2009年12月30日
夜明けの晩
[台北市内の龍山寺 見事な龍の柱ですね。龍は國常立神様の象徴です ]
「鶴」は天空を翔ける「霊」の象徴です。
この日本が天津霊継ぐ民族ですから、「鶴」に見立てた霊性の国が日本。
一方、「亀」は水性で、その亀甲紋からも、氷の結晶からもダビデ六芒星を意味しますので、「亀」は物質性を意味します。
ですから「鶴」という霊性と、「亀」という物質性を統(す)べるというのは、この日本という霊性民族と、物質経済社会のバランスが取れて、物質至上主義、貨幣経済偏重から少しでも足抜けして、調和の取れた霊主体従にシフトしていくということなのですね。
この鶴と亀が統べる夜明けが、来年の平成二十二年の富士(22)の年、フトマニの年であって欲しいのですが、その夜明けの晩とは、夜明け前のことですから平成二十一年の大晦日。
さてこの晦日の夜は、どんな霊成型を見せてくれるのでしょうね。
皆さんも、鶴と亀、または六芒星と、鶴の五芒星や桜のカタドリがこの12月の暮れにお近くで発見されるかもしれませんね。
そういう意識で周囲を見ていくと、自ずと自己覚醒も早まるというものです。
今年の6月には数度目の日本人の意識覚醒がありました。
ですから皆さん、朝昼晩とも眠かったはずですよ。
眠ったほうが、顕在意識の外乱を受けないで静かに変容して行きますのでね。
[自宅前の路上で撮った12月2日の満月の月 もう一つのお月様は青く輝いておりました。]
この12月初頭からの神聖DNA変化も、多くの方が体の変調を直接感じた方もいらっしゃると思います。
12月2日の満月からも大変なエネルギーが舞い込んでまいりましたね。
もちろんいい意味でのエネルギーですよ。

[日本列島のレイライン :なかでも 剣山ー五葉山ラインは東北にのびる龍骨の基本のライン]
四国に剣山があります。ここから一直線に東北に向かって地図上に線を引きます。
すると淡路(アーワ路)の「一の宮」を通って、神の戸(神戸)を超え、鞍馬を過ぎる。
さらに琵琶湖の竹生島を通って白山をかすめ、岩手県の五葉山に抜けます。
このア(純粋悟性)、オ(経験知性)、ウ(勇気判断)、エ(ヒラメキ、叡智)、イ(大生命意志)の五用山が東北つまり艮(うしとら)の、現世界でいう五葉山の地。
岩手のそこは、「艮の金神様」の幽閉地になっていたのですが、早やここ数年前には解放して、別名、國常立大神様は、榛名神社、御嶽神社、主として全国の山岳の拠点に散在し、各地で「霊主体従」の波動を送っております。
剣(つるぎ)とは「鶴」と「亀」のことで、「ツル」と「キ」なのですよ。

[剣山 奥の院、そこでは大岩を遥拝します]
この死国から、現世界を見つめなおすと、物質界その虚像の中にむなしい執着の影が見えます。
その死国からの眼差しでなく、現象物質界の五葉山をはなれて、國常立大神様による霊的なア・オ・ウ・エ・イの五用がなされていく。
ワ行の五葉はワ(肉体自己)、ヲ(水)、ウ(塩・ミネラル)、ヱ(炎)、ヰ(物質地球)の物質界五大はア行に徐々にシフトする。
フトマニ音図、アーワの繋氣(つなき)で、これまでのワ行の物質性が、ア行(アオウエイ)の霊性五段に、よりシフトしていく。
トホカミエヒタメも、その八つ季節性(現代では春夏秋冬ですが古代は八季節)、そして八つのチカラの方向性、凝縮、拡張、伝播、相変化、結晶、旋回、相互対流、放射から霊的なる次元のシフトへ。
すなわち「純正」、「信念」、「希望」、「創造」、「愛」、「勇気」、「進化」、「調和」の八玄律を響かせ始める。
あらためて鶴(霊)と亀(身)、五芒星と六芒星、火と水、「見えない世界」と「見える世界」の偏重のないバランスをはかりましょう。
妻は夫をこれまで以上に優しく見つめてみよう。
夫はこれまで以上に妻に感謝の心で接しよう。
霊(ヒ)と身(ミ)のかかわりと、その正しいバランスを見つめなおしましょう。
ヒミの子らは、世界の世直しの子。
そう宣言して、みなこの世界に誕生したはず。
平成二十一年の大晦日、「夜明けの晩」を静かに「宇宙の進化と調和」を祈りましょう。
どうぞよき寅のお年をお迎え下さい。
トーラ(律法)は、大晦日の夜が明けてから出て参ります。
2009年12月27日
TVドラマ「JIN」に感激

