2010年01月31日

江戸期の金銭感覚




[大川橋蔵演ずる銭形平次はたしかTVのシリーズモノでしたね]




昭和30年代の初頭、「夕陽丘三丁目の時代」は、論者が小学校から中学校にかけての頃で、勉強そっちのけで、お小遣いのお金さえあれば映画に明け暮れておりました。


ちゃんばら好きな少年は、お小遣いを溜めては東映の時代劇モノをよく見に行きました。

ちゃんばらの東映モノがやっている映画館までは大分遠くて、小さい子供の足で30~40分くらいあったかしら。
それでも平気で歩いていきましたね。


大川橋蔵の「新吾十番勝負」や長谷川一夫の「銭形平次」などなどシリーズモノもよく見に行きました。

銭形平次の見せ場の投げ銭、これがかっこよかったですね。寛永通宝というやつですが、大人になって考えてみると、どうも一文銭ではないようですね。




[寛永通宝 一文銭]






[寛永通宝 四文銭]





丸い中に四角の穴があいて、裏に波形の模様がある。
それで波銭とかも言ってましたが、当時一般に通用した四文銭(おおむね寛永通宝)が平次の投げ銭のようです。


寛永通宝の一文銭ですと軽すぎて、遠くまで飛ばない。
ですから平次の使った投げ銭は、小説家 野村胡堂によるイメージは4文銭だと思います。



平次が住んでいたのは神田明神下、その神田明神に行かれますと、境内みぎ手に平次の墓といいましょうか、碑がございますよ。





[神田明神の平次の墓   JR御茶ノ水から北へわずか数分のところが神田明神。この明神様入り口の甘酒やさんはおススメですよ。なんといっても蔵出し甘酒なのです]



先般、「武士の家計簿」という書を出された、磯田道史さんのお話では、当時の一文は平成二十二年 今の価値では50円くらいだそうですね。


一文は、約50円、銀一匁(もんめ)はおおよそ3300円。1000文が15匁(銀)になります。

当時の江戸界隈では、「そば」のお値段が16文平均ですから、だいたい800円。
いまでいう立ち食いですね、路地裏のおやすい「素うどん」が4文から6文くらい。
ですから200円から300円くらいですかねえ。


江戸人は平均して一日に酒を10文つまり500円くらいアルコール代に使ったそうです。
タバコ代に3文(150円)をつかい、そして髪結さん(美容院)には結構足繁く通ったようです。


髪結いに2~3週間には一回行った結構オシャレな人種ですね。
それで一回が銀一匁つまり3300円。
まあ今の感覚と同じくらいかしら?


でも回数が多いような気がしますよね。

男性は月代(さかやき)を剃るので、自宅で奥さんにかみそりを当ててもらっていたようで、髪結さんには主として女性が行っていたようです。


農家、町家、商家、武家様々でしょうが、平均して子供1人の年間教育費は50万円(銀150匁)から、ハイクラスでは200万円(600匁)くらいだったそうです。


結構教育費が、かかっているのですねえ。
つまり日本人は、昔から子供の教育意識が非常に高かったといえるのですね。


ですから300年前は、日本が世界で最も教育レベルが高かったのではないでしょうか。

江戸時代の文盲率が50%で、世界の文明大国といわれるイギリスの文盲率が90%ですから圧倒的に教育水準が高い。

日本の植民地化の下心で江戸期に来た諸外国人は、一般庶民が高札を読む姿を見てビックリしたそうですし、武家の小さい子供が道々、論語をそらんずる風景を見て、これは侮れないと意を新たにしたようです。



日本は昔から教育費には大分お金をかけていた、そうした人を育てる歴史文化だったのですね。   

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)日本人の魂を求めて

2010年01月28日

 龍馬よ蘇れ

   



[坂本龍馬 :なぜこの写真に大きな机があるのかというと、当時の写真は露光に長時間がかかりますので、静止のためのもたれかかりのためだったそうですね]  



    

今年からNHKの大河ドラマで福山雅治主演の「龍馬伝」がスタート。
余りにもかっこよすぎる顔立ちのいい坂本龍馬に、いささかの違和感を感じないでもありませんが、評判ですね。

若い女の子も、もちろん高知も長崎も龍馬ブームに沸いている。



龍馬の魅力は、図抜けた行動力と発想力。

会社という概念が無い幕末j時代に、他人の資金で会社の原型(亀山社中)までつくってしまう。


でもそうした行動能力は、現代人が必ずしも劣るとは思いにくい。



問題は、いつでも死ねる。明日にも死ねる覚悟があるかどうか。
そこがまるで龍馬と現代人は違う。




最近では、封建主義の代表とされてきた「武士」が見直されてきました。

山本周五郎や藤沢修平といった時代物作家の、「雨上がる」という寺尾聡主演の映画や「武士の一分」という木村拓也主演の映画が以前ヒットしましたね。

これも鑑賞しましたがハリウッドからトム・クルーズと渡辺謙 主演の「ラストさむらい」が来ました。

これらのモチーフはいづれも「侍の魂」です。
サムライ映画のヒットは、魂の抜けた日本人には、死を覚悟した中に武士の一分、仁と義をを通す波動が、現代人に残されている血脈に、少なからず浸透したからでしょう。


「武士」、その生き様の根底は、金でなく道義、道徳、心の気高さがが何よりの価値基準でした。


現代はホリエモンに代表されるように「金さえあれば人の心も買える」風潮ですから、心よりもモノと金、体主心従の価値観。


往時、士農工商という身分制度はあったものの、士は総じて商より貧しく、困窮暮らしの上に、志が高い。
年収が三両一人ぶちの侍のことを俗に「三一(さんぴん)」といいますが、今の年収にして凡そ100万円を下回るのです。

