2007年02月25日
神拝の意義

外に頼る神さまなぞ居らず、自分自身の存在が神と知るべしでしょう。
神への道に邁進して、朝夕出会う全ての霊性を高めんとする高貴な存在。
それが私たち「亜神」。
だから神として自己を意識し神として行為する魂のブラッシュアップにこそ意義がある。
神というとアレルギーを伴う集団もあります。
とりわけ科学者や政治家やお医者さんや学校の先生がた。
けれども自己の神性に目覚める意識の変容は、宗教でも何でもなく
「存在の哲学」であり「倫理」であり、「人生の意義」でもあります。
『神道』それはまさしく「神への道」を自分で拓きなさいという。

そこには教義、経典を持たず、またその神という概念すらも定義し得ない。
宗教という修道の助けを借りたとしても、あくまでも魂磨きは自分が主役。

既定の組織宗教は、集金組織、教祖、教義教典を持つ。
だから論者には既定宗教には、信者の精神的すがりと教団組織のタカリの構図が見えてしまう。
見えない「神」概念を「真理」と言い換えてもいい。
すると俄然 科学性を帯びてくる、がそれでもなお見えにくい。
私は? の真理の追究は、精神世界からのアプローチから歩んでも、
科学世界からのアプローチから歩んでもその「真実解」は紙の表裏と同様に同一と思える。
論者は科学世界を30年歩んできた。同時に精神世界も志向してきた。
それがゆえにこれからも科学的に「神」を追求するが、
現在の心境では「秩序」とか「調和系」とか「信頼系」とかの、「状態場の科学」がその糸口と思っている。
哲学と科学の融合こそ「21世紀神聖科学」と心得ている。

エントロピー増大の系(バラバラに拡散する自然の法則)の物質界と違って
生命系はエントロピー減少の系でたとえば細胞は水やミネラルを取り込み、
ひとつの系にまとまりをつけて維持し、かつ協働する。
その生命系の主人公、「意識」こそ「神」を追求する重要なアプローチ。
波動は、他の波動と重なっても波動にしかならない
しかしそこには新らしい「場のエネルギー状態」が作られる。
シュレディンガーの波動方程式 ψ(プサイ)は虚数項を含む高次式だ。
正しく「場のエネルギー状態」を意味して、ψの二乗が素粒子の存在確率となる。
虚数項を持つ高次式ψ(プサイ)が見えない意識の状態といえなくもない。
愛・感謝・調和の意識波動は重なり合って、新しい集合意識波動を作り、
それは時間という触媒の作用を受けて、新しい「現象界」を産みだしていくのだろう。
「神拝の意義」、それは「自身を神とみぬく」状態の科学であり、
ひらたく言えば「もうひとりの自分の発見」であり、
神前で拝んでいる対象は「自分自身の本心」だといいたい。
それが神社に「神鏡」が置かれている意味である。
その「カガミ」から「我」をとれば「神」となる。
Posted by suzuki at 06:00│Comments(0)
│神泉界