[花魁 野風さんの衣装もNHKの大河ドラマ張りの華麗さでしたね]
秋口からのTVドラマ、幕末にタイムスリップした脳外科医の物語 「JIN : 仁」が日曜ドラマで人気を博しました。
私も毎回見入ってしまいました。
大沢たかお主演で、南方仁(みなかた じん)という役どころですが、脇役もそろっていて、丁寧な脚本そしてコンピュータグラフィックも駆使したり、場面の演出が細かいですね。
衣装にしろ場所設定にしろ細かな描き方で、その中で医師の本分や人間の生き方をあらためて気ずかせてくれました。
生死や愛、友情、生き様などなど、お笑い系とスペシャル特番にあふれる昨今のTV番組の中で大変光ってました。
私は毎回どこかのシーンで涙することも多く、都度 心の洗濯水を流しておりましたよ。
ペストで瀕死の子供を励ます南方医師が「神様は乗り越えられない試練は与えない」という励ましのセリフも本当に胸にジーンと感じ入ります。
私が、ところどころで涙した場面は次の通り、
・神田川の夕焼けのまえで、余りにも美しい純粋な風景に、これまでの自分の心の汚さ、不遜さそれらを溶解し、心の純粋さを照らしてくれる自然界の無言のメッセージに涙する主人公「仁」のシーン
・ヒト助けのペニシリン製造のため、金集めに必死になった男たちが、三人そろってこれまでのつたない「われヨシ」の考え方を述懐し、男同士反省の涙するシーン
・梅毒の花魁が、後輩の花形花魁「野風」に腕の中で、感謝の涙で死にゆくシーン
・死を前にした緒方洪庵と主人公の仁が、医師としての本懐、国のため、道のため清冽に生きよと語る死に別れのシーン
最終回ではタイムスリップへの帰還を断念した主人公が、「医すなわち仁」を全うする江戸幕末での医術を背景にした世相の全10話でしたが、どれも心に染入りました。
「JIN 仁」という同名の原作マンガもあるそうで、こんど読んで見ましょうか。
2009年12月25日
平成二十二年「フトマニ」の年へ(その2)
≪この文章は 12月23日 掲載のブログより本章に続いております≫

[仏界の11面観音様は さまざまな実相界をお見せになる。その実体は宇宙根源神 天御中主大神]
私たちは、この宇宙から生まれ、ビッグバンゆかりの元素をこの体内に宿しております。
また私たちの両親のそのまた親をずっと辿れば、大宇宙を作った神様に突き当たります。
したがって、神様が創った宇宙大法「フトマニ」とは、誰しもが己の内に秘めているのであって、真理への完成体の道(邇)は、魂に刻まれているということになります。
二十二を「フトマニ」と読んでみました。
「二」とは天・地であり陰・陽です。
己はその天・地を見、自分から見た客体である天地、陰陽を知る主体であり、「統」つまり数霊「十」の完成体それこそが本質自己。
そうした本質自己が、爾(なんじ)の本質の道(邇:に)に真理の間(ま)にはいっていく。
麻邇(まに)とは、天と地の間(ま)にあって、真理へのみち(邇)、魂の本道のこと。
以上を整理すると、天の理と、地の理の天地両者をつなぎ、真理の完全体を導くのは霊止(ひと)の役割であって、「フトマニ」とは魂(直霊)の道のこと。
その御血(みち)は大神から魂の中心である「直霊」(なおひ)につながれている。
もちろん天津霊継民族の誰も言霊五十音は表層的に使いこなしております。
俗に、「フトマニ」とは焼いた鹿の肩甲骨の焼き割れのカタチから未来を占ったり、亀の焼き甲羅の占いである亀卜にあらず。
「フトマニ」とは大宇宙生命体の理法がそれに当ります。

[フトマニ音図 : 中心はアウワ、次の外輪がトホカミエヒタメ、さらにアイフヘモウスシの輪と続き、いまでいう言霊五十音と「ン」の51音]
数学論も人生という道も誤った理法にかなわない方向に行けば道を外す。
そして理法にかなわずば、堂々巡りを繰り返す。
ホツマツタエによれば図のような言霊音図こそが「不斗麻邇」と説く。
図の中心のアウワは、霊体であり精神の吾(ア)と肉体の我(ワ)がビッグバンの中心エネルギー(ウ:宇宙祖神)の産霊(むすび)でつながれている。
次の輪のトホカミエヒタメは國常立神の作用、アイフヘモウスシの外輪は國常立神の子神の作用で、太陽系そして地球が修理固成され、やがて大気、水、光、熱などが生成された様子を指す。
この言霊音図の細部は「霊止精神の内容」でもあり、一音ごと精神活動の重要な「言素」である哲理をさすのです。
即ちこの言霊音図の一音一音が神々の御名であり、理法哲理そのものなのです。
個人的には、この言霊音図がのちに「ヤタの鏡」にデフォルメされていった様に思います。
人間は確かに主体性を持って、家庭に社会にと御用をし、魂の本性は「世のため人のため」でうごいているはず。
ですが人間はその主体性や主観を発揮する以前に、「宇宙に生かされている」のですから、宇宙大法の中にあって、その個性のみ進化するようになっているのです。
霊止(ひと)は思念の中で様々な神仏を思い描くことも出来ます。
もちろん基教、回教、仏教さまざまな教えもあり、その教えの神は様々ですが究極には元一つ。
それを宗教では様々な角度から、その宗教の視点から、源祖神の一部分を見ているのでしょう。
神は元ひとつ。
人間は、日常生活で行動し思念する個性の発揮以前に、見えない精神界、見える物質界を融合させた世界で生きる存在です。
せわしい物質経済社会に取り囲まれて生きておりますが、その職場の辣腕社長の激よりも、仏典経文のほうが劣っているとは思えない。
その仏典経文の内容よりも、大宇宙に生かされている絶対事実が何よりも優先するはず。
「霊止」は肉体自己の発揮や、自他の認識から発する自主自律それ以前に、大宇宙という「絶対他力の大愛」の中に生かされているのです。
イザナキ(氣)という霊体(精神系)は、天ノ御柱(あめのみはしら)を中心に左回転でまわり、ついでイザナミ(身)という物質体は、天ノ御柱を中心に左回転でまわり和合する。
身が先行し、霊が従になると「ヒルコ」となって、思念体はまとまりが付かない。
和合とは陰陽、夫婦の和合でもありますが、「物質と精神の和合」と見たほうが広い解釈で、加えてその時系列は「霊主体従」なのです。
中心の御柱(みはしら)とは人体でいえば脊柱であり、男も女も脊柱という同じ御柱をもち、それは天御中主大神にほかならない。
男女区別な、く等しく大宇宙創造神の「天御中主大神」を我が身に頂いているのです。
ここにも「霊止」は、天御中主大神という「絶対他力の大愛」の中に生かされて、御身の中心にあるその御柱の自覚が常に必要ということ。
ここが「フトマニ」の理解の入り口なのです。

