2010年01月28日

 龍馬よ蘇れ

   



[坂本龍馬 :なぜこの写真に大きな机があるのかというと、当時の写真は露光に長時間がかかりますので、静止のためのもたれかかりのためだったそうですね]  



    

今年からNHKの大河ドラマで福山雅治主演の「龍馬伝」がスタート。
余りにもかっこよすぎる顔立ちのいい坂本龍馬に、いささかの違和感を感じないでもありませんが、評判ですね。

若い女の子も、もちろん高知も長崎も龍馬ブームに沸いている。



龍馬の魅力は、図抜けた行動力と発想力。

会社という概念が無い幕末j時代に、他人の資金で会社の原型(亀山社中)までつくってしまう。


でもそうした行動能力は、現代人が必ずしも劣るとは思いにくい。



問題は、いつでも死ねる。明日にも死ねる覚悟があるかどうか。
そこがまるで龍馬と現代人は違う。




最近では、封建主義の代表とされてきた「武士」が見直されてきました。

山本周五郎や藤沢修平といった時代物作家の、「雨上がる」という寺尾聡主演の映画や「武士の一分」という木村拓也主演の映画が以前ヒットしましたね。

これも鑑賞しましたがハリウッドからトム・クルーズと渡辺謙 主演の「ラストさむらい」が来ました。

これらのモチーフはいづれも「侍の魂」です。
サムライ映画のヒットは、魂の抜けた日本人には、死を覚悟した中に武士の一分、仁と義をを通す波動が、現代人に残されている血脈に、少なからず浸透したからでしょう。


「武士」、その生き様の根底は、金でなく道義、道徳、心の気高さがが何よりの価値基準でした。


現代はホリエモンに代表されるように「金さえあれば人の心も買える」風潮ですから、心よりもモノと金、体主心従の価値観。


往時、士農工商という身分制度はあったものの、士は総じて商より貧しく、困窮暮らしの上に、志が高い。
年収が三両一人ぶちの侍のことを俗に「三一(さんぴん)」といいますが、今の年収にして凡そ100万円を下回るのです。

しかし志の卑しさを嫌うから、農民や商家からも寺子屋の先生や書画の教師としてまねかれました。


比較的 高給取りの旗本でも冬場でも暖をとることはなかったのですよ。
つまり火鉢やコタツなど無いのです。もちろん床暖房もファンヒーターもありません。
大名の世継ぎですら幼児期からそうした教育生活であったそうです。




 幕末に来日していた英国人が江戸市井を見て仰天したそうです。
彼らは植民地政策が来日の狙いであって、無能な土着民を教化するという大義名分で日本という野蛮国に乗り込む。
ところが乗り込んできた当の英国人の日本人観は次の二点であった。

① 武士のカネで生きない潔さ 
② 一般民衆が立て札を読む教育の高さ(英国の文盲率は90% 日本のそれは50%)







[およそ国民の半分が、このような高札をよんでいたのです]





時代は150年ほど経って、カネが全ての行動基準、汗水たらさずマネーゲームで一攫千金に血眼という日本の気風と相成る始末。


小学生がトレーダーの訓練をするという。

もしそれが義務教育とでもなろうものならとんでもないことだ。
そんな年で子供からの国際人化でも、経済の勉強でもなく、金儲けの亡者を育てることしかならない。


自国の文化を読み、書き、愛せる基礎がまづ必要でしょう。
自国の歴史を外国人に話して、はじめて外国人から尊敬の対象となるのです。


日本人の心から、150年かけて徐々に徐々に、「民主主義」、「自由と平等」そして「合理的精神」をあたかも正義のように注入して、神意識を無意味なものと洗脳していった。


その犯人は欧米の物質合理主義と、それに迎合した日本の一部の政治家たち。
挙句が、リーマンショックでただ慌てふためく、腹の据わらない人種を育てていった。

「世のため、人のため」という私心を捨てた、私たちが本来もっている天津霊継ぐ「霊主心従体属」に平成二十二年は、一気に突入するでしょう。


「魂の本質」に否が応でも気付かされる、「神仕組み」が次々と現われるでしょう。

坂本龍馬という、その天翔ける武士をとおして、TVの茶の間からも魂の本質を磨かせてくれるでしょう。

日本龍馬よ蘇れ! 今年はいたるところに飛龍が翔ぶでしょう。