内の病巣を発見し、せっせと治療をしてくれる。これは相当数の治癒例があるようです。おまけに大人でも可能な療法。小人さんのイメージを強く思い浮かべて、その医聖とでもいえる小人さんに自分の体の中に入って治癒してもらうのです。

小さな子供さんをお持ちのかたは、「七田チャイルドアカデミー」を一度のぞいて見てはは如何でしょうか。
2008年01月23日
元服の意義

先週の成人式 毎年沖縄ではそうなんでしょうか、無法の若者のバカ騒ぎ。
何のための成人式か。
『子供時代を終えた若者が自立した社会人として責任ある態度を持ち、より良い社会を築くために貢献していくこと』の成人の意識はトンとない。
はばからずに酒を飲んでバカ騒ぎが出来るのが成人と勘違いしているようだ。

これまでを環境を束縛ととらえていたのだろうか、一気に「自由放任」の意識が出たのだろうか。この「自由」という言葉の裏側にはかなり危険な麻薬も潜んでいる。
それにしても成人式はいつから1月の第二月曜日に変わったのか。
いつの間にか小正月の15日から連休という遊休の時間が優先されてしまった。
まもなく来る建国記念日は2月11日。5月5日のお節句は「五行五大」その深い意味を持つ「数霊 五」の重ね。
重要な意味合いを持つこれら祝い日を、天皇誕生日もふくめて特定日でなく連休を優先するのか。
皆さんも結婚記念日や子供の誕生日を勝手に変更しないはず。
祝い日のその真意を忘れ、遊休を主とした国会による変更は実にばかげたことに映る。
小正月は「あずき粥」で精進して、心魂を清める。
またかつての日本には「元服の儀式」が旧暦ではあるがこの1月15日。
およそ14歳にして男子は童髪をそり剃髪して髷を結う。
それは失恋した女性が髪を切るという決心に近いのかもしれない。
髷、着衣から自己変容して、その行動変容を迫られる。
両親は、子供から大人へのケジメを祖霊の前で言い渡す。
この元服とは元に服すだから代々の家督を、責任を持って守るということと、責任ある立ち居振る舞いがその若者には要求される。
礼儀と道徳意識の高い武家社会、言霊を大切にする文化、それらは、物質原理や競争原理とは正反対である。

現代の若者は20歳を過ぎても、子供心という甘えも否定せず「自分探し」をしている。
そしていつも誰かに「認められたい」という心を隠して突っ張っている。
物質経済社会では心のモノ指しがないから私的・公的に「大人だ!」という認定書がない。
戦後 元服にみられる「自分探し」の儀式は完全に放逐された。

モノに価値基準を置いてきた20世紀でなく、21世紀はこころや霊性に価値を置く神聖紀である。
社会という「大きな心」にまじめに向き合って、自分の心の置き所を静かに見つけるべしである。
2008年、社会全体が、「見えない心や霊性」に価値を置いて、生き方の規範・真のあり方を求めない限り、医師も政治家も若者も凛とした人生、心の対話は出来ない。
宗教は自己否定の修行から入って、教祖の受戒で「自分の居場所と心の安住」を戴けるからストレートである。こうしたことが多くの若者を新興宗教に狩り立ててもいる。
しかし国のために、国民のためにいつでも死ねる覚悟は宗教では得られない。
覚悟とは「悟道」である。「悟道」とは己の心の道と書く。

が、その前に若者は「自分探し」という自分の内奥を見つめることが何よりも大事だ。
やがて「共生社会というより大きなこころ」を腹に据え、「至誠」「律心」「公人」という心の物差で人生を拓いて行く。
そうしていかねば世直しのための行動学、翻然たる「大悟」は生まれてこない。


元服、それは若者の「自分探し」のきっかけを与える、日本が誇れる社会システムであった。
Posted by suzuki at
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2008年01月21日
いのちの双葉

[縄文遺跡から発見された種、それを育てた大賀はす]
ここのところズット男性性と女性性、陰陽について書かせられている感じです。
それを素直に天のメッセージと受け止めて、単純に手を動かしております。
植物の種、花屋さんで店頭で売られている小さな種は、まだ命が与えたれておりません。
昔、大賀ハスという縄文期の黒い種を現代に花咲かせた植物学の大賀博士にちなんで命名されました。いまでは数10年にわたって育成をつづけ現代環境にあった「古代はす」となっています。
それも茨城の方でしたか大きな植物センタもあるし、確か千葉にもありました。
こんな古代の種が、現代に渡ってずっと命を保っているはずもなく、太陽と空気と水、そしてミネラルと土壌という「生命の五大」が与えられて、命という霊が宿ったのでしょう。

