2009年11月30日

奥多摩の紅葉










[御岳神社 山門からの眺めは 青空に赤あり黄あり、眼下遠目に埼玉地方も見渡せましたよ]




11月の15日の日曜日は本当によい秋晴れでしたね。サトルの大会も終えて、久々に外の空気を吸いに奥多摩に出かけてみました。


東京駅から新宿経由そして青梅を抜けて御嶽駅まで凡そ1時間40分余り。
JR御嶽駅に着きますと、折からの紅葉情報になだれ込んで来た老若男女で駅前はごった返し。
駅前のバス停からケーブルカーのある滝本駅までのバス停には長蛇の行列で、およそ400人もおりましたでしょうか。
それでも休日で、おりからの紅葉シーズンですので、バスもピストン輸送。ようやくケーブルカーの麓まで詰め込みバスたどり着いたのですが、此処もまたケーブルに乗るまで長蛇の行列。
ケーブルカーも最大効率で折返し運転をしますが、それでも30~40分も待ちましたでしょうか。



この地方は梅もさることながら、柚子、こんにゃく、自然薯などもよく取れるところです。
標高差 440m?でしたか、長いケーブルを乗って御岳山中腹駅につきます。ここから御岳神社まで徒歩で25分とありますが、なんと急坂な道。


道々の神社さんへの昔からの信者さんの宿場でなのしょう、旅館兼料理屋さんがところどころにあって山菜会席なども出されている様子。
その路地もまた真っ赤な紅葉なのです。







[境内の奥宮にご挨拶に行ってまいりましたが、実はまだ息がゼーゼーしてます]






全山紅葉ですが、比較的早足の私も、この登坂路ばかりはゼーゼーと息を切って、途中二回ほど小休止。
昔の方はよくも此処まで、神社建造に命を削ったものだと、もの思いにふけりました。
御岳神社は犬神信仰の地、もちろんイザナキ・イザナミ二神の二柱神社や国津神系の摂社も多い。


ヤマトタケルの東征の折、行く手を阻む魑魅魍魎に、白大神(狼)と黒大神(狼)が追い散らし、ミコトに手助けをしてくれたとかでの犬神信仰。

三峰神社さんも犬神信仰の地ですね。


私の場合 毎回といって言いのですが、神業祝詞の際には「風」がおしるしになっている。


秩父神社では脇社での神行中には、天空からバサバサと何やらが落ちてくる気配。
身の回りの5m周囲くらいの落下音ですから、多分シイのみでも落ちたのかなと思い、あとで目を開け周囲を見まわしても何にも無い。


千葉神社では祝詞の最中に突風を頂いた。


なぜるように軽い風、凄まじい突風・・・・どうも風がお印ですが、今になって気付きますと「國常立大神さま」のサインですね。







[ケーブルカーからさらにリフトを乗りついで山頂近くまで行きますと、三本の荘厳なご神木がありました]





ここ御岳神社でも二柱神社の地抑えの祈祷中、首筋から頬に掛けてやさしい手触りを感じました。


御幣の紙が顔にかかったのかなどとも低頭中に思いましたが、目を開いて顔をあげると幣の紙は、より前方にありその高さも直立した頭上よりは高い。


当日は風も強く、さらに頂上方面では紅葉も黄色い右派も天空に舞っておりましたので、紅葉かも知れませんね。
でも柔らかい手でそっと首から頭上にさすり上げられた感じなのでした。




まあ、この日も日本の四季を存分に楽しまさせていただきました。


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後日談になります。

翌日からいよいよ咳がひどく、喉もやられて一週間ほど喉の治療にあたりました。
そのご、知人からカリンの酵素ジュースを頂いたりもして、喉はよくなってきたたのですけれど、咳はますますひどくなる。

そしてさらに鈴木の講演が1週間の内に、大小3講演ほどあり、まるで『咳談』になってしいました。
ご来場者またご関係者には深くお詫び申し上げます。


夜中も咳が出ますのでとうとう内科医に見せたところ、気管支炎とのこと。
そのはずだったのですね、急坂路をゆっくり歩いたとはいえ心臓バクバクで、息はゼイゼイでした。


それがまた地下鉄の階段でも、坂道でも、息切れと咳き込みで、二週間もつずいてしまいました。

 少しお休みをということですね。 ハイ「気・閑・止」にします。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)たまに行くなら

2009年11月28日

スプーンを曲げてみよう 






[小川 素治さんです]




小川 素治(おがわ もとはる)さんは若い頃はフリーイラストレーターとして、広告印刷物、出版物のイラストを描かれていた。

そののち'91年より気功整体を学びはじめ、小川式テスト法をベースにした独自の「真鳴気功」を確立されたようです。

2002年からは東京・阿佐ヶ谷に「おがわ治療院」を開院。
そして「真鳴気功」の普及にあたるかたわら、物理・哲学・宗教などの膨大な読書と思索、実践を通じて、「気」の実体の解明につとめている。



