2010年02月27日

映画オーシャンズ





[若者に混じってお台場へ  此処からのレインボウブリッジも結構な構図ですよ]






自宅からモノレール線「ゆりかもめ」の「日の出駅」までは歩いて10分弱でしょうか。
「日の出」からモノレールに乗れば、「お台場海浜公園」や「お台場」のモール街へは、お台場にかかる橋、レインボウブリッジを過ぎてものの10分余りですが、これまで食事やショッピングなどには行ったことがありませんでした。





[お台場一丁目商店会だったかな? デックス東京4Fがそのフロアー ]




孫を連れて、映画「オーシャンズ」を見に行くことになり、子供が喜びそうなエリアということで、この際 お台場に向かいました。
「お台場海浜公園駅」から、映画スクリーンが13も集中している映画街メディアージュがあるアクアシティまでは、駅の二階から延々とウッドデッキのつずくショッピング街を通り抜けて行ける。






[昔なつかしの 飴屋さん  量り売りでしたか?]






フジTVがある「お台場駅」まで、海岸に面して長いアクアシティーお台場とデックス東京ビーチ、それとなんでしたかカラフルなモール街が並ぶ。

確かこの辺りは2002年くらいにオープンしたと思うのですが、はじめて入りました。

昭和30年代の下町をイメージしたショッピングモール『台場一丁目商店街』などは結構楽しいですね。







レトロな駄菓子屋や、写真館、照明看板だけですが理髪店、公衆電話ボックスなどなど。



映画「オーシャンズ」は水族館まがいの海底の生物もさることながら、イルカや鯨の壮大なイワシ漁シーン。北極海のアザラシや一角獣そして様々な海洋生物を見せてくれます。

ただ残念なのは、海洋生物を大事にするという趣旨が募りすぎて、「グリンピース」まがいの海洋生物捕獲反対の色が濃い。


サメを捕獲して、「ふかひれ」をそぎ落とす東洋人漁師のシーンや、大亀やその他の定置網魚網で体がからみ、窒息死するシーンなどもある。

尾ビレと腹ビレが切り落とされた姿で、血を吹き、モガキうごめき苦しみながら海底に沈むサメ。こうしたシーンは余計じゃないのかなあ。



最後のシーンは博物館で、絶滅した海洋生物類の剥製を映して、「もう、こうした生物は二度と見られない」とナレーションが入る。


つい先ごろ、調査捕鯨の妨害で、危険な船体の体当たりや、日本船への夜間侵入で問題を起している過激な反捕鯨団体「グリンピース」。
その主張に似た映画との印象が濃かったですね。





[夕暮れのお台場   海から品川、芝浦方向を望む]





母なる海、その海へ人間の使い古した廃棄物の海洋投棄などは情けないことです。


海からの恵みへの感謝と同時に、生命を誕生した海の神秘、まだ解明されていない様々な生命系のしくみに対する畏敬となど、子や孫に伝えていきたいですけれどね。  

Posted by suzuki at 06:03Comments(0)たまに行くなら

2010年02月24日

自律心の一つの強化法





[夕暮れ時の梅 もう見ごろですね。見るだけでなく語りかけてみてください]





我欲を離れ、こころ豊かな人生の姿勢ではあっても、人によりその自然治癒能力は違う。

なぜでしょうか?



感動や充実は、人それぞれによって皆その内容も質も違います。

毎日 80点以上の点数のテスト結果をもってくる子供さんは、お母さんに90点や95点の「プラスの内容物」を見せても、お母さんは「よかったね」レベルの反応が帰るでしょう。

一方、常日頃 20点や30点をもらってくる子供さんが80点の成績表もらって帰りますと、お母さんはビックリ仰天して「まあ、なんてこと!素晴しいじゃないの!!」と大喜び。


日常の心のレベルと、得られた感動や充実のレベルが余りにも飛躍して大きすぎると、肉体内の脳内ホルモンや、免疫細胞は大きく活性化する。



愛や喜びの脳内放出ホルモンはDNAに強い「プラスの環境シグナル」を出すことになります。
つまりDNAはその環境に応じた力強い生体系を創り上げるように作用するのです。



人それぞれの愛・感謝・喜び・充実・感動の中味も、他人が見て劇的な感動的な場面でも、薄く感じる方もいる。

同じ場面を受けても、それぞれの喜びや感動の強弱は様々で違います。
ヒトには個性があり、感謝や喜びの魂の反応は個性、もって生まれた魂の質に応じて違います。


道端に咲く可憐な蓮華草の発見で感動する方もいれば、単に「綺麗ね!」で終わる方もいる。また一瞥して、何も感じない方もいらっしゃる。
仏教では、衆生、声門、縁覚、菩薩、仏陀の五階梯がある。


その魂の質に応じた感動の軽重が、DNAに作用する「環境シグナル」の強度の違いであり、自然治癒力の差となって現われてくる。





[飯倉  熊野神社さん。この裏手がロシア大使館になりますよ]





「プラスの心のあり方」が肉体細胞に大きく働くようにするためには、次のように誘導していくことが経験上 効果的と思われます。



それは
1) 神仏への祈りを習慣化すること
もちろん物質社会とのバランスが、もとより重要ですが、人間はすべからく五感の情報、つまり物質社会に暮らすその眼から、耳からの影響を受けやすく、物質思考となりがちです。
見えない神仏に対する思いを習慣化することで、体主霊従の偏りを「霊主」により戻して、またそれに集中する時間を持もつことで「霊主」が心の奥に浸透するからです。