[種は いのちの五大要素を与えられて双葉が出る]
生命の誕生は、かのオパーリンの研究で有名ですが、植物の種子と環境要素と相互関係の研究で「いのち(霊的エネルギー)」を探っていくこともまた、素晴らしい研究課題であるようにも思います。
この種子から、命の要素が与えられると、双葉が出ます。この芽が出た状態を「ひな」といい神道系では「霊成(ヒナ)」といって生命エネルギーの着床ととらえます。ですから種のままでは「ひな」ではないのです。

この命の芽生えの双葉が、実は人にとっては右脳と左脳に相当します。
ヒト受精卵は脊柱状のものが伸びてその先端に双葉のように右脳と左脳の原型が形成されるのです。

右脳は感性的で時間を持ちません。過去や未来に飛んで直感的に物事をとらえ、また閃きによるところが大きいのです。
左脳はロジックの組み立てで考え、思考の時系列が明確です。
つまり女性性とは生命の「初発の双葉」のうちのひとつ。双葉のもう一つが男性性。
ですから脳のうちに、すでに男性性と女性性が誰しも組み込まれている。

私たちの人生はこの両性のバランスを取って生き、勉強すること。植物が太陽に向かって成長するというのは、その仕組みを教えているような気がします。
生命体というのは生命種の形は違っても、生き様や方向性というのは同じ真理で動いているように思います。

易学のも陰陽も同じで、プラスとマイナスの両性を認め合いバランスをとって中庸をいき、過度な飽食や栄達を戒め、一方で過度な清貧や肉体業を戒めているようです。
2008年01月19日
左脳の西洋、右脳の東洋
[三浦からの富士 :写真提供 櫻井 秀真さん]
スエーデンボルグはスエーデン科学アカデミー協会員で、今生きていればノーベル賞を与える側の科学者でもあります。
「霊界探訪」で著名な彼は「地球とは魂の生産工場である」といったようです。
ですが私には「地球とは魂の修行場である」という感覚が持たれてます。
この地球を人の頭になぞらえると、西洋は左脳で、東洋は右脳といえるようです。
左脳の論理思考と右脳の精神思考の中央分離線という脳の溝が地球上では東経35度ラインにあるエルサレム辺りの縦の経度ラインかと思われます。
だからエルサレム周辺から中東にかけて良くならないと、右脳と左脳を繋ぐ脳稜に架け橋がかからない。

エルサレムの丁度真反対がモアイのイースター島あたりになりましょうか。
基教と回教信者、世界人口の約1/3が信奉するエルサレムがある北緯32~33度ラインを東洋の方向に地球儀を回転すると須弥山(カイラス)があります。
ここは東経82度にあたる。
ここは五体投地の聖場で仏教・ヒンズー系そして一部回教徒も含む世界人口の約1/3の信奉地です。
つまりその聖地、両方併せて世界人口の2/3の思想の拠点。

[カイラス山 南面 五体倒地の聖地]
さらにカイラス山からエルサレムとカイラス間のほぼ同じ距離を東の方向にそっくり動かすと
九州の高千穂あたりたどり着きます。
九州は東経130度くらいですから、エルサレムを前頭葉(アジーナ辺り)とすると130-35=95度で、人のツムジを北極にするか南極にするかで変わりますが九州は左脳か右脳のほぼ中央に位置することになりそうです。
日本民族の性情からすると日本列島は地球の右脳のように見えて、ユダヤの物質論理に対して右脳の感性的役割を果たす民族のように見える。

物質経済至上主義、モノの豊かさの追求から、心の豊かさへの変化。
それは、左脳に片寄りすぎた論理から、人間の右脳の本質的感性を磨くところにあるようだ。

その重大な役割が日本にある。
2008年01月17日
自分は正しい?

