2009年06月28日
小児科医が語る

[愛聖会 八街こどもクリニック院長の 向後利昭先生]
千葉の八街で小児科医をされている向後利昭先生に「子育て論~揺りかごから来世まで~」という講演を頂きました。
向後先生は千葉県八街市の「愛聖会八街こども病院」の院長をされている。
先生が国立病院鴨下志津病院の小児科医長の時代、論者とは10年来のお付き合いで、今般、サトル主催のセミナーにお出で頂きました。
ご自身が幼い頃、腎臓病 重度のネフローゼで生死をさまよったこともあり、奇跡の回復を見せた。
そののちは子供の命を救う小児科医を一路目指してこの道に入られた方です。
DNA治療の研究を長いことされてきた先生ですが、現代の物質科学医療の限界をいち早く見抜き、今では代替医療、それも心の治療といいましょうか西洋医学も取り込みながらさらに一歩越えた分野で活躍されている。
小児科医として長いこと、親と子供のお二人に接していると、小児の病が子供原因ではなくて、親側にあることを指摘している。
とりわけ子供の病は、母親の影響が凡そ80~90%であるという。
現代の子供たちは、人を刺すことがゲーム感覚のようで、やってみて初めて、『死ぬってそういうことなの?』と実体とバーチャルのギャップがありすぎる。
それは本物の死を見つめ、接していない家庭環境にあるし、TVゲームの影響もあるようだ。
人を刺すことが悪いことなのか「よく考えてみよう」ではなくて、刺すことは初めから悪いことだという「感性の欠如」があるという。
「考える」と「感じる」の基本的な差が、こうした倫理の大本からズレがある。
鳥や猛獣にしても、本能的に子供を外敵から守り、寒い巣穴で身を賭して子供を抱きかかえ暖めるのは生命体の本性。
どうも人間だけが、親も子も勝手気ままな方向に進んでしまっているようだ。
全ての動物世界は「生きる」つまり身を守る方向に生き、そして「生かす」つまり食糧を確保し子育てする生活の動きに向かう。
ただ人間だけが、これに加えて「生かされている」という感覚を持つことができる。
つまり自分は社会や天に生かされているという「感謝の念」を持つことができる。
ここが人間として最も大事な「霊性」のポイントといえる。
[子供は決して我が物ではなく、個性を持った別の魂]
また子供は天からの「預かり物」であるという認識が大事で、親のもの、我が物では決してないという認識が、ご両親にないととんでもない方向に行ってしまう。
親の欲する方向に無理に子供をいい聞かせさせたがる。その方向に無理に行かせてしまう。
親と子供の魂は元々違うし、親の干渉が強すぎるとその子供の個性を崩し、子供の心にギャップを作ってしまう。
それが子供にとっては、様々な症例となって子どもの体に湧き出てくる。
もちろん「無視」というその存在の否定は、子供の心には病苦以上に大きなトラウマを残す。
子供には、画一的な教育のタガにはめられるのでなく、個性の発揮と自分からの進路の発見が大事で、周囲はその発見に協力する、探させるという態度が大事。
とある学校で、「雪が解けるとどうなるか?」という先生の質問に、雪が解ければ水になるとか、川になるとかの答えの中に、「春が来る!」と答えた子供が居たそうだ。なんと素晴しいことか!
また教師が、直線を黒板に描いて、「これは、一本の直線だ!」と話したら、ある子供が手を上げて、「先生それは二本あります。一本は右から左に向かう線。もう一本は左から右に向かう線です」。
この子はベクトルの概念を持つ子で、こうした発想の多才さが、その子の個性を伸ばしてくる。
またある学校では給食が毎日、山のように捨てられることに頭を抱えた校長がいた。
彼が悩んだ末に講じた発想は、学校の一部を畑にして、そこに農作物を子供たちと一緒つくったそうだ。
そして勿論、収穫物は全て学校給食にしたところ、食べ残しはゼロになったという。

[子供に農作物を作らせたり、それを料理させたり、それを頂くと自然への敬愛の念が育ってくるもの。 お金さえあればなんでも買えるのでなく、育て、つくるということが身につくと、モノを大事にするようにもなる]
こうした一緒に育てるという工夫が大事で、お金でなんでも買えるのでなく、仮に家庭の料理にしても、子どもに積極的にお手伝いをさせる事が、子供の食べものに対する愛着心を育てる。
そして「いただきます」「ごちそうさま」の言霊が心に染み付いて、モノを大事にし感謝する心を育てていく。
小児科の世界では様々な悩み苦しみを抱えたお母さん方も居る。
中には障害を抱えてこの世に生まれてくるお子さんも居る。
しかし赤ちゃんは「オーラが全開」している。
だから母親は赤ちゃんを抱くと自ずと自分自身が癒される。
障害児は母親の教育の使命を持ってこの世に生まれてきたとも言える「天使」である。
心40―食20―運(動)20―体(質)20 というが、病の本質は40%が心である。
また電気化学の世界にオームの法則(Ω)というのがある。
それは (電圧)÷ (抵抗)= (電流)である。
私たちが持っている内なる力を電圧、その実効出力の流れを電流をすると、体に対する抵抗がオームといえる。
それは、「身体の抵抗」もあれば、「精神の抵抗」もある。
そして最も大事なのは霊性で、そこにも干渉する「霊性の抵抗」(オーム)がある。
この三つの抵抗を小さくして、仮にゼロに出来れば出力の流れである電流は無限大となる。
身体の老化や病は、一種の「さび現象」とも言える。
錆びさせないサプリメントも大事だが、特にミネラルがキーとなっている。
いいミネラルとは、身近には「塩」がある。
それも沖縄産のある食塩は、有用ミネラルが豊富で、高血圧とは無関係に作用する。
京大や理化学研での研究も一緒にしたが、高血圧患者にその塩を数グラムとかなり多用したが逆に血圧が低下したという現象も起こる。
よい食材は「マゴワ ヤサシイ」と覚えると良い。
マはマメ、ゴは胡麻、ワはわかめ、ヤは野菜、サは魚、シは椎茸などの菌類、イは芋である。

