2009年01月30日

上野界隈 根津神社

ゆっくり時を過ごそうと、上野の美術館などに行きますと、だいたいお決まりのコースがあります。

上野東照宮の脇を不忍池におりて、左回りに池之端に行く。

それは上野駅から離れていきますから、人通りも少なくて池之端の裏道などは道かう方もほとんどいません。

池之端の界隈は池波正太郎の江戸の世界。
そこかしこにひなびた料理屋や、古めかしい木造の家並みがある。





[根津神社前 そこにも昔風情のちいさなお店がありますよ]



不忍通りを北に10分も向かうと、根津権現があります。
東京大学を背にしたそこは、第五代将軍 綱吉公の兄方の屋敷跡でもある根津神社さん。 

将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なったのです。






[たまには権現造りをじっくりご覧になってはいかが]




1706年 完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、
国の重要文化財に指定されています。

権現造りというのは、拝殿と本殿の間を石の間という一段低い間を挟んでつないだ造り。

将軍様が参拝するとき、神主さんが将軍に背を向けるのが失礼だということで、背も見えない一段低い間を作ったという説が有力ですね。

もちろん、日光東照宮も、北野八幡さんも、根津からちかい湯島天神も権現造り。

地元の方は根津神社とはいわず、権現さんといいます。






[境内には赤い鳥居がズット続いております]



根津権現は四月から五月の皐月祭りでにぎわいますよ。
境内の北側斜面には太陽の陽を十分に浴びた色とりどりのさつきに近郷の方が集まるのです。

境内には赤い鳥居が数百本も続く、稲荷社道に乙女稲荷と駒込稲荷がまつられています。

ですが、波動は駒込稲荷の方が圧倒的に強い。

この駒込稲荷が綱重公の屋敷時代の正式な邸内祭殿だったのでしょう。
イザナギイザナミがご祭神であるのに何で、お稲荷さんになったのでしょうねえ。





[ここが駒込稲荷さん]




おそらく、乙女稲荷の鳥居の参道をそのままつなげて、のちにお稲荷さんになってしまったのではないでしょうか。

本殿の根津権現さんは素佐鳴さま、大山祇がまつられてますが、そこよりも圧倒的に気配がいい。


おそらく、ヤマトタケル命が勧請したアースポイントが、根津神社北西の隅に当たるこの駒込稲荷さん辺りじゃないでしょうか。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(2)たまに行くなら

2009年01月28日

法律と道徳の違い


ふらっと、深川のお不動様におまいりに行く途中のことでした。
地下鉄 東西線の「門前仲町」を電車から降りて、改札口を抜け地上に向かう駅通路の出来事。

60歳も過ぎていたでしょう、いい年配の男性が公衆電話器の横にある鏡を見つめて、ヒゲをジョリジョリ剃っている。
地下鉄の電車を待つプラットフォームで、若い女性のお化粧姿も時々見かけますが、分別もある壮年の男性が公衆の面前でひげを剃るのも珍しい。

大人気ないそのふるまいにオヤオヤとよく見ると、なんと公衆電話のコンセント電源から電気かみそりのコードを繋いでいたのです。

これには、あきれてしまいました。
まさか電気洗濯機を持ち込んで洗濯する方はありませんが、公共施設の電気をこっそり頂戴する無神経さに日本人の道徳観念の薄さを感じてしまいました。





[原宿の竹下通り入り口 :多くの若者で溢れかえっていますが、若いときから道徳観念は持ってほしいもの]




駅の公衆電話器の「お電気頂戴」が頭に残り、以来いくつかの駅の公衆電話に気をとられますと、いるではありませんか。

自分の携帯電話の充電に利用する女子高生を発見。


女子高生といえば、電車の社内で声高の会話。
あたり憚らず、「超アッタマに来たぜ、アイツー・・・・・・」の言葉に、がっくりしてしまう論者。

言葉の乱れが、自分を取り巻くこれから環境の乱れを誘発させてしまうことに全く気づいていない。

こうした、人としての道徳観は一体 何処に行ってしまったのでしょう。





[千葉 佐倉市のとある神社さん]




人を傷つけたり、盗んだりすると法律で罰せられます。
ですが、法律のみが先行して、おまわりさんやマスコミで事件性が取り上げられないと、悪いことをしている感覚が無いのでしょうか。