しかし志の卑しさを嫌うから、農民や商家からも寺子屋の先生や書画の教師としてまねかれました。


比較的 高給取りの旗本でも冬場でも暖をとることはなかったのですよ。
つまり火鉢やコタツなど無いのです。もちろん床暖房もファンヒーターもありません。
大名の世継ぎですら幼児期からそうした教育生活であったそうです。




 幕末に来日していた英国人が江戸市井を見て仰天したそうです。
彼らは植民地政策が来日の狙いであって、無能な土着民を教化するという大義名分で日本という野蛮国に乗り込む。
ところが乗り込んできた当の英国人の日本人観は次の二点であった。

① 武士のカネで生きない潔さ 
② 一般民衆が立て札を読む教育の高さ(英国の文盲率は90% 日本のそれは50%)







[およそ国民の半分が、このような高札をよんでいたのです]





時代は150年ほど経って、カネが全ての行動基準、汗水たらさずマネーゲームで一攫千金に血眼という日本の気風と相成る始末。


小学生がトレーダーの訓練をするという。

もしそれが義務教育とでもなろうものならとんでもないことだ。
そんな年で子供からの国際人化でも、経済の勉強でもなく、金儲けの亡者を育てることしかならない。


自国の文化を読み、書き、愛せる基礎がまづ必要でしょう。
自国の歴史を外国人に話して、はじめて外国人から尊敬の対象となるのです。


日本人の心から、150年かけて徐々に徐々に、「民主主義」、「自由と平等」そして「合理的精神」をあたかも正義のように注入して、神意識を無意味なものと洗脳していった。


その犯人は欧米の物質合理主義と、それに迎合した日本の一部の政治家たち。
挙句が、リーマンショックでただ慌てふためく、腹の据わらない人種を育てていった。

「世のため、人のため」という私心を捨てた、私たちが本来もっている天津霊継ぐ「霊主心従体属」に平成二十二年は、一気に突入するでしょう。


「魂の本質」に否が応でも気付かされる、「神仕組み」が次々と現われるでしょう。

坂本龍馬という、その天翔ける武士をとおして、TVの茶の間からも魂の本質を磨かせてくれるでしょう。

日本龍馬よ蘇れ! 今年はいたるところに飛龍が翔ぶでしょう。  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)日本人の魂を求めて

2010年01月25日

死という第二ステップ




[府中の大国魂神社 ここのお祭りには大太鼓が出て壮観ですね]




全てを前向きに生きて、心にストレスを溜めずに、わくわくウキウキと生きると免疫活性が維持されて体内の悪玉細胞は消滅する。
毎日 がん細胞は5000個も発生していますし、それをやっつけてくれる免疫系は心のストレスが高まれば低下して、2年もすれば数mm大のガン細胞にまで発達します。


つまり健康体は前向きの心で、明るい心で維持されることになります。
それが、安保 徹先生や近日 紹介したブルース・リプトン博士のDNA後生論(エピジェネティック コントロール)でもいえることです。



日常を「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。ありがたいことだ」、という心のあり方が本当に大事だと思います。

それが「目の前の全ての現象」に対して、感謝の動因になるからです。

今あること、今 生きていることに対する全面肯定、感謝であれば、宇宙はそれに共鳴し応えます。




ただここで大事なことは、「健康」=「長寿」とは無関係だというです。

さして病無く、さして大きな苦痛なくポックリ逝くのがベストではないでしょうか。


お寺の高僧をみると確かにご高齢の方も多いのですが、それは決まった時間に読経や禅行をする規則正しい日常生活。
そして腹七分の食事によるため体内に脂肪や余分なものが、溜まりません。

細胞がいつも飢えてますから、必要とする栄養分をよどみなく吸収しようとする細胞活性があるからです。


巷の話で、お若くして亡くなられたりすると、それは不摂生とマイナスの生き方の結果のといわんばかりに、陰で耳打ちする方もいらっしゃる。

比較的若くしてこの世を去られた方は、日々を感謝しない結果で亡くなられたのでは決してない。 

その方の「最適な次世代環境」に神様が誘導されたのです。


「日々を感謝しないからあの方は早死にしちゃった」と勝手に判断しているのは、周りの方のご自由ですが、ご本人はそれなりの心の充実度をもち、独自の「主観の人生」を生きている。

心の高揚感や充実度が分っているのは本人以外では、神様しかおりません。
それは、他人の知るヨシもない。

勝手に他人が、亡くなった方の心魂の内容や、想いに点数をつけるわけにはまいりません。



死とは「第二ステップへの旅立ち」であって、進化のための最良の第二の環境を与えるため。
その時期は神様が判断し、なさることと。


生を肯定した生き方、寛容で心の広い生き方は、自己免疫による自然治癒力は高いし、病にも罹りにくい、しかし死とは別物であるということです。


神様がなさる第二ステップの旅立ちという、あの世への入学までのあいだ、自分の身を労わり、周りに感謝し、日々を充実して過していくことがなにより大事。





[不動明王  その形相は、心に住まう悪鬼羅刹を懲らしめる]



毎日を「ありがとうございます」で感謝して生きると、おのずと「喜び」が飛び込んでくる。そして、笑顔の方が自然に集まってくる。

ですから「ありがとうございますの生活」は楽しいですし、肉体的にも苦痛もない。


こうした日常の「霊主体従」の生き方が、魂磨き、「神化」への基礎訓練。



「霊主体従」の生活は、心のなかに負荷がかからないし、ストレスもない。
ですから、自我を本来もたない純粋無垢な細胞さんたちにも、負担がかからない。
だから病苦でのた打ち回る状況には至らない。