[施無畏印 それは安心・安住への施しの大愛の印]
霊止は、大宇宙大愛の御柱(みはしら)を中心に男女の区別なく、等しくイザナキの右手(精神・波動性)と、イザナミの左手(物質・粒子性)を頂いているのです。
そしてその御柱を中心とした人生の中で、常に霊性(イザナキ)が先んじて「主」に回転して、ついで霊性の後から物質性(イザナミ)が柱を同心円に逆回転する「従」の関係にあるのです。
霊止とは、大宇宙の絶対愛の中に生かされ、その個体の行動原理は「霊主体従」が、すべての所業のカナメであるということなのです。
これが「フトマニ」の次なる理解です。
精神(波動)と物質(粒子)は不二一体。
物とは意識の集中したもの、意識波動が集中して粒子化する。
粒子とはエネルギーの集中体。
どちらも実相の一側面ですが、目では見えないこのエネルギーが、フトマニの神聖なるの美しい波動をともなわずば、霊止ののみち(邇)、魂の本道をはづれてしまう。
不二(22)の、まにまに見え隠れする実相と虚像。
来年、平成二十二年を目前にふと虚空を見上げ、「フトマニ」を判じ採った次第です。
さて、平成二十二年 元旦は晴れるかな?
きれいな不二(富士)が見えるといいですね。

[仏界の11面観音様は さまざまな実相界をお見せになる。その実体は宇宙根源神 天御中主大神]
私たちは、この宇宙から生まれ、ビッグバンゆかりの元素をこの体内に宿しております。
また私たちの両親のそのまた親をずっと辿れば、大宇宙を作った神様に突き当たります。
したがって、神様が創った宇宙大法「フトマニ」とは、誰しもが己の内に秘めているのであって、真理への完成体の道(邇)は、魂に刻まれているということになります。
二十二を「フトマニ」と読んでみました。
「二」とは天・地であり陰・陽です。
己はその天・地を見、自分から見た客体である天地、陰陽を知る主体であり、「統」つまり数霊「十」の完成体それこそが本質自己。
そうした本質自己が、爾(なんじ)の本質の道(邇:に)に真理の間(ま)にはいっていく。
麻邇(まに)とは、天と地の間(ま)にあって、真理へのみち(邇)、魂の本道のこと。
以上を整理すると、天の理と、地の理の天地両者をつなぎ、真理の完全体を導くのは霊止(ひと)の役割であって、「フトマニ」とは魂(直霊)の道のこと。
その御血(みち)は大神から魂の中心である「直霊」(なおひ)につながれている。
もちろん天津霊継民族の誰も言霊五十音は表層的に使いこなしております。
俗に、「フトマニ」とは焼いた鹿の肩甲骨の焼き割れのカタチから未来を占ったり、亀の焼き甲羅の占いである亀卜にあらず。
「フトマニ」とは大宇宙生命体の理法がそれに当ります。