道徳は心の規定です。
マナーや親切や、人としての道が少々ブレても、法律では罰せられません。


ですが、道徳を破ると「自分の心」に罰せられます。


『天に唾すれば 己に返る』、それは道徳。

天に唾しても 法律では罰せられません。


ですが何よりも先にあるのが道徳で、その次にあるのが法律なのです
  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)宇宙のこころ

2009年01月26日

ヒーリングの本質


自己の肉体細胞は、自分であって実は自分のものではないのです。
自分とは意識だけであって、肉体は親や先祖や遠い元祖神から頂いたものに、自然界の血肉がそなわったもの。


だから死後の自分は、肉体はお返しして意識しかないのです。


そもそも自分だけの物などこの世にはありません。icon01

自己細胞ですらその痛みを感じる自分であって自分でない、限りなく自己の意識に縁の深い有機集団なのです。
身の痛みは両親の痛みであり、元祖神の痛みです。


だから自己細胞にわびることが元祖神にわびることとなります。
感謝したりまるで他人のように自己肉体に語りかけて、その健全を祈ること自体が純正自己を回復していく.
それはある意味で、自己という個から「全という一つの命」にまとまることになるのです。




[花の存在 それは人の荒んだ心のお薬なのです]




ヒーリングとは患部細胞に語りかけて、慰めて愛念を送ってやるのです。
「さあ元気になってね、元の本当の貴方になってくださいね」とヒーリングするのです。


自己ヒーリングも知らず知らずの内に皆さんおやりになっていることで、無意識に胃を擦ったり膝や首をなぜたりする光景は何処にでも見かけます。

意識してヒーリングする場合、患部を押さえ込もうとか敵としてみることは絶対に避けてください。「すまなかったね」と同胞愛でわびることが最も大切なのです。
病変の原因は、患者自身の勝手に作った自己枠なのです。


かって親から言われたことに腹を立て否定や破壊の想念を持ち上げてそれが自己観念の枠を勝手に作り出し固定化して、時間が過ぎてもなお牢屋の自己枠をぶら下げている。
会社の上役や同僚へ勝手な一方的な思いを作りあげて、その自己枠の中で現実とのギャップに悶々とするのです。

この勝手に作った悩みと同時に、自己肉体の細胞達は意識のトラウマ作用で活性できないでいるのです。


ヒーリングはこのトラウマのせいでズタズタになった細胞たちに意念を送って、元の状態になってもらうことなのです。


病変の原因は、

・不健康な思い 
・悪い場 
・悪い水と食べ物 
・歯の詰め物 
・病菌
・遺伝体質 
・外因性の事故


などですが、ネガティブナな自己枠によるものが病の凡そ85%であります。





[たまには樹木のささやきを聴いてみてください]





ヒーリングは「癒し」であり「治療」ではありません。
癒しは本来の生命力を喚起させる手法、治療は患部物理療法といえるでしょう。

治癒の本質ターゲットは病変者の意識でありトラウマであり、病変者自身がトラウマを解消させて、「一つの命」に同化していく(有難とう、おはよう)自己意識変容が大切であることは言うまでもありません。


 ホメオスタシスという自己治癒力は常に患者の生命体には宿っており、ヒーリング(自己でも他人でも)はこのホメオスタシスに作用します。

それは自律神経を通じて免疫ホルモンなど各種の代謝ホルモンを分泌させ細胞を常に活性・調和させようとする生命体自体の作用を促進します。

何故、ヒーリングができるのか?

それはの細胞も主人(患者)も命の仲間であって、患者もヒーラーも巨大な生命体の一部だからであり、ともに共生原理の上に成り立っている「一つの命」だからです
  

Posted by suzuki at 06:00Comments(1)神泉界

2009年01月24日

魔った!