わが身大切さで節制に節制を加えていればきっと200歳も300歳も生きるというとそうではありません。

勝手な長寿願望はこの宇宙ルールには当てはまりません。

寿命は神様の決め事なのです。



古今の聖者といわれるキリスト様は、33歳で亡くなりました。
お釈迦様は35歳で悟りを開き、この世に未練なく一旦あの世に行かれようとされた。
しかし、この世での教えの流布という使命のために、さらに伝道に入るのですが、それでも入滅したのは凡そ80歳。
今の平均寿命からすると、そうビックリするご高齢でもありません。


わが国の弘法大師空海は「死してなお冥し」と言い残して、冥土の入ったのが61歳。
日蓮様は60歳で亡くなられ、ともに今で言うと若死にです。


寿命は、心魂の高い低いといったレベルとは無関係に、神様の決め事だからです。

神様は、別の場面を提供したほうが、その方にとって最もよい修行と決断される。


世のためヒトのためにと過度に肉体を酷使すれば、その愛行に拍手もするが、自ずと肉体は負荷がかかり、肉体が朽ちればあの世に参ります。

またそう過度に肉体酷使されずとも、魂のある段階を経れば、神さまは次の魂磨きの段階を準備されている。


ひとは自力で誕生することは出来ません。
同じように自分の力で入滅することは出来ません。


神のみぞ知る「そのかたの最適な次世代環境」を提供されるのが寿命。

その寿命までに、自分の細胞さんに健康で一緒にいられることを感謝し、周りの全てを受け入れて、日々に意味がありこれ「神化」の学びとして受け止め、ありがたく生きる。


「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。最良にして最大の場面を提供してくれている」そう信じて生きることが、本物人生。


神化のための「死という第二ステップ飛」躍への判定評価は、自分では出来ないのです。
「最適な次世代環境」は神様が誘導してくれる。



それまでは、死するまで「日々を感謝し、魂磨きの霊主体従」が霊止(ひと)の道。


「死に死に死に 死してなお冥し・・・」といって弘法大師空海は入滅したという。


恐らく、「進化の第二ステップの旅立ちは、まだまだ神化の入り口にすぎないよ」という風に空海さまの声がもれ聞こえてくる。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)健康に生きる

2010年01月23日

淺草 お湯ものがたり



[淺草 仲見世どおりはまだまだお正月元旦の名残りで一杯でした]





『淺草に新しいスパが出来たので行ってみたら・・・』との情報で、1月の17日の日曜日にぶらぶらとお出かけしました。

浅草寺も久々なので、雷門から仲見世を通ってお参りに行くと、道々異国の会話が路上に飛び交う。結構な人気スポットなので外人さんは多いのですが、特に東南アジア系でもマレーシア人、中国、台湾、韓国の方は会話がないと日本人かガイジンさんかよく分らない。

「浅草せんべい」の香り立つなか、派手な蛇の目傘やTシャッツの土産物屋さんで賑わう仲見世どおりでは、その会話といでたちから、まあざっと6割位が外人さんじゃなかったかかしら。


浅草寺の正面に立つと、改装中なのですね。
でも写真のように正面に巨大な龍の絵がかけられていて、「なるほどね! 丑寅の年だね」と思いました。


何度か本ブログで書いておりますが「ウシトラノ金神様」は國常立大神、そのお姿の別体は龍神ですから、平成二十二年のフトマニの年は「龍神様」がいたるところにお出ましになる。






[浅草寺 正殿の龍の垂れ幕、改装中の目隠しですが、かえっていいかも]





今年一杯はかかるでしょうか?まもなく浅草寺の正殿も綺麗になることでしょう。


浅草寺裏の「花やしき」から二筋はなれた小径を南にはいると、「木馬座」の正面に出る。
この日、朝の10時半でしたが、その横道にもう60人前後のお歳の方が入館待ちで並んでいらっ
しゃる。

口々に、いい席が取れたわねとか話している。
市川千太郎さんの出し物で、¥1500の木戸銭で三時間以上もお芝居が楽しめるのです。





[木馬座の正面にはもう行列が・・・・]







木馬座の横道をロック座方向にぬけると、そこが淺草演芸場。
ここには昔、一度入りましたが、一日中楽しめますよ。

今では料金もお高くなって、大人¥3000でしたか。
それでもなんと5時間くらい『笑いのお風呂』を浴びつづけることが出来ます。
昼の部と夜の部の入れ替え二交代ですね。


人生、顔の笑筋をずっと動かしていれば、健康になるのですから落語家や漫才の方には、文化勲章を大いに与えるべきですね。

文化勲章は、国民の健康と幸せを与える方に、真っ先に与えられるたらいいものと思います。






[淺草演芸場 この日は桂歌丸さんとか昼の部で20演目くらいありましたよ]





上記の写真の左となりの白いたてものが、目的の「まつり湯」。


なぜ「まつり」かというと、この界隈は三社祭の地元ですもの。

浅草寺のそばには祭り用品専門店もありますし、その時期になりますとアーケードの商店街にはハッピ、はんだこ(男性用の白い半パンツ)、草履などのお祭りグッズが並びます。


「まつり湯」はビルの6階と7階になりますが、他階はデパート風。
一階は、こども用品やら何やらで、開店時の朝10時半にはもうかなりの人ごみでしたよ。

まつり湯の浴槽の数は、おおよそ10種くらいでした。


普段行きつけの江戸川区船堀の東京健康ランドよりも設備はいいかな?
広いお食事どころと、小型TVを供えた大きな個人ソファーがずらりと並ぶ休息場などもある。

もちろんアカスリエステや、全身マッサージ、足ツボなどのコーナーも十分そろってますよ。


東京では、お台場の大江戸温泉、二子玉川のスパランド、後楽園遊園地、それから平和島にもスパがありますよねえ。

もちろんそれといきつけの船堀の東京健康ランドも。

どちらがいいのかというと、子供を連れてショップとイベントを楽しむならお台場の大江戸温泉。
ゆっくりと1人で映画を見たり寝転んだり、薬湯に入るのなら船堀の東京健康ランドかな。