[大かぶら、育てる農家の方のハートでこんなにも違う]
「食は遠くて、近いもの」が基本。
最初の「遠い」とは、哺乳類である人類とは遠い食材であって、動物ではなく魚介類や野菜がそれにあたる。
「近いもの」とは地産地消(ちさんちしょう)つまり住み着いたところに発生する食材を頂くということであり、日本人は日本のもの、或いは居住している地域に近い産物を頂くことが大事である。
食育もさることながら、もっとも重要なのが「霊性」である。
ヒトとは「霊止」と書く。
それぞれの「霊止」の中に「神性真我」が眠っている。
それをどう磨き、どう輝かせるかが人生最大の目的である。
2009年06月25日
真澄の鏡

[神社拝殿に向かうとlきは、原点回帰の自己を見つめよう]
神社の鳥居の形は、東征を目指した神武天皇が熊野で道に迷った折に、道案内の「三つ足カラス」が停まった、その杖のカタチが原型といわれます。
鳥居をくぐって参道を拝殿に向かいますが、参道とは正しく「産道」で、この世の垢にまみれる以前の、母の胎内に居た純真無垢な原点回帰の道のようです。
玉垣に囲まれた参道では、謙虚に己を振り返り、素直な自己となって歩をすすめる。
やがて左手の「手水」にて手、口を注ぎ身を清めます。
世俗の垢、想念の汚れを、清水ですすぎ、禊ぎます。
ミソギとは「身削ぎ」と書くと、なんとなくその意味合いが読めますね。
物質至上主義の世界、その虜になった物質欲の己を削いで、「素」の魂に帰る。
帰ることが「張霊(ハラヒ)」つまり、魂の拡大充実なのでしょう。
[諏訪 春宮拝殿 : 諏訪4社の内 春宮と秋宮のほうがエネルギーが高いようです ]
拝殿に向かって、二礼ニ拍、個人的にはイザナ氣(精神)とイザナ身(物質)への二神への調和の拝礼と覚えます。
神社でも自宅の神棚でも、その正面に「鏡」がありますね。
神様の依り代ということで鏡が配置されておりますが、己の心を神光で照らすという解説が一般的です。
「かがみから、が(我)をとれば、かみ(神)となる」
こんな、ことわざもありますが、偽我はどんな時でも忍び寄ってきますので、常にチェックしておきたいものです。
拝殿の鏡に向かって拝礼しますが、実は自分で自分自身を拝んでいるのです。
鏡に映る自分自身をチェックすると同時にその奥深くにある内なる神、「真我」を拝んでいるのです。
神道には教義はありません。総務や経理や営業をもつ巨大な組織体もありません。
ここが他の宗教と違うところで、血みどろの戦いと、教義解釈の内紛を繰り返すこともありません。
仏教、イスラム、基教にみられる領土と覇権の血の争いは教義と組織をもつがゆえに内紛の歴史を続けてまいりました。
政治(物質権力)も宗教(精神原理)を利用し、世界の紛争に宗教が絡まない例が無い。
この現実にアラーも釈迦もキリストも、後代を嘆いているに違いありません。
神道は敢えて教義、経典を残さなかったことに大きな神仕組みを感じます。
その教義解釈による組織内紛と頭でっかちな教条主義を未然に回避していたのでしょう。
「神道」は正しく一人一人の「心道」であって、神への道。

日本は元寇の役、第二次世界大戦という大きな危機に見舞われました。
それでいて他国に領土を侵略、分割されず、宗旨を変えられず、コトバも数千年間変えられてきておりません。
世界の歴史上、こんな「奇跡の国」はあったでしょうか。

[榛名神社 山全体が巨大な磐座である。ご神体は拝殿背後の 〈おすがた岩〉 ]
どんな山にも小さな祠や社をもち、お正月ともなれば誰しも初詣に向かう古来の風習は営々として残されております。
宗旨経典を持たず組織も無い神道、それが世界の戦火の影響を浴びなかった日本の神々の戦略だったように思うのです。
鏡に世界中の大調和・大和楽の下絵を描き、天に写す。
時には体内の鏡である「魂」の中に、一大調和・大和楽の地球、その実像を描く。
そしてその推進者たるべき、自分の溌剌とした姿も描き出す。
体内の鏡、それもシミ、曇りのないぴかぴかに磨きこまれた鏡を見ていると、自らが無くてはならない大宇宙の貴重な存在であることに気づく。
また己は、大宇宙大生命意志から偉大な創造能力を戴き、愛と、進化と調和ある世界を、責任をもって創る人神と気が付くでしょう。