私が大学生時代の40年前頃でしたが、アメリカに長く滞在した友人に聞いた話が、当時黒人はアメリカの理髪店は入れず、日本人はOKだったそうです。
その頃はまだ黒人と白人の結婚は殆どの州が法律でNGでした。
それが40年たったいま、黒人大統領のアメリカ。
さすがにアメリカの進取のエネルギーは大したものですね。





      [オバマさんの演説]




「バックトゥザ・ヒューチャー」という日本でも大ヒットした三部作のタイムスリップのSFX映画がありました。
このシーンにも若いレストランに働く下積みの若い黒人がのちにアメリカア大統領になっていましたね。


それに比べて日本では50年間自民党の政権維持ですから、まあ保守性の強い日本人体質ですね。
恐らく農民票が自民党の基盤になって、思い切ったアウトドアの国政に切り替わってゆかないのですね。
農民票のために農業助成、といって田植えをやめて休耕田にする保証費が出る。
ですからその結果が食糧危機なんてアホな自業自得に陥っているようでもありますね。


昨日、地下鉄で都内を移動していましたら、とある駅の地下ホームの階段でなにげに「魔ちゃん」のお顔が壁に出現。

瞬間、見つけられて、先方は「しまった」とでも言うような顔つきで、ススーっと消えてしまいました。

昨年から日本経済はガタガタゆれてきましたね。私の知り合いの会社さんは殆どが、売り上げ激減です。
そんな会社の落ち込みで、不安、不満、失望、消沈の波動が巷を覆っているのでしょう。
ですからサラリーマンの多くが通勤する地下鉄の壁に、「魔ちゃん」が張り付いたのでしょう。



「鈴木さん、見えるの?」という質問にお答えします。
ハイ見えますよ、いつでも。
人の暗い心が「魔」を落としていくのです。


太宰治の「走れメロス」という小説に、自分の身代わり囚人の親友が、いまや処刑と言う刑場に走り戻るメロス。
そのメロスも魔のささやきで、一時は友人と王様の約束を破って一人逃げようともした。
身代わりの友人も、魔のささやきでメロスは戻ってこないかもしれないと疑ってもいた。
処刑を命じた王様も、メロスの刑場への約束の帰還に感動し、魔に誘われて怒り狂った我を恥じた。

物語はそれぞれの心中の魔を知り、ハッピーエンドで終わるのです。


黒人大統領オバマさんの出現で今までの固定観念が破れて、

“Yes We can.” “GHENGE,” “All is One.” が旨く走り出すと、日本も『魔った!!』となるかもしれませんね。


でも現象は、いっさい自分の心がつくっているのですよ。icon01  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)次元の変化

2009年01月22日

篤姫に想う




[篤姫 演じる宮崎あおいさん]



昨年のNHK大河ドラマの「篤姫」さん、主演・宮崎あおいさんの清純で、なおかつ凛とした態度に、すがすがしい日本の女性を見た感じですね。
そんな、10代から始まり、49歳まで演じた素晴しい篤姫の生き様に、日本中のオジ様もオバ様も感動したのでは・・・・。

平均視聴率が25%とかでこれはNHK大河ドラマでは10年振り位らしいですよ。
それでいて制作費は近年では一番安かったとか。
やはり視聴者の目線は、ドラマの質・内容なのでしょうね。
鹿児島では最終回の第50回の視聴率はなんと49%とか。


自分にとっての家族それも、大奥という巨大な家族を最後まで守り抜き、その中で一途に平和を願い続ける姿でしたね。





[薩摩屋敷跡の石碑]



とりわけ幕末の志士たち、歴史の影に隠れがちだった薩摩藩家老・小松帯刀にも焦点を当ててましたね。
その江戸の薩摩屋敷は、論者の自宅から徒歩2分くらいのところ。
いまではNECの本社ビルになってますが、そのビルの北側に「薩摩屋敷跡の碑」が建ってます。






[西郷 - 勝 会見の記念碑]




日本橋から新橋、そして田町駅前から品川方向へ行く国道1号線、その田町と日比谷通りの交差点あたりに西郷隆盛と勝海舟の「江戸城 無血開場」の慶応4年3月会見の石碑もTVでは紹介されましたね。
その丸い碑があるところは旧三菱自動車前(現在の三菱ケミカルのビル)なのですが、碑の裏側に「昭和29年 本芝町会 建立」とあります。
論者の住まうところの町会が「本芝町会」なのですよ。





[石碑の裏側 建立が本芝町会とありますでしょう]



昔の江戸絵図を見ますと、この国道一号線が海岸線沿い旧東海道で、会見の碑文がある場所は薩摩屋敷の砂浜沿いにあった離れの屋敷のようですね。
丸い碑のある場所は一号線沿いですが、薩摩屋敷の本拠はNEC本社からその北隣のセレスティン・ホテルあたり一帯でしょう。