でもはじめてのここ淺草の「まつり湯」も、まあまあのスパランド。料金は¥2500でしたか。


入浴設備も新しいのですが、気に入ったのは、蒸気とハーブの混ざった「蒸気泉」、そして塩水浴もよかったですね。


そうそう、それと露天風呂からは地上七階ですから下界が見渡せるのですよ。

浅草寺と仲見世を手前に見て、かの「スカイツリー」が真正面に見えるのですよ。
その右に「うんちビル」も見える。


吾妻橋のスーパードライホールが正式名称ですが、屋上の雲形のモニュメントが「うんち」風で、誰彼言うことも無く「うんちビル」といってしまう。


スカイツリーは完成体634mのまだ半分の高さですが、このまつり湯の露天風呂、お食事どころから真正面に見えるのはいいですね。






[お食事場から見たスカイツリー  今の高さは250mくらい。来年H23年に完成ですね]





スカイツリーは墨田区、浅草寺もここロック付近も台東区なのですが、浅草寺から隅田川まではほんの200mくらいでしょうか? 

川向こうが墨田区なのです。
ですから「まつり湯」の7階の露天風呂から「浅草寺」も、「東京スカイツリー」もう「うんちビル」も横一線のパノラマで眺めることができるのです。



この日は終日ゆっくり浴びて、おとなしく帰りましたが吾妻橋の交差点に「神谷バー」があります。

バーとはいってもレンストランといおうか、居酒屋といおうか、昼からビールにおつまみの人種が多いところ。


ここの「電気ブラン」は昔から有名で、奥様方にチョット説明しますと、一種のリキュール風のお味で、小さな三角のグラスに入って出されてくる。
それを2―3杯も飲むと電気のように、しびれるとかの50年以上昔の風評で、そんな名前がつけられたようです。



神谷バーで、黒生ビールに電気ブラン、そして「ネギぬた」の浅草帰りの私でしたね。
もちろん昔の私ですよ。  

Posted by suzuki at 06:30Comments(0)たまに行くなら

2010年01月20日

受け霊(精神と物質の融合)




[元旦の湘南からみた富士山 心と身、精神と物質は 不二一体:写真 塚田夢笙さん ]




アワ路の(ア)・カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・(ワ) 八子音は開動(カ)・共生(サ)・拡大(タ)・凝縮(ナ)・建設(ハ)・中道(マ)・感謝(ヤ)・進化(ラ)の素型(すがた)である。

精神文明の完成は、ミヨイタアミラ国(ムー)以前の出来事と思われる。
その完成体は、言霊宇宙曼荼羅として火具土という神人によって粘土板に記されたのであろう。
一万二千年前にムーが沈没して以後の後代、再び地球の修理固成と国つくりを経て、やがて銅鏡にもその宇宙ロゴスの全景が前時代の形見として刻まれていった。
それがヤタの鏡である。


物質構成の素粒子フェルミオンや、エネルギー関連の素粒子ゲージボゾンから陽子、中性子、中間子、電子そしてそれらのエネルギー場が構成される。

ココロもそのようなものによって構成される。
宇宙と融合し変化してコロコロと、とどまらないココロを、把持固定してそのココロの内容を五十音の要素に表現することができた。


「ワレおもう」という自覚作用と、創造作用、共生作用が、仏陀の三菩提一切種智である。
人類という種をならしめている最高の智という意味が「種智」である。

三菩提は自覚作用、創造作用、共生作用の三要素である。そしてココロの全景を構成する要素、つまりココロという霊的エネルギー素子が言霊五十音である。

 
ロゴスひとつ一つの音霊(オトダマ)は、磨けば光る玉のように比喩もされた。即ち神意を探れば永遠に光る「玉」がその意味である。 
言霊音図を右脳・左脳の全霊と統覚をもって解析し、その全局の光智を「神なるわが意識の裡なり」と判ずるのは剣の作用である。
即ち人智判断である。
無蒙ではなく痴鈍でもなく純正判断智が剣である。 

鏡は世を照らし、わが身の意識を物質界に移し反映すという言霊五十音図に他ならない。

 
下津磐根のイ段、 キ・シ・チ・ニ・ヒ・ミ・イ・リの八音 すなわち勇気・純正・信念・調和・創造・愛・希望・進化の宇宙八大弦律をもって、この八の字をかぶせて八咫鏡、八坂の勾玉、八握剣という三種の神器が誕生することになる。


それは、ムー沈没以降、約2660年前の神倭磐余日子(神武天皇 神ヤマト126代の初代)が台頭するまでの間、ウガヤフキアエズ朝時代に創作された神器である。

12000年を越える遥か以前の「精神文化の完成」とその普及は、ムーと陸つづきの畿内はもとより、往時の全世界を駆け巡った。が、ムー大陸の沈没以降、世界の地表は見る影も無くその姿も変り「精神文明」は遺跡と化した。


汚泥と失われつつある心の源器を前に、再び「精神文明」を再構築しようとするヤマト源流民族、ウガヤフキアエズ王朝(神倭王朝の前時代)も生き残った。
その9000年間のあいだに、本邦は天皇頭領指揮による再構築に任せ、荒廃した四方津(ヨモツ)世界を再復興しようと動いた皇人も出た。
それがスサノオである。


「精神文明」が遺跡と化した西方の地も、ムー没後、シュメール文明を経て約8000年という長い時間をかけて、西欧の地も固成され神智学も復興されていった。

後年、新たな智学も出た。それが物質主義である。現代物質主義の出自は今から4000年前のことである。
 現代科学の発祥はキリスト教に源点を見ることができる。
もとより旧約聖書、モーゼが首魁、いやモーゼの神、YHWHすなわち須佐鳴こそその真の霊的首謀者である。


