2010年02月09日
私心なき日本人へ


[明治の志士たち: 日本のために私心なく死ねる気概は何処から来るのだろう]
幕末から明治にかけての志士たち、その「日本のため私心なく死ねる」という強烈な意識は、一体どこから来たのだろうか。
特に重要なのは「私心なく」というところです。
さきに坂本龍馬について、このブログで多少触れてみました。
小沢 民主党幹事長の土地物件など、相変わらず物金に踊らされる現代社会にあって、ひるがえって幕末・明治の「死ねるこころ」とは何処に拠点があるのかという想いに馳せてしまう。
幕末の偉人というと西郷隆盛を想い出します。
坂本龍馬が初めて西郷と出会った時の感想を、師の勝海舟に次のように語ったようです。
「西郷という人は、わからぬひとでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした。」
西郷を「釣り鐘に」、龍馬自身を「撞木」に例えているのでしょう。
明治の偉勲でも西郷を評して
「世に最も始末におえぬやつがおる。それは金も欲しくなければ、地位や名誉もいらぬという骨柄だ」と。
西郷さんの骨柄には暗い陰がない。
それは彼の座右が「敬天愛人」、宇宙大自然、天の理を謹んで敬うと同時に、なんびとも愛する「至誠」からであり、暗くなりようがない。
そして彼の心がいつも落ち着いた「律心平安」にして「私心」がないから生死を度外視していた点が多いに西郷評にあずかっていたと思う。
こうした大西郷のような偉人は桁外れだろうが、江戸末期においては、それに準じた「赤心の志士」がごろごろいた。
吉田松陰は下級武家の杉家から吉田家に養子に出された。
彼の叔父に玉木文之進が居る。
玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた人物で、世に松陰が松下村塾の開講者と誤解されているが、叔父の文之進がその人である。
松陰は3歳位から文之進の薫陶を得て育った。
クワを持つ百姓仕事の文之進、その田んぼのあぜ道で、論語を素読する松陰。
松陰が藪蚊に顔をさされて、ほっぺを叩く。
すると文之進が、クワを放って松陰に近づくなり、横っ面をなぐりつけた。
「素読を止めて、私心に浸るとはなにごことか!」
蚊にさされて顔を掻く、三歳男児のそれだけでも、私心とどなられて松陰は育った。
幕末・明治の「私心なき心」その底流は、父や母の家庭の徳育や、教学の師からの腹に響く薫陶ではないだろうか。
隆盛ら「敬天愛人」をより拠として活きてきた古き日本人が、そのまま現代にまかり越したとしたら、世界は相当変わっていたでしょうね。
日本発の、世のため人のためと母国を愛する心が、総じて地球を愛する心に発展して、今日のような、地球環境汚染や資源の取りつくしのような問題も深刻にはならなかったのではないだろうか。
[品川阿那稲荷神社 天から頂いた命、それを感謝していただくことそれがまず第一です]
日本という「日出づる国」に住む気高い精神性の民族が、金も命も要らないとなると、
とりわけ当時1800年代から1900年初頭にかけての英仏露米のもくろむアジア全地域の植民地支配のしようも無い。
そうなると困るから、「民主主義」・「自由と平等」・「合理的精神」を明治の後半から大正、昭和にかけて日本に押し付けた。
「赤心や天命というヤマト精神」を希釈させ、支配しやすい口当たりのいい合理主義に導く。
長崎の武器商人グラバーは紛れも無いフリーメーソンで、グラバー邸は日本初の初代ロッジなのである。
彼らが押し付ける「民主主義」と日本の「神主主義」とは次元が違う。
言葉尻のいい「民主」にしても、腹の据わらない薄ペラな全体合意と過半数主義は、現実開拓に相応しない。
一人であっても素晴らしい正論、長老に従う日本的な叡智がこれまでの大和を支えてきた。
愚民は「民主」という歯切れによさに酔うだけだ。
人と人の個性差、得手不得手、記憶力の差、行動力の差が有る以上、平等はありえない。
ヤマトびとはその個人差、能力差をそれぞれに生かした村落社会構成をつくり、慈愛と互恵を一大前提として生きて来た。
自由と平等を唱えたジェファーソン第3代アメリカ大統領のご自宅には、黒人奴隷が300人もいたことはあまり知られていない。
それが「平等」の実体である。

[もう房総では、菜の花が咲き始めていますね]
「民主主義」「自由と平等」「合理的精神」の欧米化教育、そして戦後の道徳を離れた知識教育偏重が「私心なき心」を徹底的に捨てさせたと思うのです。
アメリカでも教育の場で見られるディベート(自己主張、自弁)は、あたりまえで、今の日本でも「キチンと自分の意見を言いましょうね」と父母や教育界も自己主張をもてはやす。
徳育とは逆に、周囲をよく見つめ、よく聴き、その真理を己の腹に納め、不動の自己を図ること。
そうした心の素養の育みである。
ヤマトのそれは、主張の前にまづ生死観から入る。
そのためには診る、聴く、考える、そしてそれに基づいて行動するを養う。
そして生き様をつねに鍛えてきた。
むしろ多弁は軽薄とすら覚えていた。
「恥を知る」それは個人が個人のこころの奥深く叱咤する「律心」である。
「私心なく」はは透徹して「天に生かされている」ことの自覚でなかろうか。
Posted by suzuki at 06:00│Comments(0)
│日本人の魂を求めて




