2008年06月17日

五方山 熊野神社



[立石の五方山 熊野神社 とっても気配がいいですよ]



京成「青砥駅」の手前に「立石」というところがあります。「立石」とはストーンヘンジといいましょうか、大きな立岩が宇宙とのアンテナでもあり、神道では磐座(いわくら)といって神様が宿るところ。芭蕉の句「静けさや岩にしみいるセミの声」で有名は立石寺も全山が大きな磐座で、やまと古文字が散見されていますね。

京成「立石駅」に「立石さま」という案内板もあり凡そ駅から10分も中川の川沿い方面に歩くと小さな公園内にぽつんと「立石さま」がありました。
「立石さま」と呼ばれている石が、昔は神社の境内に立ち、その大石を拝んだものらしい。
ちなみに石は千葉の鋸山からしかとれない房州石(凝灰岩)という。
今では周囲を囲った石の柵内に地面からほんのちょっぴり顔を覗かせています。
大昔には磐座だったのでしょうが、やがてそう硬くない石が風化もし人為的に削られて小さくなったのでしょう。今では石の周りに囲いがされてます。





[小さな公園にぽつんと立石があった]





[柵の中を覗くと やわらかい凝灰石が顔を覗かせている]


その付近、道路を越えたあたりに立石の熊野神社、別名 五方山熊野神社があります。
安倍晴明により創建されたと言われています。
陰陽道の五行説に則り30間5角形の境内を作り五方山と名付け、紀州熊野三社権現を勧進したと考えられています。
上から見てこの神社の境内は、現在は隣の幼稚園の敷地も入れて五角形の形をしている。
この熊野神社の神体である「石」も古墳の石室。
ですから、もっと昔は「立石さま」を含む広大な磐座だったのでしょうね。




[五芒星の中に三つ足カラスのデザイン]


この熊野神社の社紋が三足ガラスに五芒星、非常に珍しいですね。

平将門の子の平将国が安倍晴明ではないかという説もあるようです。
立石の熊野神社創設の安倍清明は大阪(和泉)阿倍野ではなく、常陸の信太(しのだ)出自の説もある。
信太にはちゃんと「清明神社」がありますよ。
将門の息子のうち殺されずに生き残ったのが将門の子の平将国。
彼はその信太郡に隠れ、信太(田)姓を名乗ったとの記録が残っています。
安倍晴明が平将国であるかは別としても、清明は将門を敬愛していた様子。

平将門は坂東八ヶ国を制した覇王。桓武天皇の子孫で、平氏の姓を授けられた、高望王(たかもちおう)の孫。
下総国、常陸国に広がった平氏と源氏の一族の抗争に端を発し、源氏系の関東諸国の国衙つまり今で言う県庁を襲い、印鑰を奪ったことから朝廷から敵と見なされた。
関東一円の「新皇」を名乗ったことから朝廷にそむいたとみなされます。
ですが、なにやら日本の天皇のルーツに関連する何か秘密を握っていたのではないかしら。
京からやって来た国司つまり今の県知事さんは私欲を満たすことに懸命で赴任地で得た富や財宝を賄賂とし,最終的には京へ戻っての出世を夢見ていたのですから、当時は将門は正義のヒーローだったのでしょうね。face02

役小角に端を発する修験道の羽黒山の五重塔(国宝)は、平将門建立と言われていますね。
将門が生きていたのは応仁の乱よりずっと昔の平安時代で、平将門の乱が終わったのが940年ぐらい、修験道にも関係する清明が歴史に登場してきたのが60年後くらいでしょうか。

平将門をやっつけたのが平貞盛で、それをサポートしていたのが武蔵の国の国主のひとり藤原秀郷という人。
平将門の乱を鎮圧したことが、評価され藤原秀郷は東北地方の国司になります。
将門の獄門首が平安の都から飛んで今の、東京に飛んできた。
それが、大手町のビル街 三井物産のビル脇に「将門の首塚」がまつられてます。
後の千代田城とはいわず江戸中が将門の足跡が色濃く、時には穢土(エド)とも別称された土地。
また立石付近にも将門の関係社も多く、熊野神社を勧請したの安倍清明も平将門の鎮魂という説もある。
ですから安倍晴明すなわち平将国という説もあながち捨て切れない。



[九段下の筑土神社 ここも素晴しい雰囲気ですよ]



皇居の田安門の近くに筑土神社がありますが、そこにも神田明神同様将門がおまつりされています。
歴史上の極悪人と決め付けられる人は皆と言っていいほど、一方で本物の正当性を握っている。
世に受け入れられない者の代弁に努めたという将門は後の徳川家にも崇敬されている。

今回は「たていし」という言霊につられてフラフラと熊野神社に行き着いてしまいました。
諏訪のモリヤにも「たていし」がありますが、おいおい紹介します。


この記事へのコメント
熊野神社の金烏の守護は大変ご利益があるといわれています。
どうしたら手にいれられますか
Posted by からすやた at 2008年08月25日 12:55
社務所に 電話でお願いしたら とても親切に 郵送していただけました。
電話は03-3693-5623番でした。ファックスは03-3693-0070です。
Posted by kinsi at 2008年08月30日 20:58
江戸時代に徳川三代将軍家光と八代吉宗将軍が鷹狩にくると 必ず熊野神社の金烏のおまもりが献上されたといわれた。
ねがいごとを 叶えてくれる霊験あらたかなおまもりと 伝えられております。
Posted by abenoseimei at 2008年08月30日 21:09