基教は後に、西暦10世紀前後から錬金術を産み、さらに後代数多くの哲学者兼科学者を生み出した。
ニュートンは哲学者であり同時に神秘学者である。
彼は主の教えの根底は揺るがさないと教団側と密契した科学者である。以降 西洋では物質科学主義が脈々と育っていったのである。

物質を裁断し分解して素粒子にまで破砕しその成因をもとめる。
その神界の大統率者は須佐鳴である。
須佐鳴こそ、天照皇神以前の歴代天皇が築き上げてきた「精神文明」とは別の、もう一つの大事業「物質文明」の統率推進者に他ならない。


ユダヤの血脈はYHWHより発し、その物質の極を求める姿勢は「シオンプロトコール」に明らかにされてもいる。
後のヴェニスの商人、今日のロスチャイルド、イルミナティー王立連合、ルソン助三郎の霊的末裔、三井鴻池そして現代三井住友財閥しかりである。

物質を分解し、合成し、競合し、はては精神の競合である戦争という熾烈な競争を通じ、科学競争の中からまた新技術が生まれてきた。
「物質文明」は、1万2千年前の大破壊による人類の毛皮、穴倉生活への再投入から、近代にいたっては快適なベッド生活、豊かな生活環境へと変貌させたのである。


物質主義の歴史は、冨の収奪構造から公共蓄積と配分へと緩やかに変化してきた。
同時に物が全ての全てという精神の荒廃をも今日にもたらしてきた。

現象を物質論から追えば、破壊と分解がなければ科学はなりえず、この科(トガ)学なければ物の増殖、大量生産、大量高速移動はなしえない。

一方、生命という本質学でさえ、西洋の地では物質的EBM医学(エビデンス ベースド メディスン)を育ててきた。
肝臓をきっても他と挿げ替えれば使えことができる「人間機械部品論」がそれである。


しかし須佐鳴の真意、YHWHの真意は其処にあらず、「精神文化」を補強するためにあえて、歴史を物質学にシフトしていったのである。

宇宙の大真理は「精神文化」の開花によって超古代明らかにされたが、もう一方からの歩み寄り「物質解」からも、宇宙真理は同一なはずである。

真理はユークリッド幾何学で解いても代数微積分で解いても同一解である。須佐鳴の提案は、真理とは紙の裏表と同様に、どちらから歩んでも同一であらねばならないという真理の補強なのである。
しかもその「精神文明」を言霊とともに日出ずる東の弧島に原型の陰をとどめ、西洋の地に「物質文明」の卵を植え付けた。

これが神の経綸である。

 竹内古文書によれば須佐鳴は「須佐鳴月読」と固有の一人称であり、「天照坐皇命」に別れを告げ、四方津国の再構築に赴くとしるされる。
精神と物質の二極構造は、天照と須佐鳴の二極に相似象として反映されている。

ユダヤ民族の使命はアインシュタインに見られる科学と 、イシヤの末裔に見られる物質覇権主義である。
しかしその「物質文明」もモーゼ以降4000年の歴史をかけて、20世紀末に終焉を迎えてきた。

DNAの研究が、心の研究へとシフトしてきたように、物質産業構造も、精神・物質融合構造へとシフトしてき始めたのである。それが21世紀である。

ヤマト(精神文化)とユダヤ(物質文明)との融合の地は、モーゼが予言した「日いづる東方の孤島」しかも物質と精神の不二(富士)一体の聖地であらねばならない。
2013年富士の裾野で「受霊の儀式」があろう。

言霊五十音の真意を知ってか知らずか1億3千万の全ての民がその宇宙曼荼羅、アオウエイ言霊五十音を諳んじている。
日本というその国の民族が、純正意識に覚醒し『われ神なり』との意識と行為で世界に発信することが、新しい第三の融合文明の大前提なのである。


追記:1月23日の講演 「鈴木俊輔の古神道講座http://subtle-event.seesaa.net/archives/20100123-1.html はまだ残席あります。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(2)神泉界

2010年01月18日

大根役者




[神棚に感謝する習慣を小さい子供のうちからすると、大きくなっても曲がり道には入らないもの]






大学も技術系で、すぐさま入社した企業の配属も研究部署。
一部の移動もありましたが、20数年間の企業生活では研究開発に携わってまいりました。


したがって、芸能人とのお付き合いなどは50歳を過ぎるまで、まるでといっていほど無く、わずかに週刊誌やTV情報で知る程度でした。


ところが16年ほど前に「サトルエネルギー学会」が創立されて、「科学」と「精神」を繋ぐ学会の趣旨に、これまでにない魅力を感じ発足時から入会しました。


その私が、サトルエネルギー学会の事務局長や運営委員長を預かることになったのが2001年からです。

今では自分の小さな会社に、学会の事務局を置いてボランティアの方々もよくお見えになります。



この辺りからは様々なジャンルの方とお話をしたり、講演依頼をしたり、あるいはそれ以来の交誼をつづけていたりもしております。


したがって舞台装飾のプロのかた、歌手の方、ダンサー、写真家、音楽家、画家、TVタレント、気功士、茶道の先生、大学の先生、医師など実に様々な方々とかかわりを持ってまいりました。


今までの自分が機械相手の科学技術バカですから、上記の方々は人間相手の方ばかりです。

ですから、こうした方々とお付き合いをすると、その様々な体験や見識に心を新たにされたわけです。


科学者は往々にして、芸能人を世渡り上手の口当たりのいい世界の住人との一種のさげすんだ見方をします。

しかし、芸能界に身を置く方と実際にお付き合いをしますと、人間相手の世界でもまれているだけに、実に深みのある感性の鋭い方ばかり。


逆に相手からは、科学畑の論者が精神界にも詳しいことに驚きの眼差しで見られることも少なくありません。

ましてや啓示やご神示などを平気で言うものですから、奇異な感覚で見られたりもします。





[自宅から近くの三田 龍源寺裏 路傍のお地蔵さん 今年もよろしくお願いします]