[江戸会所図 本芝界隈 国道一号線が旧東海道  JR田町駅も図に上書きされてますが此処も青く塗られている海中でした。
図中に付されたの田町駅にかぶった下側に薩州とあるエリアがこの会見地。左下の薩州のエリアが薩摩屋敷本邸]




国道一号線の東京港口の交差点、つまり芝浦から慶応大学に抜ける道は江戸絵図で見ると掘割になっていたようです。
ですから論者の自宅は掘割沿いということになりましょうか。

この界隈は人情落語の「芝濱」の舞台、江戸時代は材木を海から上げたり、江戸湾で獲れる雑魚場があったようです。
ですから論者の自宅の旧名は「本芝材木町」。
もちろん芝浦、港南地区は全部 海の中です。


篤姫さんから、にわかに地元の近隣紹介になってしまいましたが、昔の方のほうが強い信念をもち、人生に果敢にとり組んで行ったように思うのです。


幕末の動乱に立ち向かった多くの憂国の志士がこの界隈を闊歩したかとおもうと、なにか今の経済に右往左往する世相と、世渡りだけを懐中にする脆弱な心根に檄を飛ばしたくなりますね。  

Posted by suzuki at 06:13Comments(0)たまに行くなら

2009年01月20日

心の強さ




[この時期だからこそ 自分の神性をしっかり見つめてみよう]




今の日本人にとって最も大事なことは「心の強さ」。


金融危機、景気後退と雇用不安に揺れ動く経済界。政権交代をと政局の波に揺れる党派、派閥の思惑と人間不信。
何でも表層だけの自由平等で、かつそれがイジメ温床で、本物の心不在の知識優先教育。

・ 自由で平等 イジメの学校
・ 自由で平等 ゲーセン遊び
・ 自由で平等 奪う愛
・ 自由で平等 いいたい放題
・ 自由で平等 裏で政界銭勘定
・ 自由で平等 偽産地
・ 自由で平等 すがりとたかり



俺が一番と口先だけ突っ張りつつも、それでいて「認めてくれよおいらを」を虚ろな眼差しでネオン街をさまよう若者たち。


資本主義の崩壊、食糧不安とエネルギー危機、老人大国と年金の不安。

しっかりせんか!日本人。 











明治時代は電脳ゲームも無く、豪華なご馳走も無く、それでいてわずか4000万人の日本人が自然に感謝し、元気に活躍していた。


ましてや維新の侍たちは、私利私欲無く 国家のために 食うや食わずで いのちを捧げた。
そこには ゆるぎない信念と すさまじいまでの誠意と ただひたすら責任に燃えていた。 


それからおよそ130年経った現代、
食糧不安とは言うものの、生産食材の1/3が消費の団塊で生ごみとして捨てられ、焼却のエネルギーをつぎ込む無駄な食糧生産サイクルの現状。

何のことは無い、食糧危機とはいえ今から大切に食糧を扱えばいい。
一日一食でも死ぬことは無いのだ。
幕末では当たり前のことだ。


エネルギー不安で、燃料代が高騰すれば、マイカーをやめて歩けばいいし、電車通勤のほうが移動総合エネルギーは安く済む。
勝海舟は本所(JR両国駅の北)から狸穴(麻布のロシア大使館裏辺り)まで、毎日あるいて通った。


ゲームセンターとネットカフェがなくとも生活は出来る。


生活コストを切り詰めて、死ぬ気で働けばよい。


この日本で飢え死にしたという報道ニュースは、いっさい聞いたことが無い。icon21
なんと恵まれた日本であることか!



1億3000万人の人口が少子化で1億人になったところで、年金資源がどうなるものでもない。
その分、人の口に入る食糧は少なくて済むし、衣食住を含め移動手段ほか、生活の全消費エネルギーは軽減できる。


今のこの時代、日本全体が軽挙妄動といおうか、「心のゆとり」と「逞しさ」がまるでみられない。
今の日本人、「心の強さ」をしっかり持たないと、私たちの祖先に申し訳が立ちません。


芸能娯楽と衣食の贅沢さにどっぷりと浸かった日本人。

ここいらで経済界、政治、教育、ご家庭の末端まで、
いかなる状況でも軽々しく動転しないで「本物の心の強さ」をもとうではないか。icon14



「心の強さ」をもつためには、どうすればいいか?