[フトマニ音図 : 中心はアウワ、次の外輪がトホカミエヒタメ、さらにアイフヘモウスシの輪と続き、いまでいう言霊五十音と「ン」の51音]
数学論も人生という道も誤った理法にかなわない方向に行けば道を外す。
そして理法にかなわずば、堂々巡りを繰り返す。
ホツマツタエによれば図のような言霊音図こそが「不斗麻邇」と説く。
図の中心のアウワは、霊体であり精神の吾(ア)と肉体の我(ワ)がビッグバンの中心エネルギー(ウ:宇宙祖神)の産霊(むすび)でつながれている。
次の輪のトホカミエヒタメは國常立神の作用、アイフヘモウスシの外輪は國常立神の子神の作用で、太陽系そして地球が修理固成され、やがて大気、水、光、熱などが生成された様子を指す。
この言霊音図の細部は「霊止精神の内容」でもあり、一音ごと精神活動の重要な「言素」である哲理をさすのです。
即ちこの言霊音図の一音一音が神々の御名であり、理法哲理そのものなのです。
個人的には、この言霊音図がのちに「ヤタの鏡」にデフォルメされていった様に思います。
人間は確かに主体性を持って、家庭に社会にと御用をし、魂の本性は「世のため人のため」でうごいているはず。
ですが人間はその主体性や主観を発揮する以前に、「宇宙に生かされている」のですから、宇宙大法の中にあって、その個性のみ進化するようになっているのです。
霊止(ひと)は思念の中で様々な神仏を思い描くことも出来ます。
もちろん基教、回教、仏教さまざまな教えもあり、その教えの神は様々ですが究極には元一つ。
それを宗教では様々な角度から、その宗教の視点から、源祖神の一部分を見ているのでしょう。
神は元ひとつ。
人間は、日常生活で行動し思念する個性の発揮以前に、見えない精神界、見える物質界を融合させた世界で生きる存在です。
せわしい物質経済社会に取り囲まれて生きておりますが、その職場の辣腕社長の激よりも、仏典経文のほうが劣っているとは思えない。
その仏典経文の内容よりも、大宇宙に生かされている絶対事実が何よりも優先するはず。
「霊止」は肉体自己の発揮や、自他の認識から発する自主自律それ以前に、大宇宙という「絶対他力の大愛」の中に生かされているのです。
イザナキ(氣)という霊体(精神系)は、天ノ御柱(あめのみはしら)を中心に左回転でまわり、ついでイザナミ(身)という物質体は、天ノ御柱を中心に左回転でまわり和合する。
身が先行し、霊が従になると「ヒルコ」となって、思念体はまとまりが付かない。
和合とは陰陽、夫婦の和合でもありますが、「物質と精神の和合」と見たほうが広い解釈で、加えてその時系列は「霊主体従」なのです。
中心の御柱(みはしら)とは人体でいえば脊柱であり、男も女も脊柱という同じ御柱をもち、それは天御中主大神にほかならない。
男女区別な、く等しく大宇宙創造神の「天御中主大神」を我が身に頂いているのです。
ここにも「霊止」は、天御中主大神という「絶対他力の大愛」の中に生かされて、御身の中心にあるその御柱の自覚が常に必要ということ。
ここが「フトマニ」の理解の入り口なのです。
[施無畏印 それは安心・安住への施しの大愛の印]
霊止は、大宇宙大愛の御柱(みはしら)を中心に男女の区別なく、等しくイザナキの右手(精神・波動性)と、イザナミの左手(物質・粒子性)を頂いているのです。
そしてその御柱を中心とした人生の中で、常に霊性(イザナキ)が先んじて「主」に回転して、ついで霊性の後から物質性(イザナミ)が柱を同心円に逆回転する「従」の関係にあるのです。
霊止とは、大宇宙の絶対愛の中に生かされ、その個体の行動原理は「霊主体従」が、すべての所業のカナメであるということなのです。
これが「フトマニ」の次なる理解です。
精神(波動)と物質(粒子)は不二一体。
物とは意識の集中したもの、意識波動が集中して粒子化する。
粒子とはエネルギーの集中体。
どちらも実相の一側面ですが、目では見えないこのエネルギーが、フトマニの神聖なるの美しい波動をともなわずば、霊止ののみち(邇)、魂の本道をはづれてしまう。
不二(22)の、まにまに見え隠れする実相と虚像。
来年、平成二十二年を目前にふと虚空を見上げ、「フトマニ」を判じ採った次第です。
さて、平成二十二年 元旦は晴れるかな?
きれいな不二(富士)が見えるといいですね。
2009年12月23日
平成二十二年「フトマニ」の年へ(その1)