2) 読経や祝詞を強く発する。
言霊は、「意識の現象化」に非常に大きな作用を持つのです。
遠慮した小さな声では、心に弾みが少なくまた、意識-現象―肉体の一体化が遠慮しがちな、密度の薄いものとなってしまう。
ですから回りに迷惑にならない程度に、大きな声を出すことが大事なのです。
論者も「六根清浄祝詞」ほかを、大声で響かせることで、小声よりもはるかに肉体細胞の力強い反応を認めている。


3)「ありがとうございます」言霊の多発
  存在への感謝、なんといっても最強の言霊がこの「ありがとうございます」。「ありがとう」の五文字よりも、「ありがとうございます」の十文字で完結してください。
そしてこの最強の言霊を、常に日常の会話として身につけること、これが大事なのです。


4) 毎日が「充実」の種拾い、「多様ないのちの発見」につとめる。
「いのち」とは草花や昆虫や、この世にあるものすべてが持ている。
そのいのちの営みを見つけては、生命の素晴しさを発見し、感動を覚えることが大事。
毎日毎日が感動の発見で、自然治癒力への発動信号である「環境シグナル」を常に補充することです。




より強い充実感は、深い洞察力から生まれる。

深い洞察力は、自分の心をゆっくりと静かに見つめることから生まれます。


いやいやな物事にぶつかっても、静かに受け止める「自律心」を養います。  

2010年02月21日

いやなことに感謝





[こどもたちは、みな無邪気。邪気が無いから元気なのです





毎日毎日が大自然に育まれ、生かされ、常に学びの中にあると感すると、大きな安堵感に包まれます。


「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。

それは大宇宙に包まれた自分、その自分が必要だから宇宙は私たちを存在させてくれている。




日々の喜・怒・哀・楽は、人生向上の学びの場。

その文字に見られるように、プライス思考の「喜」と「楽」の文字は縦半分にすると、左右対称の、調和なのです。

マイナス思考の「怒」と「哀」は真っ二つに割ると、文字は左右対称形にはなりません。


宇宙全体が、「進化と調和の法則」にあるから、人もまた日々が進化と調和のためのための場。



こうした自然観で物事を追っていくと、物・金・地位という物質欲とその執着がいかに、自分の心を小さくし、そして得られず満たされない自我の欲求に苦しむことになります。


人生を振りかえってみますと、最大の克服点が『執着』だったように思います。







[赤心をもって、すべてを受け入れる。それが堂々たる人生を作ります]






目線の現象に振り回されて、良しにつけ悪しにつけ「感ずる心」そのものが「己」であり「真実」であるというところに気付かなかった。

そのみえない心の中に、執着があることに気付かない。
それが、盲目の人生だったといえるようです。



仕事も政治も経済活動その一切が、物・金・地位の追求で動いていますから、自ずとその目線の悪風に巻き込まれ、心が飲み込まれて、ストレスがたまってしまいます。


心の執着によって生まれたストレスが、細胞を傷つけやがて本来 調和系であるはずの肉体細胞が変調し「病」へと誘導してまいります。

自己治癒のメカニズムであるところの、小宇宙を維持する免疫力はストレスとともに低下していく。


宇宙とは本来 大調和であり「真、善、美」そして「快」なる世界。
この真善美、その字も各々 縦真っ二つにすると左右対称系の調和ですね。 


ですから自然治癒力とは宇宙に愛される生き方で発動するもの。

その宇宙に感謝し、「与えたられたすべてのものを受けとって」、たとえそれが自分にとっていやなものでも受け取ってみる。


この現象界は陰陽、男女、損得、愛憎、プラスマイナスがあり、「試練」と同時に「解決」も常にこの世に同時に同居している。




ですからマイナス現象の「いやだいやだ」と、これまで逃げていたものを、受け取ってしまうと、その「試練」は変化して「解決」に氷解する。


現象世界にネガティブと映るもの、それを心という真実体の中で受け止めると、ポジティブ、一切が回答に変わる。






[いまはボタンが見ごろのようですよ]



いやな人、いやなこと、いやな悩み、いやな病気、それらを素直に受け止めて、逆に感謝してしまう。


「天は自分を学ばせてくれている」と、いやなことにむかって、教えてくださってありがとうございますと感謝すると、それらは消えてしまう。



全てを肯定する。

それが大宇宙、小宇宙の公理である。




霊肉という小宇宙の世界だから、一切を肯定すると、現象三次元界よりもはるかに高次界である心が、宇宙調和の原理の波に乗る。


そこに心の発揚、快なる喜びが、そして身は細胞が活性される。


自然治癒力の差異は、そのマイナスに向かって「教えてくれてありがとう」という感謝で向かうことの違い。




いやな人に、いやなことに、いやな病気に、いやな悩みに向かって「気付かせてくれて、ありがとうございます」と感謝してみよう。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(1)神泉界

2010年02月19日

CO2地球温暖化は本当か?