[榛名神社の 白龍と赤龍 : 日本列島は正しく龍骨列島、その神民みな龍の子 太郎]
日本には神道という背骨がある。
それが他の宗教を認める日本人のバックボーンになっている。
ゆえに金融メルトダウン、債権に踊らされていた物質経済の崩壊から、正直者が報われる「新世界秩序」を創造していく推進者は、「日本人であらねばならぬ」ということが理解できる。
一切の「偽我虚飾」、「自己保存」の罪穢れをはずして、鏡の中、純正魂に神拝すべし。
拝礼の己の中のその魂は、祖霊につながり、果ては究極の宇宙大生命意志につながっているのです。
2009年06月23日
あじさい寺
[広い本土寺境内には辺り一面がアジサイ まさしくアジサイ寺です。]
[アジサイに囲まれた長谷山 本土寺には見事な菖蒲の花もありますよ]
あじさい寺といえば、北鎌倉の「名月院」ですよねえ。
昔風の素朴な北鎌倉の駅を降りて、うっそうとした茂みの中を歩いていくと、かの名月院があるのですが、そこには若い独身の頃から何度も足を運びました。
Yes!彼女を連れて何度もいきましたよ。
今回は、あじさい寺でも松戸の「本土寺」へ参りました。
常磐線の松戸の先、各駅停車駅の「北小金」で下車して、凡そ徒歩で10分。
両脇の大木に囲まれた参道を歩いて行きますと、お寺に着くまでの間にかなり大きな漬物やさんが2~3軒あります。
[この本土寺の多種多彩なアジサイ見物に多くの方が訪れてますよ]
そこのお漬物が、たいそう美味しいのですよ。
お寺につくまでの間に、ナスのあさ漬け、梅シバ、うりの漬物、こんにゃく巻き、しいたけの漬物、ラッキョウ、独活の漬物、ごぼう・・・さてさて、どのくらい試食しましたかねえ。
おまけに朝取れトマトなども売ってますものですからつい手を延ばしてしまいました。
朝は食べない私も、午前中に現地入りして、参道を歩くうちにお昼前のお腹が、まあ適当な加減になってしまいました。
本土寺はさすがに噂どおりのあじさい寺。
北鎌倉「名月院」がせいぜい300~400本くらいのあじさいの植栽ですが、こちらは3000本以上もある。
お寺は日蓮上人ゆかりの古刹ですが、その朱塗りのお堂や五重の塔を囲むように、美を競ってあじさい集団がギッシリと取り囲む。
藤色、ピンク、白、濃紺、赤紫、実に多色な、またカタチも多様な額アジサイなど様々なあじさいの姿に見とれてしまいます。
境内は結構広くて、ジックリ休み休み周回すると凡そ2時間近くはかかりますよ。
時期的に菖蒲も見ごろで、その菖蒲池を囲むように、あじさいの歩道が配されている庭内も見事。
中庭から裏手に廻ると、湿った土塀沿いのコケむしたしたも路面や笹のしげみも見られて古風な茶室に向かう路傍の風情も感じられます。
[風情のある池には赤紫色の睡蓮がポッカリ花咲いてました]
苔道を抜けて、再びあじさいの花軍団の中を掻き分ける様に歩くと、お堂がちょこんと乗っかった小島が浮かぶ池に出会う。
その小池にもに蓮の花など可憐な顔を覗かせて心を和ませる。
北鎌倉の名月院もいいですが、まあ本土寺の方に軍配が上がりますね。
2009年06月21日
プライバシーの侵害
[「いただきます」の言霊は神様への感謝と、食物への感謝。その言霊ゆえにわが身の滋養になってくれる]
6月の初旬に「言霊講座 現代に生きる言霊のエネルギー」と題してお話をさせていただきました。
「ありがとうございます」、「もったいない」、「ごちそうさま」、「ごめんなさい」、「こんにちは」、「さようなら」、「おかげさま」、などなど・・・・、その平易な言霊の本意とそのエネルギーについて解説しました。
こうした言霊に共通するのは、モノの世界ではなく心の内容です。
例えば「こんにちは」の「こんにち」とは、明るくて丸く輝く無償の太陽のことです。
挨拶のお相手の心を「太陽さん」と、かつては呼び合っていたのです。
今でも四国や新潟のある地方では、太陽のことを「こんにちさん」と呼んでいますね。
「太陽さん、お元気ですか?」と呼び合っていたのですね。
先にあげた言霊は、お相手や自然の仕組みに対する感謝のこころの表現なのです。
それぞれの言霊は心の奥底の「魂の響き」ですから宇宙の法則と共鳴するのです。
嘘もてらいもなく、ただ感謝ですから、「存在の肯定」であり、「全ての生命との共鳴」なのです。
ゆえに生命エネルギーが天から与えられるのです。
さすれば細胞は生き生きとし、笑顔となり、充実がやってくるのです。
話は変わりますが、マスコミでは、暴露記事が売れるために有名人を追いかけ、こっそりとそのマル秘な部分を探っては記事にしたり、業界の小さな噂話を拡大誇張して恰も本物であるような記事に致します。
そこには、感謝もなければ、敬愛もなく、大自然への畏敬の念もありません。ただ売上げ高かあるのみです。
このためか「プライバシーの侵害」という法律が近代にこの日本に流入してまいりました。
そのプライバシーの侵害の発祥は、弁護士大国、法律大国のアメリカと聞きます。
大物政治家が献金をもらい、ひそかに特定企業のために有利に動いたり、巨大資本を操るメーソン系の巨魁が巨利をうる策謀に動く。
それをすっぱ抜こうとマスコミや反政府筋がひそかに動き、盗聴まがいのこともする。
そのガードのためには正義の国?アメリカでは、政治家や巨魁を法律で守るように個人のプライバシーとして他者の干渉、個人の追跡をかわす。
そのプライバシー侵害が、いつの間にか人権擁護の世相につられて、日本に上陸したのはそんな昔ではありません。
いまでは個人主義から発生した[プライバシーの侵害]が正義のみ旗となって、渋谷で深夜にうろつく女子高校生の理論武装となる。
中高生を指導する補導員に「ナニヨ!それって、プライバシーの侵害じゃないの!!」と噛み付いてくる。
[熱海 来宮神社の大楠 1000年近くも変わらず太地に根ざす。ただ畏敬ですね。]
日本の江戸時代には、個人主義のプライバシーの侵害なんてものはまるでありません。
農民も町人も武士も、大義に生き、情にも厚く、仁を尊ぶ心中心の「全の世界観」。
ですからお空の「お天道様がいつでも見ている」、「恥を知れ」などの言葉が生きている。
誰からも見られているから、まっとうな生活を、正直な生活をしろとの倫理観に裏打ちされている。
泥棒に入ってつかまれば、「素直に縛につけ」といわれて、「へい!恐れ入りやす」で捕縛された。
いさぎよさがまるで無い、今日のように屁理屈や建前論は無い。
ただ「恥を知れ」である。
その時代の生活行動には、全てに繋がりあっていて、そこには嘘偽りが無かったのです。
お天道様が見ているからです。
長屋の破れ障子仲間の住人ですから、お隣近所は丸見えが当たり前です。
武士にしてもお殿様のために大義で働くのですから、こそこそともせず、むしろ自分の心の狭さを常に恥じる。
勿論 プライバシーの侵害なんてモノはまるでない。