[一年ってなんて早いのでしょうね。そう来年は、平成二十二年ですよ]
21世紀に入って間もない西暦2002年、つまりその年は日本大和朝での皇紀2662年にあたります。
2002も2662も右から読んでも、左から読んでも同じ数霊で、一種の回文の年でした。
「なかきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」
長い回文ですが、これも右から読んでも左から呼んでも同じ文。
深い意味あいがありますね。
物質科学を究理して最後の最後まで追及すれば、やがてそれは真実に突き当たる。
また精神主義をトコトン追求して究すれば、それもまたやがては真実に突き当たる。
真実とは一枚の紙の裏と表の関係のように、科学からも精神からも、どちらから辿ってもやがては同じ真実にたどり着く。
また「永き世の・・・」の回文は物質原理にもてあそばされていたの時代から、「魂の目覚め」へと気付かせます。
論者はこうした回文もメビウスのループのような繰り返し訴え続ける不変の真理のような印象をもっておりました。
とりわけ2002年も2662年も「物質世界の膿だし」で意味のある年だったと思います。
前年の2001年9月 物質主義の象徴のようなツインビルが崩壊しました。
一昨年のサブプライムローンの破綻とリーマンショックから、資本主義の解体の兆しを見せてくれました。
大きな意味で「拝金主義」、「物質経済至上主義」が崩れ始めてきたのです。
2009年には、この日本も自民55体制の崩壊がはじまり、亜垂敷世が着々と進んできていることが分ります。
すでに2009年の丑年から来年の寅年につづく丑寅の御用。
艮(うしとら)の金神 國常立大神さまの大建て直しはいよいよ本格化するでありましょう。
それは精神の大建て直しなのです。
モノの豊かさから、心の豊かさへの価値観の変化。
物質経済にどっぷりつかった国民には、様々な意味でこれでもか、これでもかと「魂の覚醒」に揺さぶりを掛けるでしょう。
[丑年から、来年は寅年と続く、丑寅の御用はいよいよ頂点に!]
年明けの平成二十二年を、数霊的に「フトマニ」と読みました。
元来 「フトマニ」とは、古事記の国産みの「不斗麻邇(ふとまに)」の原説に由来します。
言霊の音読みを「不斗麻邇(ふとまに)」と当て字をしたのでしょうが、斗はマスであり秤ですから量ることの出来ないの深い真理。
麻は「真(ま)」でもあり真理の道とでも読めましょう。
また古くは麻(あさ)とは「ア」から「サ」への言霊の道、ア~サであって、「ア・タ・カ・マ・ハ・ラ・ナ・ヤ・サ」のア段(現在のアカサタナハマヤラ段)の原型界「ア」→「サ」をさします。
「ア」とは精神の「吾(われ)」であり、それが主体となって高天原(タカマハラ)を成立 (ナ)させ、弥栄(ヤサ)を呼び、「ワ」(和)へと誘う魂の本道の表現なのです。
こうした当て字からもその深い意味合いが隠されているのですが、フトマニとは『宇宙大法』という意味です。
(次回につづく)
2009年12月21日
ブリース・リプトン博士講演内容

[ブルース・リプトン博士と多摩大学大学院 田坂広志教授 ]
11月20日のブログで「神聖DNAの覚醒」というお話をさせていただきました。
五井平和財団の記念講演、細胞生理学者 ブルース・リプトン博士のお話は、環境や意識がDNAの振舞いを変えるという内容でした。
12月中旬の過日 五井平和財団から当日の講演内容を紹介した、マルマガが論者に送られてまいりました。
下記をクリックすると、そのリプトン博士の講演原文が書かれておりますのでどうぞ参考にされてください。
受賞記念講演「新しい生物学が明かす『心の力』」/ブルース・リプトン
1) 自分の想いがDNAをかえ、自分の人生を変えていくということ
2) 全ては繫がっており、地球環境すらも私たちの心の作用であるということ
3) マイナスの感情は、決して地球にとってプラスにならないということ
4) 親の心が子供の潜在意識に与える影響は計り知れないということ
5) まもなく、こうした意識の覚醒が地球規模で始まっていくであろうこと
リプトン博士の講演直後、以上の個人的感想を自分のメモにとっておりました。
2009年12月19日
スパコン開発について

[行政刷新会議 事業仕分け会場 議論伯仲で大所で見直し結構なことですが・・・・・・]
前回のブログでも「事業仕分け」についてのコメントをさせていただきました。
事業仕分け自体は、賛成なのですが、予算削減や事業見直しの判定根拠に釈然としないものの一つに「スーパーコンピューターの開発」があります。
この事業仕分けによる「スパコン開発の見直し」には理化学研究所の野依先生(ノーベル化学賞受賞)、脳科学の利根川先生(ノーベル医学賞受賞)ら先端科学者らがこぞって反対のご意見。
論者もその1人です。
「スパコン不要不急」というのが、見直しの論拠なのですが、高性能なスパコンを新しく買いに行くのではないのです。
国がこぞって、世界に例を見ない大型スーパーコンピューターを開発しようという予算立てなのです。
私自身、学校を出てから直ぐに民間の研究機関に20数年間居りました関係で、研究現場の実務のこと、広く世界の技術レベルを見渡したこれからあるべき研究企画のことも、知恵の出し合いということで国との共同研究のことなど事務的なことにも長いこと携わっておりました。
当時、「鉄ダイキャスト」という工法の開発研究も行なっておりました。
鉄が溶ける温度は1500度くらい。アルミニウムですと400度くらいですから凡そ三倍近くの融点の差がある。
今でもアルミニウムの鋳物製品は、金型に高速で溶けたアルミを充填させて固まらせる工法が中心です。
ですが鉄ですと、温度が高くてまず鋳込む金型がもちません。
そんなことから、金属ではない、セラミックスの鋳型の研究にも波及していくのです。
また低速高圧充填というゆっくりと、高圧を掛けて型に押し込む技術は、今ではアルミニウム鋳造品の内部欠陥が無い優れたいものを作る技術にも応用されていきました。
「スパコン開発」でも、これまでに無い超高性能半導体素材、超高電導システム、新しい高性能ヒートシンク(冷却方法)、などなど多岐にわたる分野から構成されています。
つまり研究とは、一つの課題でもその細部は数十にも分岐されていて、それぞれの分岐研究でも大変大きな将来の「産業の米」ともなるものが隠されているのです。