[環境破壊は全て人間のなせること。人間以外の全ての生物は循環と再生に働いています]




紫綬褒章をとられた東京工業大学大学院教授で地球物理学がご専門の丸山茂徳教授は、炭酸ガスによる急激な地球温暖化説に否定的な見解。

データーが取られ始めた150年前に比較して、現在では全世界平均0.7℃の温度上昇という。
それもビル都会などのように排出熱気によるヒートアイランド現象を生じやすいエリアでのことという。


というのは温度計測がされているのは、陸上だけで、地球の三分の二の広さを占める海洋のデーターはほとんど無い。
また陸上でも極地や山岳地の気象データーも無く、近年のそれら地域の温度計測ではむしろ平均気温は下がっているという。


確かに産業革命以来の大都会での炭酸ガスの放出は、地球温暖化に影響していると考えられます。
ですが、CO2が国家間の「炭酸ガス排出権権」の取り引きにまでその説が波及しているのは、どう考えても政治的なプロパガンダに匂いがする。


IPCCは世界的なCO2地球温暖化対策の協議会ですが、ここの肝いりもあってアル・ゴア元アメリカ副大統領も映画「不都合な真実」や講演が評価され、2007年 IPCCと共にでノーベル平和賞を受賞された。


鳩山さんが昨年25%の炭酸ガス排出削減を国際的に表明されましたが、これは大変なことです。
単純に考えると、今までのエネルギーを使用した生産活動を四分の一 停止するということなのです。





炭酸ガス以外に、太陽の黒点活動や、太陽系外の宇宙線の地球への影響もあり、これらも温暖化に寄与もしています。
こうした太陽フレアー熱線や、磁力線もエネルギーであり、地球上に降り注いでは当然、地球温暖化に寄与することになります。

一方で火山活動が活発になるとそれは、陸上よりも面積の広い海底が最も頻度が大きい。
海底火山は海水の温度を上げ、それが温暖化に寄与するという説もある。



日本は島国でその周囲を海に囲まれています。

波うち際のあの波の作用でも樹木の炭酸同化作用と同じく、炭酸ガスを海中に固定化してくれるのです。
つまりCO2の炭素(C)と酸素(O)への還元です。


もう一つにはケルブランの原子転換も考えられます。


それはCO2の分解から波の作用で次の反応のように、Mg(マグネシウム)とCa(カルシウム)がつくられるからです。


二つの炭素原子から、C(原子番号6)+C(6)= Mg(マグネシウム 原子番号12) 



そして得られた Mg原子と O(酸素)原子がくっついて、


Mg(12)+ O(原子番号8)= Ca(カルシウム 原子番号20)



つまり海洋中にはニガリの成分であるMgと、貝殻の主成分であるCaが豊富なことがうなずけると思います。



熱帯雨林の樹木一本あたり年間で2Kgの炭素を固定してくれるのです。
しかし十勝昆布のような養殖昆布では、なんと一本で4.8Kgの炭素を固定してくれるのです。



日本という海洋国家は、漁業水産業だけでなく、沿岸部での昆布の養殖も含めて炭素を固定する波間の研究、その大自然の不思議な仕組みの解明で、地球環境改善に大きな新技術を与えてくれると思います。


北海道の広さのおよそ30%の面積を昆布牧場とすれば、わが国のCO2排出量の半分は解消されます。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)おかしな話

2010年02月17日

大江戸温泉




[大江戸温泉の露天風呂]



今年の3月でお台場の「大江戸温泉物語」も、もう8年目に入るようですね。
オープンのときは館内が、江戸風情の「火のみ櫓」あり、射的屋ありで人気を呼び、大変な賑わいでした。でもたしか入館料が2900円だったかな、少々お高いのが難。
久しぶりに、大江戸温泉に行って見ましたら1900円になってましたよ。

それにJR品川駅から無料のシャトルバスが出ている。



ここでの特徴は選べる浴衣と、浴衣姿で素足で歩く広い館内の売店の多さ。
浴衣は男性モノでも10種はあったかしら。帯もカラフルで5種類くらい。

江戸風情の射的屋、吹き矢さん、ラムネ屋、カキ氷、アイス屋さん、縁日の出店まがいのボール掬い、そしてもちろん土産物屋さんらもギッシリとある。



食べ物店も古風なユニフォームの店員さんを配したカレー屋、ラーメン、すし店、そば屋、うどん屋、天丼、海鮮丼と、高速インターの出店のように各店舗がずらりと素足で動ける広々とした屋内に並ぶ。凡そ40軒もありますでしょうか?

そこを浴衣のお客さんが、好き勝手にお風呂に入ったり、食べたり飲んだりの大江戸温泉。


お風呂は、アルカリ温泉、露天風呂、シルキー風呂(マイクロバブルでお湯が絹のような牛乳色)、もちろんサウナ、それと鉱泉の沸かし湯がありました。

でも沸かし湯は、加水して塩素を加え、循環ろ過ですので余りお勧めできないかな。
とりわけ塩素は、お湯の波動値がすごく下がるのですよ。



大江戸温泉は、子供づれにご家族には一日中楽しめますね。

でも大人だけで、お湯とリラクゼーション、健康志向とすれば個人的には「東京健康ランド」の方がお勧めですね。
こちらは「漢方湯」となんていっても「塩サウナ」がある。
おまけに無料の映画もあれば、もちろんぐっすり寝れるお休みどころもある。


大江戸温泉にも「お休みどころ」はあるのですが、TVツキの長椅子は土日の混雑日にはすぐ満席になってします。

私が行った大江戸温泉では、浴場内に白色系のガイジンさんが8人くらいは入っていましたでしょうか。
中には小さなお子さんと一緒でした。
もちろん中国、韓国系のかたも相当いらっしゃっているようでした。