真鳴気功のセミナーでは参加者の97%以上が「スプーン曲げ」に成功している。
それは超能力ではなくて、「意識」を働かせるだけで誰でもスプーンを曲げることができる。


スプーン曲げはユリ・ゲラーのTVからおなじみになりましたが、彼はその後 石油油田の発掘に協力して財を成したようですね。



論者も国内で数人のスプーン曲げの方を知っている。

極めつけは長崎の喫茶店 アンデルセンのマスターでした。その場で左手に持ったスプーンを、右手の人差し指一本でくるくると曲げてしまった。


こうした方とお話したのですが、スプーンやその他の物体と自分の意識を同一化させているのだそうです。同一化すると、制限がはずれて自由度が増すという。


小川 素治さんのスプーン曲げはまだ見たことが無いのですが、サトルではセミナー会場で皆さんとともにスプーン曲げに挑戦してみたい。

わずかな力を加えると、ステンレスの性状が柔軟になり、スプーンは曲がってしまう。

意識の力を、実際に体験してみましょう。




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  講演 『スプーンを曲げてみよう』
講師:小川 素治(おがわ もとはる)



日時:2009年12月1日(火)    18:30~20:30

場所:三田福祉会館 集会室A

参加費: ¥3000  当日受付

お申込 ; infomation@subtle-eng.com
  

2009年11月26日

ウォシュレット考





[生あるもの ものを頂く入り口管理よりも 出すほうの出口管理のほうがとても大事ですよ ]




とうとう我が家のウォシュレットも15年も過ぎたことに気付きました。

最近になって、少々寒くなってきましたので暖かい便座はいいのですが、用を足した後のウォッシュが冷やっこい。


人間贅沢になると、程よい湯加減の温水でお尻を洗いたいものですが、11月もこの月末になりますと、早朝のお水は大変冷たいのです。
温水装置がとうとういうことをきいてくれません。


おまけにウォッシュ水量も、管内かフィルターで目詰まりしたのでしょうか、「強」と「弱」がこれもいうことを訊いてくれません。


こうなりますと、ウオシュレットも不自由なものです。



いのち在る食べ物を頂いて、その御霊をわが身にやどし、今までに食した八千万魂(やちみたま)と一体になって元気よく行動する。



ゆえに毎朝、便器の「うんちさん」に手を合わせるという習慣ももつのですが、その前のお尻のウオッシュが困りモノ。

とうとう新調することにしました。
通販で比較的お安く入手して、なんとかハンドメイドで取り付けました。







[ 鈴木さんちの「音入れ」]





そんな話を知人にしましたら、「鈴木さん 肛門の粘膜質に直接水道水が当たるのは、塩素イオンも多量に入っているのだから、将来 お尻や大腸に悪さがあるかもしれませんよ」といわれました。



たしかに飲み水のほうは、あらかたの方は、水道の蛇口に浄水器を取り付けて、塩素イオンやトリハロメタン、ほか有害菌を除去して使用します。


つまり飲み水の入り口管理はしているものの、人間の出口管理には手が及んでいないようです。


ウオシュレットはお尻を綺麗にしてくれるのはありがたいことですが、考えてみれば永い目で見ればここにも活水器といいましょうか、水道水を改質するシステムがあってもいいかもしれませんね。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)一言ご意見

2009年11月23日

神聖DNAの覚醒 その2 





[心の中の平和と、世界の実相は異なる。社会政治経済はその目的とするところが、ワレヨシが基本である。経済も政治も本来は、愛一元が基本である]




私たちの意識は、幸せを望み、家族の健康を願い、世界の平和を祈っている。


ですが企業にあっては、まるでダーウインの進化論、強いものの勝ち残りが、企業の基本として根付いています。


そこには愛や優しさや思いやりとは異次元の競争社会が当たり前です。


永田町の理論も、家庭生活のささやかな楽しさや、スポーツの話題や、心の触れ合いなどとは無縁な権力構造。




社会はまるで、すべてがバラバラでいつの間にか奪い合いや一人勝ちが当たり前のようになって行きました。


人はバラバラで、どれだけの取り分を我が物にするか、少ない投資で短期に金をもうけるかといったことがずっと続いてきたのです。



ですが本質は、家庭の中での夫婦の会話や日常感覚と同じで、美しさや感動を味わい、またどれ程のことを回りにして差し上げられたかなどの当たり前の人間性が社会の基礎であったはずです。



大昔の集合村落での生活や、一回り大きな村と村との付き合いも、相互の幸せの与え合いが付き合いの基本で、感謝やお礼や返礼で、場合によってはこうした心を伴った「対価返礼」であったのです。


私たちが旅に出かけて、かなりなお金を出したりもします。

それは快適な交通手段と地元の心あるサービスを受け取り、楽しい食事であったり、お宿の雰囲気もよく、何よりも地元なりご馳走もいただけた。

その総合的な「幸せの対価」として旅行代金をお支払いするのです。


ソコソコに高くても、旅行者にとっては心から満足したその「幸せの対価」をお支払いしているのです。

企業も、売る商品の対価がお金ではなくて、いまいちど「企業が与える総合的な幸せの提供」、商品の利便性、商品の総合価値、商品の使用説明の応対はじめ、陳列室や棚の雰囲気、そしてアフターフォローにいたるまの全体に流れる一切の企業からの提供の結果が「対価」ことであることを考えなくてはなりません。
ですからクレーム保障など、幸せの欠損ですから無償交換は当たり前のことです。



全ての企業内活動も、社内の労働とその対価つまりお給料もおなじことで、上司を通じてお願いされたことにどう気持ちよく集中して、人のためになるという視点で役務を差し上げたか?