[政治も、研究も新しい道を探して モノもつ両手を離して観音扉を開けていこう]
「不要不急のモノのを買うな」という発想と、「将来の産業のカナメともなる画期的技術の研究」という発想とはまるで異質です。
また分岐研究のもつ期待成果でなく、スパコンそのものの完成は、壮大な地球の気象現象を全て過去データを加味した予想シュミレーションや、1秒間に10万もの化学反応を持つ1細胞のレベルを、生体全体60兆個の細胞を通した、生命体のメカニズムの解明にもつながるものです。
「事業仕分け作業」に、こうした科学者のマクロな知見を持った人材の立会い無しに決定た経緯に、なにか危うさを感じてしまいました。
もちろん、研究も物質研究だけでなく、心と脳の研究、「見えない意識と見える物質を橋渡しする研究」が期待されるところです。
物質研究にしても、その研究を推進する方々の心のあり方が重要で、お金儲けに染まってしまいますと、何でもありの研究では人類は滅びていくかもしれません。
政治家も研究者も「霊主心従体属」の姿勢で「お役に立とう」という姿勢でなければ、地球も人類も衰退していくしかありません。
2009年12月16日
和漢薬が追い出される?
[この子のように、お熱が出たらお花から気を頂くことも大切なこと]
国の事業仕分けは、これまで暗闇だった各省庁の不明朗な予算配分の仕組みが国民の前に明らかにされた革新的な政治の切り込みでした。
ですが緊縮財政の背景を背負って、全ての予算が切り崩しであってはなりません。
最近、漢方薬が健康保険の適用除外化の動きがあると聞く。
驚くべきことです。
和漢薬は数1000年の歴史をもって、民間に受け継がれてきた貴重な財産なのです。
近代医療がまだ明らかにされていない部分もまだまだ多いのですが、人体の総合的な免疫強化、体力強化を穏やかな回復に導いてくれる。
「どくだみ」をお風呂に入れるとと本当に気持ちがいいし、私も胃の調子が悪いとき、ときどき「せんぶり」を煎じていただいております。
西洋医学は此処100年の内に急激に進展してまいりました。
そして大手製薬会社の開発する医薬品も劇的な局部改善効果をもたらします。
もちろん数年の臨床テスト結果を待って市場に出回るのです。
ですが、こうした臨床のメカニズムが明快な化学薬品と違って、和漢薬は「いのち」そのものを対象として、その全体から癒していこうとする。
ですから長い時間を掛けて筋肉、骨、血液そして患部に作用する総合的な回復をもたらしていくのです。
100年の短期の歴史で仕上がった化学薬品よりも、4000年以上も民間に伝わってきた和漢薬が劣るとは決して思えません。
アメリカでは今、代替医療が急激に盛んです。
それは薬局のお薬が高いことに加え、自然の持つ自己回復の力、特に日常習慣の乱れを正常に戻すことや、良い水、良い食べ物を頂くことに主点があるようです。
豆類、発酵食品、果実、緑黄野菜、米と玄米そして適度な運動がポイントです。
それらのごく自然な食生活がいいということは、日本語の「医食道源」:ISHOKUDOUGEN という言葉がMOTTAINAIと同じように、海外での流行り言葉であることも下支えになっているのでしょう。