中にはアタマに手ぬぐいを載せている肌の白い外人さんも仲間連れでトークしていましたが、多分常連さんですね。


大江戸温泉のスグそばにモノレール「ゆりかもめ」のテレコムセンター駅がありますから、多分ハイテク産業にお勤めの方のマンションが近いのでしょう。
お台場にはずいぶん一般向けのマンションが建ちましたからねえ。








お風呂を出ると背中に歌舞伎役者の絵柄の付いたカラフルな浴衣で、各店舗を覗き見みに。
江戸町人姿のお嬢さんの呼び込みや、江戸若旦那風情のトロンボーン他、管楽器のショーもあったりでお客様を飽きさせません。


でもすれ違う18~19歳の若者の浴衣姿がだらしない。

なんと若い男の子が三人そろって、へそ上で帯の固結び。
それも両端が、だらりと膝下まで帯すそが垂れ下がっている。

若い男の子は、余り帯の結び方を知らないのですねえ。

この男の子ばかりでなく、大人でもすれ違う男性方は、どうも着こなしが、すそ前はだけてだらしがない。

でも女の子は、全般的にキチンと浴衣を後帯びに結んでいる。
たぶん女の子はお祭りや縁日で浴衣を着慣れているからなのでしょうね。



大勢の外人さんもご一緒の、江戸気分の温泉でお風呂三昧でしたが、日本人らしく各ご家庭でも、小さい頃から子供たちに男女を問わず浴衣を着る機会をもたせたいものですね。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)たまに行くなら

2010年02月15日

品格とは、美しいこと



[朝青龍のご乱行は随分前から指摘されていたのですが・・・・]



先ごろに、横綱 朝青龍がこれまでの節操の無いやんちゃぶりに加えて、民間人の暴行事件の責を取って引退した。

TV,新聞ニュースでは,しばしば「横綱の品格」と言う見出しがでて、話題になりました。


「品格」とは御茶ノ水女子大の数学者 藤原正彦先生が「国家の品格」という本を出されて、以後 流行語になったような気が致します。

以来「女の品格」とか品格をもじったいくつかの出版がありました。


「品格」を広辞苑で調べますと、「ねうち」、「がら」、「気高さ」とあります。
ですが個人的には「物」に対する良し悪しではなくて、人間の品位をこの場合さしていると思います。


つまり「品格」とは「心の美しさ」を意味していて、行動上の立ち居振る舞い以上に、それら行為の素となる「心の美しさ」が大元で、内側が外見のふるまいに反映される。


そう考えると、品格の薄さを朝青龍だけに決め付けるのは、かわいそうで、所属部屋の親方初め相撲協会も、また、「時の人」を容赦なく取り囲む報道陣もまた「品格」が薄いようです。



「心の美しさ」とは何かといえば、「思いやる心」、「愛でるこころ」、「調和の心」といえる。つまり自分がしゃしゃり出ず、自分のためではなく、相手方のために動く心情です。

さすれば、日本人全体が「品格が薄くなってきた」と言えるようでもありますね。









[政治家の小沢さんも 言行に恥ずるなかりしか! ]



太平洋戦争時代の日本の教育というと、何でもかんでも「悪の教育」のように思われがちです。
ですが、江田島海軍兵学校では、将校教育に「五省」という、五つの反省標語がありました。

単なる標識でなくて、それは瞑想と実行を伴うものです。



夜間のラッパの合図に当直が五省の項目を、大声で読む。
次に全員が正座して、瞑想に入り、一つ一つの五省を己の心に振り返る。



その五省とは

1) 至誠に悖る(もとる)なかれ 
つまり自分の純正心に照らして、曲がったことはなかったか、尽くさなかったところは無かったかということである。


2) 言行に恥ずるなかりしか
自分の言葉や態度、行ないに恥ずかしいところはなかったか問いかける。


3) 気力に欠くるなかりしか
行動の精神に覇気、やる気が薄く、だらだらしたところは無かったか。


4)努力に憾み(うらみ)なかりしか
昨日より今日、今日よりも明日という心・技・体の励みを努力という。その勤め励みに努力不足ということは無かったろうか。


5)不精に亘る(わたる)なかりしか 
身だしなみや、一日の行動に中途半端な、手抜きやだらしないところは無かったか。




朝青龍の話題で持ちきりのお相撲さんも、格闘技を含めたプロスポーツ界、ボクシング界も、特に政治家も一般人も・・・・・・。

品格が取りざたされるいま、この五省は現代人の座右となるのではないでしょうか。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(2)一言ご意見

2010年02月12日

慎ちゃん、ありがとうございます




[寺山さんのチェロの献奏でもおくられた慎ちゃんの追悼式]




想えば本当に気配り、心配りの片岡慎介さんでしたね。
セミナーの会場では、カーテンの開け閉め、音楽もボリューム、照明などお客様の視点で常にチェックされてました。

また満月の日には、用事もないのに何人もご挨拶の電話をされてました。


本名は片岡眞太郎 これからのペンネームは「輝光院眞楽浄月居士」。

ご家族やご親戚も「眞ちゃん」で通され、私たちの呼び方も「慎ちゃん」ですから、本名も芸名も愛称は同じ発音でした。


輝き光る 音楽家の眞ちゃん  清らかな月に戻って、これからは自由自ままに作曲三昧です。



2月6日が慎ちゃんのお誕生日。その数霊をひっくり返すと 62歳のお歳に。月の如しとかいて、この二月の 「如月(きさらぎ)」 にお月様の世界に・・・。




[ご弔問にこられた方々ですが、本当に顔が広い慎ちゃんですね]