[心の中の実相 真我は他人の喜びこそ本質的なわが喜びであることを知っている。それを具体化した時に、神聖DNAは突如として開く]




大釈迦の八正道の一つに「正業」があります。

「正業」の本質がここ「他人への総合的幸せの提供による報酬」にあるように思います。



人を幸せにすること、人を喜ばせ、人を感動させ、人の心を充実させ、人様に純粋な感謝の念を抱かせられたとき。 

それは全て自分にかえる。

他人のハッピーが、自分のハッピーになることはDNAが変わるということです。



人に差し上げた想いや行為、それも因果応報の法則による。


大きな喜びを差し上げれば大きな喜びが自分にかえり、小さな充実を差し上げれば、同じ大きさのちいさな充実が己に還る。

人生「幸せの提供」がその長い道のりであって、その中での想念行為が一切合切 己に還る。



それは、ブルース・リプトン博士や村上和雄博士の指摘する「DNAの覚醒」であるのです。


論者 鈴木は「他人への幸せの提供」こそ、神聖DNAの覚醒のキーであると明言する。


自分の喜びを人は追及するのですが、より本質的な喜びは、他人が喜ぶことが真我の喜びなのです。

他人さまに差し上げる喜び、味わってもらう感動、その方の心の隙間を埋める充実、そして人に感謝の心に浸っていただくこと、他人に与えるが「幸せの提供」、その喜びが神聖DNAを覚醒します。


神人の基本は、他人に幸せを与えることによって、それが自分の真我を呼び覚ます。


自分のなかにある、惨めな自分や汚い自分という負の感情は、虚妄なのです。


世界には貴方という存在しかいないのです。

それは貴方がこの世に必要だから、神様が貴方がこの世に送り出し存在しているのです。


そしてまた、出来事には一切無駄など無く、全てに意味があるのです。
試練もまた、進化の素材。
それなくば、「進化」はありません。  

2009年11月20日

神聖DNAの覚醒 その1




[2009年 五井平和記念賞を受賞された ブルース・リプトン博士]



サトルの大会が終わった11月8日の日曜日に五井平和財団主催のブルース・リプトン博士の平和賞受賞講演に行って参りました。


細胞生物学博士ですが同時に量子物理学を融合させ、スタンフォード大学などで独自の研究をされている。

博士の成果はひと口で言うと 『環境や意識がDNAのふるまいを変える』ということ。


これは大変なことで、意識がDNAを新たに覚醒させるということです。


人生は、既に与えられたDNAにそって生きもし、病に果てるのではなく、自らの生き方によって積極的にDNAを進化させるというのです。


幹細胞とは、筋肉質になったり、骨になったり、脂肪質になったりする基本細胞ですが、博士はこの幹細胞を環境A,環境B、環境Cといった培養液をかえる研究をスタンフォードで40年前から続けている。


つまり、環境によってDNAが変化するということですね。
人は毎日 数10億の細胞死があるのですが、幹細胞が再生している働きを持つ。
しかもその間細胞初め、細胞を再生させる大元のDNA自体がある情報によって、内部シグナルが変わってDNA自体が変化するというのです。


人間で言えば、皮膚の細胞膜に、ある外部シグナルが入ると、内部のDNAのレセプターに伝達されると推定している。

一つの遺伝子は凡そ3万種類のたんぱく質を作るのです。
ですからDNAに環境からの違った信号が入力されると、DNAのふるまいが変わって、創られるたんぱく質も変わってくるという。


また心つまり意識も、喜びや愛に包まれるとセラトニン、オキシトニン、成長ホルモンが分泌され、恐怖はコルチゾール、ヒスタミンなどが分泌される。

そしてこれらの脳内物質は、DNAのレセプターとも伝達される。



博士はことに日本の『言霊』に注目され、心の奥底からの言霊は化学物質を変え、DNAが変わると指摘する。



このことは論者鈴木が10数年前からの主張で、正しい言霊、美しい言霊が、健康にも作用し、家庭環境にも作用する。
ですから自分の体にも作用する。それはDNAを作用するに違いないと指摘した。





[筑波大学名誉教授  村上和雄先生と奥様 ]





筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、笑うことで64の遺伝子、抗がん活性、血流、細胞体社、血糖値抑制などがスイッチオンすることを実証されている。


世界の著名な研究者が、宇宙に則した生き方が、自分のDNAにも影響することをともに発表されてきたのです。


私たちの純正な想いが、私たちの内部のDNAを活性し新たな健全な方向にスイッチオンさせてくれるのです。

 
自分の健康も人生も、過去から与えられたDNAで決定されるのではなく、いまこの瞬間の喜びで決定されるということです。



では親から受けている遺伝たとえば、ガン体質やスポーツ体質の遺伝などそれをどう解釈するのかというと、とりわけ母親の胎内にいる時の、母親の意識、もちろんそれも父親との葛藤などを混在したものですが、それらを通じた胎内児、新生児、幼児の脳内ホルモンや心の作用によると話しておりました。
つまり環境によって、胎児から6歳くらいまでに両親の遺伝体質がコピーされてしまうのというのです。


親の持つ嗜好や性癖、これらが潜在意識を決定する6歳ころまでに子のDNAに影響を与えてしまうということでした。ですからこのあたりの両親の健康、とくに心の健康が本当に大事ですね。


遺伝子が全てを支配し、病を治すのは「お薬」という誤った通念は、これから崩されるでしょう。


適者生存、弱肉強食というこれまでの支配・被支配の関係、つまり勝負ー恐怖―戦争の構図も変わるでしょう。
なぜなら、「進化」とは自らの喜びや感動や充実で決定され、DNAもそれに追従するというのですから。


心が遺伝子をコントロールし、自分の人生を自分が自律するという自己責任が台頭し、協力と信頼、愛他と自然調和が人間進化の基本だということが、よりはっきりするでしょう。



