2010年01月25日
死という第二ステップ
[府中の大国魂神社 ここのお祭りには大太鼓が出て壮観ですね]
全てを前向きに生きて、心にストレスを溜めずに、わくわくウキウキと生きると免疫活性が維持されて体内の悪玉細胞は消滅する。
毎日 がん細胞は5000個も発生していますし、それをやっつけてくれる免疫系は心のストレスが高まれば低下して、2年もすれば数mm大のガン細胞にまで発達します。
つまり健康体は前向きの心で、明るい心で維持されることになります。
それが、安保 徹先生や近日 紹介したブルース・リプトン博士のDNA後生論(エピジェネティック コントロール)でもいえることです。
日常を「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。ありがたいことだ」、という心のあり方が本当に大事だと思います。
それが「目の前の全ての現象」に対して、感謝の動因になるからです。
今あること、今 生きていることに対する全面肯定、感謝であれば、宇宙はそれに共鳴し応えます。
ただここで大事なことは、「健康」=「長寿」とは無関係だというです。
さして病無く、さして大きな苦痛なくポックリ逝くのがベストではないでしょうか。
お寺の高僧をみると確かにご高齢の方も多いのですが、それは決まった時間に読経や禅行をする規則正しい日常生活。
そして腹七分の食事によるため体内に脂肪や余分なものが、溜まりません。
細胞がいつも飢えてますから、必要とする栄養分をよどみなく吸収しようとする細胞活性があるからです。
巷の話で、お若くして亡くなられたりすると、それは不摂生とマイナスの生き方の結果のといわんばかりに、陰で耳打ちする方もいらっしゃる。
比較的若くしてこの世を去られた方は、日々を感謝しない結果で亡くなられたのでは決してない。
その方の「最適な次世代環境」に神様が誘導されたのです。
「日々を感謝しないからあの方は早死にしちゃった」と勝手に判断しているのは、周りの方のご自由ですが、ご本人はそれなりの心の充実度をもち、独自の「主観の人生」を生きている。
心の高揚感や充実度が分っているのは本人以外では、神様しかおりません。
それは、他人の知るヨシもない。
勝手に他人が、亡くなった方の心魂の内容や、想いに点数をつけるわけにはまいりません。
死とは「第二ステップへの旅立ち」であって、進化のための最良の第二の環境を与えるため。
その時期は神様が判断し、なさることと。
生を肯定した生き方、寛容で心の広い生き方は、自己免疫による自然治癒力は高いし、病にも罹りにくい、しかし死とは別物であるということです。
神様がなさる第二ステップの旅立ちという、あの世への入学までのあいだ、自分の身を労わり、周りに感謝し、日々を充実して過していくことがなにより大事。
[不動明王 その形相は、心に住まう悪鬼羅刹を懲らしめる]
毎日を「ありがとうございます」で感謝して生きると、おのずと「喜び」が飛び込んでくる。そして、笑顔の方が自然に集まってくる。
ですから「ありがとうございますの生活」は楽しいですし、肉体的にも苦痛もない。
こうした日常の「霊主体従」の生き方が、魂磨き、「神化」への基礎訓練。
「霊主体従」の生活は、心のなかに負荷がかからないし、ストレスもない。
ですから、自我を本来もたない純粋無垢な細胞さんたちにも、負担がかからない。
だから病苦でのた打ち回る状況には至らない。
わが身大切さで節制に節制を加えていればきっと200歳も300歳も生きるというとそうではありません。
勝手な長寿願望はこの宇宙ルールには当てはまりません。
寿命は神様の決め事なのです。
古今の聖者といわれるキリスト様は、33歳で亡くなりました。
お釈迦様は35歳で悟りを開き、この世に未練なく一旦あの世に行かれようとされた。
しかし、この世での教えの流布という使命のために、さらに伝道に入るのですが、それでも入滅したのは凡そ80歳。
今の平均寿命からすると、そうビックリするご高齢でもありません。
わが国の弘法大師空海は「死してなお冥し」と言い残して、冥土の入ったのが61歳。
日蓮様は60歳で亡くなられ、ともに今で言うと若死にです。
寿命は、心魂の高い低いといったレベルとは無関係に、神様の決め事だからです。
神様は、別の場面を提供したほうが、その方にとって最もよい修行と決断される。
世のためヒトのためにと過度に肉体を酷使すれば、その愛行に拍手もするが、自ずと肉体は負荷がかかり、肉体が朽ちればあの世に参ります。
またそう過度に肉体酷使されずとも、魂のある段階を経れば、神さまは次の魂磨きの段階を準備されている。
ひとは自力で誕生することは出来ません。
同じように自分の力で入滅することは出来ません。
神のみぞ知る「そのかたの最適な次世代環境」を提供されるのが寿命。
その寿命までに、自分の細胞さんに健康で一緒にいられることを感謝し、周りの全てを受け入れて、日々に意味がありこれ「神化」の学びとして受け止め、ありがたく生きる。
「天は自分を学ばせてくれている。何が起きてもそれは自分を育ててくれている。最良にして最大の場面を提供してくれている」そう信じて生きることが、本物人生。
神化のための「死という第二ステップ飛」躍への判定評価は、自分では出来ないのです。
「最適な次世代環境」は神様が誘導してくれる。
それまでは、死するまで「日々を感謝し、魂磨きの霊主体従」が霊止(ひと)の道。
「死に死に死に 死してなお冥し・・・」といって弘法大師空海は入滅したという。
恐らく、「進化の第二ステップの旅立ちは、まだまだ神化の入り口にすぎないよ」という風に空海さまの声がもれ聞こえてくる。
Posted by suzuki at 06:00│Comments(0)
│健康に生きる