時として、芸能畑の方と飲み屋で飲んでこんな話もしました。



『鈴木さん、大根役者って何でそういわれるのか知ってる?』

『そりゃ、生っちょろくて、飾り気が無いので、花も無い。だからあんまり目立たないし、そう芸も旨くない』


『残念でした! スグに切られる、干される、おまけにオロされたりもする!』





なるほどね、シャレなんですね。こんなことも、教わりました。


でも、彼が自分の立場も重ねたのかな? なんて想ったものですから、次のように添えました。


『でもこのブリ大根 旨いよねえ。大根があって始めてブリが活きる。大根自体も煮込めば甘辛に染みて、実にいい味出しているよね』



色々な世界の方々と、混ざっていくと世界が広がって本当にいい勉強になりますね。

夫婦も若いうちは、白と黒のぶつかり合いですが、老夫婦になってくると男は女性性を学び、女は男性性を学ぶもの。


様々な経験を積むことで、何か一段と大きな調和の世界が、広がっていくのですね。  

2010年01月16日

四十にして惑う






[心の窓を開けて、見つめてみよう]





孔子様は「四十にして惑わず」とおっしゃいましたが、現代日本は四十にして多いに惑っているのが現状ではないでしょうか?


平均寿命が、まあ80歳位ですから、丁度 人生の半分のU・ターン地点。
子供の教育資金やマイホーム、女房になんといわれようが、しっかり稼いでくるという脳に染み付いた本能が男族にはある。

40歳の男族には、迷いだらけのストレス社会の渦の中。
だが、それを忍んで稼がねば、家族は路頭に迷ってしまう。だから闘いつずけてきたのです。


商品クレームに頭を下げに客先にでかけ、社に戻れば売り上げが低いと上司に怒鳴られる。
だから闘うという姿勢を保っていないと、バッタリと道にたれて、背中を後人に踏まれる妄想に取り付かれる。



闘うことを止めたらいいのだが、それでは「自分が負け」と想う自分が居る。



建前の社会のなかで、あせくせとお金を稼ぐ自分の姿が無意味と思えたり、病や体の異常があると、早くこんな世界とはおさらばしたいという想う様にもなる。


日本の自殺者はおよそ年間三万人。
それも40台と50台の年齢が最も高く、そしてまた年次データーを見てもその年の失業率と、その年の自殺率は概ねリンクしているのです。


ですから、人生お金がすべてで生きている方、とくに妻子を持つ家庭の年代の方が、職を失うことが最も危険ということになる。



だが、この日本で本当の行き倒れや、餓死で死んだというニュースは雪山の遭難以外殆ど聞きません。
つまりお金がなくても、この温暖な日本では、ある程度生きていけるということが真実です。
生甲斐とは、喜び、充実、感動、感謝ですから、物金の尺度ない、すべて心の内容なのです。


ゆえに、物金の豊かさから、心の豊かさへの価値基準のシフトをと、古今東西の聖賢が繰り返し繰り返し述べていることなのです。



インドやブラジルの農家に行って御覧なさい。歯ブラシ一つありませんよ。
それでも子供たちの眼は美しく輝いているのです。


物金に拘泥すると、それが得られない自分が哀れ。
ならばこの身もいっそのこと、ということになってしまうのです。






[自殺率世界マップ   資料:WHO 2009年]




自殺率、10万人当りの自殺件数を2009年データで国際比較で調べてみると、第一位はベラルーシの35.1件。
ついでリトアニアの30.4件、そしてロシアの30.1件と続く。日本は24.4件で第6位。


世界六位の自殺大国が、経済大国の日本の裏側の実体なのですね。




自殺率が少ないのはシリア、エジプト、ヨルダンでこれらは大体100位くらい。
それと南米も少ないですね。



どうも回教国家のように死に対する戒めが宗教的にあるのではないでしょうか。
そして南米もキューバを除いて非常に自殺者が少ない。
暖かい国、貧しくとも共存しあえる国、そしていずれも貧しい国、どうもそんな印象を持ちます。


暖かくて、貧しくて、心と心が通い合う国々が自殺が少ないようですね。



話はわが国に戻って、日本は「うつ病患者」も100万人を超えたと聞きます。

昨年 秋頃の本ブログでも書きましたが、心療内科などの医療機関への届出のない「ウツ予備軍」を含めると、およそ日本国民の1/3がそうでしょう。


40歳から50歳くらいまで、その人生の半分のU・ターン地点までに、自分の何たるかを選択して仕事につき、結婚もし、棲みかを探しあててまいりました。


その壮年期の心の中に、いつしかウツや自殺の根っこが芽生えてきたのです。
その心の陰を隠して、言い訳をして、隅っこに追いやって、これまで納得いかない人生を闘ってきたのです。


心の陰そのどれもが、大半は「モノ」・「金」に起因する。
もちろん恋愛問題、親の介護の問題ほか、いろいろあるが壮年期の大きな陰はモノと金。



『こだわりを捨てる心境』が、一切の執着をたつゼロ点。

それでいて「肯定して生きる」という意思が大事であって、怒りや悲しみ恨みなどの「分離の感情で生きている」のであっては、命の輝きを失っています。


イヤイヤ仕事をしていても、その何故イヤなのかを正直に自分の心に聞いてみる。

すくなくとも自分の心に嘘をつかず正面から認めてみよう。

自分の課題に向き合うことが、成長には不可欠。
課題に向き合えば苦痛を伴いますが、ずっと逃げてきた逃避が、ウツを自殺にまで追い込むのです。


残り半分、人生のU・ターンの時にこそ、新しい幸せ探しをしてみましょう。
それはウツでなくとも、新しい輝きを見つけていくことに人生の意義がある。


真我に聞いて、やりたくないことは、止めましょう。
自分の心に嘘のない本物人生、本物の道探しを始めましょう。


それは新しい闘いではなくて、これまでとは逆に「与える側」に廻ることが新しい人生の原点ですよ。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(1)健康に生きる