ブルース・リプトン博士は、およそ世界の1%の人間が意識覚醒すれば、インターネットの情報社会の今日では急速に、意識のドミノ倒し、つまり世界覚醒へと繋がると予言された。

また言霊の幸う国 日本の意識覚醒が決め手と、まるで日本人的感覚で指摘されておりました。  

2009年11月17日

共生のための進化そして神化へ




[11月3日 津田ホールはおよそ500名 満席のサトルな大会となりました。この日は満月、夜の懇親会では月の見えるテラスでご覧のように感謝の鈴木。月にさそわれ帯津先生も、米田大会委員長も続々とお集まりに・・・・]




時間の流れに身を任せたかのように、陽だまりの中でのんびりと草をはむ放牧の牛。
ヨダレを垂らしていつまでも反芻を繰り返す。

その胃袋の中には実に多くの微小生物が住み着いて牛の消化を助けてくれているのです。
四つに区切られた胃袋の最初の部屋には数mmの大きさの微生物寄生している。

第一室に寄生する彼らは胃袋に入って来た草や藁を食べて生きるのですが、結果として噛み砕いて小さくしてくれている。
第二の胃袋の部屋ではさらに小さな微生物がセルロース、つまり藁の繊維質分子を分解してくれる。

第三のお部屋、第四のお部屋ではさらに小さな微生物、そのまた小さな生物が寄生していて、彼らの分泌物の助けも借りて、酵素分解レベルの消化メカニズムが働いている。


牛の胃袋には数mmから数ミクロンの生物が共存していて、餌は彼らの食料にもなりまた丈夫な牛の体作りにも協力してくれている。





[自然の中では、みんな共生が摂理ですね]





牛の排せつ物は大地に戻り、やがては緑の農作物の栄養源となっていく。
生命系の全てが共生し連動し、大きな循環系を創り上げていることが分りますね。

原始生命体の誕生から37億年経過した地球ですが、いまから数億年前からの年月をかけて現在の一定した酸素濃度、大気温度、そして巧みな自然大循環を作り上げてきたといわれます。


私たち自身は、お母さんの胎内でわずか10月10日ですが、地球37億年の生命進化の歴史をたどっていますから、「地球生命体」とおなじ意識が、わたし達の体にも刻まれていることになります。

ましてやこのカラダの構成物質の元素は全て地球からの頂きものです。



地球の大地を細かくミクロに観察すれば、1g中にはなんとバクテリアが約10億も棲み付いている。その土壌バクテリアによって、動物の排せつ物は有機から、発酵して無機質へと分解され植物の養分となっている。


土中バクテリアがいなければ、大地は不毛の砂漠と化してしまうのです。
土壌とは砂粒や鉱石が細かく砕けたものではなくて、有機物の死骸とバクテリアを伴った土質を指し、地球上には平均して、わずか30cmの層でしかありません。

薄皮饅頭の薄皮よりも薄い、透き通るほどの薄皮が、地球表面の土壌ということになります。
ですから草木の枯葉や朽ちた大木、昆虫や動物の死骸がなければ、肥沃な大地にはなりません。

この有機物や昆虫の死骸などを含む土壌から生茂る草や木の毛根には、無数のバクテリアが棲み着いて、中には空気を取り入れて窒素肥料を生成する窒素固定菌もいる。


ヒトの腸にも、腸の毛根ともいえる絨毛に100兆ケ以上の大腸菌が棲み着いて、人体になくてはならない1,000種以上もの体内酵素を作ってくれている。
まるで、大自然の植物毛根と根粒菌の関係と、ヒト大腸の繊毛と大腸菌の関係は形もメカニズムも同じですね。

大腸菌というものの多種多様な腸内菌で、彼らがいなければヒト生体は全く維持できないのです。





[この大地の下も、微生物群の共生でひしめき合ってます]




数億年かけて今日まで来た地球、地球の営みである大生態系は、「共生」がその根底であることが理解できます。


人自身も地球から食料を頂き、時には薬草を頂き、友人から愛を頂き、家族からはげましを頂いている。地域社会や会社からは智慧や人生の支えを日常頂いている。


ヒトも地球上に住む全生物群との間で「共生の原理」が成り立っている。


話は変わりますが、物質科学の原点はキリスト教です。
宗教から数学が発展し、自然科学が生まれてきたのです。

その基教は、ひとは何のために生まれてきたかと問うと、天国にいけるかどうか修行するためという。またどうやって生きればいいのかと問うと、聖書に沿えと答える。

ですがそれが、一神教服従という組織的、政治的な色彩をもって歴史を作ってきました。

このキリスト教の流れをくむ西洋文化の中で、ダーウィンは「進化論」を唱えました。生存競争と自然淘汰が進化論の本論です。つまり弱肉強食が生命淘汰の原理であるという。


競合して最後に勝った者だけが、生き残り種族を残す「競争のための進化」が地球の本質は決して思えません。
共生こそ、地球進化の本質だったのです。

その昔、ギリシャの闘技場には血の滴った生贄が、その門前に架かっていたのです。
競技場の内部では、人と人との殺りくが行われ、強い者こそ称賛を浴びるという生き残り思想が西洋文明では次の時代へと流れていたのです。