ですから当時にはパパラッチまがいの芸能記者も政敵が放つスパイもどきも居なかったでしょうが、付けまわされても「大道に生きる正直文化」ですから、付回す行為こそ「大道にあらず、恥を知れ!」と一喝されるでことでしょう。

[見ごろですよ! その優しさ美しさに引かれるから、こっちの魂も綺麗になってくる]
江戸時代とは言わず、明治、大正、昭和の時代も日本人にはもともと「プライバシーの侵害」という概念はなく、嘘偽りも無く開けっぴろげの生活でした。
個人主義でなく、日本は元々農耕文化に根ざした集団民族なのです。
映画「夕陽丘三丁目」?でしたか、昭和30年代の当時は、珍しいテレビを購入した家庭があると、隣近所の方々が、ずけずけとその屋に上がり込んでのTV観戦。

それでよしとした「隣近所のお付き合い文化」の時代でした。
さて現代、核家族にしてアメリカの合理性を見習えと、心よりも物質思考へ。
そのなかで我よし、我こそと、嘘、偽り、こそこそと陰に隠れての個人主義。
物質世界で、実証主義と建前論がまかり通るから「プライバシーの侵害」とかが、やみくもに世に走り出る。
言霊とは、嘘無く、「魂の響き」で「神名五十音」をして感謝を伝え、慈愛の波動を放出する。
そして常に個人でなく、WE、OUR、USの世界観である。
だから「ありがとうございます」の言霊にも、主語も目的語もはいっていない。
常に言霊の世界は、全てによって自分は生かされ、その自分は全てと繋がっているという認識。
「見えない心の世界」を対象にした「言霊」を、もういちど見直すときではないか。
魂の響きが言霊。
魂の響きは、お相手も、大自然も全てが響きあうもの・・・・・。
2009年06月19日
もう怒らない・悲しまない
[諏訪大社にて: 拝礼の基本は心の中の邪念落とし]
6月30日の夏越の大祓えに向け、ひとしお大きな次元の変化がやってまいります。
既にもうお気付きの様に一日中眠い、時間がたつのはやい、何処にでも共時性が起きるなども経験されている方が多いと思います。
睡眠中に神聖DNAは覚醒する。だから眠い・・・・・・。
覚醒中は顕在意識がその邪魔をしてしまうのです。
なにごとも「ゆっくり、ユラユラ、緩んで、許す」 この「ユ行」をご記憶下さい。。
アセンション(次元上昇)はもう、2004年頃から始まっているのです。
ゆっくりと静かに進行していて、それでいて48億年の地球進化時間スケールで見ると人智の覚醒は超スピードなのです。
自己時間ですと、自分の身の回りの家庭や社会の環境も友知人もそう大きく変わりませんし、肉体の変化もそうでもありません。
ですが自己の内部の霊的な覚醒や、心の想いの方向は確実に変化してます。
怒りっぽい方は、おだやかになっていますでしょう。
いままで悲しい方にもこのところ笑顔が出ていますでしょう。
一方で、国民の四人に一人から、三人に一人が「ウツ」を訴えている。
肉体次元に縛られて、そのママらない現実に分離しようとする心の動き。
ですが貴方は確実に愛されているのですよ。
貴方のお陰で生きている方も居るのですよ。
貴方をまっている多くの方が居るのですよ。
貴方はこの宇宙になくてはならないから、いま此処にあることを忘れないで下さい。
[品川 阿那稲荷社 : 拍手とは右のイザナ気、左のイザナ身 気・身二神を合わせた精神次元と物質次元の統合]
よく「自分をいじめちゃいけないよ」とか「自分を許しなさい」とか言われますが、少々誤解があるように思います。
「自分をいじめちゃいけない」というのは、あるマイナスの事象の原因が自分であるという思い、「自責観念」や「過度な肉体労働」を避けなさい、という意味でもありますが、問題はそうする過程と原因なのです。
自分をいじめる原因が、実は自分を周りから哀れんでもらうという反心理、かばってもらいたいという心理であると、それは「自己保存」にほかなりません。
スポーツ選手や体育会系の学生には、過度な運動もまた鍛錬というもの。
ガムシャラに肉体労働で自分をいじめて、お金を稼いでも、こんどは健康を害したら本末転倒。
それぞれに、頑張る原因があるのですが、その原因・動機が純粋であれば、自分をいじめても結構です。
肉体は、緊張と弛緩の相互のくりかえしで、免疫系も高い健全状態が維持されて、逆に運動も、仕事も何もしないと免疫は低下し、ふにゃふにゃのひ弱な人間となってしまします。
ですから、「無理せず・楽せず」が程よいということになりましょう。
「自分を許しなさい」というもの、奇妙な表現であって、自分の恋人や家族、仕事仲間から言われた自分への指摘など、「それは自分が原因じゃないよ」などというように、責任をすり抜けるようにも使われたりしております。
「自分を許せなければ、他人を許せない」という比較論めいた論調にうなずいてしまいがちですが、問題は「許すべき自分の心の状態」なのです。
責任感は勿論大事なことで、それをほおり捨てては始まりません。
自己成長がありませんから責任意識は大事なところ。
いつまでも恨み節を引きずったり、過去のトラウマというマイナスの陰に引きずられるのは「引きずり苦労」といって、これは許すどころか自分が創り上げている幻想にほかなりません。
未来の不安を今に取り込むのを「取り越し苦労」といいます。
いずれにしてもこの「中今(なかいま)」を存分に、今を楽しむべきこと。
存分に楽しむべき今の中に、敢えて不幸の種を植え付けることは、神人の放棄であります。
神さまは「わくわく生き生きと楽しく今を生きる」ためにこの世にヒト(霊止)を出現されました。
客観的に「許す」というのは、自分以外の他人に向けてのことであって、自分の心はあくまでも自分が創ったのですから自責、自力本願の問題です。