2010年01月14日

代々木の神社さん




[明治神宮は相変わらずの人ごみですね]





平成二十二年の数霊 フトマニに想いをもって年が明けました。
そのせいでしょうか、正月二日の夢見では「世善きはちまん」とのメッセージ。

政治経済の社会世相は急速に建て直しに入りましょうが、大いによろしき世直しの一年という意味に受け取れました。



常に大事なのは不動の心、そして律心です。自分の心を信じて、さまざまな現象に揺れないということです。


とくに「やりたくないことは、やらない」ということも大事で、本心とは違うこれまでの言いつくろいの行動は避けたいものです。
真我から離れた蒙昧な思いを、断ち切ることが今年は必要ですね。







[神宮参道の氷の彫刻  そうですねえ50~60体もあったでしょうか。]





10日の日曜日に代々木八幡様に詣でました。
すぐそばに明治神宮がありますので、何年ぶりでしょうか、若者でごった返すJR原宿駅に降りて、先に明治神宮におまいりに行きました。


10日とはいえ、道々も未だに人ごみで、表参道から神宮正殿までは砂ほこりに舞う沿道
をぞろぞろと人また人。
ですが、境内の参道ぞいには、氷の彫刻なんぞも数10体もあって、しばし見物。

「明治神宮90年祭」という立て札もあってか、後方から若者の声で「ありゃ、ここまだ90年しか経ってないの?!」という。神社というと1000年くらいの歴史はザラですからねえ。






[明治神宮では結婚式に鉢合わせ、参列者も大勢の初詣客にジロジロ見られて恥ずかしそうでしたよ]





ここ明治神宮の大鳥居は、台湾の新高山からの伐採木ですが、そもそも明治天皇のご崩御に際して、その威徳を偲んで国営で造営されたところ。

今の若者は、東京では初詣というと「明治神宮」か「川崎大師」かというほどにメッカになってますが、そのいわれは余り知らないのですね。
そんな若者にもまれて神宮正殿のお賽銭前は、マア混雑しきりでした。




[代々木八幡さんです]




ここから小田急線の「参宮橋」方向に抜けて、井の頭通りを国立オリンピック記念青少年センター前を通り、神園町へとぶらぶら凡そ30分も歩きました。
神園町の高台にある「世善きはちまん」さんにお参りに行ったのです。
代々木八幡神社さんでは、「世のため人のためにご協力を・・・・」との拝殿でのお願いに、例によって、急に風が吹きつけるご神示もいただいてまいりました。

この代々木八幡様も、普段は閑静なところですが、この日は30人あまりも境内にお参り客がこられてましたでしょうか。結構 外人さんも多いですね。





[福泉寺 境内のお地蔵さん  かわいらしいお顔でしたよ]



この八幡様のとなりにある「福泉寺」さんも気配のいいところですよ。

高台にありますので、神園町一帯が見渡せますし、古びた庚申塚が入り口でお出迎えをしてくれます。


三賀日を過ぎた翌週でしたが、穏やかな、「世善き」一日でした。  

Posted by suzuki at 06:06Comments(0)たまに行くなら

2010年01月11日

宇宙の眼




[NASAでしたか新惑星の公式の発表写真ですが、まるで神の目見たいですね]



この目に見える「カタチある宇宙」は、宇宙全体の総エネルギーのたった4%とNASAは計算しております。
見えない宇宙、ダークマター(見えない物質)や、ダークエネルギー(見えないエネルギー)は宇宙総エネルギーの96%も占めているのだそうです。



ですから、心のエネルギーも含めて、5次元宇宙や神界や併行宇宙、そして地獄界もありましょう、これら実に様々な眼では確認できない宇宙があるのですね。



なぜ「カタチがある宇宙」に、私たちは居るのでしょう。
きっと「自他の分別」をしやすくするからなのでしょう。

自他の分別からまず他人を比較し、「自分」の認識を学びやすいからなのでしょう。



でもそれって、「自他分離」や「自我我欲」を取り込みやすいですから、かなり危険なことですよね。
ここが入り口のようですね。


よく考えてみれば、そうした「カタチある宇宙世界」に敢えて私たちを存在させて、より高次な「共生」や「万物融合」や「われ個にして全」をやがて看取させようとする大いなる計らいがあるのです。





[ヴィトルヴィスの人体図、この五大のカタチにも、アオウエイの五母音も、手足の五指にも大きな意味合いがありますね。1月23日に型霊のお話もさせていただきます]





やがて自分の学びの中に、多くの存在が一様にその「カタチの世界」に滅びもせず自分と一緒にずっと居るのですから・・・・・自他の同時存在、共存がみえてくる。
からだの細胞も60兆個ありますが、一つひとつの細胞さんたちは喧嘩もしないで、自律して、それでいて協働し全調和が取れている。


此処に気付いてくると「自」=「他」を学ばざるを得ません。
自分のカラダですら、多くの個という細胞の共生体なのですから。



カタチがあるから「私って!」という認識が出来ますし、もし心だけの世界ですと融合された「混合エネルギーの世界ですからはじめから「自」=「他」の状態。

ですからそうなると、そもそも自他の分別が出来にくいのです。



「カタチある宇宙世界」があるからこそ、自他の分別から、宇宙に存在する他を認め、やがて全調和へと気付かせる「全智」にやがて高まっていくというものでしょう。



カタチある宇宙世界に居ることは、自他を知ること。

そして自己の学びの何たるかを知ること。

さらには自他をともに生かしめる大調和宇宙の性質を知ること。



全てを見つめる個人の眼は、おそらく「宇宙創造神の眼」につながっているのでしょう。
個人の眼を通して、宇宙創造神は進化の多様性とより高度で美しい方向性を楽しんでいらっしゃるのでしょう。