スポーツの祭典オリンピックもその名残り、強いものが讃えられ、ご褒美が与えられる社会システムが、これまで続いてきました。


ですが、私たちの地球生命環境の細部を見つめると「共生のための進化」であることが地球の真実だったことが見えてくるのです。

競争という物質至上原理は、十九世紀から二十世紀にかけて全世界を覆い尽しました。
ですが2009年から2010年 丑年と寅年の丑寅の時期、ヤマト発の神聖紀は、神が与えた愛・調和・共生という大宇宙玄律に沿って「共生のための進化」に覚醒したものの手によって創造されていくに違いないのです。


日々輝いて光を失わず、激変にたじろがず、宇宙の調和と共なるの「神化」ために、精一杯御用しようではありませんか。


私たちお一人お一人は、地球の細胞さん。


自分の肉体細胞を見ても、60兆個の細胞さんはまるで自己主張はしません。全てが純正でかつ自律し、協働し生命を維持してくれているのです。

争わず、自律し協働し、全生命をたくましく活かし続ける地球の細胞さん、そうした純正なお一人お一人が、「神化」へと向かうのです。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)神泉界

2009年11月14日

言霊五母音の印綬と体形




[弥彦神社の脇社です。とて いい気配でしたねえ]



意識をまとめている大元は何かというと、それは言霊です。

もし言霊がなければ、私たちの脳内の思索は全くまとまらず、「私」すらも「何処へ」すらも定かではなく一切は混沌のカオスの中です。

もちろん「好き」も「嫌い」も「海」も「山」も分別できず、自己はただ虚空に漂うのみ。
哲学や自然科学を論ずる前に、「言霊」があって初めて宇宙のカオスは自己の前にまとまりを見せるのですね。



言霊が「存在認識」の初めの初めです。言霊なければ思索は纏まらず、従ってコトバをもたない動物には芸術作品は創作し得ないのです。


言霊とは意識の波動に魂を載せる、つまりコトバと精神の一致であって、仮に魂がこもっていなければ、どんなに美しい言葉でも相手の心には響きません。


また意識をまとめ、意識の内容を深め、本能・知性・感情・理性の分別を整理し、言霊が行動意識の原形をつくります。
「さあやろう」の言霊で決心し、具体的に行動に移るのです。



意識は重さがありません。
最近ニュートリノすらも質量を持つことが分っていて、質量を持たない素粒子、なおかつ波動の性質を持つ存在というとそれは「光」。

意識は瞬時に冥王星まで飛んでいけますから、意識の速度は光速か、それ以上と思えます。
物質の最小極限はプランク長さ(最小の素粒子長さ、これ以下は波動エネルギー)は10のマイナス33乗センチメートル。

したがって意識の振動数を計算すると、大雑把ですがは、[光速 3×10の10乗センチメートル]÷ [プランク長さ 10のマイナス33乗センチメートル]。
こう計算すると、非物質である意識振動数は 10の44乗くらいではないでしょうか? 

もちろん物質素粒子が存在しない精妙なエネルギーの世界です。


お釈迦様の意識振動数はもっともっと細かいことでしょう。

ちなみに電子レンジが一秒間に10の9乗くらいの振動数です。



日常の言霊はこの「意識波動」と「三次元空間波動」が合体した存在の中にあります。

むづかしい言い方になってしまいましたが、空間に放たれる言葉は、空気振動という物理現象で相手方の耳の鼓膜を振動させます。

つまり三次元空間に物理的に作用します。
同時に意識エネルギーを伴っているのです。
「意識波動」と「三次元空間波動」が同時存在するのは人間界においてはこの「言霊」しかないのです。


つまり見えない意識が、言霊を伴って現象界に向けてはなたれると、その性質が大宇宙と共鳴する波動であるならば、宇宙の法則はそれを実現するように進化方向に作用し、現象化に向かうのです。




[こうした印綬も 揺れ動く心を一定の方向に誘導するために 非常に効果的なのです]





ある意味で自己環境は、全て自己が創り上げているものといっていいでしょう。また様々な困難とは、現状の改良素材と見抜くことが大事なのです。
不要なものなど一切この世ににはありません。


また「手」による印綬は、金剛界印、胎藏界印、月光印ほか様々な掌印がありますが、それと心との関係が仏法界を中心に開発されてきました。
印が心をある一定の方向に誘導するのです。


一方、大の字になって寝るなどと言うようにヒトガタもまた、気の流れともあいまって、肉体、幽体レベルで非常に重要なのです。

神道では拝礼、拍手は日常のことですが、身体のカタチの実相界とリンクしてまいります。 神道の体形、カタチ、相撲界に見る四股、陰陽道に見る体形なども実は真理が隠されているのです。







[神道でもさまざまな体形や所作がありますが、その真意はあまり伝えられておりません]




この現象を開く言霊と、心を誘導するに印綬、また体形の持つオーラ層の活用を同時に伴うと、にわかにその真理が見え始めてまいります。


「物質現象」と「精神意識」の一致は「今の瞬刻」にしかありません。

この瞬刻瞬刻の魂の躍動こそ真実であって、眼で見える物質現象論は二義的で、魂や意識の活動結果の一虚像であるのです。


その中今を、存在せしめているのが「言霊」です。過去に言霊はありません。過去の言霊は脳内の記憶野にあって、その音声空気振動は消えてなくなっているし、また未来の夢想や想像もまた真実実相ではありません。


時間軸ゼロの無限小の時空場が「中今」で、そこに「言霊」、「印綬」、「体形」の三位一体を放り込むと、人智を越えた天から光が全身に作用するのです。

言霊は

(1) 意識をまとめている Operating Systemである。

(2) 見えない意識次元と、見える物質次元の両界をつなぐゼロポイントに通づる。

(3) 現象界を創造し開拓するEnergyでもある。


ア行五母音の言霊、それにまつわる印綬、そして体形をこの11月末に公開します。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 鈴木俊輔の古神道講座