[十一面観音さま ]
恋人同士のハタから見ればつまらない喧嘩もある。
忍者のように、そば耳を立ててそっと聞いてみると、あらまこんな事で・・・・というレベルの内容。
また子供の教育に端を発した「しつけ違い」の夫婦喧嘩や、仕事上での上司とのいさかい。
いたるところで偽我のぶつかりあいがみられます。
どちらも、「自分が正しい」と思い込んでの所業でしょうが、それぞれ勇ましく、引くことを知りません。

真我の意識には、物質世界を超えた愛・調和・感謝があるから、仮に誹謗中傷を聞いたところで「無意味な論」として平然としていられる。
ですが偽我の心であれば、誹謗中傷には我慢できずに反論攻撃するか、その場で黙っていても、こころにトゲが刺さったまま持ち帰って、その苦しみの尾をいつまでも引いてしまいます。
ケンカは当事者同士の双方の誤解が生む。こちらの話を誤解して、白を黒と捉えた相手方。
そしてこちらも相手方の世界を誤解して決め付けにかかる。
片方だけの誤解なら話の次第で分かっても来ようが、双方の誤解それも物質世界に心を委ねた偽我同士のぶつかり合いだからケンカになるのは必然。
それもそれぞれ「自分は正しい」と思ってるものだから始末が悪い。

怒り、ケンカ、不安、悲しみ、愚痴おおよそ不幸と名の付くものは物質世界での執着と自己保存。
偽我同士のぶつかり合いを「ケンカ」という。
「自分は正しい」とい言い切るのを「自己保存」という。
幸せとは ・喜び・感動・感謝・充実の四つを合わせることに他なりません。

嬉しい楽しい、ウキウキ・ワクワクのその持続とは何か。
日々の振り返り反省から偽我を消し去ることにあります。全てを受け入れ、分離をなくすことです。
いわれのない干渉には相手方の守護霊さまにそっと「ご苦労様」ですと慰めの祈り与えてみよう。
2008年01月15日
中性化?女性よ戻れ

[写真は 飛天を舞う浅野みずほさん]
女子高生の「おめー」「わかってんだろー」「おれんとこでよー」・・・・・様々な女同士の会話が電車や路上で交わされます。
ここに女性の単なる表層的な男性化・中性化が問題ではなくて、言霊のミダレが女性のあるべき精神の明渡しと映るのです。
かつては ボタンの花を愛で、雪をかぶっても神々しく存在感があるボタンや石楠花のように輝かしく生きたいと思う心が、今や花は眼中になく飲み食い合コン目的と変わってしまった。

一方、男性の中性化・ミスターレディ現象は、頑張る男性社会から逃避して手っ取り早くゲイ世界やらでお金を稼ぎ、化粧での自己陶酔と、個人美と他人美の競いに変形していったと映ってしまう。
「心の豊かさ」が男女共に本当の魅力であって、とりわけ女性の持つ本性的な「融和のこころ」が男社会に浸透していくことが大切だと思うのです。
男の建前社会は、世の女性陣もイヤというほど見てきたことでしょう。
永田町の力の構造が日本の社会構造を象徴しているのです。
ここには権力闘争、派閥力学が生きていて、足の引っ張り合いで創ってきた「チカラの社会」が物質志向と環境破壊と、家庭破壊と心空ろな犯罪少年を産んできたことを私たちは学んだはずです。
女性の持つ感性とは元来、心の豊かさを基調としているはずで、男性物質社会からの伝染で、女性本来のやさしさと愛を失ってはならないのです。
女子高生に限らずOLでも男性上司から「君!これやったほうがいいんじゃないの」といわれるよりも「これやってくれると助かるんだけど」と言われた方が受けがいい。

「やったほうがいい」と言われると自分世界への上司の入り込みと映り、「やってくれると助かる」と言われると自分が相手を助けてやれるという自己満足感がある。
男性が論理の世界の住人ならば、女性は感性の世界に住人。
ために、どうでもいい噂話が気になって悩んだりもする場面もしばしば見られます。
「あの人は私のことをこう思っている。私はこう観られている」という相手の想いを大変気にします。
男性は結構割り切っちゃいます。

「誰かに見られている」という意識は男性より女性の方がはるかに過剰で、仕事を終えて一人、自分の部屋に戻れば「ああしてやれば良かった。こうもしてやればよかった」と悶々としてしまう。
男性からみればご近所の噂話や芸能週刊誌の話題に夢中になるのは非生産的といわれます。
しかし、やさしさ・愛・融和という女性本来の感性は男性を遥かにしのぐ高度な次元なのですが、そこに「比較や分離意識」が働き始めると、自分だけの世界に酔いまた悩み始めます。
男も女も多かれ少なかれ物質欲・見得・孤独・不安・いらいらなど比較や分離意識をもっています。
ですから基本は比較・分離意識を徹底して早期発見することです。
自分の中にそうした意識があることを発見すると不思議と、自然浄化されます。
それは発見者が真我の眼で、偽我をみつけるからでしょう。