それは一人一人が「信念」を持つことだ。

「信念」とは、魂の奥底にあるゆらぎない、純正、美しさ、いつまでも変わることの無い魂の叫びであろう。

それは静かに魂に、耳を傾け尋ねるしかあるまい。

尋ねれば必ず教えてくれる。それが静かに耳を傾けようともしないで、動転するのみではなんともまとまらない。






   [伊豆伊東 小室山にての論者]




信念とは、魂という純正自己からの「言霊」である。


そして、この現象社会にすべてに「ありがとうございます」を連呼しよう。



魂からの「信念」をもち、「こころの強さ」を鍛え、
そして「ありがとうございます」の放出で、自分を取り巻く環境は大きく変わる。
  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)神泉界

2009年01月18日

出づる、来る




[来宮神社の大楠 一見モノですよ]




東京生まれの私ですが、2歳から4歳までは父の仕事の関係で、伊東市の西小学校近くに住んでおりました。

父には伊豆山神社と来宮神社によく連れて行かれました。
当時のその記憶なのですが、夢とダブっちゃっているのかもしれません。
そのときの薄っすらとした伊豆山神社の境内にいると、
来宮神社と光のケーブルで繋がっているのです。face02


伊豆山神社は、海岸の国道沿いからかなり山の手に登ったところで、また参拝路も長い石段を登りつめ、境内では眼下に湯河原から熱海にかけての海とみかん畑が見えるのです。
ですが、来宮神社さんは直接には見えない地形。


小さい頃の論者には、太い光のケーブルで繋がっていて、向こう側の来宮さんの光景が見えているのですicon01


40歳も過ぎた辺りから、当時現役の科学者生活の中にしばしば現れる霊視や霊聴を振り切っていた態度を改めて、やがてその世界に清水の舞台から飛び込んでしまいました。

その突入穴は意識を構成する原点である「言霊」からでした。


そのころから神社仏閣に何の偏見もためらいも無く、柔容として見えない世界も謙虚に耳を傾け、受け入れるようにしてまいりました。
つまり論者のスピリチャル世界の入り口は40歳位からなのです。





[米田晃さん主催の菊花ネットワークの面々とご一緒の 伊豆山神社]



そのあたりから幼い頃を思い出し、再び伊豆山神社と来宮神社を訪れて、中年の目とその感覚で両神社の「大地」を、そして大地に対向する「天」を感取してまいりました。


太い光の意味、それは「メビウスの輪」だったのです。

ゼロ点を越えブラックホールに入っては、再びホワイトホールに吐き出される。

その繰り返しで虚と実の道をたどって浄化される。
そんなイメージで伊豆山と来宮さんとは「出づる」・「来る」その関係にあると気付いたのです。


それは、螺旋階段のような「進化則」とでも言ったらいいのでしょうか、あるいは現象世界と魂の世界行ったり来たりと、いったらいいのでしょうか。
メビウスは、ゼロ点をはさんで「陰の世界」と「陽の世界」とを構成している。


いまでは一年に一回はその両所を訪れるようにしております。
論者のような視点でなく、自由な視点でみなさん、両所を訪れてみてはいかが。

両所とも熱海市内にありますが、来宮神社さんは熱海から徒歩でも行けますが、お隣の来宮駅からはごくわずか。icon17
ここの「榎の大木」は見事ですよ。

そして右脇の弁財天様の空間と拝殿の空間との波動の違いを感じとってみてください。


伊豆山神社さんも、ともに国津神系の神様がお祭りされておりますが、境内の高台で眼では見えない熱海駅方向の来宮神社さんに思いを向けてみてください。face06
きっと何かを感じるかもしれません。


伊豆山神社拝殿もさることながら、その右奥にある白山神社さんのエネルギーも感じとってみてください。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)たまに行くなら

2009年01月16日

意識は体内水に影響する




[心の状態は飲んだ水が体内水の構造に影響しますよ、ですが飲みすぎはご注意!]