~拍手と拝礼の本質、言霊アオウエイの体形と印綬を公開~

 


◕ 日時:2009年11月21日(土)
    18:30~20:45


◕ 場所:三田福祉会館 集会室C


◕ 参加費 ¥3000  当日会場受付にて


◕ 申し込み  infomation@subtle-eng.com
FAX 03-5730-6451 サトルエネルギー学会
  

2009年11月12日

群馬の神社さん

前橋インターから 西方向に10分も走るでしょうか。小烏町という町名の起源に想いを馳せながら、しばらく行くと、赤い大きな鳥居が目の前にあった。
そこが烏子稲荷神社すないごいなりじんじゃ)でした。





[烏子稲荷神社の拝殿です ]








[烏子稲荷神社の拝殿裏 何かエネルギーを感じたのです]




烏子で「すないご」と読ませるのも面白いですね。さて、なぜかしら??
木製の鳥居を抜けて石段を登り、石造の鳥居を抜けて、さらに登りつめると社殿に至ります。
拝殿ではそう感じないかったのですが、拝殿裏手の地面に強い地場波動を感じます。
そこで裏道を下るように、ぐるっと拝殿の裏手を廻ると石室がありました。

そこにあった掲示標識を見ると、平成7年 市重要文化財に指定されたようで、上小塙稲荷山古墳の石室と記載されてます。
ですが、単に墳墓ではないですね。祈祷の行場と思われます。





[稲荷神社裏手の 石室です。ですから大元は巨大なイワクラの上に烏子稲荷神社が建っている構造ですね]



社殿の左手奥に小さな産泰大明神の社があるのですが、前橋市下大屋の産泰神社の分祠でしょう。




今度はその小さな産泰大明神様の「元社」である前橋市下大屋の産泰神社(さんたいじんじゃ)をおとづれてみました。
お産が安泰にいくようにとの安産の神社さんで知られております。
ご祭神は木花咲耶比売さま。





[産泰神社 山門 ]




前橋藩主の酒井雅楽頭は、ここの社殿の造営をするなど、その信仰著しいものがあったようですね。

イワクラ探査で此処に着てみたのですが、社殿背後に壘々と巨石群がある。
その昔には巨石崇拝、イワクラ信奉ありました。
つまり華麗な神社造営の時代以前に、裸のまんまのイワクラ、そこに神降ろしの起源があります。
イワクラを伴う神社さんからは歴史の古さがしのばれますね。
群馬もそうですが、山梨県もイワクラの多いところです。
山梨岡神社さんなどは巨大な岩山が信仰の対象だったのでしょう。
こうしたイワクラは、強い波動を持っていますが、おそらくUFOでしょうか?
イワクラ自体が、磁気的な交信アンテナ機能か、着陸目標ではなかったのではないかしら。






[産泰神社の巨大巨石群]



 
産泰神社拝殿の裏側には巨石群がある。まえは胎内潜りの穴があったそうですが、今は崩れかかっていて危険なため入れないそうです。

恐らくこの巨石群が、元は一つの巨大な岩座ではなかったかしら。


瞑想して感じたのは、巨石の安産信仰が累代の神社のスローガンになっているようですが、そうではなくて、「ゼロリセット」とでも言うんでしょうか? 
これまでの次元の一切を祓い清めて、再スタートという心象を受けました。

ちょうどこの2009年にヤマトの発進を感じていましたので、その導きで産泰神社を訪れたことになったのでしょう。








[三夜沢の赤城神社山門 非常にいい気配ですよ]





さてもう一社、群馬の赤城神社を紹介しますね。
赤城神社を信仰される方も多く、都内にもお見かけします。新宿の神楽坂にもありますね。


赤城神社は赤城山の南麓の三夜沢に鎮座。
御祭神は大己貴命と豐城入彦命、つまり大黒様系統ですね。
赤城山山頂の赤城神社が奥宮になるのでしょう。


ここ三夜沢の赤城神社さんはうっそうと杉の大木の中にあって、実に凛としている。
境内に入って右手に神池。その側に、神代文字の碑がある。


今からおよそ一千百年前の記録に社名があることから、それ以前に既に朝廷から祭祀を受けられ、官社となっていたようです。

古代の上毛野国(群馬県全体)を支配していたのが上毛野君という一族。
後代には武家である彼らが祭り守護されていた神社のようですね。

上毛野君は、豊城入彦命の子孫と伝えられていて、では豊城入彦命とは?調べますと、崇神天皇お子さん。
崇神天皇には豊城、活目の二皇子があって、兄は東国を治め、弟は天皇の位を継ぐことを決められたのです。
豊城命は東国を治めることになり、上毛野君、下毛野国の始祖であるとされてます。


この神社の裏手にもイワクラの跡が見られるようですが、残念なことに立ち入りが出来ず、遠目に気配だけを感じたのですが、祭祀場の波動が強く感じられました。


此処 三夜沢の赤城神社にいかれたら、拝殿の左手に湧水がありますので、お飲みになることをお勧めします。
私らも飲みましたが、ほのかに甘く、皆さんペットボトルに詰めてお持ち帰りのようでした。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)たまに行くなら

2009年11月09日

ほんとうの幸せ

  


[五穀豊穣の秋ですね・・・・・]    



 