慎ちゃんの奥様はじめ、ご家族のご意志で論者 鈴木が、葬儀委員長をさせていただきました。

顔の広い彼ですから、お通夜や告別式の当日は、帯津良一先生はじめサトルの理事や公益団体の面々、「水からの伝言」の江本勝さん、舞踊家関係では浅野みずほさんや小林ひろみさん、そして板倉リサさん、ヨーガの西川真知子さん、和太鼓の響道宴さんらも駆けつけてくれました。

写真家のロッキー田中さん、「天上シンフォニー」の著者 伯宮幸明さん、教育界では飛谷ユミ子さんや宮西ナオこさん、実に多方面からのかたがたの参列でしたよ。

また寺山心一翁さんのチェロで、厳かな献奏もありました。

浄土宗のお坊さんの読経の直前には、奥様、お嬢様とのふれあいや、お孫さんらとの日常のご家庭でのVTRが放映されて、むしろその「素」の慎ちゃんの仕草に、思わず私の眼が霞んでしまいました。





[サトルの理事会では、チベットベルの音の合図で、片岡慎介さんの黙祷から始まりました]




人生、長い命を生きながらえてきたから、決して幸せでもなし。
また短命であってもその生きてきた過程にずっしりと重みがあれば幸せでしょう。
この三次元世界で他人の眼でみた、ある方の人生や寿命の長短悲哀を論ずるわけにも行きません。

魂の清らかさは神と本人しか知りえない。光の第二の世界は神様の判断でご用意されること。



サトルの春の大会http://www.subtle-eng.com/2010spring.htmlは4月17日に津田ホールで計画されています。


誕生から少年期をこえ、社会人から壮年期へ、そして光輝高齢者となって天界へ。

その光の世界でもなお「人生をオールインワンに生きる」。


この生き通しの人生で、輝いて生きるということを「春の大会」の統一テーマにしたのですが、それは片岡慎介さんの提案なのです。



「赤ちゃんの胎内記憶」の話をされる産婦人科医の池川明先生、親子のスピリチャルなあり方のお話をされる小児科医の向後利昭先生、子供や少年期の脳力開発のポイントを指導されている飛谷ユミ子先生が登壇される。

また、世界経済、地球資源を分析し、これからの本物のサトルな生き方を論ずる小川 修先生、女性生き方評論家の宮西ナオ子先生、そして著書にもある「達者でポックリ」の外科医の帯津良一先生らで「サトル春の大会」を実施する。


こうした講師陣も論者鈴木とと、片岡慎介さん、そして運営委員の皆さんで企画させていただいた。




[2009年 春の大会では 大会委員長の片岡さんも歌をご披露。帯津会長も矢島実さんも私、鈴木も壇上で歌ってしまいました。またこの二月の理事会を終えた懇親の席で、慎ちゃんが歌った[ふるさと]を理事さんが全員手を繋いで、もう一度 彼を偲んで歌ってみました]



サトルの大会では、片岡さんは毎回 舞台裏で音響と照明を担当、またお客様を迎える実に細かい配慮をかかさず、お手伝いの大会ボランティアにも常に優しい声をかける人物でした。

ですからどなたにも愛された片岡慎介さんでしたね。

事務局で私と談笑するときでも、いつも私の体を気遣っていただきました。


テンポ116で音楽界に名を馳せた片岡慎介さんですが、子供たちの将来を憂い、日本人の魂の貧しさを憂いていた慎ちゃんは、むしろ素晴しい意識啓蒙家であり心貴高い本物のスピリチャリストでありました。


これからは、お月様の世界で素晴しい音楽を作って、月光と共に私たちに届けてくれるのでしょう。


片岡慎介は、お月様と一緒にいつも、そこに輝いて居ます。




[今年1月30日 1月では二回目の満月でしたね。 写真提供:村岡 文昌さん]  

Posted by suzuki at 06:03Comments(1)日本人の魂を求めて

2010年02月09日

私心なき日本人へ





[明治の志士たち: 日本のために私心なく死ねる気概は何処から来るのだろう]




幕末から明治にかけての志士たち、その「日本のため私心なく死ねる」という強烈な意識は、一体どこから来たのだろうか。

特に重要なのは「私心なく」というところです。

さきに坂本龍馬について、このブログで多少触れてみました。



小沢 民主党幹事長の土地物件など、相変わらず物金に踊らされる現代社会にあって、ひるがえって幕末・明治の「死ねるこころ」とは何処に拠点があるのかという想いに馳せてしまう。