[東京三田の 元神明神社さん。1000年以上の歴史を持ちますよ。浜松町にある芝神明神社の元地といわれてます]




「カタチある宇宙世界」に存在するわたしたちは、「宇宙の眼」を通して、同時に「存在を楽しむこと」を学んでいるのでしょう。



「カタチある宇宙世界」の全てを見、知るということは、その自分が「与える側」でもあるということなのでしょう。  

Posted by suzuki at 06:39Comments(0)神泉界

2010年01月08日

言霊五母音の体現




[庚寅 フトマニの平成二十二年  ある意味で大きな楽しみですね]



呼吸は意識して停止することも出来ます。
もちろん睡眠時のように無意識でも呼吸はつづきます。

心臓は無意識で繰り返し繰り返し、コトコトと動いてくれますが、意識して停止することは出来ません。


人間のもつあらゆる器官のうちで、無意識状態で動き、かつ意識して動かせることができる器官は「呼吸」しかありません。

ですから、無意識に近い半覚醒状態、いわば内奥の心に世界に入り込みやすい心の状態を誘導するのに「呼吸法」がヨガはじめ、日本でも古くから研究されておりました。



意識をまとめている大元は何かというと、それは言霊です。


お料理をこれからするという意思にしても「これから」という時間概念や、「料理」という行動の対象も言霊がなければまとまりません。


この見えない意識と、呼吸をしてのどを振るわせ伝える音声、つまり空気振動という物理次元を繋ぐ人間の唯一の思念行為が『言霊』なのです。


ですから心の内容と、呼吸法を通じている重要な接点が言霊なのですね。


結論的にいえば、言霊が現象を創るのです。





言霊とは意識の波動に魂を載せる.
つまりコトバと精神の一致であって、仮に魂がこもっていなければ、どんなに美しい言葉でも相手の心には響きません。


意識をまとめ、意識の内容を深め、本能・知性・感情・理性の分別を整理し、言霊が行動意識の原形をつくります。


この言霊五十音のうちでもアオウエイの五母音がとくに重要で、それは精神の深い原型を担当しております。


人間のチャクラや五重塔で言えば、ベースとなるのが言霊「ウ」、そして最上階の階梯が言霊「イ」となります。
ですから、精神の階段や、チャクラの階梯で言えばウ・オ・ア・エ・イの順で上り詰めていくことになります。



言霊「ウ」は生命を躍動させる大いなる響き。
神智学で言うところのムラダーラチャクラとスワッディースタナチャクラが言霊「ウ」と関連する身体活性のポイント。


言霊「オ」は先祖霊とも導通し、「緒」すなわち時間的つながりを秘め、体形ではプーラチャクラがそこに相当します。


言霊「ア」は真我「ア(吾)」からの慈愛の放出が「ア」本性であり、それは純正自己を意味し、チャクラは胸腺のアナハタです。


言霊「エ」は、アマテラスの叡智であり、窮地における進展の{ヒラメキ}であり、転身の光です。
チャクラはヴィシュダーナチャクラ。



言霊「イ」は大生命意思そのものであり、草木一切にもすまう生命の本源をさします。




繰り返しになりますが、「見えない意識波動」と「呼吸法による音声空間波動」が同時存在するのは、人間界においてはこの「言霊」しかないのです。





[良い場にいると、体の奥から小波のような豊かさが溢れてくるようです。空海をはじめ昔の方は、全国各地を廻ってイヤシロ地を探査したようですね]




また「手」による印綬は、金剛界印、胎藏界印、月光印ほか様々な掌印がありますが、それと心との関係が仏法界を中心に開発されてきました。
印が心をある一定の方向に誘導するのです。


また大の字になって寝るなどと言うように「ヒトガタ」もまた、気の流れともあいまって、肉体、幽体レベルで非常に重要なのです。


神道では拝礼、拍手は日常のことですが、身体のカタチの実相界とリンクしてまいります。 神道の体形、カタチ、相撲界に見る四股、陰陽道に見る体形なども実は真理が隠されているのです。


この現象を開く「言霊」と、心を誘導するに「印」綬、また「体形」の持つオーラ層の活用を同時に伴うと、にわかにその真理が見え始めてまいります。


「物質現象」と「精神意識」の一致は「今の瞬刻」にしかありません。
神道ではそれを「中今(なかいま)」といいます。
「今」こそ真実であって、過去も未来も虚像であるのです。


その中今を、存在せしめているのが「言霊」です。
過去に言霊はなく、過去の言霊は脳内の記憶野にあって、その音声空気振動は消えてなくなっている。
また未来の夢想や想像もまた真実実相ではありません。



「中今」、そこに「言霊」、「印綬」、「体形」の三位一体を歩織り込むと、人智を越えた天から光が全身に作用する。


この「言霊」、「印綬」、「体形」の背景講義とエクササイズを、平成二十二年 フトマニの年の皮切りに公開いたします。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 鈴木俊輔の古神道講座
  ~型霊の深層と言霊の秘体形 実践講座~


http://subtle-event.seesaa.net/archives/20100123-1.html 




◕ 日時:2010年1月23日(土)
    18:30~20:45


◕ 場所:三田福祉会館 集会室A


◕ 参加費 ¥3000  当日会場受付にて


◕ 申し込み  infomation@subtle-eng.com
FAX 03-5730-6451 サトルエネルギー学会