誰しも「ほめられたい」と思う感情は素直な心の欲求で、卑しいなどとそれを押し殺す必要はないのです。

子供を褒めることによって、 子の心にそれが自信として足跡を残しやがて大きく育つもの。

大人の世界では、「ほめられることをする」その結果が「ほめられる」ですから、前提は「相手方への行為」ということになります。


自分がほめられることだけが目的で、それだけのために行為をすることや、褒められることを相手方に要求しては、文字通り褒められたものではありません。
心の薄い自己保存に近い内容になってしまいます。


「ほめられる」ということは、必ず行為があって、例えば家族のためにお料理を工夫して「美味しくなあれ、美味しくなあれ」と心で念じた愛のお料理は、事実美味しいものです。

すると御家族から「お母さん今日の料理はすごくおいしいね」と褒めてくる。


おカネやモノも差し上げて、ほめられるというものでもありません。
むしろ不本意な報酬を出したり受け取ったりすること、金銭で吊った上下関係を要求するものにもなりがちです。



献身的な心の美しさを伴った愛ある行為、それに対して周りの方は、感謝の言葉や「おほめの言葉」を差し出してくれるのです。


この「ほめられたい」という感情の元は、人の喜ぶ顔を見たいという「真我のうずき」からくる対感情なのです。
真我は本当の幸せの源泉を知ってます。





[シクラメンを見ると毎年 年の暮れの風情を感じてしまいますね]




幸せとは 人生一生の目標であります。

もちろん「ワクワク生き生き」と生きることが人生の目標ではありますが、その状態を端的に表現すると ・喜び ・感動 ・充実 ・感謝、この見えない四つの心の状態が重なり合った、「四合わせ」状態が人生の目標です。



もちろん自分自身がこの「四合わせ」状態に浸り切ったとき、幸せの歓喜に震えるのですが、実は自分が原因で、人を・喜び ・感動 ・充実 ・感謝 に誘うことが最も深い喜びなのです。



人の幸せの状態を作って差し上げること、しかもごく自然に素直に人に喜んでもらい、人に感動していただき、人に充実を味わってもらい、そして人に感謝の心に浸っていただくことが自分自身の深い喜びなのです。

 
私たちの幸せとは、人に幸せを味わってもらうことそれが、ほんとうの幸せなのです。


私たちはすべてつながり合っています。
そのつながり合った世界の中で自己よりももう一つ大きな心が、「真我」。


赤ちゃんの笑顔を見て自分の心は楽しくなります。

子供たちの元気な遊びや、「お母さんありがとう」の言葉で私たちの心は生き生きします。

お隣の収穫作業に無報酬でお手伝いしたことが相手方への収穫の喜びとなり、その笑顔や充実感が自分の心に共鳴して一体的な喜びとなるのです。

こうした人への無報酬の・喜び ・感動 ・充実 ・感謝 の種まきが、真我の本性的喜びなのです。


真我は「個」よりも「全」の性格をもちます。




私は小学校六年生の時に京王線の「八幡山」という駅校舎で、若いご夫婦の大きな口げんかを目撃しました。

その怒鳴り合う大きな声にびっくりしましたが、自分の心臓はドキドキして痛み出したのです。
もちろん私が怒られたわけではありません。
ですがその諍いを目の当たりにしたとき、わたしの胸の奥が激しく痛んだのです。


今にして思えば、それは「真我」の痛みだったのです。

おそらく皆様も、それに近い体験があったかと思います。


すべてはつながり合っています。

妊娠中の母さんの胎児は37億年の生命の進化をわずか10月10日で遂げてしまいます。
ですから37億年の生命の時間・空間をすべての人DNAが持っているということになります。


ならばそれは「地球意識」そのものではりませんか。
私たちの肉体も地球の元素で出来て、なおかつ「地球意識」DNAをこの体内に宿しているではありませんか。


すべてはつながり合っています。

「真我」は自他のないことを知っています。

だから、人の幸せこそが 自分の幸せなのです。

家庭にあっては子供や夫の喜ぶ顔が、自分の幸せなのです。

その時に純粋に無私であったとき「お母さんありがとう」と、子供や夫が感謝の言葉を漏らしたり、「お母さんすごいね」とほめてくれるのです。





[信州や東北の生まれではないのですが、なぜかリンゴがなっている木を見ると懐かしさで一杯になるのです]




私たちは商売の中でも、お客様にその商品を買っていただき、その対価としてお金を頂きます。

ですが、商売という、一連の人と、人との全てのサービス、接客の応対やご挨拶の一言一言、その品が置かれている全ての心地好い雰囲気と空間全体も、その品のもつ使い方や、工夫次第でこうも変わるというさりげない説明、そのすべての含んだ「幸せ」をお客様に差し上げたその対価。

幸せの対価が、お金なのです。


単にモノだけの販売対価が売り上げではないのです。


やがて資本主義は崩壊するでしょう。
これまでの経済競争と違ってすべての価値観が「人様に対する幸せの供給」、ここ一点なのです。


農業も、流通業界も、製造業も、もちろんサービス業界も、学校も、医師も「人様に対する幸せの供給」が弥勒の世の価値観なのです。


人は永い永い一生を通じて「幸せ」を求めます。

自分の幸せを追い求めて、人生修行をしますが、幸せのタネは何処にでも転がっている。

紅葉に感動し、家族や人の親切に感謝し、元気よく動けることに喜びを感じ、路地に咲くレンゲ草を見つけて、その生命の充実感を味わうことが出来ます。

ですが、ほんとうの幸せとは、人さまに差し上げる喜び、味わってもらう感動、その方の心の隙間を埋める充実、そして人に感謝の心に浸っていただくこと、人に与えるが「四合わせ」、それが自分自身のより深い本質的な喜びなのです。