[地球上には病を治す、自然の医薬が必ずあるという。それはこの地球に生まれたのですから、それを活かす環境の全てが地球上にあるということ]
1970年代のマクガバンレポート、これは米国政府が当時一億ドルの予算を使った「国民の心と食の環境調査レポート」」の最終版のこと。
その結果が、米、マメ、豆腐、野菜、発酵食品などの日本食こそ、健康と心ともも最適にして最強という結論でした。
医療先端国のアメリカですら、現在、化学薬品一辺倒の世界から、自然食や代替医療に傾いていっているのです。
アンドリュー・ワイル博士や、クリスティーン・ペイジ博士らまだまだ沢山居られるでしょうが、自然治癒を皆さん標榜されているのです。
抗がん剤も4ヵ月後の投与では、急激にリバウンド現象が来ることは余り知られてません。
4~5ヶ月くらいまでは、抗がん剤の投与は、ガンを叩く作用はあるのですが、その後は自己免疫能力が急激に悪くなる。
そのことを米国の政府公聴会でも医学界のトップが正式に報告されていますが、わが国では余りその事実は知られてません。
「抗がん剤」の投与も初期にはいいかもしれませんが、吐き気、脱毛、衰弱、不眠、食欲低下、目眩・・・数えると100項目くらいの併発があるそうです。
それでは他の病を起すことなのですから、これでは毒薬ですね。
化学薬品はある特定のものを攻撃しますが、「いのち」の全体系には毒薬になっているのです。
短期に、ほどほどに、慎重に使ってこそよかれ、すべて頼っては厳禁なのです。
むしろ和漢薬は「いのち」全体系に穏やかに作用して、自己免疫から強化していくのです。
現在、健康保険で治療している子供さんも、化学薬品の毒でアレルギーが起こるから「和漢薬」を頂いている方も10万人以上もいるのです。
それが、和漢薬は健康保険適用除外になるということは、国が化学薬品という毒を国民に撒き散らすという政策を推進することになりかねません。
また化学薬品信奉で、それ以外は一切認めないということは、国による「C型肝炎薬害」と同じことを、また辿ろうというのでしょうか。
漢方薬が健康保険から適用除外されたら、こころある国民から見放された次元の低い医療行政をもとに、恐らく政局は再度大きく揺れることでしょう。
2009年12月13日
頂きます
[「頂きます」と「ごちそうさま」は日本人の食卓のはじめと終わりのご挨拶。これらの言霊が基本で霊止(ひと)は育ちます]
今回も日本人の言霊の代表 「頂きます」についてお話させていただきます。
私が小さい頃には、食卓に向かったわたしに母が「お百姓さんや漁師さんにとってもらったこの食糧に感謝しなさい」といわれて「頂きます」を言いはじめました。
そのご自分に子供が出来て、お百姓さんもさることながらこれを届けてくれた方、つまりデリバリーや小売店の方にも「頂きます」の心で食事をしようと子供達に教えました。
そもそも「いただきます」は日本人特有で、クリスチャンは神様に向かって、食事をいただけることの感謝を捧げます。
もちろん日本の文化でも、五穀豊穣の食糧を白木の神棚に添えて、そのご神饌を下賜されいただくしぐさ、「いただきます」も基教と同じように日本人の魂にも根付いている。
[にっぽん文明研究所 主宰の大祓えには毎度 参加させていただいております。今年も12月20日 國學院大學 院友会館 13時半から 詳細問い合わせはTEL 045-481-9361まで]
ですが本当は、食糧は地球からの頂き物であり、地球さんにいただかさせてもらいますという心であり、同時に食料さん自体の「いのちをいただきます」ということなのです。
とりわけ食糧のいのち、ダイコンさん、ねぎさん、お米さん、お豆さん、お魚さんのいのちを頂いて、わが身の内に納めます。
彼らもまた地球からのミネラル、水、光、空気でそのいのちを充電してきたのです。
ですから私達は、彼ら食糧の命を頂き、その魂を身に収めますので、これらの魂を「八千万魂(やちよろずみたま)」といい、わが身と一体になっています。
以前、人間とは罪深いもの、食わずしていきながらえず、つねにいのち在るものを殺して食べているとの思いもありました。
しかし40歳も半ば過ぎに、五穀草木からこんな事を言われたのです。
「私達はヒトのために役立ってこんな嬉しいことは無いのです。役に立つことが嬉しいのです。そして人と一緒になれるのですもの・・・・」
ですから植物は、本当に本当に純粋なのです。
地球のエッセンスしか頂いていないので「地球の心」そのものなのです。
以来、私の心にはこの「八千万魂(やちよろずみたま)」と一体になって、幸せになる。
いや幸せになるとは、自分だけのことではなかったのだと、翻然と気が付いたのです。
「頂きます」、それは地球と食糧の「いのち」だったのです
2009年12月10日
勿体ない

[すずめのヒナも飽食なんてしません。飽食と無駄をするのは人間と人間が飼うパットだけ]
海外で訳されにくい日本の言霊のいくつかに「勿体ない」、「頂きます」、「ご馳走様」、「お陰様で」などがあります。
日本人は言語に主語が乏しく、「ありがとうにしても」、「いいえ」、「すきよ」にしても、英語で言うところの主語「I」が希薄です。
英語圏の民族は、言語に主語、動詞、目的語などが一般会話にも逐一明確ですね。
ですから “I love you”は日本語では、「I」も「You」もなく「すきよ」の一言で終わってしまう。
このように主語の不明瞭な日本語では、感謝の言霊「ありがとうございます」「おかげさまで」「お疲れさま」などは対象体である目的語が貴方という特定対象で無くて、「全体」であるようです。
また「私が」、という主語も謙譲というのでしょう、余りしゃしゃり出ずに隠してしまいますし、その「私(I)」もどちらか言うと、「私たち(We)」に近い感覚を持ってます。
アメリカのオバマさんが大統領選でポイントを稼いだ言霊が、「Yes We can」そして「Change」でした。そのどちらも「I」だの「You」だのが無くて結構日本的だなあと思いました。
3年前位にノーベル平和賞を取ったアフリカのワンガリ・マータイ女史が「リユース・リデュース・リサイクル」の3Rを一言で言い表す言葉が『MOTTAINAI』という言葉なのです」と話されていました。
知人の小川修さんが「もったいない学会」という勉強会の御世話をされています。
飽食社会の付けと、車社会の付けがやってくるに違いありません。
[この市場は北陸の泊(とまり)でしたか? 食べられる分だけ買いましょう]」
レストランで食べ残しの子供のお皿を見ても何の指摘もしないお母さん。
いたずらに賞味期限を書き連ね、消費を煽る戦略が、いまでは期限前の元安売りであえぐ生産者と販売者。
JAS自体も産地表示、素材表示、消費期限表示と国民の食の安全を守る姿勢が、その安全基準を守るための「天下り団体作り」のためだったらなんとさびしいこと。
駐車違反を取り締まる民間の方、そのご出身も分りますよね。
建築基準の過年度評価テストを実施する団体 建築安全能力が大事ですものねえ。
でも実施団体の元のご出身は?分りますよねえ。
食糧生産物の三分の一が捨てられているということを記憶にとどめてください。
日本人の完成食料への供給熱量は一人平均 2548キロカロリー。
摂取平均は1891キロカロリー。
ですから皮などを剥いた後の全食品の四分の一が食べられずにそのまま無駄に捨てられている日本。
飢餓でこの地球上には、毎年 600万人ものひとが死亡しているのです。
食糧危機を目前に、本当にこれでいいの?のと思わざるを得ません。
さてここで主張を、
・ 一日 多くても二食とすべし
・ 極力肉食をやめて、果物や穀物にシフトすべし
・ 常にいい水を確保しよう。
地球は有限の星です。
着物も食糧も、水も空気もみんなみんな地球のものです。
何をするにも「もったいない」この姿勢がなければ地球は破壊する。
「勿体無い」とは、「物のあるべき姿」それが無くなったということになる。
2009年12月07日
一億総マスク時代