直感の鋭い女性ほどあるものが見えたり悪寒を感じたりすることもあるようですが、
こうした方ははっきり言って霊障を受けやすい体質。
自分の恐怖心や不安、こうした不安定な精神の波長と憑依霊の波長は同調する。
毎日けらけら笑っている方には、憑依霊はちかずきようもありません。
ですがこうした場合、軽度な場合は偽我の発見、つまり反省が回復への糸口。
重度の場合は大自然との対話が基本です。
女性は職場ではグループを作り易い、いい悪いがはっきりしない、
表面に出ることを恐れるなどの心理を持ちます。
個性の優れた感性に「比較と分離」が入り込むと、男性は暴力であるのに対して、
女性の方は陰湿さに反映されるようです。

「相手が私をどう見ているのか」ではなくて「私が相手をどうしてやれるのか」という相手方に働きかける心、一緒感が昔から日本女性の美徳でもありました。
勿論、男性も「何でくれないの」、「何で私だけがこんな目に」というモノ・金・地位の由来する怒り・排他・攻撃の性癖を持っています。
ですが男性も女性も「相手を理解し、相手の観ている世界に入ってみよう」という一体感、一緒になろうね感が求められるのです。

現代女子高生もヤンママも比較や分離意識とは無縁な神聖DNAを持っているのです。
ですから、多くの方と自然に溶け合う優雅さと、一切を受け入れてしまう優しくたおやかな心を誰しも隠し持っているのです。


新世紀の「心の豊かさを価値基準とした社会構造」に変貌させていくには、「融和」と「認め合い」。
それを潜在から顕在にした女性、その役割がなくてはならないと思います。
2008年01月13日
男の風景・女の風景

男性は昔から狩に出かけ海山で力仕事をして食料を確保してきました。
こうした肉体作業に適した身体能力を持っていますので、現代社会でも主に男性は仕事に出かけて生活の資源を得る役割りが普通です。
女性は子供を産み育てたり食膳をつくり一切の生活環境を整えたりします。
つまり男の力に対してより豊かな生活の場作りや守りの能力に長けているといえます。
男性の行動半径を見当すると、サラリーマンの東京から大阪の出張やらで概ね300Km位が、まあ通常でしょうか。
女性は近所の買い物やパートに行くのに概ね5Km位が日常生活の行動半径ではないでしょうか。
すると男性が見聞きする社会や出会いの人物の数は圧倒的に女性よりも多いのが当り前です。
裏を返せば女性のほうが見聞きする数が少ないから、その話の内容・密度が濃くて、男性の方は立ち入った内容が薄いということになります。
最近では女性も大また歩きだといわれますが、それでも会社の義務感を背負った男性のほうが急ぎ早。場合によっては駆け足でビルの狭間を商談に走り回っている。
早足の分、男性は感性の世界にまでは立ち入ることができにくい動物といえましょう。
男性は「情報量に対する価値観」と「駆け足」が縮図で男は仕事場へ。
女性は「質に対する価値観」と「遅足」が縮図で女は家庭へ。
それぞれの縮図と「女の感性」に対して「男の論理」という男性と女性の精神構造が出来上がってしまったようです。
だからオトコがお金を稼いでこなくなり経済能力がなくなると男の権威失墜で、それでもオトコは「社会常識はお前よりある」と威張ります。
オンナが家事や身だしなみにル-ズになるとお神さん失格で、旦那からするともう崇拝すべき神様ではトントなく「おガミさま」に映る。
それでもオンナは「センスはあんたよりあるわよ」と口撃します。

つまり男は金とモノを馬力で追いかける物質性、オンナは恋愛・やさしさ・満足・ゆとりといった精神性を基調に生きているのが世の構図でありましょう。
男女の機会平等を妨げるつもりは毛頭ありませんが、男女の身体能力差は事実でありそれぞれに適した作業分担はかつての日本を見るようにオトコの仕事・オンナの家庭という適性があるように思います。
問題は男女それぞれの価値観のぶつかり合いや、一旦それぞれの作業分担が崩れてきた時になし崩しに決め付ける「あんたが悪い」と「分離」や「比較」を持ち出すところにあるのだろうと思います。
男女はそれぞれの円が重なった、同心円であるという思い込みが、どうも間違いの発端のように思います。
偏心してそれぞれが別の中心軸を持っている二つの円であるからからこそ「学びの場」となる。
それを男が正しいと思っているその中心軸を根拠に、女の中心軸もそうであるはずだと思うところに間違いがある。
もちろん女も「なぜこの常識がわからないの」と自分の中心軸を根拠に詰めかかる。

男女は中心軸が違う、二つの円であるということがはじめから分っていて、それでいてお互いの歩み寄りということが大事なんだと思います。