幕末の偉人というと西郷隆盛を想い出します。
坂本龍馬が初めて西郷と出会った時の感想を、師の勝海舟に次のように語ったようです。


西郷という人は、わからぬひとでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした。」


西郷を「釣り鐘に」、龍馬自身を「撞木」に例えているのでしょう。



明治の偉勲でも西郷を評して

「世に最も始末におえぬやつがおる。それは金も欲しくなければ、地位や名誉もいらぬという骨柄だ」
と。



西郷さんの骨柄には暗い陰がない。

それは彼の座右が「敬天愛人」、宇宙大自然、天の理を謹んで敬うと同時に、なんびとも愛する「至誠」からであり、暗くなりようがない。


そして彼の心がいつも落ち着いた「律心平安」にして「私心」がないから生死を度外視していた点が多いに西郷評にあずかっていたと思う。


こうした大西郷のような偉人は桁外れだろうが、江戸末期においては、それに準じた「赤心の志士」がごろごろいた。



吉田松陰は下級武家の杉家から吉田家に養子に出された。
彼の叔父に玉木文之進が居る。
玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた人物で、世に松陰が松下村塾の開講者と誤解されているが、叔父の文之進がその人である。

松陰は3歳位から文之進の薫陶を得て育った。
クワを持つ百姓仕事の文之進、その田んぼのあぜ道で、論語を素読する松陰。
松陰が藪蚊に顔をさされて、ほっぺを叩く。
すると文之進が、クワを放って松陰に近づくなり、横っ面をなぐりつけた。

「素読を止めて、私心に浸るとはなにごことか!」

蚊にさされて顔を掻く、三歳男児のそれだけでも、私心とどなられて松陰は育った。



幕末・明治の「私心なき心」その底流は、父や母の家庭の徳育や、教学の師からの腹に響く薫陶ではないだろうか。


隆盛ら「敬天愛人」をより拠として活きてきた古き日本人が、そのまま現代にまかり越したとしたら、世界は相当変わっていたでしょうね。

日本発の、世のため人のためと母国を愛する心が、総じて地球を愛する心に発展して、今日のような、地球環境汚染や資源の取りつくしのような問題も深刻にはならなかったのではないだろうか。





[品川阿那稲荷神社 天から頂いた命、それを感謝していただくことそれがまず第一です]




日本という「日出づる国」に住む気高い精神性の民族が、金も命も要らないとなると、
とりわけ当時1800年代から1900年初頭にかけての英仏露米のもくろむアジア全地域の植民地支配のしようも無い。


そうなると困るから、「民主主義」・「自由と平等」・「合理的精神」を明治の後半から大正、昭和にかけて日本に押し付けた。
「赤心や天命というヤマト精神」を希釈させ、支配しやすい口当たりのいい合理主義に導く。


長崎の武器商人グラバーは紛れも無いフリーメーソンで、グラバー邸は日本初の初代ロッジなのである。


彼らが押し付ける「民主主義」と日本の「神主主義」とは次元が違う。

言葉尻のいい「民主」にしても、腹の据わらない薄ペラな全体合意と過半数主義は、現実開拓に相応しない。


一人であっても素晴らしい正論、長老に従う日本的な叡智がこれまでの大和を支えてきた。


愚民は「民主」という歯切れによさに酔うだけだ。

人と人の個性差、得手不得手、記憶力の差、行動力の差が有る以上、平等はありえない。

ヤマトびとはその個人差、能力差をそれぞれに生かした村落社会構成をつくり、慈愛と互恵を一大前提として生きて来た。


自由と平等を唱えたジェファーソン第3代アメリカ大統領のご自宅には、黒人奴隷が300人もいたことはあまり知られていない。

それが「平等」の実体である。





[もう房総では、菜の花が咲き始めていますね]





「民主主義」「自由と平等」「合理的精神」の欧米化教育、そして戦後の道徳を離れた知識教育偏重が「私心なき心」を徹底的に捨てさせたと思うのです。


アメリカでも教育の場で見られるディベート(自己主張、自弁)は、あたりまえで、今の日本でも「キチンと自分の意見を言いましょうね」と父母や教育界も自己主張をもてはやす。



徳育とは逆に、周囲をよく見つめ、よく聴き、その真理を己の腹に納め、不動の自己を図ること。
そうした心の素養の育みである。


ヤマトのそれは、主張の前にまづ生死観から入る。

そのためには診る、聴く、考える、そしてそれに基づいて行動するを養う。
そして生き様をつねに鍛えてきた。


むしろ多弁は軽薄とすら覚えていた。



「恥を知る」それは個人が個人のこころの奥深く叱咤する「律心」である。


「私心なく」はは透徹して「天に生かされている」ことの自覚でなかろうか。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)日本人の魂を求めて

2010年02月05日

盟友 片岡慎介さん





[いつでも笑顔を絶やさない片岡慎介さん:サトルの大会 そのあとの懇親会ですね。右は司会の小林ひろみさん]



運命は、いのちを運ぶと書く。
ですから人生の大河を、肉体という小船に載せて、自分が漕ぎ出し、時には激流をくだり、時には穏やかな河瀬に乗り上げて、しばらくはゆっくりと休息をする。

運命とは自分で自由に、その命を運ぶものです。


操船者が天を恨めば、逆に豪雨も来るし、回りを敵視すれば大河は荒れ、自身もまた体力を失う。

天命を知って、心の貧者に愛と奉仕を与えると、命の操船者の心は豊かになり、いのちの歌を歌い出しもする。




一方、宿命とは宿(さだ)めであり、人生の操船者自らの意志ではどうにもならない神のさだめ。

肉体船は、自分の意志で自由に操作し自由に停泊も出来るが、人生の大河は、やがては自分の知らない広大な海に抜ける。

死出の海という大海に出ることは神様のなさること。


宿命は自分の意志ではどうにもならない。






[2009年 春の大会では片岡慎介さんが大会委員長でした。歌もご披露しましたね]