つねに謙虚であれ つねに笑顔であれ つねに人の喜びを祈っていよう  

Posted by suzuki at 06:00Comments(2)神泉界

2009年11月05日

サトル 秋の大会報告




[満席の津田ホール  講演はROSSCO さん :目の前に生じている現象は、全て内なる世界の投影というお話]





11月3日 浄化の雨が一夜明けて 富士も見える快晴の祝日の火曜日でした。
その日 千駄ヶ谷の津田ホールに、全国から凡そ500名の方々がおあつまり頂きました。

彗星探検の天文学者でもあり、近年では太陽光を利用したエネルギー炉の開発などで注目されている木内鶴彦さんが突然の体調不良で下番に。

以前から体調が心配されていましたが、ご家族からは『マア何とかなりますよ』とかのお返事で、安心していたのですが、10月には入って直接 木内さんに連絡を取ると今回は降りたい。次回のサトルで頑張りたいとの談でした。


そこで急遽 別講師をお願いし、サトルエネルギー学会理事の平澤幸治さんに「日月神示とヤマトの使命」と題しての1時間講演、人間科学研究所主宰で今回の大会委員長の米田晃さんに「響きあうヤマトの心~一人一人の地球維新~」と題して急遽講演を頂きました。






[午前中は、石田桃子さんのピアノ、早乙女和完さんの三味線、チュイチュイさんのバイオりンの素晴しいコラボでした]




午前からの講演は「ヤマトの魂のひびき」と題してシンガーソングライターの石田桃子さん、左利きバイオリニストの牧美花さん、長唄三味線の早乙女和完さんの、異色のコラボで始まりました。


午後一番の講演は五井平和財団の西園寺昌美先生が日本人の言霊がいかに大切であるかを切々と説かれ、会場の魂を揺さぶりました。
先生は常に基教、回教、仏教、神道 あらゆる宗教の統合、そして科学と宗教の融合をとかれております。そしてまた人は神なり、神としての言動と責任が必要とのこと。







[昌美先生と米田大会委員長とご一緒に・・・・・魂がゆすぶられるお話を頂きました。涙を流されるお若い方も大分居られました]





ミロス研究所のROSSCOさんはハワイに拠点をおく、男と女の究極の結婚をとくミロス理論を発信している。

夫から見た目の前の妻は「己の陰」、そして妻から見た夫もまた「己であり、克服すべき己でもある」という相対から、絶対への視点の変換をとく。


つまり鈴木流に言うならば、天御中主大神という、一人身神。その陰陽、男女、(+)(-)が分かれる以前の原点回帰が、相対界を超えた絶対界への敬神がそれとおなじことになる。


ロジックを持って感性の現実を学ぶ男の原点も天御中主大神という神への回帰。
一方で、また感性をもって女の生活をするも、男のロジックとのギャップに悩む女。
その原点もまた天御中主大神という神への回帰ということになります。


講演を挟んで歌手 綾乃ひびきさんが「千の風にのって」、「おぼろ月夜」ほか日本の魂の唄を響かせる。これもなぜか涙が流れてまいります。


そして、先の2講師の講演、平澤さんの「日月神示とヤマトの使命」、米田さんの「響きあうヤマトの心~一人一人の地球維新~」とすすんだのです。


木内先生には申し訳ないのですが、体調を崩されて、講師変更になったのは今回、どうも天命のような気もするのです。


9月ころから鈴木の胸に「五用 五用」と響いていたのは、このことでした。
今回 2009年 丑寅の年へとすすんで、この「秋の大会」のサトルの五用とは、
次のことだったのです。



1)日本の魂の響き合い (石田、早乙女、牧、綾乃さんら)

2)宗教を越えた世界、しかもその中での言霊の大切さ(西園寺昌美先生)

3)男と女の統合、絶対愛への道標(ROSSCOさん)

4)ヤマトの使命とは (平澤さん)

5)地球維新の黎明とその方向性 (米田さん)


以上でした。


この五用が今年のカナメではなかったのではないでしょうか。
大会を終えた今、つくづくと日本人の魂に訴えるキーは、この五用、そう思えてならないのです。


9月から五用、五用という國常立大神様からのメッセージが届いていたわけなのです。
何が御用か分らなかったのですが、終わってみればこのことと覚りました。


今年のサトル秋の大会、その舞台上は、草月の塚田夢笙さんが五色の直垂れを舞台両サイドの天井から流し、舞台中央には「豊穣の稲穂」をしつらえ、その両サイドには「日の大輪」「月の大輪」を盛り込んでいただきました。むろん日月の証。


論者 鈴木と塚田さんとは、なんら舞台装飾の事前相談もしておりません。


偶然、そこにも五色に日月神示の「日月」とヤマトの「輪(和)」が示されたのです。






[懇親会場 横のテラスで その夜の満月を楽しむ帯津会長ら。たすきの女性は舞台にもお立ちになったスピリチュアルダンサーの山田順子さんです]




2009年 今年こそが、お一人お一人の意識の奥底に「真我の目覚め」を揺さぶる御用があったのです。


意識の覚醒の波は、まだ続きますよ、12月31日大祓えまでに。


そして、日本人の全てが『心の曇りを祓い清めて、すがすがし』という真我の状態にまで魂のレベルを高めたいものです。