あえて言うならば、「愚痴」、「怒り」、「悲しみ」、「不平不満」、これらを心に詰め込んでいる状態は神性の放棄であって、「自分を許す」ということとは異なります。
これらのマイナスの要因は、全て自作の自分の畑の収穫物ですから、それらの腐ったものを心の内部に保管していては周りに腐敗が波及してしまいます。
もちろん肉体の腐敗に波及すれば、それが「病気」という現象です。
心の波動が病の原因で、それらの心の中の腐敗物が主因です。
[昨年の夏越の大祓え: にっぽん文明研究所 奈良宮司主催]
「自分の心を許す」のではなくて、自分の心の「負の要因」を反省で氷解させ、そもそも本質的な自分の「真我を」輝かせることです。
もう「夏越の大祓え」の前には、これらのマイナス要因を全部吐き出してしまいましょう。
そして神聖DNAをしずかに覚醒させましょう。
覚醒している日中は、もちろんわくわく・イキイキ。
マイナス要因の吐き出し方は比較的簡単で、心の舵取り一つ。
自分の心に、「いさぎよさ」があって、「褒められたい心」や「良く思われたい心」を捨て、ただひたすら一切無私で「純正」であればいい。
それが誰しもがもつ「真我」の一つの側面です。
さすれば、誤解されても、悪口いわれても、どやされても、怒りも悲しみもやってこない。
ただ、にんまりと「こんにちは」と笑顔で返せる。
そうした純正なおだやかな心で6月30日を迎えよう。
[おまけの写真: この6月に本芝のお神輿に参加。まだバシバシかつぎます鈴木です]
世の中がどんなに大きく変化しようが、どんな膿み出しが出ようが、それらを受け入れる器は「自分の心」。
ですから、「心の器」が綺麗だと、一切の事象は美しくなるのです。
2009年06月17日
6月のお花見
[水元公園は菖蒲が咲き誇ってました]
5月の28日あたりが旧暦の5月の端午の節句。そもそもは旧暦5月5日や新暦の月遅れの6月5日が男の子の健康祈願のお祭りで、今でも一部の地方ではその日に行なわれているようです。
中国もそうらしいですね。
男子の健やかな成長を祈願しますが、その季節の花、菖蒲の節句ともいいます。
菖蒲はあやめとも言いますね。
[そこらじゅうで写生会でしたよ。みなさん見事にかかれますね]
あやめの中を舟をこいで見物する、「あやめ祭り」で有名な茨城県の水郷あたりまで行かなくとも、都心でも結構なポイントがある。
先だって、葛飾の水元公園に出かけました。
そこへは地下鉄の千代田線利用でそのまま、JR総武線 金町駅で降りて、そこからバスで水元公園に行きますと、なんと一万本の菖蒲が見られるのです。
[そうなんです! 花菖蒲のお花見なのです!! 相当の方がビニールシートを張ってます ]
誰しもそう思いますが、普通は「お花見」とは桜の下と思っていました。
ところがなんと菖蒲の花でも「お花見」をするのですねえ・・・。
水元公園は都立の公園としては二十三区内最大で、都内でも二番目の広さで。面積86.2ヘクタールは東京ドーム約18個分と案内板に書いてありました。
都立の公園で唯一、水郷の景観が楽しめる公園で、その湖の正式名称は「水元小合溜(こあいだめ)」とあります。
徳川八代将軍吉宗の時代、治水事業の一環として設けられた、ため池だそうです。
その水辺環境を生かして、1965年に開園し、今なお公園は未完で、東西の両端部分が拡大中だそうです。
この水元公園はその溜め水を利用して、わが身を誇る菖蒲が広大な公園一面に育成されているのです。ため水とはいってもまるで湖で、ボートも楽しめる広大なところです。
[華やかに 踊りまくってましたよ。カッポレ カッポレとか威勢のいい掛け声でした]
広大な敷地に特設された舞台上では、プロ歌手の登場あり、民謡と踊りの披露あり、実に華々しい。その周りにはもちろん、露天商売がぎっしりです。広大な敷地ですから「瀬戸物市」も広げられておりました。
梅雨空の下ですが、菖蒲のお花見に酔いつぶれた方々が結構寝転がっておりました。
日本人は、ほんとうにお花見が好きですねえ。
2009年06月15日
南宮大社
[南宮大社 みごとな門構えですねえ]
JR名古屋から旧東海道線で米原に向かい途中に、垂井という駅があります。
新幹線の影響でこちらは乗降者が少ないのでしょう。この垂井駅周辺は飲食店もなく目の前は開発を待つ荒地だらけでした。
それは3年ほど前のことですが、今ではどうでしょうか?
[こちらは 拝殿です]
その昔は、関が原の合戦で名高い南宮山が直ぐそばにあります。
南宮山は東軍の背後にある陣地にもかかわらず、ここの兵、毛利と安国寺の兵を東軍に内通の吉川広家が封じ込め、その三者ともとどのつまりは、にらみあいで終わる。後に、どっちつかずの傍観者と言うことで断罪されましたね。
垂井駅から南宮山方向に向かって約20分も歩くと、南宮大社があります。
ご祭神は「金山彦神」、美濃地方ではここが國幣大社となっているようですよ。
朱塗りの大変豪華絢爛な社殿で、国の重文にも指定されております。
[こちらは各地の鉱石のようですねエ]
境内には、精錬の神さまらしく、鉄製の農機具、やじりなどが陳列されておりました。
毎年11月には「ふいご祭」と称して、古式ゆかしい刀匠による鍛錬式が奉仕されるそうです。
又全国の鉱山金属関係者が寄進されるところでもあります。
社殿の左脇にご神木の「白玉椿」が植えられ、その昔には宮中の式典にこのご神木を持って巫女舞を献上したとのことです。
[奥のほうにある 荒魂社 小さな祠ですが、いい波動です]
さらにこの神木の脇から奥の稲荷社の道も、風情があって結構なところですよ。
個人的には拝殿よりも、拝殿のズット奥の、荒魂社や稲荷社、こちらの場のほうが波動が良かったことを記憶しております。
2009年06月12日
異常事件と憑依