人は1ケ月程度断食しても死ぬことはありませんが、水を三日も与えないと完全にダウンしてしまいます。

体内の水である血液・リンパ液は栄養や酸素を運搬し、体温調節は発汗作用で行われます。
エネルギーも体内の燐酸の加水分解で得られ、おまけに人体のDNAすら水分子が関与し二重螺旋を構成している。


体に取り入れられる水もジュースや大根オロシや様々ですが、
意識を光とすると感謝の心で戴いた水と、「コンチキショー!」とガブ飲みした水とでは体内での水の構造に大きな相違があると思われます。


高次な意識光が生体内の水や、飲み下した水に生体秩序と融和する形が与えられるものと推定するのです。

良質な意識光の持つ波動エネルギーは体内に入った水分子を酸素と水素に解離させ、
またよろしくないお水をも、体内では正常な体内水分子構造に再配列すると考えるのです。

生体内の水は意識光のエネルギーで分子状態よりもさらにエネルギー順位が高い原子状水素と原子状酸素に解離し、また再結合(H2O)して安定な球体水分子構造へ再結晶すると大胆に仮定します。
この安定な水分子が体内水、リンパ液や血液の水分になっていると思います。


呼吸によって得られた酸素の消費量は約75%が脳で消費され、脳に酸素が行かないと脳がやられてしまいます。

脳に酸素がいけばニューロン細胞は壊死せず維持・成長しますが、そもそも酸化しないということがどうも考えにくい。
酸化を抑制するSOD酵素も体内にあるといいますが、自然界もそうであるように、人体には酸化と還元は共存しているはずです。
つまり、ここに原子状の水素の存在が何処かに絡んでくると思われます。


お口からはいった水分は、細胞吸収された体内でいったん原子状水素と原子状酸素にかわって、原子状水素は体内の還元に作用しているとおもわれます。

酸化還元電位が+700mV程度の酸化力の強い水道水を飲んでもオシッコは、+100mV前後の電位を持ち、これは体内で還元されていることになります。






[母親の羊水は水素と電子がリッチな還元水ですよ]


妊娠中のお母さんの羊水は-200~0 mVの還元水であり、体内水が水素によって還元していることの説明がつきます。


生体は水質秩序系ですから意識光で解離した原子状水素と原子状酸素は再び良質な水分子となって体内液となり、十分に活用された上で体外におしっこで放出されるのでしょう。


肉体の歪である心のストレスは、活性酸素を創り出し、体内の電子を奪い取る。
病気は、電子が奪われた細胞さんに端を発しているのでしょう。


良質な意乗りや、感謝の心は、体内に水素リッチな還元水と電子を発生させているのではないでしょうか。

今回は肉体内の水についてのチョットかわった鈴木論考でした。  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)健康に生きる

2009年01月14日

成人式に思う




[成人 それはこころのうちで 穏やかに育つもの]





数年前までは1月の15日が成人の日でした。
2000年を越えた辺りでしょうか、いつのまにか1月の第二月曜日が成人の日になってしまいました。
結婚記念日や命日がころころ変わっては困りますが、同じように小正月の元服の日が15日という記念すべき日も大事にすべきではなかろうか。
行政の都合で変更してしまうのは、いかがなものでしょうね。


あいかわらずTVでは荒れる新成人、バカ騒ぎに何のための成人式かと首をかしげてしまう。
もちろん133万人ではなく、ごくごく少数のアホ青年かと思うのですが、大人の自覚と責任をもって生き抜くことを披露する式典が成人式の意味。
それをランチキの披露とみずから演出してしまっている。


張り合うグループ同士の殴り合いのケンカや泥酔などTVではモザイクがかかって放映されてました。ですがモザイクをかける必要などありません。
そのほうが「恥」と後で分かるだろうし、後続の未成人にもしめしがつくもの。
こうしたゆがんだバカ騒ぎが、恒例の族同士の継承であってはなりません。





[各地での 反戦デモ]



同じ日に、ロンドンでイスラエル系デモ隊とパレスチナ系デモ隊とのノノシリ合いがニュースで放映されてました。

もちろんガザ地区、イスラエル地区、戦火の本拠地では民族同士の憎しみが植えつけられている。

こうした状況を見るにつけ、憎しみはせめて次世代に継承してはならないと胸に湧いてくる。



成人式のバカ騒ぎレベルも、民族同士の憎しみも次世代には決して継承してはならない。

次世代に継承すべきは、バカ騒ぎや憎しみや不正の精神ではなく、
心の美しさと思わずにはいられない。  

Posted by suzuki at 07:30Comments(0)気になる出来事

2009年01月12日

2009年のメッセージ




[冬の牡丹園  春夏秋冬 にほんにはいつでも花がある]