論者と片岡慎介さんの出会いは、世紀替りの丁度2000年頃からであるから、かれこれ10年の知己。


彼は音楽家で、私はどちらか言うと技術研究畑だからお互いの世界は未知分野。


でもサトルエネルギー学会の理事でもある彼の考え方と、私の日本の精神再生設計図はお互いに似て、サトルの運営では片岡さんのご意見が別の角度から非常に参考にもなり、協力して実行してきた。


彼もまた、私の数霊や言霊学に興味をもち聴き入って、81数の魔方陣、その背後に隠された三六九の数霊を、なんと作曲にまで応用された。

この81数魔方陣は、片岡さんの「ムーンラプソディー」のジャケットに描かれている。





[サトルのセミナーでも片岡さんのお話はよどみなく、お話し上手でしたね]




片岡さんが、その昔グループサウンズの草分けで、NHKの歌番組に登場されたことは余り知られていない。

音を楽しむことの思考回路から、やがて彼は「お月様のテンポ」を見出した。

地球は、太陽さんの周りを一年、365日と0.2422日で一回転する。
この太陽時間が1分間に60秒に刻まれて、音楽では、この二倍の1分間に120の拍数が通常の音楽テンポ。

これに対してお月様のそれは、月の運行から計算すると、太陽のそれよりもやや遅く1分間に58の拍数。
つまり音楽的にはその二倍の116がお月様のテンポ。


この116は、仏教の「お坊さんの声明読経のテンポ」と全く同一で、タイガーウッズが歩くテンポも116。


テンポ116で歩くと脳が活性化し、逆に緊張の脳には弛緩に働く。
つまり調和のテンポのようです。

人類は、生命誕生の34億年以来、月の重力の影響を受けてきたのですから、やはり、お月様のテンポが生体生理や思考回路にも作用するのでしょう。





[片岡さんと帯津良一先生、左のかたはこのブログサイト希望の星を管理されている㈱トータルヘルスデザインの岩月 淳 社長]




彼の音楽作品の全てが、そのテンポ116で構成され「マザースタッチ」、「ツキを呼ぶ音楽」、「月の子守唄」、「月の妖精たち」、「ムーンラプソディ」、「メビウスの指」などなどの作品は全てそれ。


中には、ノイローゼ、重度の便秘症、さまざまな疾患の回復例も聞く。



昨年、「公園に感謝セレモニー」というイベントを片岡慎介さんと実施しました。

私たちの感謝が神社に向ければ神さまが喜ぶだろうし、私たちの感謝が大地に向ければ、大地が喜ぶだろうと考えたのです。

大地が喜べば、みんなが健康になる。
・・・・・そして社会が健康になる。


そんなことを実施している「研究公益団体」は、まずサトルエネルギー学会しかないだろうし、こうした実にシンプルな祈り、大地への感謝が日本全国に広まっていくと、きっと、「日本の霊性の回復」は早いと、彼と夜遅くまで論議したのです。


そして精神の中心点である皇居賢所、そこから真南に一直線にサトルの事務局に近い「芝公園」がある。

皇居から地図を真北に辿ると「六義園」、西に「新宿御苑」、東に「清澄庭園」があることを私が地図で示し、片岡さんに手渡したのです。

彼と一緒に五ヶ所の「公園に感謝セレモニー」を昨年 平成二十一年に実施させていただきました。





[ときどき麻布十番の論者の知り合いのお店「たけ山」にて、みんなで盛り上がりましたよ]



ことし平成二十二年、 正月早々に片岡慎介さんから体調を崩したとの連絡を受けました。

でも彼との数度の電話の中に笑いもあり、また今年の日本霊性回復をお互い話したりもしました。


2月1日 その片岡慎介さんが突然、「宿命の大海」に漕ぎ出された。
「宿命の大海」から「お月様の世界」に昇天された。



素晴しい方が、あまりにも早く光の世界に飛び込んでいく。


そうなることが魂の向上に欠かせない神様がなされた「第二のステップ」なのでしょうが、「日本人の魂の覚醒」のために力をあわせて、今年もやろうと話し合った直後のパートナーの突然の旅立ちに、ただただ無念さが残る。


やさしい、お客様想いの音楽家の片岡慎介さん。
いつも遠慮勝ちで、相手の心をまづさきに斟酌する二女のパパである片岡慎介さん。
日本人の霊性回復に強い期待を寄せていた片岡慎介さん。

そして鈴木俊輔のよき心のパートナーであった片岡慎介さん。


『お休みになるのはチョット早いすぎるんじゃないかい。貴方の分まで世のために働くのはしんどいよ!慎ちゃん!!』



謹 告: 

片岡慎介 通夜 2月7日(日) 18時から 代々幡斎場 (京王新線 幡ヶ谷 徒歩6分)

     告別式  8日(月) 11時から 同上
  

2010年02月02日

現象は内からつくられる





[昨年12月の満月の日に取ったお月様、 お隣の青い光は星でも街灯でもありません。もう一つのお月さまなのです。]




このブログをお読みになっている皆様の中で、

「この世界って、私だけのために見せられているのじゃないかしら・・・・」と思っていらっしゃる方も、存外多いのではないでしょうか?