[樋口雄三先生(中央)と鈴木ら :二年前の国際気功連合の発会式です]
病は気から来るもの。
つまり心が病むと、そのネガティブな波動は生命体を快活にさせません。
さすれば生命エネルギーは湧いてはきません。
主体(意識)の歪んだ意識に、細胞さんはその負のエネルギーを排出しようとするために、様々な肉体異常が現われるのです。
新潟大学の安保先生は、ガンですら心の歪みからその大半が生じていると指摘されます。
筑波大学の、宗像恒次先生にいたってはガンの原因は心因性が95パーセント以上と言い切ってしまう。
世に言う異常な事件、8年前の神戸 池田小学校は児童8人が殺害さされました。ちうちょうど一年前の東京秋葉原ではダガーナイフによる7名の死者と17名の重軽傷者を出した無差別殺傷事件や、全国各地でこの手の異常ともいえる怪奇な事件がありましたが、その原因は、犯人の心の異常性に加えて、さらにこの世のものでない憑依霊が絡む現象とみえます。
新聞・TVなどで捕まった犯人からの談話などが時々紹介されることもあります。
「どうしてこんな事になったのか分らない」とか、「声が聞こええて頭に指図するんだ!」とか「皆がオレをバカにしているのが分るんだ、けどやったのは俺じゃない・・・」とかの述懐が聞かれます。
憑依霊とは、自分が死んだことも分らず、肉体が全てで、霊魂などはないと信じきって、物質界の虜になって、死んでもこの地上界にしがみついて自縛霊となっている幽体をいいます。
人間は、まず想いがあって、それに基づいて行動に転じ、そしてその結果をまた想いに蓄積させる。
ですから想いという想念はもちろん物質ではなく、見えない心の内容です。
見えない心そして、その純正な中核を魂というのですが、それが、目、耳、鼻、舌、触覚を頼りに生きていると、それらの情報だけが真実となってしまう。
見えないものなど、信じないということになってしまいます。
親を思う心も、逆に憎しみも、愛も、悲しみも見えませんから、これらは真実ではなくて、金、地位、家、異性などなど、目に見える物だけが真実の価値と錯覚をしてしまう。
だけれども意念も、愛も、感謝も充実も、全て見えない心の内容というエネルギー体なのです。
これらが、死後は肉体の衣を脱いで、エネルギー体として新しい世界に「往生」していくのです。
東京工業大学名誉教授の樋口雄三先生とは二年余りのお付き合いとなりますが、
このたび「大いなる光」から人類へ~アマノコトネを介して開示された霊界のシステム~ (ナチュラルスピリット社)という本を出版されました。