 感動・感謝・喜び・充実を常に持続するということは中々出来にくいことですが、この四つを常に心に納めておくことが四合わせ(幸せ)であります。

私たちは大宇宙の中から身をまとったたった65億の人類の一人として選ばれてまいりました。
その私たちの肉体は 2×10の27乗ケの元素から構成されていますが、その由来は宇宙の創生期からの物質です。
この膨大な元素を一つづつ有機的に統合させて、今此処にビッグバンゆかりの元素ともに、いのちを頂いているのですね。

自由な創造能力を持ち、意識は瞬間に冥王星にまで飛翔しそこで戯れ楽しむ姿すら想像することが可能です。


意識の想像は、創造の下絵でありかつ完成体なのです。

意識が今の虚像(現象)を作っているのです。

意識を明確に把持固定するのが「言霊」なのです。

ですから創造のシナリオと舞台演出の全てが「言霊」が担当します。




言霊を扱う人間サイドの生命体と、言霊をヒラメキとして与える神我サイドの高次霊体とは、常にドッキングしている。

人間サイドと神我サイドの共通のツールが「言霊」で、正しい言葉使いが、両体のきづなをより確かなものとしているのです。icon01


「ありがとうございます」という言霊、
「おかげさまで」という言霊、「おいしいね」という言霊、
「ゴメンナサイ」という素直な言霊が、神我とのきづなを強めてくれる。

ですからこうした言霊を使うと、心が快活になることが分ります。


仮に「ありがとう」をいい続けて道につまずいたとすると「オットット」で済みます。face02
一方、愚痴、不平、疑い、嫉みの心で道に躓きますと、そうは行きません。
とんでもない恨みの方向に心がシフトします。


もう一人の自分(神性自己)はこの人間サイドの生命体をある意味で冷ややかに見つめております。神性自己から干渉は出来ないのです。
それは同一時空間に二人の自己を存在することは出来ないからです。


肉体自己が神性自己へ歩みより、融合一体化して統一自己を図らねばならないのです。
この歩みを古来我国では神道(神への道)と言い、特に言霊がその融合一体の力があるのですます。

神我が、人間生命体に限りなくちかずいた状態、その人間意識を真我といいます。
真我も神我も「全ての現象は自らが生み出している」ことを知っています。

そして地球や宇宙その巨大な一つの命をそっくり進化させ調和させる方向に働くのです。


電車の中で靴を踏まれて、「ワッ、こんなところまで現象の自在性が認められているんだ」と、ビックリその思わぬ事態に「現象の裏」を見抜いている冷静さが肝要なのです。face06

「こんちくしょう」と自分が作りあげたその現象に自意識が振り回されないことが肝要なのです。
あらゆる現象を作り出しているのは自己意識の反映と見て、「ヒエーッ、こんなところまで演出してれた」と涼やかにその現象をみていればよいのです。

良質の意念をその現象現象に積極的に送り込むことで、これをカタチとして表現したものが「祈り」なのです。
が、実は如何なる生活の態度、場所、場合でも「意識している内容自体が祈り」なのです。 
その意識は言霊で構成されているのです。

ですから言霊で発することが実現速度が増すのです。

病はこれまでの不健康生活の気付きへの信号であります。
苦しみもまたこれまでの人生の振り返りの信号です。icon01

一切の現象は進化への気付きと動因であります。

またガイアという地球生命体とも意識は同調しているのです。
地震も噴火も、台風も客観現象で無く、主観現象の一部なのです。

地球調和の意識、差別の無い意識、貧困生活の再生の姿、元気よく溌剌としている姿が私たちの意識であり、『2009年 地球再生の祈りと言霊』が大いに求められます。






この言霊を中心に『言霊から学ぶ輝く人生』という鈴木の講演と、サトルエネルギー学会理事の平澤幸治さんが『ヤマト民族 魂の使命』という講演をジョイントして行います。


◆ 2009年1月18日(日) 12時半開場   13時から17時まで

◆ 大田区立消費者生活センター

◆ 参加費 予約¥5000 (当日 ¥6000)

◆ 予約申し込み 主催:㈱メビウスアイ  TEL 03-5713-0836 
         メール mebiusai369@ybb.ne.jp
  

Posted by suzuki at 06:00Comments(1)神泉界