2008年06月03日
息栖、香取そして鹿島神社
[大黒さまとお猿さん:息栖神社にて]
いい伝えでは大国主様と猿田彦さまが東海の海から常陸に上陸したのが息栖神社といいます。現在地は千葉ですが、利根川を越えたところがおおよそ常陸ではないかしら。
常陸(ヒタチ)とは、いまでは日立と書くように陽立ち上る宮都であったともいわれておりますが、秀真伝では大黒様上陸のはるか以前にあった王朝とか・・・。竹内古文書ではウガヤフキアエズ王朝(47代でしたっけ?)のうちの一王朝。
息栖神社はその昔、海岸ヘリにあったのかもしれませんが、今では利根川沿いの河口堰を眼の前にしております。
その河口に鳥居が浸っておりますが、以前 神主さんに聞きましたらそこが大国主様と猿田彦さまの上陸地点のようです。
息栖神社の境内には、もちろん最近作でしょうが、大黒さまとお猿さんの小さな像が寄贈されておりました。
おそらく大国さまはそこを拠点に、利根川上流の香取ルートと、海ぞいの鹿島ルートを開拓されたのではないかと思います。
息栖から香取までの距離と、同じく息栖から鹿島までの距離はほぼ同じ。
その三点を地図上で結ぶと息栖神社を先頭にして、香取神社と鹿島神社を両底角にもつ綺麗な二等辺三角形に・・・。
のちに天津神系の経津主神(フツヌシ)と建御雷神(タケミカズチ)さままが、それぞれ香取と鹿島の両所に勧請されたのでしょう。
5月に仲間内と千葉県の真賀多(マガタ)神社、神崎(コウザキ)神社つづいて、そのヤマト常陸 三神社を訪れましたが、何故か空から建御名方神(タケミナカタ)さまの気配がする。
スワ、スハ、スーハとも看取される。もちろん建御名方神さまは諏訪神社のご祭神ですが、諏訪ではなくて、主(ス)または素(ス)、波(ハ)もしくは吾(ワ)、輪(ワ)、和(ワ)と心に響く。恐らく諏訪もその語源は「主和」や「素輪」に近いのではないでしょうか。
[香取神社拝殿 綺麗な黒塗りですね]
そんなことを夢想して香取神社の鳥居をくぐりますと突然携帯がなりました。
知人からの緊急でもない要件ですが、「鈴木さん、諏訪のモリヤって知ってる?」、「そうですねえ、確かヘブライのモリヤ山と関係して両方のモリヤも鹿が神様のお使いのようでしたねえ」とご返事。
そぞろ歩きながらの会話も香取さまの拝殿前に来ましたので電話を切りました。
恐らく共時性と言いましょうか、諏訪(主和?)神業のメッセージとも思った次第。
香取神社も、鹿島神社もともに鹿が飼われておりますね。鹿島はなんと言っても「鹿島アントラーズ」ですから鹿はマスコット。香取では社殿のずっと奥に鹿が飼われておりましたよ。
香取から鹿島への道々、国譲りのことをふと考えていました。
国津神系の建御名方神と天津系の建御雷神が戦って、建御名方神は力負けして諏訪の地に追いやられたといいます。ですが本当でしょうか・・・・・?
[建御雷神は地押さえつまり、地震を抑えているとも言われますね。この碑のデザインは「なまず」を抑えてますよ]
どうにも国津神の建御名方神と天津神の建御雷神様が戦ったように思えないのです。
古事記や日本書紀は大陸系帰化人が書いたものと、神道裏街道筋では考えられてます。
日本正史を改ざんした彼らの特徴は、富士の存在というたおやかな背景に言及していないと言うことと、一切が戦いと戦いの歴史を描いているというところです。
「タケミナカタ」と「タケミカズチ」ですよ。
その表音を言霊的に解釈すると、共に「建」(タケ)は同じですね。
ともに物事を作り上げていくと言う漢字が与えられました。
「ミ」は尊称の「御」(ミ)で、お名前が異なるのは「(タケミ)ナカタ」と「(タケミ)カズチ」ですからまるでご兄弟みたいじゃないですか。

爾(ナ)、力(ちから)、多(タ:広める)と漢字にパラフレーズすると爾の力を広め人のためになしなさいと解釈できる。一方の「カズチ」は力(ちから)、ツ(津:集める)、地(チ:大地、血脈)ですから力を集めて大地を築けというお名前になる。
建御名方神さまと建御雷神さまは、どうも兄弟くさい。

諏訪への神業メッセージを頂いたようなのですが、鹿島からのその帰り道、利根川沿いにモリヤ(守谷)というところを過ぎて行きました。
おそらくモリヤに何かあるのでしょう。

スワのモリヤ、気になるところですね。

Posted by suzuki at 06:03│Comments(0)
│たまに行くなら