この世は自分のために演じられている「バーチャル世界」というといいすぎでしょうか。

そのバーチャルな世界の中で、主役の自分が、どう「真善美」の意識の種を蒔き、美しい花を咲かせられるのか。自己とは「地球進化」のお役目もあります。


三次元世界その全てが仮相で、意識がそれを認めたときに動き出し、好悪、美醜、愛憎の実態は仮相にはなく、全て自分の意識内にある。

主観は三次元の固定的な世界を見ておりますが、意識は自在で過去にも飛び、未来も探索できますから、目に映る三次元世界よりもはるかに高次ですね。



数霊でいいますと、ゼロから一(ヒ:霊)、二(フ:分)、三(ミ:身)、四(ヨ:世)と生まれてきました。


「身(三)」という三次元体をつくっているその大元は、「分(ニ)」という陰陽、男女、(+)(-)、愛憎、損得、・・・の相対の世界。

ですから眼で見えている三次元世界に陰陽あり、また意識の側にも好悪、美醜の「分(ニ)」の形質がある。


三次元世界を見れる次元は、四次元以上の界層だからこそ、その視点から見ることが出来る。したがって霊止(ひと)とは四次元以上の存在です。


その霊止も大元は「ゼロ」から誕生して、「霊(一)」をいただき、「分(ニ)」の陰陽を頂き、「身(三)」という肉体を頂いている。


「霊(一)」というエネルギーの次元は、そこから「分(ニ)」という陰陽の次元を発したわけですから、数字的には小さくなっては行くものの、「霊」は創造主の次元により近く高次です。


さらに「ゼロ」の次元になりますと、そこは創造主の次元で、そこから「霊」が飛び出したのです。
その最高の高次元、古神道では天御中主大神の次元が、「ゼロ点」と目されます。

二次元の平面を見ることが出来るのは三次元の世界から見えて、二次元の住人にはその二次元世界は見えない。

同様に三次元を見ることが出来るのは四次元から見える。
四次元界を見ることが出来るのは、五次元界以上の住人でないと見えない。
これらの住人の意識は、霊止(ヒト)それぞれの意識覚醒の違いである。


数霊でみると、逆に数位が少ない方向が高次で、大極が「ゼロ」なのです。

そこから一(霊)、二(分)、三(身)、四(世)、五(意)、六(睦)、七(成)、八(弥)、九(凝)と宇宙世界が発展されてきた。

ゆえに小宇宙である霊止(ひと)の内側には、絶対界の「ゼロ」も存在している。

ただしそこまでの霊止の意識覚醒の違いはもちろんあります。
お釈迦様の意識次元と衆生のそれは違う。






[これもお月様の写真、一昨年の小田原の大雄山に籠った時に撮った写真です。]



量子力学の世界で、ノーベル賞受賞のニルス・ボーア博士が粒子(電子)存在の不確定性をアインシュタインにぶつけてみた。


ある時刻における物質の位置と運動量はただ一つに決まっていない。

つまり一つの電子は、それが計測される以前は、その電子自体があらかじめ場所が決定されてはいず、宇宙の何処に存在してもいい。

つまり粒子の塊である物質とは、決定されない位置やあいまいな速さで運動しているという。

それが素粒子学上の素粒子のふるまいなのですが、考えてみると実に大変なことでなのす。



物質はそこにあるようで、誰も見ていなければ、どんな計測もされていなければそこには確として存在していないということなのです。
これが数学をベースにした素粒子物理学の答えなのです。


たまたま誰かに確認されたから、そこに動かしようもなく「在る」という後天的な存在なのです。
これは主観認識が無ければ、素粒子の塊である三次元の現象は不確定な存在であるということと、同じことになってしまいますね。



「君はあの月が、誰も見ていなければ存在しないとでもいうのかい(アインシュタイン)」これがアインシュタイン(E・S)とニルス・ボーアのコペンハーゲン論争の主題であったのです。


アインシュタインが指差す「あの月」が誰も見ていなければ、存在しないのか、といわしめたは、素粒子学の電子の不確定なふるまい、そのボーアの理論にケンカを吹っかけたのですね。
でも現在ではボーアに軍配が上がっております。


存在の確認という操作は、「意識」であって、意識は全宇宙にコンタクトできますね。

意識は瞬間に月の裏側にもいけますし、またはるか冥王星にまで飛んでいける。

また日常のおしゃべりが過ぎて、時を忘れると、そこに「時計」は存在しません。
すると意識という内側の世界が、外側の世界を確定して、時計を発見してはじめて、時間認識が出来る。






[これもお月様の写真。おそらく意識がカメラを通じてお月様と共鳴現象を起しているのでしよう。]





こうしたことから、どうも意識という内側が、外側の現象を創っているといえなくもない。

ならば、善い意識が良い現実を結び、悪い意識が悪い現実を創るということになるようです。


富士山を見て、雄大だと想う瞬間から、周囲は雄大に動いているように作用する。

富士山を見て悲しいと想う瞬間から、周囲は悲哀に暮れなずむ。


 暗い場面、暗く悲しむ場面に遭遇したとしても、自らが明るい言霊と明るい態度で臨めば、場は明るくなる。


つまりこちらの意識、内側から外の世界が変化し意識に応じて作られているといえるののす。


世の中あまり、善いニュースばかりではありません。

そこに自分の意識(言霊)や「祈り」という神様から頂いた高次な働きを、今まで以上に活用して、歪んだ現象世界を自分の周囲から変えてゆきたいですね。  

Posted by suzuki at 06:00Comments(0)神泉界