[この6月に出版された 樋口先生の新書 大いなる光から人類へ]
アマノコトネという極めて高度な霊能者との共同研究で、医学治療の実践もされてきた樋口先生は、病の原因は50%が何らかの霊障といわれる。
霊障とは憑依霊やカルマのことです。
病気は己の生きかたの「赤信号」と解釈されますが、それに憑依霊が何かしら加担して極度な症例をもたらすのかもしれません。
樋口先生は現に霊的治療で大きな実績を上げられているのです。
(参照: 紫光の書 気づくべき人のために :タマ出版)
共鳴現象とは、同じ周波数が重なり合った時に増幅するのですが、心もまた同じ周波数の見えない思い同士が増幅することになる。
仮に死んで霊界に行くとすれば、同じ心のレベルの方が集まる界に赴くことになるし、さらにその中でも絵画に興味をもつ方同士は、そのコロニーに集まりやすい。
霊界にはなんとスーパーマーケットまであるのだそうですよ。但しお金は要りません。
この世の見える世界でも、同じ周波数を持つもの同士は共鳴し、「さあやろう!」と様々な活動に協働して打ち込んだりするもの。
同じ周波数でも低級な、人を恨み、アル中で亡くなった自縛霊は、同じアル中で、恨み節で毎日生きるこの世の肉体を持つ方に憑依しやすくなる。
電車の中など、よく見かけるブツブツとつぶやく酒臭い方は、大体その同種の幽体に憑依されているとみてよい。
そうした現場は、目で観ず、波動で感ずると冷たいゾクッとくる粗い波動が感じられてくる。
エネルギーは共鳴の原理が働いていますから、高度な愛や感謝という心に裏打ちされていると、「類は友を呼ぶ」の理どおり、つまり愛溢れる楽しい方が集まってくるのです。
逆に恨み、怒り、愚痴、のろいの類で日常を過していると、もちろん類は友を呼んで憑依霊を呼び込んでくるのです。
樋口先生によると、「大いなる光」から人類へ の原稿は二年前からほぼ出来上がっていたのですが、上からの許しが出なかったのだそうです。
大宇宙の創生、現宇宙の構造、などなどかなり高度な部分にまで入り込んでいる内容で、宇宙創造神とのQ&Aの方式で書かれております。
アマノコトネという方とはお会いしておりませんが、創造神のレベルまで意識が達する方ですから相当なお方と思われます。
この世に誕生する魂も、自分のみで方向を判断し決定できるのは一回限りで「素の魂」というようです。また「連なる霊たち」つまり守護霊集団でしょうか、そうした方々の指導を生涯受けるという。
この世の誕生は二回以上はないのかというと、自分で方向選択が出来ず他の霊系に誘導されるという。
従って、今までの個人の判断で自由に再生してきた「輪廻転生」とはやや異なる内容となっております。
著書には、「死後の世界の別れ道」の様子や、「人生の目的」など非常に参考になると思います。
一度はお読みになったほうがいいですよ。
恐らくこの2009年6月に、上からのご指定で出版されたのは、それなりの意味合いがあるのです。
2009年06月10日
引ったくり警官

先週、岡山市内で、夜間に女性がお財布をひったくられました。
その叫び声で駆けつけた二人の男子高校生に、ひったくり犯が取り抑えられたことはご存知の方も多いでしょう。
犯人は、名古屋の現役警察官。
お手柄の高校生も、「取り締まるほうが、犯罪を犯すなんて・・・・・」、「世も末ですねえ・・・」とポツリ。
高校一年生からこんな言葉がでてしまう。
なんとも情けない世相ですね。
数日前に、「ひったくり取締りキャペーン」とかで警察によるTVコマーシャルがありました。
それを見たのですが、警察官が犯人に向かって力強く絶叫するシーンの中の一節。
『卑怯だぞ! そんなことをして何が面白い。警察は絶対に逃がさないぞ!!』
その数日うちに、身内の警察官がひったくりですから、恥ずかしいでしょうねエ。
公共性を維持する側の中にひそむ不祥事も、とりわけ異常な精神がどんどん膿み出しされるでしょう。
TVを見てたら、鳩山総務大臣が『善は善、悪は悪!』と西川日本郵政の社長おろしに絶叫してました。
善と見える中の悪だしもどんどん出して浄化されて欲しい。
でもまさか鳩山さん、本当は鷹山だったりして・・・・。
5月の末に埼玉県久喜の県道で、スピード違反のオートバイを制止した警官を跳ね飛ばし、逃げた犯人は現役の川越署の巡査長。
6月早々に青森県のパトカーが、小学校一年生を跳ね飛ばしましたね。
また同じく1日だったと思いましたが、山形県の458号線で酒気帯び運転で、見通しの良い直線道を反対車線の標識をなぎ倒して、欄干に激突。
これも逃げてつかまったのですが、ドライバーは山形県警の警部補。
翌日の2日でしたか、行方署の警察官が、留置人の現金を盗んじゃいました。
さてさて、つかまえるほうが、捕まるご時世ですから、一般国民は何を信じていいか分りません。
最近の新聞報道には、数年前のことですが茨城県警の巡査長が、父親と姉を殴り大怪我をさせた男性の被害届けを、勝手に廃棄したことが、内部調査でようやく発覚したとあります。
その原因がふるっているのですよ。
「仕事の負担を軽くしたかったから」ですって!!
6月5日にも千葉県では巡査長が奥さん殺されたり、警察の世界も大変な事態になってますね。
警察官の、ストーカー、痴漢、盗撮、こそ泥、飲酒運転、ひったくり・・・・ムムム!ンンンン!!
不良精神の膿み出しとはいえ、警察機構内部での倫理や道義という「精神の打ち直し」は見られないのでしょうか。

