2010年01月31日

江戸期の金銭感覚




[大川橋蔵演ずる銭形平次はたしかTVのシリーズモノでしたね]




昭和30年代の初頭、「夕陽丘三丁目の時代」は、論者が小学校から中学校にかけての頃で、勉強そっちのけで、お小遣いのお金さえあれば映画に明け暮れておりました。


ちゃんばら好きな少年は、お小遣いを溜めては東映の時代劇モノをよく見に行きました。

ちゃんばらの東映モノがやっている映画館までは大分遠くて、小さい子供の足で30~40分くらいあったかしら。
それでも平気で歩いていきましたね。


大川橋蔵の「新吾十番勝負」や長谷川一夫の「銭形平次」などなどシリーズモノもよく見に行きました。

銭形平次の見せ場の投げ銭、これがかっこよかったですね。寛永通宝というやつですが、大人になって考えてみると、どうも一文銭ではないようですね。




[寛永通宝 一文銭]






[寛永通宝 四文銭]





丸い中に四角の穴があいて、裏に波形の模様がある。
それで波銭とかも言ってましたが、当時一般に通用した四文銭(おおむね寛永通宝)が平次の投げ銭のようです。


寛永通宝の一文銭ですと軽すぎて、遠くまで飛ばない。
ですから平次の使った投げ銭は、小説家 野村胡堂によるイメージは4文銭だと思います。



平次が住んでいたのは神田明神下、その神田明神に行かれますと、境内みぎ手に平次の墓といいましょうか、碑がございますよ。





[神田明神の平次の墓   JR御茶ノ水から北へわずか数分のところが神田明神。この明神様入り口の甘酒やさんはおススメですよ。なんといっても蔵出し甘酒なのです]



先般、「武士の家計簿」という書を出された、磯田道史さんのお話では、当時の一文は平成二十二年 今の価値では50円くらいだそうですね。


一文は、約50円、銀一匁(もんめ)はおおよそ3300円。1000文が15匁(銀)になります。

当時の江戸界隈では、「そば」のお値段が16文平均ですから、だいたい800円。
いまでいう立ち食いですね、路地裏のおやすい「素うどん」が4文から6文くらい。
ですから200円から300円くらいですかねえ。


江戸人は平均して一日に酒を10文つまり500円くらいアルコール代に使ったそうです。
タバコ代に3文(150円)をつかい、そして髪結さん(美容院)には結構足繁く通ったようです。


髪結いに2~3週間には一回行った結構オシャレな人種ですね。
それで一回が銀一匁つまり3300円。
まあ今の感覚と同じくらいかしら?


でも回数が多いような気がしますよね。

男性は月代(さかやき)を剃るので、自宅で奥さんにかみそりを当ててもらっていたようで、髪結さんには主として女性が行っていたようです。


農家、町家、商家、武家様々でしょうが、平均して子供1人の年間教育費は50万円(銀150匁)から、ハイクラスでは200万円(600匁)くらいだったそうです。


結構教育費が、かかっているのですねえ。
つまり日本人は、昔から子供の教育意識が非常に高かったといえるのですね。


ですから300年前は、日本が世界で最も教育レベルが高かったのではないでしょうか。

江戸時代の文盲率が50%で、世界の文明大国といわれるイギリスの文盲率が90%ですから圧倒的に教育水準が高い。

日本の植民地化の下心で江戸期に来た諸外国人は、一般庶民が高札を読む姿を見てビックリしたそうですし、武家の小さい子供が道々、論語をそらんずる風景を見て、これは侮れないと意を新たにしたようです。



日本は昔から教育費には大分お金をかけていた、そうした人を育てる歴史文化だったのですね。