2010年02月02日

現象は内からつくられる





[昨年12月の満月の日に取ったお月様、 お隣の青い光は星でも街灯でもありません。もう一つのお月さまなのです。]




このブログをお読みになっている皆様の中で、

「この世界って、私だけのために見せられているのじゃないかしら・・・・」と思っていらっしゃる方も、存外多いのではないでしょうか?


この世は自分のために演じられている「バーチャル世界」というといいすぎでしょうか。

そのバーチャルな世界の中で、主役の自分が、どう「真善美」の意識の種を蒔き、美しい花を咲かせられるのか。自己とは「地球進化」のお役目もあります。


三次元世界その全てが仮相で、意識がそれを認めたときに動き出し、好悪、美醜、愛憎の実態は仮相にはなく、全て自分の意識内にある。

主観は三次元の固定的な世界を見ておりますが、意識は自在で過去にも飛び、未来も探索できますから、目に映る三次元世界よりもはるかに高次ですね。



数霊でいいますと、ゼロから一(ヒ:霊)、二(フ:分)、三(ミ:身)、四(ヨ:世)と生まれてきました。


「身(三)」という三次元体をつくっているその大元は、「分(ニ)」という陰陽、男女、(+)(-)、愛憎、損得、・・・の相対の世界。

ですから眼で見えている三次元世界に陰陽あり、また意識の側にも好悪、美醜の「分(ニ)」の形質がある。


三次元世界を見れる次元は、四次元以上の界層だからこそ、その視点から見ることが出来る。したがって霊止(ひと)とは四次元以上の存在です。


その霊止も大元は「ゼロ」から誕生して、「霊(一)」をいただき、「分(ニ)」の陰陽を頂き、「身(三)」という肉体を頂いている。


「霊(一)」というエネルギーの次元は、そこから「分(ニ)」という陰陽の次元を発したわけですから、数字的には小さくなっては行くものの、「霊」は創造主の次元により近く高次です。


さらに「ゼロ」の次元になりますと、そこは創造主の次元で、そこから「霊」が飛び出したのです。
その最高の高次元、古神道では天御中主大神の次元が、「ゼロ点」と目されます。

二次元の平面を見ることが出来るのは三次元の世界から見えて、二次元の住人にはその二次元世界は見えない。

同様に三次元を見ることが出来るのは四次元から見える。
四次元界を見ることが出来るのは、五次元界以上の住人でないと見えない。
これらの住人の意識は、霊止(ヒト)それぞれの意識覚醒の違いである。


数霊でみると、逆に数位が少ない方向が高次で、大極が「ゼロ」なのです。

そこから一(霊)、二(分)、三(身)、四(世)、五(意)、六(睦)、七(成)、八(弥)、九(凝)と宇宙世界が発展されてきた。

ゆえに小宇宙である霊止(ひと)の内側には、絶対界の「ゼロ」も存在している。

ただしそこまでの霊止の意識覚醒の違いはもちろんあります。
お釈迦様の意識次元と衆生のそれは違う。






[これもお月様の写真、一昨年の小田原の大雄山に籠った時に撮った写真です。]



量子力学の世界で、ノーベル賞受賞のニルス・ボーア博士が粒子(電子)存在の不確定性をアインシュタインにぶつけてみた。


ある時刻における物質の位置と運動量はただ一つに決まっていない。

つまり一つの電子は、それが計測される以前は、その電子自体があらかじめ場所が決定されてはいず、宇宙の何処に存在してもいい。

つまり粒子の塊である物質とは、決定されない位置やあいまいな速さで運動しているという。

それが素粒子学上の素粒子のふるまいなのですが、考えてみると実に大変なことでなのす。



物質はそこにあるようで、誰も見ていなければ、どんな計測もされていなければそこには確として存在していないということなのです。
これが数学をベースにした素粒子物理学の答えなのです。


たまたま誰かに確認されたから、そこに動かしようもなく「在る」という後天的な存在なのです。
これは主観認識が無ければ、素粒子の塊である三次元の現象は不確定な存在であるということと、同じことになってしまいますね。



「君はあの月が、誰も見ていなければ存在しないとでもいうのかい(アインシュタイン)」これがアインシュタイン(E・S)とニルス・ボーアのコペンハーゲン論争の主題であったのです。


アインシュタインが指差す「あの月」が誰も見ていなければ、存在しないのか、といわしめたは、素粒子学の電子の不確定なふるまい、そのボーアの理論にケンカを吹っかけたのですね。
でも現在ではボーアに軍配が上がっております。


存在の確認という操作は、「意識」であって、意識は全宇宙にコンタクトできますね。

意識は瞬間に月の裏側にもいけますし、またはるか冥王星にまで飛んでいける。

また日常のおしゃべりが過ぎて、時を忘れると、そこに「時計」は存在しません。
すると意識という内側の世界が、外側の世界を確定して、時計を発見してはじめて、時間認識が出来る。






[これもお月様の写真。おそらく意識がカメラを通じてお月様と共鳴現象を起しているのでしよう。]





こうしたことから、どうも意識という内側が、外側の現象を創っているといえなくもない。

ならば、善い意識が良い現実を結び、悪い意識が悪い現実を創るということになるようです。


富士山を見て、雄大だと想う瞬間から、周囲は雄大に動いているように作用する。

富士山を見て悲しいと想う瞬間から、周囲は悲哀に暮れなずむ。


 暗い場面、暗く悲しむ場面に遭遇したとしても、自らが明るい言霊と明るい態度で臨めば、場は明るくなる。


つまりこちらの意識、内側から外の世界が変化し意識に応じて作られているといえるののす。


世の中あまり、善いニュースばかりではありません。

そこに自分の意識(言霊)や「祈り」という神様から頂いた高次な働きを、今まで以上に活用して、歪んだ現象世界を自分の周囲から変えてゆきたいですね。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)神泉界