[信州佐久の たしか鼻顔稲荷神社さんでしたか? 同じところに剣道の千葉周作の額がありました]
11月の中旬から、10年来のかなりひどい気管支炎になり、ある方からはそれは鈴木さんの霊的内部変化との指摘を受けてました。
確かに12月に入って、復調はしているのですが、瞬間瞬間のなかにキラット物事の深層が見えてくることが少々多くなりました。
私の体重は57Kgくらいでしょうか?そう軽くは無いのですが彼いわく「霊的なライトボディー」からさらに進化したのだそうです。
つい先だっても、お電話で人生相談めいたものを受けたのですが、電話が鳴る前に悲しげな男性の影が見える。それもかなり高齢の方です。
しばらくして電話がなり受話器を取り、聴きますと、とりとめの無いお話で、「某講師」の話が怖くなって、寝られないとかのこと。
まあ人生相談になってしまいました。
実はそういう不安、悲しみに深く沈みこむかたと、逆に喜びと勇気の方向にあらためて気付いていくかた、そしてこれまでのレベルと変わらない方、以上の三者がこの12月には三分され、篩わけする予感がします。
巷を歩くと、凡そ半数がマスクを着用されていらっしゃる。
新型豚インフルエンザ対策なのでしょうが、お子さんがかかってもご両親はまるでなんとも無い。
私の孫の小学校も、学級閉鎖を繰り返しますが、孫を含めて罹らない方はまるでなんとも無い。
以前に、インフルエンザを恐れるなということをこのブログで書きましたが、私は「全て受け入れよ」の姿勢なのです。
再度結論から申し上げるとインフルエンザを恐れるな。
もちろん敢えて火中に飛び込む必要もなく、あるがままの自然体なのです。
菌を敵視すれば菌は敵になり、菌を生命体と思えば共生体となる。

[これはベッドではありません。 巨大な「すずり」ですよ]
大腸菌もそうなのですが、睡眠中に体内酵素の産生にそれは無くてはなら無い大事なもの。
ウイルス菌もまた、時代が与えた環境の中の大きな因子で、DNAすら覚醒させるというもの。
医学的に見ても、インフルエンザ菌の耐性は日増しに変化し、去年の抗ウイルス薬は全く役に立たないと指摘するお医者様も少なくない。
インフルエンザ自体の進化も日進月歩で、その環境に応じて変質して行く。
だからタミフルやリレンザを妄信しても意味が無い。
むしろそれを服用して異常行動という原因不明な脳内異常も起こりうる。
そういわれて困るのは、アメリカとカナダとスイスの大手製薬会社。それとひょっとすると厚生労働省内部かもしれません。
インフルエンザでわが国の死亡者はいかほどか?正しいデーターは検索してもなかなか出てまいりません。
新聞情報では12月7日現在で100人とか。
それも重篤な糖尿病や悪性リンパ腫の併発患者がタミフルなど医師の投与後に数日で死亡した例が圧倒的。
恐らくこれまでの日本国内での純粋にインフルエンザ感染が主因で死亡した数は50人未満ではないかしら?
併発病を伴っての死亡が多く純粋なインフルエンザによるものは確かに区別がむづかしい。
交通事故死が年間 1万人ですね。
数からすればこの交通事故死よりも恐らく年間で30分の一か、40分の一くらいではないかしら。それも糖尿病や心臓病他 併発病死をカウントしてのコト。
マスク着用のおとうさん、お母さん、そして子供達が一億総マスク人間のように見えるのですが、なにかパンデミックを煽っているような気がしないでもありません。