[警察よ、信頼される精神の自浄構造を]
論者の知人で素晴しい人格の警察官も居るし、全てがそうではないでしょうが、それにしても不祥事続きの警察。
国民の「おまわりさん」にむける視点は、信頼、強い、味方、正義・・・・・ですから、何としてでも警察官の精神の自浄の構造を願ってやみません。
2009年06月08日
いよいよ物質世界を超えて
[家でも建て直しは、まず壊してからなのです。しがみつかないほうがいいですよ!]
09年1~3月期の国内総生産(GDP)速報によると、物価変動の影響を除いた実質GDP(季節調整値)は、前期比4・0%減、年率換算で15・2%減となり、戦後最悪のマイナス成長となりました。
日本の成長率は、米国(年率6・1%減)やドイツ(同14・4%減)などを下回り、先進国では最低となりました。
新しい商品を次々と市場投入しないとダメージは回復しないと、業績回復に血眼になって市場開拓に取り組む企業群。
一般市民も発達した文明の利器をまだまだ求める物質志向ですが、国民全体がモノに目が奪われすぎてはいませんか。
TV、新聞を見ればパリコレやら、ニューヨークファッションの話題が飛びかう。
グルメ番組も相変わらずお盛んで、心の中味はどこやらに、目先だけ華美になったファツションや食事。
娯楽、スポーツに目先を向かせたがるマスコミにも大きな時代を誤らせる責任がありますね。
ホリエモンはまだ顕在でしょうか?
「人の心も金力でうごく」と言い切ってはばからない彼のお陰?で、中学生も証券投資にはまり始めた。
それは一株単位の取引が自由になった大衆自由投資化でなく、一億総金の亡者化の基盤であった。中学校も子供の証券投資に、社会勉強との評価さえあるのです。
金さえあれば何でも手にはいるし、思うさま飲み食いできて楽しめる。
青年実業家もご家庭の夫人も、お年よりも、はたまた子供ですらも儲けるためなら何だってするという、これまでのさもしい日本。
真面目に働くよりも株で一発当て込んで、相変わらずねずみ講まがいの「円天」とかいう新円も飛び交って、貪欲に金儲けの道に走る。
漢字の検定で、5000円だったかその検定料で溜め込んだ財団の資金を、個人の遊芸やマネーゲームに使う理事長。
長と名のつくものが、私服を肥やす情けない物質至上原理に歪んだ日本でした。
私企業も金儲けのためなら偽商品すら嘘をついて売るしまつ。
日本人の道義や心は、眼では見えませんから、そんなものは信用できないし喰えもしない。
金儲けのためなら何でもして、罰金払ってもそれ以上の儲けがあればいいとうそぶく獣人。
アメリカの資本主義も債権という実体のない紙くずで動き、低所得者住宅ローンの破綻、リーマンブラザースの崩壊、そして世界的な金融メルトダウンが昨年から始まった。
底知れない金儲けの思惑が、企業、金融機関、投資家、子供を巻き込みましたが、天はマネーゲームという欲のゲームには応援はしない。
世の中、一人勝ちが寵児ともてはやされ、大儲けは美徳とされたアメリカも方向転換をしてきました。
バラク・オバマも資本主義からの大方向転換は、多数のイルミナティの反動で出来ないものの、教育、エネルギーといった底辺からの改革はすすんでいるようだ。
アメリカの社会構造に代表される、金権・力権構造は、真面目に働くものは報いられない。それが一気に崩れ始めている。
一方で、平和主義者も口々に、戦争反対、世の中に和平をと叫ぶのですがその平和主義団体同士がしのぎを削り、平和A組織と平和B組織は「われよし」で、決して自分を譲らない。
その平和主義者も家庭にあっては必ずしも良い夫、良い妻でもなく、良い両親でもなく、いがみ合うことの多いのも事実。
宗教も組織がある以上、その組織と他の宗教組織のいがみ合いは歴史の教えるところ。
善と見える「精神主義」も、宗教を金儲けの手立てにかえ、タカリの教団に変え、民衆の精神のスガリの構造に導いた。また民衆の支配に宗教を利用してきた。
一人一人の心が平和でなければ、一人一人の家庭が平和でなければ、平和は生まれてくるはずもありません。
どんなに素晴しい団体組織に所属していても、一人一人の心が豊かで、人を素直に愛し、謙虚で、感謝に裏打ちされてないと、環境は変わりません。

[基本はシンプル、素直、正直・・・・・・・・]
物質経済はまもなく崩壊するでしょうが、問題は一人勝ちの精神構造、欲得の心。
この6月末に次元は又一皮剥ける。
更なる物質市場の崩壊とともに、物にすがった精神と、物を捨てた精神の二極分化。
生活を楽しむには、金と情報も必要だろうが、楽しみとは本質的には心の問題。
充実、喜び、感動、感謝という見えない次元が喜びの原点だから、金とモノがあっても、隣で病にふせる最愛の家族がいたら、生活は楽しめない。
精神文化の花はまもなく蘇りましょうが、問題は「すがり」と「タカリ」の精神構造で、基本は自立にして心の平和、家庭の愛と感謝なのです。
すべては一人一人の心の中に原点にある。
目で見える世相を超えた実相に、一人一人がまず気付くこと。
実相とは心の中。
まもなく本物の調和社会の道筋がみえ始める。
ピラミッド型金権構造が崩れて、真面目に働く人が報われる社会、一人一人が主役の世の中に生まれ変わる。
大変動は、再構築のための膿み出しです。
家の建て換えには、まず古い家屋の取り壊しが必要で、同時に心の中に、心通い合う新しい地球家族の新家屋設計図がないといけません。
損得、愛憎の相対世界を超えて、内なるところに「絶対愛」をうち建てよう。




